黄泉小径 -ヨモツコミチ-

小曽根 委論(おぞね いろん)

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肆 昭和十九年

軍服さん

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 収穫が一通り終わった次の日、私は久しぶりに里子と外へ遊びに出た。

 村の高台には、ひときわ背が高い杉の木が一本だけ立っている。私と里子は、その幹に背をもたれさせて座ると、お互いに持ち寄った愛読書を開いた。

 二人して無言で本を読む。弟に言わせれば、せっかく一緒にいるのだからもっと他の遊びをすればいいじゃないか、という事だが、私たちにとってはこれが一番楽しい時間の過ごし方なのだ。

 じっと動かずに読書をしていると、本に一匹のあきあかねが止まった。

 群れからはぐれたのだろうか。私は、疲れを癒すあきあかねを驚かせないようにしながら、ゆっくりと辺りを見回す。

 近くに仲間がいる気配はない。

「お前、ひとりぼっちなの?」

 私が問いかけると、里子があきあかねの存在に気づいた。

「あ、トンボ……! 群れからはぐれたのかな?」

 やっぱり、思うところは同じのようだ。私と里子は、顔を見合わせて笑う。

 その時だった。

「あ。ちいちゃん、あれ!」

 里子が私の方へ身を乗り出しながら何かを指差した。びっくりしたあきあかねがどこかへ飛び去っていく。

 里子の指し示す先には、何人かのおとなの人が歩いていた。そのうちの一人は軍服を着ている。

「疎開の話かな?」

「そうかもしれないね」

「行ってみる?」

「うん。何か話を聞けるかもしれないし、行ってみよう」

 私と里子は立ち上がり、高台を駆け下りていった。

 私たちは軍服の人がいる辺りまで走っていき、いよいよ姿が見えそうなところで速度を落とした。

 近くの民家の塀に体をつけ、覗き見て様子を探る。

「別に隠れる必要はないんじゃない?」

「しっ!いいから」

 怪訝顔の里子を制して、聞き耳を立てる。

 そこには軍服さんの他に、村長さんと役人らしき人が数名いた。全部で五、六人といったところか。彼らは時々言葉を交わしながらも、足を止めずに歩き続けている。

「ちょっと遠くて聞こえないね」

「だから、そんなにコソコソしなくても……」

「だって、この道って……」

「まだきつね屋敷に行くって決まったわけじゃないでしょ」

 偵察隊よろしく、付かず離れずの間隔を維持しながら尾行を続ける私たち。

 程なく一行は、大きめの洋館の前で足を止めた。それを確認した私たちは、少し離れた別の家の塀に身を隠す。

「ほら、やっぱり」

 予想通りの展開になってしたり顔な私を見て、里子は無言で肩をすくめる。

 行き着いた先は案の定きつね屋敷だった。そこで軍服さんは屋敷を見つめながら、村長に何か尋ねている。声はやはりとどかない。

「兵隊さんって、本当に姿勢が良いんだね」

「里子、今気にするのはそこじゃないよ」

「思った事を言っただけよ」

 不意にどうでもいい話をされて少し苛ついた次の瞬間、軍服さんは村長の頬を思い切り平手でぶった。

 私たちは驚いて、お互いに顔を見合わせた。
 
「この国難の非常時に!」

 ここまで聞こえる大声で軍服さんが怒鳴る。

「そのような迷信に聞く耳を持つ余裕はない! 他に理由が無いのなら、早々にこの屋敷を疎開児童の宿泊施設とするよう、手続きを行う! 良いな!」

 はっきりとそう言い切ると、軍服さんは踵を返した。

 あわてて塀に姿を忍ばせる私と里子。

 村長らの制止の声も聞こえるが、足音を聞く限りそれに応じる気配はなかった。

 そのまま私たちのいる塀のところも通り過ぎるかと思いきや、軍服さんはここではたと足を止めた。

 私たちが息を飲んで彼の横顔を見つめている中、彼は真っ正面を向いたまま言う。

「女学生よ」

 隣で里子が、絶対相手には聞こえないかすかな声でハイと返事をしている。

「何のつもりかは知らないが、跡をつけるならば、もっと上手にやりなさい」

 軍服さんは無感情にそう言うと、こちらを一度も見ないまま再び歩き出した。

 里子が白い目で私を見ている。軍服さんを呼び止める声は聞こえなくなっていた。
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