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『妬いてるんですか?』
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駆け引きと、挑発?
「俺自身はもう新店舗は出さねーよ」
今日は休みだが、星児はリビングでデスクトップパソコンに向かいながら、事務所にいる部下との電話のやり取りをしていた。
「なるほどな、オマエは吉原でソープやりたいってワケか。そうなると独立だな。今はオマエが考えてる以上に不景気だ。かなりの覚悟がいる。それでもどうしてもやりてーなら吉原実地調査でもしてガッツリ計画まとめて来いや。俺を唸らせるモン練れたら独立も考えてやるよ」
じゃあがんばれや、と言い、星児は電話を切った。
コードレスフォンを充電スタンドに戻し、タバコの箱を手に取り、中身が空という事に気付く。
「コンビニ行くか」
星児は伸びをしながら立ち上がる。窓から差し込む夕日に、部屋がオレンジ色に染まっていた。
正午頃に星児が起きた時家には誰もおらず、ダイニングテーブルにはラップが掛けられた手作りのサンドイッチが置かれていた。
星児は壁の時計を見る。
「そろそろ、みちるが帰って来るな」
コインケースをジーンズのポケットに突っ込むと、クロックスを突っ掛け玄関を出た。
†††
夏の夕暮れ。商店が立ち並ぶ賑やかな通りから1本入れば、何処かの寺の境内から蜩が鳴く声が聞こえる。
買い物袋を下げたみちるは、住宅街の軒先に並ぶ植木鉢の花々を眺めながらゆっくり歩いていた。
住宅街の先には、石畳の静かな路地があり、その突き当たりは石段が続く。みちるは石段手前にある小さな祠に手を合わせた。
「あの……」
男の声に、みちるは顔を上げて振り向いた。そこには、エナメルバッグを肩に掛けた制服姿のスラリとした高校生。
みちるは、首を傾げて彼を見た。
何処かで?
高校生の彼は、照れくさそうにみちるに話しかけた。
「ローザでバイト、されてますよね?」
ああ、よくお友達とお店に来てる子だ。みちるはその顔を思い出した。
「みちるさん、て名前、なんですよね?」
「はい。でもどうして名前を?」
少年は、恥ずかしそうに頭を掻いた。
「マスターが、いつもそう呼んでたのを聞いていました」
「ああ、そっかぁ」
みちるは手を口に軽く当て、首を竦めてフフと笑った。その笑顔を、目を細めて眩しそうに見る少年は小さな声で遠慮がちに言う。
「あの、俺ずっと貴女と話しがしてみたくて、貴女の事、もっと知りたくて」
途切れ途切れに躊躇いながら言う彼を、みちるは、え、と見上げた。
†††
夕方の賑わいを見せる商店街の雑踏を避け、星児は閑静な裏通りに入って行った。
打ち水をした路面は、吹き抜ける夏の風に微かな冷気を加えてくれる。石段を下りて行くルートを選び、そこに差し掛かった時だった。
みちる?
一段下りたところで下の小さな祠の前に立っていたみちるを見つけた。直ぐに、彼女が1人ではない事に気付く。
誰だ?
