44 / 83
陸 明治三十四年
家族の絆も、何もかも
しおりを挟む
雨戸が外れた窓際からは、大雨がいやというほど入り込んでいた。加えて、現れたコウモリもびっしょりと濡れており、部屋はあっという間にずぶ濡れになった。
コウモリの羽音と雷の轟音で、辺りは耳がイカレそうな五月蠅さだ。
「いわ!いるか!!」
「ここにおります!」
「よし!!」
体をひたと密着させてはいるが、あまりにもコウモリが次々とぶつかってくるので、時々感覚が分からなくなる。俺はいわにしがみつき、見失わないよう一層腕に力を入れた。
「クソ、何なんだこれは!」
草太郎さんが悲鳴をあげる。
コウモリたちは体当たりをし続けてくる。体格差を考えると、やつらの方が衝撃は大きいはずなのだが、まったく懲りもせずにやつらは再び飛びあがり、俺たちにぶつかってくる。
「ちくしょう!絶対離さんぞ!」
気持ちで負けてしまってはお終いだ。俺は大声で吼え、性根を奮い立たせた。
コウモリは、際限なく襲い来る。その数は、さっきまでよりも増えているようにさえ感じる。
「いわ!!」
「ここにおります!!」
時々、声をかけないと心配だった。
コウモリの攻撃は終わらなかった。いくら何でも、ずっとこのままでは俺たちの体が持たない。
不安の虫が、少しずつ俺を支配しだしていたその時、重右衛門さんが怒鳴った。
「おゆい殿よ!」
コウモリの執拗な攻めにもかかわらず、彼の大声はよく通った。
「近くにいるのだろう! 姿を見せろ! わしの声が聞こえぬか、おゆいよ!」
彼は、そこにいるはずの黄泉の使者、ゆいに呼びかけていた。
ほどなく、コウモリは体当たりをやめた。そして、雨戸の辺りにそれらが集合する。
「……やはり」
そこに、昼間見た汚い少女が立っていた。
黄泉の使者ゆいは、何も語らずそこにいた。背中に豪雨を浴びているはずだが、その顔色はまったく変わらない。
重右衛門さんは、そんなゆいの前に立ちはだかった。俺からは後ろ姿しか見えず、その表情は見えない。
「……久しいな、ゆい殿」
その重右衛門さんの口から発せられたのは、あまりにも意外な言葉だった。
「五十年ぶりかな。わしもすっかり年老いたわ」
「正しくは四十*年ですね」
ぶっきらぼうにゆいは答えたが、小声が過ぎて一部が聞き取れなかった。
「今度はわしの娘をさらうか。いい加減にしてもらえんかの」
「その子が勝手に入ってきたのですから、自業自得ですよ」
重右衛門さんの両肩が、わずかに上がったように見えた。両手は拳が握られ、小刻みに震えている。
「ふざけるな。いわは絶対、お前には渡さん」
怒りのこもった言葉に対し、ゆいは冷笑を浮かべるのみで何も答えない。
わずかに間が空いたが、彼女は不意に俺たちに背を向けて、嵐の中を歩き去っていってしまった。
「……え?」
思わぬ肩すかしをくらい、俺と草太郎さんは顔を見合わせた。
それへ、重右衛門さんが檄を飛ばす。
「まだ気を抜くな!ゆいは必ずどこかでいわを狙っているはずだ!」
確かに、ゆいの手下と思われるコウモリが一匹も去ろうとしていない。
まだ、何かが起こる。俺はそう思い改めて身構えた、
その時。
「きゃああ!」
「うわ、何だこれ!」
いわと草太郎さんが、ほぼ同時に悲鳴をあげる。
壁から何本もの腕が伸び、いわを引っ張りだしたのだ。あっという間に、いわの体は半分が壁に埋もれた。一方で草太郎さんは壁の中に引きこまれることはなく、はじかれるかのようにいわをつかむ腕が離れた。
「くそ!」
草太郎さんは壁の反対側へ回る為、外へ向かおうとした。が、大量のコウモリに遮られて身動きが取れない。
「させるか!」
俺は必死でいわを引っ張り返したが、力の差は圧倒的だった。なすすべもなく、いわは壁の中に消えた。
それを見届けたかのように、コウモリが一斉に飛び立つ。彼らは刹那のうちにいなくなり、後には荒れた部屋と三人の男が残された。
それは、あまりにもあっけない幕切れだった。
重右衛門さんがゆっくりと、
本当にゆっくりと俺の前に来て、座った。
そして、両の拳をついて、涙のにじんだ目で俺を見た。
「……栄之進君……」
彼はつぶやくように言うと、深々と頭を下げた。
「こんな事になってしまって、申し訳ない……」
絞り出すような声。俺は驚いて重右衛門さんの肩に手を置いた。
「やめてください、重右衛門さん! あなたに謝られても、僕は……」
僕は。
その後の言葉は、出なかった。
俺は言葉につまったまま、重右衛門さんの肩に額を乗せた。涙が止められず、俺は泣いた。
草太郎さんは思い出したかのように外へ走って出ていったが、すぐに抜け殻のような顔をして戻ってきた。崩れるようにその場に座り、虚ろな目で床を見ている。
慈悲深い雨と雷は、惨めな男たちの嗚咽が聞こえないように、激しく音を鳴らし続けていた。
コウモリの羽音と雷の轟音で、辺りは耳がイカレそうな五月蠅さだ。
「いわ!いるか!!」
「ここにおります!」
「よし!!」
体をひたと密着させてはいるが、あまりにもコウモリが次々とぶつかってくるので、時々感覚が分からなくなる。俺はいわにしがみつき、見失わないよう一層腕に力を入れた。
「クソ、何なんだこれは!」
草太郎さんが悲鳴をあげる。
コウモリたちは体当たりをし続けてくる。体格差を考えると、やつらの方が衝撃は大きいはずなのだが、まったく懲りもせずにやつらは再び飛びあがり、俺たちにぶつかってくる。
「ちくしょう!絶対離さんぞ!」
気持ちで負けてしまってはお終いだ。俺は大声で吼え、性根を奮い立たせた。
コウモリは、際限なく襲い来る。その数は、さっきまでよりも増えているようにさえ感じる。
「いわ!!」
「ここにおります!!」
時々、声をかけないと心配だった。
コウモリの攻撃は終わらなかった。いくら何でも、ずっとこのままでは俺たちの体が持たない。
不安の虫が、少しずつ俺を支配しだしていたその時、重右衛門さんが怒鳴った。
「おゆい殿よ!」
コウモリの執拗な攻めにもかかわらず、彼の大声はよく通った。
「近くにいるのだろう! 姿を見せろ! わしの声が聞こえぬか、おゆいよ!」
彼は、そこにいるはずの黄泉の使者、ゆいに呼びかけていた。
ほどなく、コウモリは体当たりをやめた。そして、雨戸の辺りにそれらが集合する。
「……やはり」
そこに、昼間見た汚い少女が立っていた。
黄泉の使者ゆいは、何も語らずそこにいた。背中に豪雨を浴びているはずだが、その顔色はまったく変わらない。
重右衛門さんは、そんなゆいの前に立ちはだかった。俺からは後ろ姿しか見えず、その表情は見えない。
「……久しいな、ゆい殿」
その重右衛門さんの口から発せられたのは、あまりにも意外な言葉だった。
「五十年ぶりかな。わしもすっかり年老いたわ」
「正しくは四十*年ですね」
ぶっきらぼうにゆいは答えたが、小声が過ぎて一部が聞き取れなかった。
「今度はわしの娘をさらうか。いい加減にしてもらえんかの」
「その子が勝手に入ってきたのですから、自業自得ですよ」
重右衛門さんの両肩が、わずかに上がったように見えた。両手は拳が握られ、小刻みに震えている。
「ふざけるな。いわは絶対、お前には渡さん」
怒りのこもった言葉に対し、ゆいは冷笑を浮かべるのみで何も答えない。
わずかに間が空いたが、彼女は不意に俺たちに背を向けて、嵐の中を歩き去っていってしまった。
「……え?」
思わぬ肩すかしをくらい、俺と草太郎さんは顔を見合わせた。
それへ、重右衛門さんが檄を飛ばす。
「まだ気を抜くな!ゆいは必ずどこかでいわを狙っているはずだ!」
確かに、ゆいの手下と思われるコウモリが一匹も去ろうとしていない。
まだ、何かが起こる。俺はそう思い改めて身構えた、
その時。
「きゃああ!」
「うわ、何だこれ!」
いわと草太郎さんが、ほぼ同時に悲鳴をあげる。
壁から何本もの腕が伸び、いわを引っ張りだしたのだ。あっという間に、いわの体は半分が壁に埋もれた。一方で草太郎さんは壁の中に引きこまれることはなく、はじかれるかのようにいわをつかむ腕が離れた。
「くそ!」
草太郎さんは壁の反対側へ回る為、外へ向かおうとした。が、大量のコウモリに遮られて身動きが取れない。
「させるか!」
俺は必死でいわを引っ張り返したが、力の差は圧倒的だった。なすすべもなく、いわは壁の中に消えた。
それを見届けたかのように、コウモリが一斉に飛び立つ。彼らは刹那のうちにいなくなり、後には荒れた部屋と三人の男が残された。
それは、あまりにもあっけない幕切れだった。
重右衛門さんがゆっくりと、
本当にゆっくりと俺の前に来て、座った。
そして、両の拳をついて、涙のにじんだ目で俺を見た。
「……栄之進君……」
彼はつぶやくように言うと、深々と頭を下げた。
「こんな事になってしまって、申し訳ない……」
絞り出すような声。俺は驚いて重右衛門さんの肩に手を置いた。
「やめてください、重右衛門さん! あなたに謝られても、僕は……」
僕は。
その後の言葉は、出なかった。
俺は言葉につまったまま、重右衛門さんの肩に額を乗せた。涙が止められず、俺は泣いた。
