黄泉小径 -ヨモツコミチ-

小曽根 委論(おぞね いろん)

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陸 明治三十四年

得体の知れぬ少女

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 目の前の洞穴は思ったよりも小さかった。少し腰を屈めないと入れないほどの高さのそれは奥行きも深くなく、ここから内部をすべて見渡せるくらいだった。

「なんか、小さいな」

「まあね……」

 いわの声は震えていた。

「こどもの頃、ここはみんなの秘密の遊び場だった。それは覚えているんだけど、なんで私がここに一人でいたのか、それは全く覚えていないの」

 いわは、俺の手を強く握ってきた。

「怖いのか」

「うん」

 その応えは、彼女の左手の握力とは比較にならないほどの弱々しさだった。

 さきほど、いわはここに何度も来たと言っていたが、もしかしたらウソかもしれない。俺はこの時のいわを見てそう思った。彼女は、自分が失った記憶を思い出すことに恐怖をおぼえていて、それで勇気を振りしぼるために、俺に一緒にいてほしかったのではないか。怯えているようにしか見えないいわを見ると、そんな気がしてならなかった。

「何か思い出したか、いわ」

「ううん……」

 いわは俯きがちに小さく首を振った。

「大丈夫だ、俺がいる。落ち着いて」

「うん」

 俺たちは洞穴の前で手をつないだまま立ち続けた。その場所でずっと、彼女の記憶が帰ってくるのを待った。

「焦るな。十年戻ってこなかった記憶なんだ。そんなにすぐに蘇るわけがない。俺のことは気にしなくていいから、お前はゆっくり思い出せ」

「ありがとう、栄之進さん」

 俺の後ろで木々は、いわの事など意に介さない様子で気持ちよさそうに風に吹かれていた。鳥が一切さえずらない雑木林は、生きているものが俺たちしかいないような錯覚を引き起こし、得体の知れない居心地の悪さを感じさせていた。

 ふと。
 俺は、後ろに気配を感じて振り返った。

「……?」

 そこには、ひとりの薄汚い少女がいた。

 赤茶けた着物は、もとからの色なのか、洗わない故の汚れなのかが判別のつかないものだった。さらにその身体は非常に痩せこけており、極めて不健康な印象を受けた。

「おい、あれは誰だ」

 俺は、いわに振り返るように促しながら聞いた。

 少女を見たいわは、首を傾げながら眉を寄せた。

 彼女も知らない顔なのだろうか。俺はいわと、謎の少女を交互に見た。

 少しして、
 いわの表情が一変する。

「……あ」

 その反応は、旧知の友人を思い出した時のもの、とはとても思えなかった。みるみるうちに顔は青ざめ、目が泳ぎだす。

「どうした、いわ」

 俺が声をかけると、彼女はその表情のままこちらを見て、言った。

「……ごめんなさい、栄之進さん」

「?」

 今の流れで謝られる筋合いがあっただろうか。俺が疑問に思った刹那、彼女は俺の手を離し、全力で洞穴から走り去った。

「は? おい、待てよいわ!」

 俺は状況をまったく飲み込めずに後を追った。

 すれ違いぎわ、汚い少女は目を細めて俺を見たが、正直それを気にしている場合ではなかった。
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