星児はそっと気付かれないようにみちると向かい合う男の様子を伺った。何故か、その2人の雰囲気が、星児に声を掛ける事を躊躇わせた。
「ふぅん……」
ジーンズのポケットに手を突っ込んだまま少しの間彼等を見ていた星児は、無表情のまま踵を返し、その場を立ち去った。
†††
ジャー……と蛇口から流れ出る水が、シンクのボウルで飛沫を上げていた。
ちぎったレタスが溢れた水と共に流れ出る。みちるはボンヤリとそれを眺めていた。
「好きだ、とか言われたか」
思いがけなく声を掛けられ、みちるはビクッと顔を上げた。キッチンカウンターに手を掛けた星児がこちらを見ていた。
「どっ、どうして……」
言葉に詰まる彼女の顔を見、星児は口角を上げて笑う。
「どうして知ってる、って言いてぇの?」
みちるは頷く事しか出来なかった。
星児さん? いつもと、違います。
トクトクと、鼓動が早くなる。
「とりあえず、水止めたらどうだ?」
「あっ」
みちるは慌ててレバー式の蛇口を下げ、水道を止めた。
流水音が消え静寂が空間を包む。胸が詰まる。加速していく鼓動に息が苦しい。
「夕方、タバコを買いに出たんだよ。そんで、見た。みちるが高校生っぽい男と話してるとこ」
「見て……見ていたなら声掛けてくれたら、よかったのに」
私、大変だったんだから。あんな事言われたの、初めてで。
あの後。
『ごめんなさい。私は、よく分からなくて。こういう時にどう答えたらいいのか』
戸惑いながら答えたみちるに少年は人懐こそうな笑顔にほんの少しの困惑の色を挿した。
『すみません、急に。また会えたら、少しお話しできたら、それだけでいいですから』
言い終わると彼は、じゃあっ! と手を振り石段とは逆の方向へ走り去った。
星児が意地悪く笑う。
「付き合ってくれ、とか?」
みちるは、首を振ってはみたが俯向き黙り込んでしまう。シンクにかけていた手が、震えていた。
どうして。どうして今日の星児さん、こんなに意地悪なの?
いつもと違う星児の様子にみちるの中を動揺が突き抜ける。今にも震えてしまいそうな下唇を押さえる為に噛み締めた。
零下のような、ゾクリとする空間。血流だけが激しさを増していた。
「勿論、断ったんだろ?」
「え? あ、あの、そんな断るような事、言われてな」
「みちるさ。相手がみちるの事どんだけ好きか、わかんねぇの? 俺が離れて見ててもアイツ、モロバレなくらいメロメロだったぜ」
今日の星児の言葉には、刺がある。胸の激しい鼓動と痛みに耐えようとみちるは胸元を握り締めた。
「気もねぇヤツに気ぃ持たせるような駆け引き、まだ教えてねぇけど? みちるに出来る芸当とは到底思えねぇしな」
ハッと顔を上げたみちるは星児と目が合う。
星児の双眸にはいつもとは違う意地悪な光と、もう一つ、初めて見る色が挿しているように、みちるは感じた。
「みちるがソイツに少しでも気があんならハナシは別だけど」
底意地の悪い響きだった。みちるの中の何かが弾けた。
崩れてしまいそうな心を必死に支え、真っ直ぐに星児を睨み付け、言葉を発した。
まるで、口が別の生き物になったような彼女らしからぬ言葉を。
「星児さん、妬いてるんですか」
ゆっくりと動いたみちるの唇が、妖しく艶めく。瞳が放つ光は、男を誘う魅惑を放っていた。
恐らく、無意識だ。
百戦錬磨の星児でも、コンマ1秒クラリとした。
「⁈」
カウンターの向こう、みちるの視界から星児が消えた。次の瞬間、強い力がみちるの身体を狭いキッチンの壁に押し付けた。
ほんの数秒。流れるような動きだった。
突然全身を襲った感覚に頭の回転速度が追い付かなかったみちるは、目を見開いたまま固まっていた。
目の前には星児のスポーツシャツの胸元があった。
顔の両脇に突かれた手。恐る恐る見上げると、数センチも離れていない星児の瞳と視線がぶつかる。
みちるは、射られたように瞬きも出来なかった。
「この俺に挑発? 上等じゃねぇか」
星児の瞳が妖しく光る。フッとみちるの顔に影が出来、彼女が思わず目を閉じたとほぼ同時だった。
「……んっ」
唇が、重なる。星児とは二回目のキスをしたみちるにとって、このキスは、
違うーー! このキスは違う!
「……んんっ」
以前のキスが、ゆっくりと快楽への扉を開いて行くものならば、このキスは、貪るような。
そう、全てを強引に、激しく貪るような、そんなキスだ。
思考も意思も、何もかもが奪い取られていく。
星児の舌がみちるの舌を巧みに絡めとる。
全身の力が抜け、みちるは星児のシャツを握り締めた。
躰が過敏になって行くのが分かる。
立ってられない!
みちるの足の間に星児の膝が挟み込まれ、地に着く足の感覚が薄れる。躰はたくましい腕に抱かれていた。
意識が、離れていっちゃう!
「……んはっ……ぁはぁ……」
吸い上げられた舌と唇がやや乱暴に離され、みちるは息を吸い込んだ。
「せっ、せいじさ……あっ」
長い髪をクッと引かれ、顔が上がり、上顎の下の首筋にキスをされた。そのままゆっくりと星児の唇が下に這ってゆく。
「……ぁ……はぁ……や……」
星児の手が、みちるのTシャツの中にスルッと滑り込んだ。
「……んんっ! ……だめっ」
ビクンッと躰を震わせたみちるは星児の腕を掴み、ギュッと固く目を閉じた。
†
壁を背に小さく震え、肩で息をするみちるは潤んだ瞳で見上げていた。
壁に手を突く星児はみちるを静かに見下ろす。
「いいか、みちる」
いつもの穏やかな甘い響きだった。
その声色に、みちるの胸に安堵が広がる。堪えていた涙が一気に溢れ出した。
星児が優しく手でみちるの頬を拭った。柔らかな感触に、涙が止まらなくなる。
いつもの、星児さん。
みちるの頬に手を添えたまま星児は、これは覚えておけ、と続ける。
「駆け引きと挑発ってのはな、自分で自分の身を守る覚悟でやるんだ。自分を守れる自信のある女じゃねぇとな。みちるみてぇに隙だらけの女がやる事じゃねぇんだ」
駆け引きと、挑発。
「絶対に男を舐めるな」
「私、そんなつもりじゃ……」
言い終わらないうちにみちるの唇に星児の親指が当てられた。
「『そんなつもりじゃない』が一番やべぇの。気ぃつけろ」
星児はみちるの唇に当てていた親指をそっと外し、柔らかなキスをした。ほんの数秒の、優しいキスを。
甘く心地よい痺れが数分前の激流に押し流されそうだった自分を優しく慰める。
唇がゆっくりと離れ、気付くとみちるは星児の腕の中にいた。
鼓動が直に耳に届く。キスと同様、束の間の抱擁だった。
みちるの中にとろけるような意識を残し、星児は離れた。
本当は。
星児の中に、微かな囁きがあったことは、みちるも知らない。
決して口に出来ないそれぞれの想い。
〝渡したくなんかねーんだよ。誰にも〟
「みちる、男と女ってのは、何時だって真剣勝負なんだよ」
この先に待ち受けているであろう大きなうねりに溺れてしまわぬよう。みちるがこの先1人でも生きて行けるよう。
精一杯の、星児のエールだった。
「やっぱ、俺少し仕事片付けてくるわ。保がそろそろ帰って来るから大丈夫だろ?」
「はい」
星児はみちるの頭をクシャッと撫で、自室に入って行った。
†
スーツに着替え出掛けた星児を玄関で見送ったみちるは、彼がドアの向こうに消えるとそのままそこに座り込んだ。
目を閉じても、星児の、スーツの背中が瞼の裏に浮かぶ。躰が、少し前の感覚を覚えている。
怖かった。自分の全てを呑み込んでしまうような強い力が。
そして、溺れてゆきそうな自分も。
両手で顔を覆う。
保さん、助けて! 私の気持ちも、頭もぐちゃぐちゃなの。もう、分からないの!
保さん、早く帰って来てください――!
みちるは玄関でうずくまり、抱えた膝に顔を埋めた。
私、どうにかなりそう!
どれくらいそうしていただろう。
ドアのノブがカチリと音を立て、みちるはハッと顔を上げた。
「俺自身はもう新店舗は出さねーよ」
今日は休みだが、星児はリビングでデスクトップパソコンに向かいながら、事務所にいる部下との電話のやり取りをしていた。
「なるほどな、オマエは吉原でソープやりたいってワケか。そうなると独立だな。今はオマエが考えてる以上に不景気だ。かなりの覚悟がいる。それでもどうしてもやりてーなら吉原実地調査でもしてガッツリ計画まとめて来いや。俺を唸らせるモン練れたら独立も考えてやるよ」
じゃあがんばれや、と言い、星児は電話を切った。
コードレスフォンを充電スタンドに戻し、タバコの箱を手に取り、中身が空という事に気付く。
「コンビニ行くか」
星児は伸びをしながら立ち上がる。窓から差し込む夕日に、部屋がオレンジ色に染まっていた。
正午頃に星児が起きた時家には誰もおらず、ダイニングテーブルにはラップが掛けられた手作りのサンドイッチが置かれていた。
星児は壁の時計を見る。
「そろそろ、みちるが帰って来るな」
コインケースをジーンズのポケットに突っ込むと、クロックスを突っ掛け玄関を出た。
†††
夏の夕暮れ。商店が立ち並ぶ賑やかな通りから1本入れば、何処かの寺の境内から蜩が鳴く声が聞こえる。
買い物袋を下げたみちるは、住宅街の軒先に並ぶ植木鉢の花々を眺めながらゆっくり歩いていた。
住宅街の先には、石畳の静かな路地があり、その突き当たりは石段が続く。みちるは石段手前にある小さな祠に手を合わせた。
「あの……」
男の声に、みちるは顔を上げて振り向いた。そこには、エナメルバッグを肩に掛けた制服姿のスラリとした高校生。
みちるは、首を傾げて彼を見た。
何処かで?
高校生の彼は、照れくさそうにみちるに話しかけた。
「ローザでバイト、されてますよね?」
ああ、よくお友達とお店に来てる子だ。みちるはその顔を思い出した。
「みちるさん、て名前、なんですよね?」
「はい。でもどうして名前を?」
少年は、恥ずかしそうに頭を掻いた。
「マスターが、いつもそう呼んでたのを聞いていました」
「ああ、そっかぁ」
みちるは手を口に軽く当て、首を竦めてフフと笑った。その笑顔を、目を細めて眩しそうに見る少年は小さな声で遠慮がちに言う。
「あの、俺ずっと貴女と話しがしてみたくて、貴女の事、もっと知りたくて」
途切れ途切れに躊躇いながら言う彼を、みちるは、え、と見上げた。
†††
夕方の賑わいを見せる商店街の雑踏を避け、星児は閑静な裏通りに入って行った。
打ち水をした路面は、吹き抜ける夏の風に微かな冷気を加えてくれる。石段を下りて行くルートを選び、そこに差し掛かった時だった。
みちる?
一段下りたところで下の小さな祠の前に立っていたみちるを見つけた。直ぐに、彼女が1人ではない事に気付く。
誰だ?
