45 / 83
漆 明治十一年
一、
しおりを挟む
泰四郎の妻、せんの葬儀はつつがなく執り行われた。
彼には子がいなかったため、近くの若い衆が式を助けた。かくしゃくとしてはいるが泰四郎も歳である。彼らの手は必要なものであった。
それへ引け目を感じていたのか、はたまた元からの性分か。泰四郎は喪主の立場でありながら頻繁に歩き回り、おちらこちらで手を煩わせている人たちに礼を言っていた。
「じいさん、いいから」
笑顔で諭されると、泰四郎は笑みを返しながらもう一度だけ礼を重ねた。老人が一人残された葬儀の場とは思えない活気は、ひとえに彼の人柄によるところが大きかった。
「叔父さん、お疲れ様でした」
「とんでもない。こちらこそ面倒かけたな」
式が終わって一息ついていたところへ、家族を帰らせた甥の重右衛門が部屋に戻ってきた。今の彼にとって、唯一の身内である。
「しかし、続きますね」
「ここ二年で葬式が三件だからな。わしも色々と骨を折ったが、一番大変なのはやはりお前だろう重右衛門」
「何を仰いますか」
こんな時でも自分より他人を気遣う泰四郎。しかし重右衛門は浮かない顔だ。
「叔父さん。差し支えなければ、俺んとこで暮らしませんか」
気がかりな様子を見せる甥であったが、叔父は笑い声をあげて首を横に振った。
「せっかくだが遠慮させてもらうよ。体が動くうちは、自分の事は自分でやりたいからな」
つとめて気丈を振る舞ったが、重右衛門は表情を緩めなかった。それを見た泰四郎は、小さくため息をつく。
「たまに顔を見せてくれれば、それで良い。お前は、お前の家族を大事にしろ」
重右衛門の一家に何かあれば、一族の血筋は絶えてしまう。泰四郎は、それを何よりも憂いていた。
物分かりの悪い重右衛門をようやく帰し、泰四郎は、妻の霊前に改めて座る。
「とうとう、子宝には恵まれなかったなあ。本当に申し訳ない」
老いた夫はそう呟くと、しばらく手を合わせて深々と礼をした。
そして、頭をあげるや否や、
「何か、食いたいものはあるか」
事も無げに位牌に尋ねた。そして、聞き耳をたてる仕草をする。
少しの間そうしていたが、もちろん何か聞こえてくるわけがない。
「すまんな。やはり、お前の声はわしには届かんらしい」
泰四郎は笑った。先ほどまでのそれが嘘のような、無気力で淋しい笑顔だった。
「じゃあ、そうだな。肝煎様から上等な饅頭をいただいたから、あれを持っていこう」
あたかもすぐ傍に妻がいるような口振りで泰四郎は言った。そして位牌に一旦背を向けると台所へ行き、笹にくるまれた饅頭を手に取る。ついでに酒の入った瓢箪が目に入ったので、これも持つ。両手がふさがった状態で泰四郎は霊前に戻ってきた。
その場で立ったまま、彼は独り言をさらに重ねる。
「可笑しいだろう。わしが葬式饅頭もらっちまったよ。あべこべだな」
泰四郎の笑顔には、やはり力がない。
「今からそっちに行くから、一緒に食おう。せっかくの上物だ。わし一人で楽しんだら勿体ない」
その場に重右衛門が居たら何と思っただろう。そんな考えが泰四郎の頭をかすめたが、すぐに気にするのをやめた。
老人は背筋を伸ばし、改めて霊前に真っ正面から対峙した。そして、
「すぐ行く。待ってろ」
と言うと、家を出ていった。
彼には子がいなかったため、近くの若い衆が式を助けた。かくしゃくとしてはいるが泰四郎も歳である。彼らの手は必要なものであった。
それへ引け目を感じていたのか、はたまた元からの性分か。泰四郎は喪主の立場でありながら頻繁に歩き回り、おちらこちらで手を煩わせている人たちに礼を言っていた。
「じいさん、いいから」
笑顔で諭されると、泰四郎は笑みを返しながらもう一度だけ礼を重ねた。老人が一人残された葬儀の場とは思えない活気は、ひとえに彼の人柄によるところが大きかった。
「叔父さん、お疲れ様でした」
「とんでもない。こちらこそ面倒かけたな」
式が終わって一息ついていたところへ、家族を帰らせた甥の重右衛門が部屋に戻ってきた。今の彼にとって、唯一の身内である。
「しかし、続きますね」
「ここ二年で葬式が三件だからな。わしも色々と骨を折ったが、一番大変なのはやはりお前だろう重右衛門」
「何を仰いますか」
こんな時でも自分より他人を気遣う泰四郎。しかし重右衛門は浮かない顔だ。
「叔父さん。差し支えなければ、俺んとこで暮らしませんか」
気がかりな様子を見せる甥であったが、叔父は笑い声をあげて首を横に振った。
「せっかくだが遠慮させてもらうよ。体が動くうちは、自分の事は自分でやりたいからな」
つとめて気丈を振る舞ったが、重右衛門は表情を緩めなかった。それを見た泰四郎は、小さくため息をつく。
「たまに顔を見せてくれれば、それで良い。お前は、お前の家族を大事にしろ」
重右衛門の一家に何かあれば、一族の血筋は絶えてしまう。泰四郎は、それを何よりも憂いていた。
物分かりの悪い重右衛門をようやく帰し、泰四郎は、妻の霊前に改めて座る。
「とうとう、子宝には恵まれなかったなあ。本当に申し訳ない」
老いた夫はそう呟くと、しばらく手を合わせて深々と礼をした。
そして、頭をあげるや否や、
