黄泉小径 -ヨモツコミチ-

小曽根 委論(おぞね いろん)

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肆 昭和十九年

くそじじい

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「それで?他に聞きたい事があったのではないか?」

 乱れていない着流しの襟を正すしぐさをしながら、軍服さんが促してきた。

「あ……」

「何故私がここにいるのか、聞かなくても良いのか?」

「あ。……あ、はい!確かここって、疎開用に使うって話だったはずじゃ……」

 軍服さんは、微笑みながら小さく二度三度頷いた。

「いかにも、その通りだ。しかし、あの村長がどうにも強情でな。何かあっても、こちらでは責任がとれないと頑なにここの利用を拒否しているのだ」

 そうなんだ。

 村長さんも頑張るなあ。思いっきりぶたれたはずなのに。

「それで、仕方がないから私がここでしばらく住むことにしたのだ。一か月ほどここに滞在し、異常が何も無かったら疎開の話を進めるという事になった」

「そうなんですか……」

「学童たちと入れ替わりに、私はここから出ていく形になるので、短い付き合いにはなると思うが、よろしく頼むぞ」

「いいえ、とんでもない!先にご挨拶をもらったのはこちらですし!」

 軍服さんは、私の言葉を聞くと、困惑したような笑みを浮かべた。最初の印象よりもよく笑う人だ。

「挨拶か……」

「?」

「女学生よ。気を悪くしないで聞いてほしいのだが……」

「はい……」

 顎の辺りを親指で軽く掻きながら、なにやら話を切り出しにくそうにしている軍服さん。沈黙の意図がつかめず、私は固まったまま彼の次の言葉を待つ。

 少しの間を空けて、彼の曰くは、

「私は、今回の引っ越しにあたり、挨拶回りなどしてはいないぞ」

 と、いうものだった。

「……え?」

 思わず聞き返したが、私はすぐに理解した。



 ……。
 ……あのクソジジイ。



 帰り際、名前を聞かれたので、私も軍服さんの名前を尋ねることにした。

 軍服さんは桜井太一郎というらしい。お互いに自己紹介をして家路につく。

「気をつけて帰れよ、千代子君」

 律儀に玄関で手を振る彼に、堅苦しさのようなものはあまり感じなかった。やはり、休日だからだろうか。

 帰宅後、真っ先に祖父を探すが、その姿は見えなかった。

「あら。ちい、おかえり。どこ行ってたの?」

 代わりに母の姿があった。居間で洗濯物をたたんでいる。

「母さん、おじいちゃんどこ?」

「え、おじいちゃん探してるの? さっき散歩に行くって出て行ったきりよ?」

「うそ、逃げた」

「何それ」

「探してくる」

「ええ?こら、ちょっと待って!ちい!千代子!!」

 母の静止を無視して家を飛び出す。

 祖父の居所にアテなどない。
 
 単に、走り回って憂さを晴らしたかっただけだった。
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