星児はそっと気付かれないようにみちると向かい合う男の様子を伺った。何故か、その2人の雰囲気が、星児に声を掛ける事を躊躇わせた。
「ふぅん……」
ジーンズのポケットに手を突っ込んだまま少しの間彼等を見ていた星児は、無表情のまま踵を返し、その場を立ち去った。
†††
ジャー……と蛇口から流れ出る水が、シンクのボウルで飛沫を上げていた。
ちぎったレタスが溢れた水と共に流れ出る。みちるはボンヤリとそれを眺めていた。
「好きだ、とか言われたか」
思いがけなく声を掛けられ、みちるはビクッと顔を上げた。キッチンカウンターに手を掛けた星児がこちらを見ていた。
「どっ、どうして……」
言葉に詰まる彼女の顔を見、星児は口角を上げて笑う。
「どうして知ってる、って言いてぇの?」
みちるは頷く事しか出来なかった。
星児さん? いつもと、違います。
トクトクと、鼓動が早くなる。
「とりあえず、水止めたらどうだ?」
「あっ」
みちるは慌ててレバー式の蛇口を下げ、水道を止めた。
流水音が消え静寂が空間を包む。胸が詰まる。加速していく鼓動に息が苦しい。
「夕方、タバコを買いに出たんだよ。そんで、見た。みちるが高校生っぽい男と話してるとこ」
「見て……見ていたなら声掛けてくれたら、よかったのに」
私、大変だったんだから。あんな事言われたの、初めてで。
あの後。
『ごめんなさい。私は、よく分からなくて。こういう時にどう答えたらいいのか』
戸惑いながら答えたみちるに少年は人懐こそうな笑顔にほんの少しの困惑の色を挿した。
『すみません、急に。また会えたら、少しお話しできたら、それだけでいいですから』
言い終わると彼は、じゃあっ! と手を振り石段とは逆の方向へ走り去った。
星児が意地悪く笑う。
「付き合ってくれ、とか?」
みちるは、首を振ってはみたが俯向き黙り込んでしまう。シンクにかけていた手が、震えていた。
どうして。どうして今日の星児さん、こんなに意地悪なの?
いつもと違う星児の様子にみちるの中を動揺が突き抜ける。今にも震えてしまいそうな下唇を押さえる為に噛み締めた。
零下のような、ゾクリとする空間。血流だけが激しさを増していた。
「勿論、断ったんだろ?」
「え? あ、あの、そんな断るような事、言われてな」
「みちるさ。相手がみちるの事どんだけ好きか、わかんねぇの? 俺が離れて見ててもアイツ、モロバレなくらいメロメロだったぜ」
今日の星児の言葉には、刺がある。胸の激しい鼓動と痛みに耐えようとみちるは胸元を握り締めた。
「気もねぇヤツに気ぃ持たせるような駆け引き、まだ教えてねぇけど? みちるに出来る芸当とは到底思えねぇしな」
ハッと顔を上げたみちるは星児と目が合う。
星児の双眸にはいつもとは違う意地悪な光と、もう一つ、初めて見る色が挿しているように、みちるは感じた。
「みちるがソイツに少しでも気があんならハナシは別だけど」
底意地の悪い響きだった。みちるの中の何かが弾けた。
崩れてしまいそうな心を必死に支え、真っ直ぐに星児を睨み付け、言葉を発した。
まるで、口が別の生き物になったような彼女らしからぬ言葉を。
「星児さん、妬いてるんですか」
ゆっくりと動いたみちるの唇が、妖しく艶めく。瞳が放つ光は、男を誘う魅惑を放っていた。
恐らく、無意識だ。
百戦錬磨の星児でも、コンマ1秒クラリとした。
「⁈」
カウンターの向こう、みちるの視界から星児が消えた。次の瞬間、強い力がみちるの身体を狭いキッチンの壁に押し付けた。
ほんの数秒。流れるような動きだった。
突然全身を襲った感覚に頭の回転速度が追い付かなかったみちるは、目を見開いたまま固まっていた。
目の前には星児のスポーツシャツの胸元があった。
顔の両脇に突かれた手。恐る恐る見上げると、数センチも離れていない星児の瞳と視線がぶつかる。
みちるは、射られたように瞬きも出来なかった。
「この俺に挑発? 上等じゃねぇか」
星児の瞳が妖しく光る。フッとみちるの顔に影が出来、彼女が思わず目を閉じたとほぼ同時だった。
「……んっ」
唇が、重なる。星児とは二回目のキスをしたみちるにとって、このキスは、
違うーー! このキスは違う!
「……んんっ」
以前のキスが、ゆっくりと快楽への扉を開いて行くものならば、このキスは、貪るような。
そう、全てを強引に、激しく貪るような、そんなキスだ。
思考も意思も、何もかもが奪い取られていく。
星児の舌がみちるの舌を巧みに絡めとる。
全身の力が抜け、みちるは星児のシャツを握り締めた。
躰が過敏になって行くのが分かる。
立ってられない!
みちるの足の間に星児の膝が挟み込まれ、地に着く足の感覚が薄れる。躰はたくましい腕に抱かれていた。
意識が、離れていっちゃう!
「……んはっ……ぁはぁ……」
吸い上げられた舌と唇がやや乱暴に離され、みちるは息を吸い込んだ。
「せっ、せいじさ……あっ」
長い髪をクッと引かれ、顔が上がり、上顎の下の首筋にキスをされた。そのままゆっくりと星児の唇が下に這ってゆく。
「……ぁ……はぁ……や……」
星児の手が、みちるのTシャツの中にスルッと滑り込んだ。
「……んんっ! ……だめっ」
ビクンッと躰を震わせたみちるは星児の腕を掴み、ギュッと固く目を閉じた。
†
壁を背に小さく震え、肩で息をするみちるは潤んだ瞳で見上げていた。
壁に手を突く星児はみちるを静かに見下ろす。
「いいか、みちる」
いつもの穏やかな甘い響きだった。
その声色に、みちるの胸に安堵が広がる。堪えていた涙が一気に溢れ出した。
星児が優しく手でみちるの頬を拭った。柔らかな感触に、涙が止まらなくなる。
いつもの、星児さん。
みちるの頬に手を添えたまま星児は、これは覚えておけ、と続ける。
「駆け引きと挑発ってのはな、自分で自分の身を守る覚悟でやるんだ。自分を守れる自信のある女じゃねぇとな。みちるみてぇに隙だらけの女がやる事じゃねぇんだ」
駆け引きと、挑発。
「絶対に男を舐めるな」
「私、そんなつもりじゃ……」
言い終わらないうちにみちるの唇に星児の親指が当てられた。
「『そんなつもりじゃない』が一番やべぇの。気ぃつけろ」
星児はみちるの唇に当てていた親指をそっと外し、柔らかなキスをした。ほんの数秒の、優しいキスを。
甘く心地よい痺れが数分前の激流に押し流されそうだった自分を優しく慰める。
唇がゆっくりと離れ、気付くとみちるは星児の腕の中にいた。
鼓動が直に耳に届く。キスと同様、束の間の抱擁だった。
みちるの中にとろけるような意識を残し、星児は離れた。
本当は。
星児の中に、微かな囁きがあったことは、みちるも知らない。
決して口に出来ないそれぞれの想い。
〝渡したくなんかねーんだよ。誰にも〟
「みちる、男と女ってのは、何時だって真剣勝負なんだよ」
この先に待ち受けているであろう大きなうねりに溺れてしまわぬよう。みちるがこの先1人でも生きて行けるよう。
精一杯の、星児のエールだった。
「やっぱ、俺少し仕事片付けてくるわ。保がそろそろ帰って来るから大丈夫だろ?」
「はい」
星児はみちるの頭をクシャッと撫で、自室に入って行った。
†
スーツに着替え出掛けた星児を玄関で見送ったみちるは、彼がドアの向こうに消えるとそのままそこに座り込んだ。
目を閉じても、星児の、スーツの背中が瞼の裏に浮かぶ。躰が、少し前の感覚を覚えている。
怖かった。自分の全てを呑み込んでしまうような強い力が。
そして、溺れてゆきそうな自分も。
両手で顔を覆う。
保さん、助けて! 私の気持ちも、頭もぐちゃぐちゃなの。もう、分からないの!
保さん、早く帰って来てください――!
みちるは玄関でうずくまり、抱えた膝に顔を埋めた。
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