冥界の仕事人

ひろろ

文字の大きさ
上 下
108 / 109
番外編

最期の時 ☆

しおりを挟む
 ある夏の早朝、1人の大きな男が森田という表札の家に入っていった。


 この家の主人がいるはずの座敷は、雨戸が閉められ暗く、台所から差し込む明るさだけで、何とか廊下を歩けるのである。


 大きな男は、廊下を真っ直ぐに歩き、雨戸が閉められていない、金庫のある部屋に近づいた。


 キィ。


 部屋のドアが開いた。


 そして、一匹の猫が出てきたのだ。


「 ニャっ!! 」


「……あ、ニャんだ、礼人さんですか。誰かと思いました……。

どうしたのですか、怖い顔をしています。
私、ニャにかしましたか?」


 グレースは、勘の鋭い猫であるから礼人が来た意味を、即座に察した。


 けれども、気がつかないふりをしたのである。


 認めニャい……。

 
 嫌だ……。


 側にいたい……。


 グレースは、礼人をじっと見つめた。

 
「グレース、一緒に来るか?」


 グレースがコクリと頷くと、礼人が抱き抱え共に消えたのだった。

………………

「孝蔵さん、孝蔵さん、目を開けて下さい、グレースです……」


 孝蔵は、目を開け微かに頷いた。
酸素マスクをしている口は、何かを言いたげだ。


 礼人は、表情を変えることはなく、冷静に仕事をする。


「森田孝蔵さん、人間界での修行、お疲れ様でした。間もなく、冥界へ旅立ちとなります……。

 さっ、グレース、ご家族が待合室から来るから、お別れをしろ」


 グレースは、椅子に乗って、枕元で言う。


「私は、孝蔵さんの元にいることができて、幸せでした。

 こんニャ私を側に置いてくれて、ありがとうございました。

 私、この猫のグレースとは、今生の別れとニャることでしょう。

 孝蔵さん、さようなら……」


 コンコン!


  病室にドアノックの音が響いた。


「グレ……ス、ありがとぅ……」


 孝蔵の言葉を聞くか聞かないかくらいで、礼人はグレースを連れて消えたのだった。

 
 友恵が居なくなってからの、俺の人生を明るくしてくれたのは、グレース、お前だよ。


 生きる張り合いだった。


 俺が死んだ後の お前の事は、心配はしていないぞ。


 お前は、冥界の猫なんだから、また会えるだろう……。


 あれ?


さっき今生の別れと言っていた気がするが……。


 そんな事を思っていたら、俺の娘が声を掛けた。


「お父さん、しっかりして!今、曽孫ひまご日向ひなたを連れて来るからね。

 まだ、逝ったら駄目だから!待っていて」


 ひまご……?ああ、旬の子どもか……。


 俺は、曽孫にも会えた……。


 ……ストン!


 見慣れた黒いスーツにグレーのネクタイ姿の知らない男性が現れた。


 そして、男性が言う。


「森田孝蔵さん、私は死者の国である冥界の調査員です。

 只今より あなたの生前の行いを調査致します。

 忘れた記憶でも分かってしまいますので、ご了承下さい」


 ああ、とうとう、この時がやってきたか。


 誰にでも、必ずやって来る“この時”だ。


 誰にでも平等にやって来る、この時。


 俺が1人きりで迎える時間だ。


 思えば、色々な事があったよ。


 苦しい事も多かった。


 だが、何だかんだ言いながら、良く生きた。


 俺は、一生懸命 生きてきたんだ。

 
 だから、悔いはない。

………………

「ねえ、おじいちゃん、人は死んだあとは、どうするの?」

 これは、まだ幼かった、あおいの質問である。


「それはな、死んだ人が行く世界があって、そこに住んでから、また、生まれ変わって、こっちに戻って来るんだよ」


 これも、また、昔むかしから伝えられていることである。


 誰か行って、見て帰ってきた人がいるのであろうか。


 それは、誰にもわからない。


 ただ、この世に生まれてきた命なら、限りまで、精一杯、生き抜いてみよう。


 「あおいは、小さいから わからないよな?」



「うん、わかんない」

 
 幼い あおいは、無邪気に言ったのだった。

しおりを挟む

処理中です...