黄泉小径 -ヨモツコミチ-

小曽根 委論(おぞね いろん)

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拾 天保七年

妖狐

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 兄たちに反発した勢いのままここまで来た私でしたが、ここに来て急激に冷静になっていくのを感じました。

 結局、母が一番望んでいない事をしているのは、自分ではないのか。

 そんな自責の念も浮かんできます。

「どうしよう」

 口に出して言ったところで、聞いてくれる人などいません。

 家から走ってきた疲れもあり、私はとうとうその場に腰を下ろしてしまいました。

 すると、

「どうなすったね」

「うわあ」

 驚いて、思わず声が出ました。腰を下ろした私のすぐ隣に、ひとりの老人がいたのです。彼はボロを身にまとい、うずくまるようにして座っていました。

 私を見てにんまり笑うと、彼は続けて言います。

「こんなところで迷子というわけでもあるまい。それとも、ここがどういうところか、知らなかったのかな」

 親しげな態度がむしろ不気味だったので、私は少し距離をおいて座りなおしました。しかし、老人はすぐさまその開いた距離を詰め直して再び腰をおろしたのです。

 気持ちが悪い。

 そう思った私は、無遠慮に老人を睨みつけました。

「そう邪険にしなくてもよかろうに。お前さんも、人の世に嫌気がさしたんじゃろう」

 彼の指摘はあながち間違ったものでもありませんでしたが、ここに来た一番の理由はあくまでも母を連れ戻すことにありました。

「違います。私は、母を呼びに来たのです」

 はっきりそう告げると、老人は膝を叩いて大笑いし出しました。

「馬鹿を言うもんじゃないよ、あんた」

 老人は私に、獣臭い顔を近づけて言いました。

「ここは狐の怨霊が眠る竹林。迷い込んだ者を生かして帰すわけがなかろうて。違うかの」

 老人のにやにやは、どんどんといやらしいものになっていきます。まるで、自分の言っている内容が愉しくて仕方がないという様子でした。

 もしかして。

「あなたは、何者なんですか」

 ひとつの疑念が生まれた私は、それをそのまま彼にぶつけてみました。
 すると、

「わしか。お前さんが想像している通りの者だよ」

 おきつねさまは私の疑念をあっさりと認め、さらに顔を歪めます。彼は、この竹藪の主でした。

「分かったら、諦めなさい。お前のおっかさんは、すでにわしらが頂いたんじゃ。もう帰すことは出来ん」

 依然表情を崩さぬまま、おきつねさまは言います。

「お前さんとて、本当は分かっておるのだろう。自分がやっている事が、どれほど意味の無いことかを。諦めなさい。よしんばわしが許しておっかさんを自由にしたところで、あれにはもう、帰る所など無いではないか」

 残念ながら、彼の言う事はすべてその通りでした。私は返す言葉を失い、ただ黙って老人を睨み続けていました。

 彼はそんな私を見て、ひゃーひゃーと笑っているのか何なのか良く分からない声をだしながら身を反らせました。

「そう怖い顔をするな。お前さんに良い話をしてやろうと、わざわざここまで招待したんじゃから」

 良い話と言っても、怨霊の主がもたらそうとしているものです。警戒するなという方が無理というものでした。

 しかし、私はすでに彼らの領域に入ってしまっているのです。ここから出る術もない事を考えると、おきつねさまの話に耳を傾けるしかないのが現実でした。
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