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赤ちゃん老人
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ひとりの老人が独特の金切り声と共に薄暗いオフィスのモニターに現れる。
モニターは〈unknown〉とだけ伝える。姓名年齢国籍不詳。ホームレスかはたまた犯罪者か。いずれにせよ何か秘め事のある人間でなければ、こんな表示はまず出ない。あくまで日本人であればの話だが。
直感が伝える。厄介ごとは面倒だ。それに今日は十分に稼いだ。私は金切り音を無視し続け、長くしないうちにそれは止まった。
それから老人が現れるのにもそう長くはかからなかった。
窓外では日が暮れはじめ、薄暗い部屋がますますうっそうとした暗さに包まれる。束の間の静寂が部屋を覆い、私の存在を浮き彫りにする。
静寂でありながら整然としない自然の波長。大半の要素が確実性を備えた人間と科学の波長。一部分だけ重なり、大部分は乖離する二人。理解できるのはお互いの一部だけ。
片手に手綱をたずさえた老人が置いていったのは、ひとつの電脳海馬だった。
彼は奇人変人の類を超えていた。
辺りを挙動不審な目つきで見つめては、私の顔を見つけて笑う。それの繰り返しの中で無作為に放尿したのか、部屋はアンモニア臭で包まれる。何も起こらないことが恐怖かというように、泣きわめき、数分後にはまた私の顔を見て笑う。
赤ちゃん老人。思考が明らかに幼く、やることなすことのすべてにおいて、その行動は乳幼児のそれに酷似していた。その忘我状態は哀れでもなければ、ましてや美しいわけでもないーーただひたすらに残酷だった。
すべては彼の引き連れていた犬が教えてくれた。それは電気犬だったらしく、おそらく彼が生前にプログラムしたのだろう、犬は大口を開けてスクリーンを表示する。半透明なスクリーンでは老人がーーまだれっきとした老人だった頃の老人が、私に話し始めた。
デスクの上にポツンと置かれたままの電気海馬が私の視界を否応なく釘付けにする。買い取り金は5万ドル。彼の人生はたったの5000ドル、たったの5000ドルで私に売られた。彼がいったいなにを思ってこれを金に変えたのか。今となっては神のみぞ知るだ。
これには彼が生まれた瞬間からその時までのすべて、彼の人生のすべてが詰まっている。これ以上厄介ごとを起こされては困ると、ハッキングはしないまま買い取り、赤ちゃん老人は犬とともに帰って行った。七十年を超える連続からか、二足歩行で帰っていった。
残酷なその記憶も、私の探究心をくすぐるには十分だった。今となっては骸《むくろ》にも等しい人間の記憶。それが生まれてから死ぬまでの人生史。老人がこれを金に変えた理由もこれを覗けばすべて分かってしまう。
そう、これは彼の遺書だ。
ふとそんな思案が私の脳内を駆け巡る。ならばいっそのことひと思いにトレースして、親族に与えるべきでは? いや、これは違法だ。そういうわけにもいかない。
彼ーーまともな彼と話してみたかった。どんな思いで記憶のすべてを売ったのかを。その後の自分のことは考えなかったのかを。
なんのために生きたのかを。
5000ドルの人生をどう思うかを。
モニターは〈unknown〉とだけ伝える。姓名年齢国籍不詳。ホームレスかはたまた犯罪者か。いずれにせよ何か秘め事のある人間でなければ、こんな表示はまず出ない。あくまで日本人であればの話だが。
直感が伝える。厄介ごとは面倒だ。それに今日は十分に稼いだ。私は金切り音を無視し続け、長くしないうちにそれは止まった。
それから老人が現れるのにもそう長くはかからなかった。
窓外では日が暮れはじめ、薄暗い部屋がますますうっそうとした暗さに包まれる。束の間の静寂が部屋を覆い、私の存在を浮き彫りにする。
静寂でありながら整然としない自然の波長。大半の要素が確実性を備えた人間と科学の波長。一部分だけ重なり、大部分は乖離する二人。理解できるのはお互いの一部だけ。
片手に手綱をたずさえた老人が置いていったのは、ひとつの電脳海馬だった。
彼は奇人変人の類を超えていた。
辺りを挙動不審な目つきで見つめては、私の顔を見つけて笑う。それの繰り返しの中で無作為に放尿したのか、部屋はアンモニア臭で包まれる。何も起こらないことが恐怖かというように、泣きわめき、数分後にはまた私の顔を見て笑う。
赤ちゃん老人。思考が明らかに幼く、やることなすことのすべてにおいて、その行動は乳幼児のそれに酷似していた。その忘我状態は哀れでもなければ、ましてや美しいわけでもないーーただひたすらに残酷だった。
すべては彼の引き連れていた犬が教えてくれた。それは電気犬だったらしく、おそらく彼が生前にプログラムしたのだろう、犬は大口を開けてスクリーンを表示する。半透明なスクリーンでは老人がーーまだれっきとした老人だった頃の老人が、私に話し始めた。
デスクの上にポツンと置かれたままの電気海馬が私の視界を否応なく釘付けにする。買い取り金は5万ドル。彼の人生はたったの5000ドル、たったの5000ドルで私に売られた。彼がいったいなにを思ってこれを金に変えたのか。今となっては神のみぞ知るだ。
これには彼が生まれた瞬間からその時までのすべて、彼の人生のすべてが詰まっている。これ以上厄介ごとを起こされては困ると、ハッキングはしないまま買い取り、赤ちゃん老人は犬とともに帰って行った。七十年を超える連続からか、二足歩行で帰っていった。
残酷なその記憶も、私の探究心をくすぐるには十分だった。今となっては骸《むくろ》にも等しい人間の記憶。それが生まれてから死ぬまでの人生史。老人がこれを金に変えた理由もこれを覗けばすべて分かってしまう。
そう、これは彼の遺書だ。
ふとそんな思案が私の脳内を駆け巡る。ならばいっそのことひと思いにトレースして、親族に与えるべきでは? いや、これは違法だ。そういうわけにもいかない。
彼ーーまともな彼と話してみたかった。どんな思いで記憶のすべてを売ったのかを。その後の自分のことは考えなかったのかを。
なんのために生きたのかを。
5000ドルの人生をどう思うかを。
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