草太郎さんは思い出したかのように外へ走って出ていったが、すぐに抜け殻のような顔をして戻ってきた。崩れるようにその場に座り、虚ろな目で床を見ている。
慈悲深い雨と雷は、惨めな男たちの嗚咽が聞こえないように、激しく音を鳴らし続けていた。
0
あなたにおすすめの小説
終焉列島:ゾンビに沈む国
ねむたん
ホラー
2025年。ネット上で「死体が動いた」という噂が広まり始めた。
最初はフェイクニュースだと思われていたが、世界各地で「死亡したはずの人間が動き出し、人を襲う」事例が報告され、SNSには異常な映像が拡散されていく。
会社帰り、三浦拓真は同僚の藤木とラーメン屋でその話題になる。冗談めかしていた二人だったが、テレビのニュースで「都内の病院で死亡した患者が看護師を襲った」と報じられ、店内の空気が一変する。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
隣人意識調査の結果について
三嶋トウカ
ホラー
「隣人意識調査を行います。ご協力お願いいたします」
隣人意識調査の結果が出ましたので、担当者はご確認ください。
一部、確認の必要な点がございます。
今後も引き続き、調査をお願いいたします。
伊佐鷺裏市役所 防犯推進課
※
・モキュメンタリー調を意識しています。
書体や口調が話によって異なる場合があります。
・この話は、別サイトでも公開しています。
※
【更新について】
既に完結済みのお話を、
・投稿初日は5話
・翌日から一週間毎日1話
・その後は二日に一回1話
の更新予定で進めていきます。
【完結】知られてはいけない
ひなこ
ホラー
中学一年の女子・遠野莉々亜(とおの・りりあ)は、黒い封筒を開けたせいで仮想空間の学校へ閉じ込められる。
他にも中一から中三の男女十五人が同じように誘拐されて、現実世界に帰る一人になるために戦わなければならない。
登録させられた「あなたの大切なものは?」を、互いにバトルで当てあって相手の票を集めるデスゲーム。
勝ち残りと友情を天秤にかけて、ゲームは進んでいく。
一つ年上の男子・加川準(かがわ・じゅん)は敵か味方か?莉々亜は果たして、元の世界へ帰ることができるのか?
心理戦が飛び交う、四日間の戦いの物語。
(第二回きずな児童書大賞で奨励賞を受賞しました)
意味が分かると怖い話(解説付き)
彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです
読みながら話に潜む違和感を探してみてください
最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください
実話も混ざっております
(ほぼ)1分で読める怖い話
涼宮さん
ホラー
ほぼ1分で読める怖い話!
【ホラー・ミステリーでTOP10入りありがとうございます!】
1分で読めないのもあるけどね
主人公はそれぞれ別という設定です
フィクションの話やノンフィクションの話も…。
サクサク読めて楽しい!(矛盾してる)
⚠︎この物語で出てくる場所は実在する場所とは全く関係御座いません
⚠︎他の人の作品と酷似している場合はお知らせください
ヴァルプルギスの夜~ライター月島楓の事件簿
加来 史吾兎
ホラー
K県華月町(かげつちょう)の外れで、白装束を着させられた女子高生の首吊り死体が発見された。
フリーライターの月島楓(つきしまかえで)は、ひょんなことからこの事件の取材を任され、華月町出身で大手出版社の編集者である小野瀬崇彦(おのせたかひこ)と共に、山奥にある華月町へ向かう。
華月町には魔女を信仰するという宗教団体《サバト》の本拠地があり、事件への関与が噂されていたが警察の捜査は難航していた。
そんな矢先、華月町にまつわる伝承を調べていた女子大生が行方不明になってしまう。
そして魔の手は楓の身にも迫っていた──。
果たして楓と小野瀬は小さな町で巻き起こる事件の真相に辿り着くことができるのだろうか。
【完結】ホラー短編集「隣の怪異」
シマセイ
ホラー
それは、あなたの『隣』にも潜んでいるのかもしれない。
日常風景が歪む瞬間、すぐそばに現れる異様な気配。
襖の隙間、スマートフォンの画面、アパートの天井裏、曰く付きの達磨…。
身近な場所を舞台にした怪異譚が、これから続々と語られていきます。
じわりと心を侵食する恐怖の記録、短編集『隣の怪異』。
今宵もまた、新たな怪異の扉が開かれる──。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる