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交錯する想い
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「……なんですか、これ?」
「んー、金のシャチホコ?」
夕方、出張から戻った保はみちるの手に「お土産だ」と箱包みを渡した。「開けてみ」とニコニコ顔の保に、みちるがワクワクしながら開けると、現れたのは、手の平サイズの金色のシャチホコだった。
「えっと、見れば分かりますけど、どう、使いましょう?」
「みちるのドレッサーにでも飾ってください」
「はあ」
顔を見合わてクスクス笑った。保がみちるの頭を優しく撫でる。
みちるは少し愛嬌あるシャチホコの頭を指で撫で、保に言う。
「ありがとう、保さん。今回は中ヒットくらいね」
「そうかぁ」
保は、くぅっ、と拳を握ってみせた。
保は出張に出掛ける度に、みちるを笑わせようとウケを狙った土産を買ってくる。いつも、そうやってみちるを楽しませた。
「昨日は凄い嵐だったみたいだけど?」
保がネクタイを弛めながらみちるに聞く。みちるは保から受け取っジャケットをハンガーに掛け、丁寧にブラシをかけながら「うん」とだけ応えた。
「みちるが泣いてんじゃないかって気が気じゃなかった」
笑いながら言う保にみちるは少しドキッとする。
「私、そんなに泣き虫じゃありませんよ」
みちるの言葉に保は「そうか?」と言い笑った。
保も星児と同じ事を言う。みちるは自ずと昨夜の出来事を思い出してしまった。
昨夜。何事もなかったかのように一緒に夕食を食べ、ベランダで夜空を見た。
食事を終え、雨が上がったベランダでタバコを吸っていた星児がみちるに声を掛けた。
「みちる、来いよ。星が見える」
キッチンで洗い物をしていたみちるは、思いがけない星児の言葉に驚いた。
ほんの少し戸惑いながらも、ベランダに出たみちるは遠慮がちに星児の隣に立った。そして、雨上がりの夜空を見上げ、
「わぁ……」
声を上げた。
「な? よく見えるだろ」
「うん」
風と雨に洗われた、東京の空。普段はなかなかその姿を見せていない星達が慎ましい光りを放っていた。
「普段は街が明るすぎるのと、空気の汚れでなかなか見えないだろ」
ベランダの手摺に寄りかかりタバコをくわえた星児は空を見上げていた。
鼻筋の通ったその横顔をチラリと見上げたみちるは、いつもと違う、ほんの少し物思いに耽るような彼の表情にドキンとした。
慌てて目を逸らし、星の瞬く夜空に視線を移す。
「星児さん、星が好きなんですね」
ベランダの手摺に手を掛け、見上げるみちるが星児に聞いた。
名前、星がつくものね。
「ああ。でも俺は勉強とかきれーだから星座がどうこう、とかのウンチクは知らねーけど」
ククッと笑い、星児は静かに続ける。
「星空が見えるのは当たり前のようなとこで生まれ育ったからさ。ただ見てるだけでいいんだ」
ただ、見てるだけで。
星児はタバコの煙をふぅ、と吐き出した。
「なんかさ、なにもかも…ちっぽけだなって思えるだろ。絶対に傲っちゃいけねぇ、って思わされる」
再びタバコを口にくわえた彼は、手摺に身を預け夜空を見続けていた。
「星児さんは、名前の通り大きな人なんだと、思います」
それは自然とみちるの口を突いて出てきた言葉だった。
自分の事を〝小さい〟と言ったように感じた星児の言葉に、みちるは、それは違うとどうしても言いたかったのだ。
貴方はきっと、とても大きな人です!
そう伝えたかった。
真摯な瞳で見つめるみちるを、星児は、ほんの少し驚愕の色を交えた表情で見、軽く苦笑いをした。
「みちる、俺を買い被りすぎ」
言いながらみちるの頭を優しく撫でた。
「そんな事ないです! きっと……」
「サンキュ」
フワッと近付いた星児の瞳。頬に軽く唇が触れた。
カラダがしびれる。心が、震える。
「俺は仕事放り投げて帰ってきちまったから戻らねーとだけど。明け方まではちゃんと傍にいてやるから安心して寝ろよ」
肩を竦めながら笑った星児の瞳がいつもよりも優しく見えた。みちるの胸が、キュンと鳴る。
「ごめんなさい、私のせいで」
「いいんだ。どうせ今夜はあんな天気じゃ街は閑古鳥だろ」
星児は東の空が明るくなる頃、眠るみちるの髪にそっとキスをし、仕事に戻る為に出掛けて行ったーー。
「夕べは姉貴が来た?」
ネクタイを外した保はみちるにそれを渡しながら聞いた。みちるはほんの少し躊躇う様子を見せたが、ゆっくりと答える。
「ううん、麗子さんが、嵐で帰って来られなくなって、それで」
そこで一息ついた。
「星児さんが、帰って来て、くれました」
歯切れの悪いみちるの様子に、保は静かに問いかけた。
「何か、あった?」
一瞬の沈黙があり、みちるはアハハと笑った。
「やだぁ、保さん。なにかって?」
みちるの声が妙に乾いていた。言葉の前にあった沈黙が全てを物語っていた。
「なんだろうなぁ」
保は突き詰めず一緒に笑い、みちるの頭を撫でた。
みちるはヴァージンでなくてはいけない、大事な〝切り札〟。
星児と保の間にある暗黙の約束だ。星児がその彼女に〝何か〟をする筈はないのだ。
ただ、〝そこに至るまでの前戯〟に関しての取り決めは、無い。
保はみちるを見た。
みちるは渡されたネクタイをジャケットと一緒にハンガーに掛けていた。
「みちる」
保に呼ばれ、みちるが振り返った。
「なぁに、保さん」
みちるはいつもと変わらない笑顔で答えた。
星児のする事に口出しなどした事はない。星児のする事に疑問を持った事など一度もなかったし、ずっと、星児と共に同じものを信じ歩む事に何の迷いもなかった。
そんな自分が初めて、星児に対して譲れないものを持ってしまったのかもしれない。
「お土産の味噌煮込みうどん」
「アハハ、ちょっと、もう暑いかもね」
「確かに」
キャハハと笑うみちるに保は目を細め、一緒に笑った。
渡された紙袋から取り出したみちるが、わーい、と喜ぶ姿に保は満足そうな笑みを浮かべた。
「今夜の夕飯に作ってやるから」
「うん」
保さん。
保さんとの時間は、凄く心地よくて、愛しい。
私は、どうしたらいいんだろうね。
ねぇ、保さん。
†††
「もっと?」
「それは麗子が決める事だろ、この体位なら」
「いぢわるね……」
騎乗位になっていた麗子はそのままの体勢で星児の逞しい胸に手を突く。
ねぇ星児、私を、見てる?
麗子は少し前屈みになり、星児の瞳を見つめた。
いつだったかしら。その、愛しくてたまらない貴方の瞳が、私を素通りしているように感じたのは。
「星児」
艶っぽい声が呼ぶ。
「ん……?」
星児は麗子の腰を持ちながら応えた。
「私だけを見て」
「見てるよ」
優しい言葉。柔らかい笑顔。
――嘘。
麗子の胸に、ギュッと潰されるような痛みが走った。
今まで、貴方がどんな女と寝ようと、どんなに女を抱こうと、全然気にしなかった、わけではないけど、辛うじて平気でいられたのは、貴方の瞳には私しか映っていないと信じていたから。
「麗子?」
身体を起こした星児はそっと麗子の頬に手を添えキスをした。
あの子だけは、あの子だけはダメ! 早く、早く、進めなければ!
「星児」
絡めた舌をゆっくりと解き、静かに唇を離した麗子が星児の目を見、言った。
「前に言ってた話、進めていい?」
†††
「んー、金のシャチホコ?」
夕方、出張から戻った保はみちるの手に「お土産だ」と箱包みを渡した。「開けてみ」とニコニコ顔の保に、みちるがワクワクしながら開けると、現れたのは、手の平サイズの金色のシャチホコだった。
「えっと、見れば分かりますけど、どう、使いましょう?」
「みちるのドレッサーにでも飾ってください」
「はあ」
顔を見合わてクスクス笑った。保がみちるの頭を優しく撫でる。
みちるは少し愛嬌あるシャチホコの頭を指で撫で、保に言う。
「ありがとう、保さん。今回は中ヒットくらいね」
「そうかぁ」
保は、くぅっ、と拳を握ってみせた。
保は出張に出掛ける度に、みちるを笑わせようとウケを狙った土産を買ってくる。いつも、そうやってみちるを楽しませた。
「昨日は凄い嵐だったみたいだけど?」
保がネクタイを弛めながらみちるに聞く。みちるは保から受け取っジャケットをハンガーに掛け、丁寧にブラシをかけながら「うん」とだけ応えた。
「みちるが泣いてんじゃないかって気が気じゃなかった」
笑いながら言う保にみちるは少しドキッとする。
「私、そんなに泣き虫じゃありませんよ」
みちるの言葉に保は「そうか?」と言い笑った。
保も星児と同じ事を言う。みちるは自ずと昨夜の出来事を思い出してしまった。
昨夜。何事もなかったかのように一緒に夕食を食べ、ベランダで夜空を見た。
食事を終え、雨が上がったベランダでタバコを吸っていた星児がみちるに声を掛けた。
「みちる、来いよ。星が見える」
キッチンで洗い物をしていたみちるは、思いがけない星児の言葉に驚いた。
ほんの少し戸惑いながらも、ベランダに出たみちるは遠慮がちに星児の隣に立った。そして、雨上がりの夜空を見上げ、
「わぁ……」
声を上げた。
「な? よく見えるだろ」
「うん」
風と雨に洗われた、東京の空。普段はなかなかその姿を見せていない星達が慎ましい光りを放っていた。
「普段は街が明るすぎるのと、空気の汚れでなかなか見えないだろ」
ベランダの手摺に寄りかかりタバコをくわえた星児は空を見上げていた。
鼻筋の通ったその横顔をチラリと見上げたみちるは、いつもと違う、ほんの少し物思いに耽るような彼の表情にドキンとした。
慌てて目を逸らし、星の瞬く夜空に視線を移す。
「星児さん、星が好きなんですね」
ベランダの手摺に手を掛け、見上げるみちるが星児に聞いた。
名前、星がつくものね。
「ああ。でも俺は勉強とかきれーだから星座がどうこう、とかのウンチクは知らねーけど」
ククッと笑い、星児は静かに続ける。
「星空が見えるのは当たり前のようなとこで生まれ育ったからさ。ただ見てるだけでいいんだ」
ただ、見てるだけで。
星児はタバコの煙をふぅ、と吐き出した。
「なんかさ、なにもかも…ちっぽけだなって思えるだろ。絶対に傲っちゃいけねぇ、って思わされる」
再びタバコを口にくわえた彼は、手摺に身を預け夜空を見続けていた。
「星児さんは、名前の通り大きな人なんだと、思います」
それは自然とみちるの口を突いて出てきた言葉だった。
自分の事を〝小さい〟と言ったように感じた星児の言葉に、みちるは、それは違うとどうしても言いたかったのだ。
貴方はきっと、とても大きな人です!
そう伝えたかった。
真摯な瞳で見つめるみちるを、星児は、ほんの少し驚愕の色を交えた表情で見、軽く苦笑いをした。
「みちる、俺を買い被りすぎ」
言いながらみちるの頭を優しく撫でた。
「そんな事ないです! きっと……」
「サンキュ」
フワッと近付いた星児の瞳。頬に軽く唇が触れた。
カラダがしびれる。心が、震える。
「俺は仕事放り投げて帰ってきちまったから戻らねーとだけど。明け方まではちゃんと傍にいてやるから安心して寝ろよ」
肩を竦めながら笑った星児の瞳がいつもよりも優しく見えた。みちるの胸が、キュンと鳴る。
「ごめんなさい、私のせいで」
「いいんだ。どうせ今夜はあんな天気じゃ街は閑古鳥だろ」
星児は東の空が明るくなる頃、眠るみちるの髪にそっとキスをし、仕事に戻る為に出掛けて行ったーー。
「夕べは姉貴が来た?」
ネクタイを外した保はみちるにそれを渡しながら聞いた。みちるはほんの少し躊躇う様子を見せたが、ゆっくりと答える。
「ううん、麗子さんが、嵐で帰って来られなくなって、それで」
そこで一息ついた。
「星児さんが、帰って来て、くれました」
歯切れの悪いみちるの様子に、保は静かに問いかけた。
「何か、あった?」
一瞬の沈黙があり、みちるはアハハと笑った。
「やだぁ、保さん。なにかって?」
みちるの声が妙に乾いていた。言葉の前にあった沈黙が全てを物語っていた。
「なんだろうなぁ」
保は突き詰めず一緒に笑い、みちるの頭を撫でた。
みちるはヴァージンでなくてはいけない、大事な〝切り札〟。
星児と保の間にある暗黙の約束だ。星児がその彼女に〝何か〟をする筈はないのだ。
ただ、〝そこに至るまでの前戯〟に関しての取り決めは、無い。
保はみちるを見た。
みちるは渡されたネクタイをジャケットと一緒にハンガーに掛けていた。
「みちる」
保に呼ばれ、みちるが振り返った。
「なぁに、保さん」
みちるはいつもと変わらない笑顔で答えた。
星児のする事に口出しなどした事はない。星児のする事に疑問を持った事など一度もなかったし、ずっと、星児と共に同じものを信じ歩む事に何の迷いもなかった。
そんな自分が初めて、星児に対して譲れないものを持ってしまったのかもしれない。
「お土産の味噌煮込みうどん」
「アハハ、ちょっと、もう暑いかもね」
「確かに」
キャハハと笑うみちるに保は目を細め、一緒に笑った。
渡された紙袋から取り出したみちるが、わーい、と喜ぶ姿に保は満足そうな笑みを浮かべた。
「今夜の夕飯に作ってやるから」
「うん」
保さん。
保さんとの時間は、凄く心地よくて、愛しい。
私は、どうしたらいいんだろうね。
ねぇ、保さん。
†††
「もっと?」
「それは麗子が決める事だろ、この体位なら」
「いぢわるね……」
騎乗位になっていた麗子はそのままの体勢で星児の逞しい胸に手を突く。
ねぇ星児、私を、見てる?
麗子は少し前屈みになり、星児の瞳を見つめた。
いつだったかしら。その、愛しくてたまらない貴方の瞳が、私を素通りしているように感じたのは。
「星児」
艶っぽい声が呼ぶ。
「ん……?」
星児は麗子の腰を持ちながら応えた。
「私だけを見て」
「見てるよ」
優しい言葉。柔らかい笑顔。
――嘘。
麗子の胸に、ギュッと潰されるような痛みが走った。
今まで、貴方がどんな女と寝ようと、どんなに女を抱こうと、全然気にしなかった、わけではないけど、辛うじて平気でいられたのは、貴方の瞳には私しか映っていないと信じていたから。
「麗子?」
身体を起こした星児はそっと麗子の頬に手を添えキスをした。
あの子だけは、あの子だけはダメ! 早く、早く、進めなければ!
「星児」
絡めた舌をゆっくりと解き、静かに唇を離した麗子が星児の目を見、言った。
「前に言ってた話、進めていい?」
†††
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