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凜花の過去
しおりを挟む俺の知りたい事――……
「田崎の言っていた事は本当だ」
龍吾がハッとする。
「10年くらい前、俺は凛花とその母親をあの男に売ったんだ」
窓ガラスに映る剣崎の、遠くを見るような瞳には、何が映るのか。
彼はゆっくりと記憶を手繰り寄せるように話し始めた。
「凛花の母親ってのがヤク中でな。
クスリ欲しさにカネ借りまくって首が回らなくなっちまった女だった。
当時まだこの世界で駆け出しだった俺は押し付けられたんだ、その女を」
龍吾は黙ってその話を聞きいていた。
――10年前……凛花はまだ14、5歳だ……
「借金まみれのヤク中女と未成年の娘をセットでさ。
そんなのを抱えていたらあっという間にパクられる。
そうなったら、やっと持つ事が出来た自分の店もオジャンだ」
剣崎はフッと肩を竦める。
「今なら一度や二度パクられたって大した痛手にはなんねーけどな」
そう言って自嘲気味に笑った剣崎を、複雑な想いで龍吾は見詰める。
――自分が出会った時の剣崎はもう既に揺るがぬ足場を築いていた――……。
「そんな時に、田崎のオッサンが彼女達を買うと言ってきたんだ。
当時の俺にしてみれば、渡りに舟さ。
でもな、最初っからアイツが仕掛けた、裏から糸を引いてた事だったんだよ。
若造のクセに生意気だった俺に恩を売ってやろう、て魂胆だったんだな」
そこまで話すと剣崎はクククと笑った。
「あのオッサンが狸なら、俺は狐だ。
売っちまったもん勝ちでさ、アチラの無謀な条件も全部蹴ってやった。
結局ヤク中女の負債まる抱えの大損だ。
そのあたりからだな、田崎が俺を目の敵にするようになったのは」
「その……凛花の母親ってのは今は……?」
龍吾はやっとの思いで掠れた声を絞り出した。
「行方不明……だな。
暫くは田崎が持つ店で働いていたみたいだが、見なくなった。
逃げたか……」
剣崎はそこで一旦言葉を切った。
そして、再び口を開いた。
「消されたか」
龍吾は目を瞑る。
「俺は後者だと思うけどな。
彼女を見なくなった時期と凛花が店に出始めた時期がだいたい同じだからな。
お役御免ってとこだろう」
――凛花は……いつから男達に躰を開かされてきたのだろう……
押しつぶされそうな胸を抱え、龍吾は唇を噛む。
――凛花は……何を想い、何を支えに生きてきたのだろう……
「助けてやろう、とか思うな。
確かに俺はお前の無鉄砲さと度胸は買ってる。
でもな、到底今のお前が救い出してやれるような相手じゃねーんだよ」
龍吾が考えている事を察する剣崎が、先回りするように釘を刺す。
――今の俺では……――!
窓の外に広がる夕闇を眺める剣崎の横顔を、龍吾は悔しげに見詰める事しか出来なかった。
「ああ……そうだ……。
これをお前に」
不意に、剣崎が足元に置いてあった紙袋を取ると龍吾に渡した。
「……?」
手渡された紙袋の中を覗いた龍吾の表情が固まる。
その中には、あの日凛花に着せた彼の上着が入っていた。
「凛花がな、綺麗に畳んだ状態でうちの事務所に持ってきたんだ。
受け取った奴に“龍吾を助けて”と俺に伝えてくれ、とだけ言付けしてあっという間にいなくなったらしいがな」
――凛花――……!
龍吾は紙袋から上着を出した。
まさか……とポケットに手を入れる。
そこには……
龍吾があの日凛花渡した金が手付かずのまま入っており、短い言葉を走り書きしたメモ用紙が添えられていた。
《龍吾。
貴方はずっと前から私の心の支えだったのよ。
ありがとう。愛してる。
凛花》
もう――……言葉にはならなかった――……。
その紙を握り締めた龍吾は上着を抱き締めた。
――俺の事……前から――……?
微かな凛花の残り香が、龍吾の鼻を掠める。
――こんなに……会いたいのに……
こんなに……こんなに抱き締めたいのに――……。
凛花、凛花――……!
今どこでどうしているのか。
無事なのか、生きているのか、すらわからない。
どうする事も出来ない歯痒さが、龍吾を襲う。
「欲の皮が突っ張った田崎の事だ。
上客を持つ凛花は暫くは店に出すだろう」
去り際、剣崎は龍吾の肩に手を置きそう言い残した。
龍吾は顔を上げ、彼が消えたドアを暫く見詰めていた――……。
剣崎が病室のドアを開けると、廊下で壁に寄りかかり腕組みをした相棒の兵藤が待っていた。
「あんな事言っちまったらアイツが黙って大人しくしてるワケないだろ」
そう言いながら苦笑いし、身を起こした。
「そんな事わかってるさ。敢えて言ったんだよ
こんな事くらいで諦めるようなヤワなヤツだったら俺は初めっから拾っちゃいねー」
そう言い廊下を歩きだした剣崎を見、兵藤は言う。
「お前らしいな……
下準備と後始末は俺の仕事、か」
「そういう事だ」
兵藤は肩を竦め、剣崎に続いて歩き出した。
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