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Chapter 1 それはそれは、よくある話で。

scene 1

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 自宅で酒を飲んでいたはずの彼は気が付くと、草原にひとり横たわっていた。
「待て待て。分からん」
 唐突すぎる展開に、男は上体を起こす。

 草原は意外と広くなく、すぐ向こうに茂みが広がっている。別の方角に目をやると、ここが小高い山もしくは丘であることが分かった。空の晴れ具合も相まって、気持ちの良い景色だ。自分の着ている灰色のスウェットがくすんで見える。

 男は無精ひげでざらつく顎を撫でながら、もう片方の手を額に当てた。
 頭がズキズキと痛む。典型的な二日酔いだ。最近は、酒に酔うのばかり早くて、抜けるのは妙に遅い。歳を取ったな……45の男は、そう己をあざ笑う。

 さて。それで結局、一体なにがあったのか?
 改めて周囲を眺めながら色々思案する男。やがてその顔から、血の気が失せ始めた。

「やば……俺、もしかして死んだか?」

 つまり、ここは天国なのではないか、ということだ。もしそうなら、妙にきれいなこの景色も納得がいく。

「参ったな……お袋泣くぞ、こりゃ」

 男には両親と兄、妹がいた。全員がちゃんとした大人で、兄も妹も結婚している。独身で派遣会社を転々として……社会の歯車からあぶれたのは自分だけだ。だから、今さら自分だけがフッといなくなったとしても何の問題もない、はずではあるが。

「そうは言っても……親より先に死ぬのはいかんよ。しかも死因が急性アルコール中毒とくりゃあ……親父も、怒るよなあ……」

 誰からもらったかも覚えていない、妙に度数の高そうな酒を乱暴に飲んだ。多分、アレがいけなかったんだ。男はどうしたものかと立ち上がると、あてどなく狭い草原をただウロウロと呆け歩いた。

 と、
「あー!」
「うお、びっくりした!」

 いきなり聞こえたのは、若い女性の声だった。思わず男の肩が大きくビクつく。
 声のした方へ振り返ると、そこに居たのは白いローブに身を包んだ二十歳前後の女性だった。長い黒髪は若干癖があり、なおかつ手入れもしていない様子で、気ままにくりんくりんしている。両目はもともと大きいらしく、今はさらにこちらに向かって大きく見開かれていて、こちらもくりんくりん、といった表現がしっくりくる。いかにも愛くるしい、可愛い系の女であった。着ているローブも清潔感がある。
 女は両手で板のようなものを抱えたまま、こちらをひたすら凝視している。

「ほ、本当にいた……?」
「なんだよ。俺はアンタなんか知らねえぞ?」

 勝手に距離を詰めてくる女性へ、あからさまな怪訝の表情と言葉を返す男。女はそこへ、おずおずと言った。

「あなたはもしかして、使者様……我が国に遣わされた、神の使者様ではないですか?」

 ……。
 ……。
 うわー、それかー。
 男は露骨にげんなりとした。あまり詳しくはないが、一部界隈でそういう展開がくどいほど存在することを、男は知っていた。

 ……これ、いわゆる『異世界転生』ってやつか? いや、他の誰かに生まれ変わった感じじゃないから『転生』っていうと少し違うか……でも、似たようなもんだよな。それでなんで俺なんだよ、勘弁しろって。他にもっと、こういうのにあこがれ持ってる奴とかいるだろうが。それに俺はよく知らんけど、異世界転生って、トラックとかに轢かれてなるモンだろ? 酒で死んでなるなんて、聞いたことない。それともアレか? 俺が知らないだけで、最近はそれが流行りなのか? いやいや、そんなクソみたいな流行り、あるわけねえ……。

「あの、……あの?」

 自問自答モードに入った男へ、女は心配げに声をかける。板を持つ手に、少しだけ力が入った。
 フッと、男は我に返る。

「ああ、スマンスマン。ちょっと考え事してた」
「私が声をかけた、あんな瞬間にですか?」

 清純そうな見た目の割に、飛んでくる言葉がぶしつけだ。男は一瞬面食らったが、指摘の内容はその通りだったため、気にしないようにして返事をする。

「そう言うなよ。アンタ、多分人違いしてるぜ」

「え……でも、ここは聖域で、普段は誰も中に入れないはずなんです。ここにいつか、国を救う英雄が現れるという言い伝えは、それこそ何百年も前から言われていて、まさに今朝、枢機卿が、神様から使者を送ったと啓示を授かって、それで私が確認に来たんです」

「分かりやすい説明口調ありがとよ。でも、冷静に考えろって。英雄っていうくらいなら、そいつは鍛え上げられた若い男であるはずだろ? 俺のどこにそんな要素がある?」

「だから私も戸惑ってるんです。あなたのようなウダツのあがらなさそうな中年男性が神の使者様なんて、私も信じられません」

「余計なトコ馬鹿正直だな、てめー」

 飛んでくる言葉がぶしつけだ。男のうんざりは加速していく。

「とにかく、俺は神の使者なんかじゃない。人違いだ。あんたたちの世界が言う啓示とやらは、アテにならんな」

「……私は、枢機卿が受けた啓示に従った者です。その言葉、枢機卿への侮辱になりますよ」

「あ、そう。じゃあ俺を捕まえるかい? その、スウキケイへの侮辱ってのが、どれくらい重罪なのかは知らないけどな」

 女は男の言葉を受け、しばし黙り込んだ。が、ふとこちらへ歩み寄ると、腕に抱え込んでいた板を男へ差し出した。

「……?」
「この使役盤を、あなたにお預けします。試しに、これを持って山を下りてみてください。あなたが本当に神よりの使者様であるならば、そこで何らかの導きがあるはずです」

 言葉とともに、聞き慣れぬ名前の板を差し出される男。

「だから、俺は違う……まあいいや。それであんたの気が済むなら、一旦預かるよ。返却はどこにしたらいいんだ?」

「後ほど、私も下山します。その時に返していただければ結構です。万が一、私と接触できなかった場合は、ウモス聖堂で私、アデラの名前を出していただければ大丈夫です」

「分かった。そのウモス聖堂は、人に訊けば分かるような建物なんだな?」

「ええ、もちろん」

 彼女の真意は正確には測りかねたが、どうやらこの使役盤を持ってウロウロしてみろ、ということのようだった。
 男は素直に板を受け取ると、それを右の脇に抱えた。

「念のため、俺の名前も伝えとこう。俺は大介、秦名大介だ」
「ハタナ様ですね。覚えておきます」

 大介の方を強調したのに、アデラは苗字の方を受け取った。まあ正直、それはどちらでも良い話だ。

「じゃあな」

 左手を軽く振って、大介はその場を去る。アデラは恭しくこうべを垂れた。

「……あ、すまん」

 ふと、大介は振り返って言った。

「山を下りる道って、こっちで合ってるか?」
「え、そうですよ。もしかして、それ分かってなかったんですか?」

 やっぱり、ぶしつけだ。
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