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第1話 - Ⅱ(ジム)
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「どうだ、イカれてると思うか?」
「ハロー、ティーチャー。この哲学的問いの目的は一体ーー」
ジムがそう言いかけたところに、ダンが口を挟む。顔にはニヤリと微笑が浮かんでいる。僕はどうやらダシに使われたらしいな、とジムは直感する。クラスの女子の視線を感じる。
ダンはいわゆる才色兼備だが、すこぶるモテない。ナルシストが過ぎるのだ、致命的に。
「物理主義だろうね、おそらく。彼女が何かを「経験」し「学ぶ」とすれば、それは物理主義の否定になる。主観的経験の存在を大半の人は信じる。つまり、この主観的経験に乏しい少女が外界との接触で主観的経験を得ることを、彼女の経験、そして「気付き」になると考えがちなんだ。それが人間の個によって生み出される錯覚だとしても、俺らはそれを否定できない。自然界が究極的に物理主義で成り立っているとしても、人間は単なる物理的存在じゃないってことになる」
「そうです、ダン・シモンズくん」哲学者は関心した様子をおくびにも出さない。「そうですね。主観的経験ーー〈クオリア〉を無とする物質主義の否定が私の目的でした。これに関しては〈我々〉のなかでも意見が割れています。君はどう思いますか?」
その視線の先にはいるのは、なぜかジムだった。答えを求められているのだ、彼の専攻である言語学の見地からの答えを。彼は焦る脳を落ち着けるように、つと目を閉じる。すると、頭のなかにストンと、それでいてひどくぼんやりとした考えが浮かぶ。
「イマヌエル・カントによれば、現実とは流動的な現実の一部分を抽出し、個人の知的機構というフィルターを通した上での「理解」であるとされています。つまり、個人によって異なるとされています。その意見を発展させたものとして、〈サピア=ウォーフの仮説〉があります。ピンカーのいう「思考は言語に先行する」という説に対して、こちらは言語的差異が個人の現実把握に影響を与えるとしています。例えば、本来区切りのない虹に対して、それを五層とするか、七層とするか、これは言語と文化による認識の差異になるし、虹という現象に対する認識はそれぞれで変わってきます。つまり、言語と認識ーー」
ジムはそこで言葉に詰まってしまった。顔が熱くなっているのを感じる。話すことに夢中になってしまったのだ。結論が思いつかない。すでに自分がなにを力説していたのか、いや、自分が話していたという過去さえおぼつかなくなっている。
「だがな、マリーのケースでいえば、彼女は外界と全く隔絶された存在だったんだ」
ダンが鋭い視線を向けている。ジムの慌てぶりを見て取ったのか、クラスの女子が嘲笑を上げる。
「完全な孤独が彼女のすべてなんだ。そこに他者はいないし、言語系の先行する余地もない。他者に、共同体によって植えつけられる先入観ってもんが彼女にはないんだ。なら、孤独なマリーさんはその〈クオリア〉とやらに何を見出すんだ?」
「しかし、私は信じたいのです。〈クオリア〉の存在を」
哲学者の声に抑揚が感ぜられる。しかし、そんなはずはないのだ。彼らに感情はないから。彼が〈我々〉と呼ぶなかにも、おそらくない。
〈我々〉とは彼を生み出した超高度AI〈マザー〉の集合知識体のことだ。人格《パーソナリティ》をごちゃごちゃに混ぜ合わせて生まれた巨大な知的存在。およそ生命体とはいえない「人類の叡智の結晶」だが、ソレはすでに人間の手中にないように思える。政府はそれを認めようとはしないけれど、とジムは心のなかで付け加える。
「なぜ? あんたが哲学者だからか?」
ダンが鋭い口調で尋ねる。この口調さえ直れば、Sランクの公職にだってありつけるだろうに。
一息置いたティーチャーが答える。その目はおよそ「人工物」とは思えないほど、感情的なものに見えた。
「いいえ、私が人間だからです」
「ハロー、ティーチャー。この哲学的問いの目的は一体ーー」
ジムがそう言いかけたところに、ダンが口を挟む。顔にはニヤリと微笑が浮かんでいる。僕はどうやらダシに使われたらしいな、とジムは直感する。クラスの女子の視線を感じる。
ダンはいわゆる才色兼備だが、すこぶるモテない。ナルシストが過ぎるのだ、致命的に。
「物理主義だろうね、おそらく。彼女が何かを「経験」し「学ぶ」とすれば、それは物理主義の否定になる。主観的経験の存在を大半の人は信じる。つまり、この主観的経験に乏しい少女が外界との接触で主観的経験を得ることを、彼女の経験、そして「気付き」になると考えがちなんだ。それが人間の個によって生み出される錯覚だとしても、俺らはそれを否定できない。自然界が究極的に物理主義で成り立っているとしても、人間は単なる物理的存在じゃないってことになる」
「そうです、ダン・シモンズくん」哲学者は関心した様子をおくびにも出さない。「そうですね。主観的経験ーー〈クオリア〉を無とする物質主義の否定が私の目的でした。これに関しては〈我々〉のなかでも意見が割れています。君はどう思いますか?」
その視線の先にはいるのは、なぜかジムだった。答えを求められているのだ、彼の専攻である言語学の見地からの答えを。彼は焦る脳を落ち着けるように、つと目を閉じる。すると、頭のなかにストンと、それでいてひどくぼんやりとした考えが浮かぶ。
「イマヌエル・カントによれば、現実とは流動的な現実の一部分を抽出し、個人の知的機構というフィルターを通した上での「理解」であるとされています。つまり、個人によって異なるとされています。その意見を発展させたものとして、〈サピア=ウォーフの仮説〉があります。ピンカーのいう「思考は言語に先行する」という説に対して、こちらは言語的差異が個人の現実把握に影響を与えるとしています。例えば、本来区切りのない虹に対して、それを五層とするか、七層とするか、これは言語と文化による認識の差異になるし、虹という現象に対する認識はそれぞれで変わってきます。つまり、言語と認識ーー」
ジムはそこで言葉に詰まってしまった。顔が熱くなっているのを感じる。話すことに夢中になってしまったのだ。結論が思いつかない。すでに自分がなにを力説していたのか、いや、自分が話していたという過去さえおぼつかなくなっている。
「だがな、マリーのケースでいえば、彼女は外界と全く隔絶された存在だったんだ」
ダンが鋭い視線を向けている。ジムの慌てぶりを見て取ったのか、クラスの女子が嘲笑を上げる。
「完全な孤独が彼女のすべてなんだ。そこに他者はいないし、言語系の先行する余地もない。他者に、共同体によって植えつけられる先入観ってもんが彼女にはないんだ。なら、孤独なマリーさんはその〈クオリア〉とやらに何を見出すんだ?」
「しかし、私は信じたいのです。〈クオリア〉の存在を」
哲学者の声に抑揚が感ぜられる。しかし、そんなはずはないのだ。彼らに感情はないから。彼が〈我々〉と呼ぶなかにも、おそらくない。
〈我々〉とは彼を生み出した超高度AI〈マザー〉の集合知識体のことだ。人格《パーソナリティ》をごちゃごちゃに混ぜ合わせて生まれた巨大な知的存在。およそ生命体とはいえない「人類の叡智の結晶」だが、ソレはすでに人間の手中にないように思える。政府はそれを認めようとはしないけれど、とジムは心のなかで付け加える。
「なぜ? あんたが哲学者だからか?」
ダンが鋭い口調で尋ねる。この口調さえ直れば、Sランクの公職にだってありつけるだろうに。
一息置いたティーチャーが答える。その目はおよそ「人工物」とは思えないほど、感情的なものに見えた。
「いいえ、私が人間だからです」
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