「何か、食いたいものはあるか」
事も無げに位牌に尋ねた。そして、聞き耳をたてる仕草をする。
少しの間そうしていたが、もちろん何か聞こえてくるわけがない。
「すまんな。やはり、お前の声はわしには届かんらしい」
泰四郎は笑った。先ほどまでのそれが嘘のような、無気力で淋しい笑顔だった。
「じゃあ、そうだな。肝煎様から上等な饅頭をいただいたから、あれを持っていこう」
あたかもすぐ傍に妻がいるような口振りで泰四郎は言った。そして位牌に一旦背を向けると台所へ行き、笹にくるまれた饅頭を手に取る。ついでに酒の入った瓢箪が目に入ったので、これも持つ。両手がふさがった状態で泰四郎は霊前に戻ってきた。
その場で立ったまま、彼は独り言をさらに重ねる。
「可笑しいだろう。わしが葬式饅頭もらっちまったよ。あべこべだな」
泰四郎の笑顔には、やはり力がない。
「今からそっちに行くから、一緒に食おう。せっかくの上物だ。わし一人で楽しんだら勿体ない」
その場に重右衛門が居たら何と思っただろう。そんな考えが泰四郎の頭をかすめたが、すぐに気にするのをやめた。
老人は背筋を伸ばし、改めて霊前に真っ正面から対峙した。そして、
「すぐ行く。待ってろ」
と言うと、家を出ていった。
0
あなたにおすすめの小説
終焉列島:ゾンビに沈む国
ねむたん
ホラー
2025年。ネット上で「死体が動いた」という噂が広まり始めた。
最初はフェイクニュースだと思われていたが、世界各地で「死亡したはずの人間が動き出し、人を襲う」事例が報告され、SNSには異常な映像が拡散されていく。
会社帰り、三浦拓真は同僚の藤木とラーメン屋でその話題になる。冗談めかしていた二人だったが、テレビのニュースで「都内の病院で死亡した患者が看護師を襲った」と報じられ、店内の空気が一変する。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
隣人意識調査の結果について
三嶋トウカ
ホラー
「隣人意識調査を行います。ご協力お願いいたします」
隣人意識調査の結果が出ましたので、担当者はご確認ください。
一部、確認の必要な点がございます。
今後も引き続き、調査をお願いいたします。
伊佐鷺裏市役所 防犯推進課
※
・モキュメンタリー調を意識しています。
書体や口調が話によって異なる場合があります。
・この話は、別サイトでも公開しています。
※
【更新について】
既に完結済みのお話を、
・投稿初日は5話
・翌日から一週間毎日1話
・その後は二日に一回1話
の更新予定で進めていきます。
【完結】知られてはいけない
ひなこ
ホラー
中学一年の女子・遠野莉々亜(とおの・りりあ)は、黒い封筒を開けたせいで仮想空間の学校へ閉じ込められる。
他にも中一から中三の男女十五人が同じように誘拐されて、現実世界に帰る一人になるために戦わなければならない。
登録させられた「あなたの大切なものは?」を、互いにバトルで当てあって相手の票を集めるデスゲーム。
勝ち残りと友情を天秤にかけて、ゲームは進んでいく。
一つ年上の男子・加川準(かがわ・じゅん)は敵か味方か?莉々亜は果たして、元の世界へ帰ることができるのか?
心理戦が飛び交う、四日間の戦いの物語。
(第二回きずな児童書大賞で奨励賞を受賞しました)
意味が分かると怖い話(解説付き)
彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです
読みながら話に潜む違和感を探してみてください
最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください
実話も混ざっております
(ほぼ)1分で読める怖い話
涼宮さん
ホラー
ほぼ1分で読める怖い話!
【ホラー・ミステリーでTOP10入りありがとうございます!】
1分で読めないのもあるけどね
主人公はそれぞれ別という設定です
フィクションの話やノンフィクションの話も…。
サクサク読めて楽しい!(矛盾してる)
⚠︎この物語で出てくる場所は実在する場所とは全く関係御座いません
⚠︎他の人の作品と酷似している場合はお知らせください
ヴァルプルギスの夜~ライター月島楓の事件簿
加来 史吾兎
ホラー
K県華月町(かげつちょう)の外れで、白装束を着させられた女子高生の首吊り死体が発見された。
フリーライターの月島楓(つきしまかえで)は、ひょんなことからこの事件の取材を任され、華月町出身で大手出版社の編集者である小野瀬崇彦(おのせたかひこ)と共に、山奥にある華月町へ向かう。
華月町には魔女を信仰するという宗教団体《サバト》の本拠地があり、事件への関与が噂されていたが警察の捜査は難航していた。
そんな矢先、華月町にまつわる伝承を調べていた女子大生が行方不明になってしまう。
そして魔の手は楓の身にも迫っていた──。
果たして楓と小野瀬は小さな町で巻き起こる事件の真相に辿り着くことができるのだろうか。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる