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第八章 文化祭
第84話 後夜祭が終わり、彼女が挨拶にやってきた
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続いてフォークダンスの音楽が流れ始めた。
後夜祭が始まれば、生徒達はいつでも自由に下校していいことになっている。
生徒達はばらばらと動き始め、多くの生徒達が自由に踊り始めた。
終わりの時間までは音楽がずっと流される。
また、終盤には、教員のコントがあり、毎年これが生徒達に結構人気だったりする。
春陽達の担任の東城もこれに参加しており、練習がきついのかホームルームで何度もやりたくないと愚痴をこぼしていた。
春陽は雪愛と一緒に少し離れたところに座り、キャンプファイヤーとグラウンドいっぱいを使って踊り始めた生徒達をぼんやりと眺めていた。
「なんか、今年の文化祭は色んなことがあったな」
春陽がぽつりと呟く。去年の文化祭は必要最低限しか参加していない。麻理が来ることもなかった。当然、後夜祭も始まってすぐに帰った。
こうしてここにいることも春陽にとっては初めてのことだ。
「そうだね。けど、私はすごく楽しかったよ。春陽くんはどうだった?」
「そうだな。……俺も楽しかった」
去年とはあまりにも違う。なぜか。そんなのは簡単だ。考えるまでもない。そのすべてを自分にもたらしてくれたのは元をたどれば雪愛だ。雪愛のおかげでこんな文化祭を過ごすことができた。
雪愛を見つめる春陽。
「春陽くん?」
雪愛がそんな春陽にどうかしたのかと名前を呼ぶが、それには答えず、春陽は雪愛の頬に右手を添えた。
雪愛は一瞬、驚きに目を大きくするが、自分の頬に触れている春陽の手に自分の手を重ねて微笑む。
「雪愛、ありがとう。全部雪愛のおかげだ。……雪愛と出会えて本当によかった」
もう何度目になるかもわからないくらいだが、それでも春陽は雪愛に伝える。
想いは相手に伝えなければ、伝わってほしいなら言葉にしなければ、そうでなければそれは自分の中だけで終わってしまうものだということを春陽はもう知っているから。
「っ、私もだよ。私も春陽くんと出会えて本当によかった」
雪愛が春陽と同じ考えかはわからない。
けれど雪愛も想いを相手に伝えることの大切さをちゃんと知っている。
二人は互いの想いが同じであることに微笑み合うのだった。
すると、春陽が立ち上がり、雪愛に手を差し出した。
「雪愛、一緒に踊らないか?」
「うん!」
春陽の手を取り、雪愛も立ち上がる。
二人は手を繋いで多くの生徒が踊っているグラウンドへと向かった。
多くの生徒に混ざって二人は笑顔で踊る。
グラウンドには他にも瑞穂、未来、香奈がそれぞれ男子生徒と楽しそうに踊る姿があったのだが、雪愛も彼女達もお互いに気づくことはなかった。
その後、いよいよ教員のコントが始まった。
つまり、もうすぐ後夜祭も終わりだ。それを見ていた春陽達は東城が愚痴をこぼしていた理由がわかった気がした。今回、東城はオチ担当のようで、恥ずかしいのか顔を赤くしながらもヤケクソ気味に最初から全力で取り組んでいた。
それがまた生徒達の笑いを誘い、結果的には今年も大盛り上がりとなった。
後夜祭の最後は文化祭実行委員が企画した打ち上げ花火が上がり、春陽と雪愛を含め、残っている生徒達が皆空を見上げていた。
こうして光峰祭は幕は閉じたのだった。
そして、後夜祭を最後まで満喫した春陽と雪愛は二人で学校を出て帰宅の途についた。
翌日、春陽はいつものようにバイトの予定だったのだが、昨日のうちに麻理から連絡があり、バイトは休みになってしまった。
今日は急きょ予定が入ったため店を閉めているらしい。
そのため今日の春陽は大分遅い起床だ。
明日は元々バイトは休みの予定なので、体調を崩した訳でもないのに、こんなに連続でバイトを休むことになるのは初めてのことかもしれない。
加えて、今日と明日は文化祭の振替で学校も休みだ。
突然できてしまった休みだが特にすることもないため、春陽はこの二日間をゆっくり過ごすことにした。
と言っても遅く起きて、その後も部屋の中でただぼんやり過ごすだけなのだが。
春陽がこう決めたのは、きっと二学期が始まってからの学校でのあれこれで精神的に疲弊していたところに、文化祭前、文化祭と色々なことがあったため、気づかぬうちに疲れが溜まっていたからだろう。
本当に何もせず、十分に心身を休めたこの日の夜、雪愛から電話があった。
雪愛は春陽の声が聴きたくなったと電話をしてきたようで、しばらく雑談をしていたのが、会話が一度途切れる。
少しの沈黙の後、雪愛が口を開いた。
「ねえ、春陽くん。明日って何か予定ある?」
「明日?バイトも休みだし、予定なんてないけど、それがどうかしたか?」
「……うん。……もしよかったら、なんだけど……、明日遊びに行ってもいい?春陽くんに会いたくなっちゃって……」
それは衝動的な申し出だった。どうやら声を聴いていたらそれだけでは満足できなくなってしまったようだ。
「それはいい、っていうか俺も嬉しいけど、雪愛は予定があるって言ってなかったか?そっちは大丈夫なのか?」
春陽の言う通り、明日バイトがないことは以前から決まっていたため、最初から会う約束をしていても不思議ではない。
ではなぜしていなかったかというと、雪愛がこの日は文化祭の打ち上げで、瑞穂達と出かける予定だと言っていたからだ。
「うん。えっとね、昨日の夜みんなで少し話したんだけど、今日正式に決まってね。また今度にしようってことで延期になったの」
雪愛も春陽に詳しく話していないことだし、詳細は省くが、未来と香奈が文化祭からの高まったテンションで頑張った結果とだけ言っておこう。
「そうだったのか。わかった」
二人はこの後、明日の時間を決め、電話を終えるのだった。
そして翌日。
今雪愛は春陽の胸に頭を預け、春陽の腕に包まれながら座って、春陽と話している。
この二人、二人っきりになるとイチャイチャするのが普通になってきている。それなのに未だキス止まりというのが何とも言えない。二人らしいと言えばそのとおりなのだが。
また、春陽は雪愛がいつ来てもいいようにと水だけでなく、コーヒーや牛乳を常備するようになった。
おかげで一人のときにもコーヒーや牛乳を飲む機会も増え、水だけだった頃よりも飲み物は少しだけ改善されたと言っていいかもしれない。
午前中に雪愛が春陽の部屋へと来たのだが、今日は春陽の住むアパートのちょうど真上の部屋が何だか騒がしい。
先ほどから春陽の部屋の天井の方からガタゴトと音がしている。
「上の階引っ越しでもしてるのかな?」
雪愛がここに来たときには外に大きなトラックが止まっていて家具と思われるものを運び込んでいた。
それを思い出しての言葉だ。
「どうなんだろうな。今まで上の階が空いてたのかも知らないんだよな」
「そうなの?」
「ああ。ここに越してきたときも挨拶回りとかした訳じゃないし、誰かがウチに挨拶に来たこともないしな。隣の部屋の人は出入りするところを見かけたことあるけど話したことはないし」
「そういうものなんだ?」
一軒家に住んでいる雪愛には隣近所に誰が住んでいるかわからないというのは感覚としてわからないところだった。
「一人暮らしのアパートなんてそんなものじゃないか?」
その後もしばらく上からの音は断続的に続いたが、午後になる頃にはその音もしなくなった。
ちなみに、今日のお昼は雪愛が春陽の家に来る前に食材を買ってきて、焼うどんを作ってくれた。
雪愛は簡単なものでごめんね、と謝っていて、確かに調理時間は短かったのだが、春陽からすれば、そんなことは関係なく、雪愛にうまいと感想を言って美味しくいただき雪愛もそんな春陽の様子に嬉しそうにしながら一緒に食べた。
そうして、洗い物を済ませた二人がのんびりと過ごしていると、春陽の部屋のチャイムが鳴った。
「?誰だ?」
普段自分の部屋に訪ねてくる人物などいないため、立ち上がろうとしない春陽。その声はどこか面倒そうだ。
「?春陽くん出ないの?」
「いや、どうせ新聞の勧誘とかだろうし……」
それを疑問に思って雪愛が尋ねた答えがこれだった。どうやら春陽は予定にない訪問者に対しては居留守を使っているらしい。実際、一人暮らしだとそうしている者は多い。何か用があれば、知り合いならスマホに連絡があるはずだし、そうでなければ相手が何かしら訪問した痕跡を残してくれるからだ。相手には申し訳ないが、大抵が新聞などの営業や宗教などの勧誘だと何度も実体験してこういう考えに至った。
そこで、もう一度チャイムが鳴った。
「やっぱり出た方がいいんじゃ……」
「……そうだな」
ため息を一つ。しつこいチャイムに面倒に思っていることを隠そうともせず春陽が立ち上がる。
そして室内にあるモニターを見てその表情を一変させた。
春陽は慌てて玄関へと向かうと急いで扉を開けた。
春陽の部屋の扉の前に立っていた人物は突然開いた扉に目を大きくしていた。インターホンから反応があると思っていたら、その前に扉が開いたから。
部屋の主である春陽もこちらを見て目を大きくしている。
「こんにちは、春陽」
「いるならすぐに出なさいよね、ハル?」
「……どうして姉さんがここに?それに麻理さんまで」
そう、インターホンを鳴らしたのは美優、そしてその傍には麻理も立っていた。
麻理は春陽に向かって手を上げているが、もう一方の手にスマホを持っており、もしかしたら春陽に連絡しようとしていたのかもしれない。
「引っ越しの挨拶に来たの。今日春陽の上の階に引っ越してきたんだ。だから、これからよろしくね?」
「っ!?上の階って……」
それは今朝から荷物を運んだりする音がしていて、雪愛とも引っ越しかと話していたことだ。
それがまさか美優だったとは。
一人暮らしの話を聞いたのは数日前だ。そのときは麻理が保証人になってくれるというところまで春陽も一緒に話していた。それがもう引っ越してきたというのだから驚くなという方が無理な話だ。
「……とりあえず中に入って話しませんか?」
春陽のその言葉で美優と麻理は春陽の部屋へと上がることになった。
室内にいた雪愛は突然やって来た美優と麻理に驚いたが、お互いに挨拶を済ませる。
美優達にとっても雪愛がいることは想定外だったのか、デートの邪魔をしてごめんなさいと謝っていた。
美優は初めて春陽の部屋に上がって一瞬言葉を失くした。
麻理から少し聞いていたが、こんなに何もないなんて想像を超えていたのだ。
一方、麻理は食器やフライパンが使われていることに気づき笑みを浮かべた。これまで春陽本人の言葉からキッチン回りの物は何も使っていなさそうだったのに、今は使われていることから、これも雪愛のおかげだなと思ったのだ。
春陽と雪愛はコップでアイスコーヒーにして飲んでいたが、美優と麻理に春陽が聞いたところ、それならホットコーヒーで、というのでマグカップにコーヒーを作った。
春陽の持っているコップとマグカップが初めて総動員された瞬間だった。
春陽が飲み物を持ってきてくれ、全員が小さなテーブルの周りに座る。
後夜祭が始まれば、生徒達はいつでも自由に下校していいことになっている。
生徒達はばらばらと動き始め、多くの生徒達が自由に踊り始めた。
終わりの時間までは音楽がずっと流される。
また、終盤には、教員のコントがあり、毎年これが生徒達に結構人気だったりする。
春陽達の担任の東城もこれに参加しており、練習がきついのかホームルームで何度もやりたくないと愚痴をこぼしていた。
春陽は雪愛と一緒に少し離れたところに座り、キャンプファイヤーとグラウンドいっぱいを使って踊り始めた生徒達をぼんやりと眺めていた。
「なんか、今年の文化祭は色んなことがあったな」
春陽がぽつりと呟く。去年の文化祭は必要最低限しか参加していない。麻理が来ることもなかった。当然、後夜祭も始まってすぐに帰った。
こうしてここにいることも春陽にとっては初めてのことだ。
「そうだね。けど、私はすごく楽しかったよ。春陽くんはどうだった?」
「そうだな。……俺も楽しかった」
去年とはあまりにも違う。なぜか。そんなのは簡単だ。考えるまでもない。そのすべてを自分にもたらしてくれたのは元をたどれば雪愛だ。雪愛のおかげでこんな文化祭を過ごすことができた。
雪愛を見つめる春陽。
「春陽くん?」
雪愛がそんな春陽にどうかしたのかと名前を呼ぶが、それには答えず、春陽は雪愛の頬に右手を添えた。
雪愛は一瞬、驚きに目を大きくするが、自分の頬に触れている春陽の手に自分の手を重ねて微笑む。
「雪愛、ありがとう。全部雪愛のおかげだ。……雪愛と出会えて本当によかった」
もう何度目になるかもわからないくらいだが、それでも春陽は雪愛に伝える。
想いは相手に伝えなければ、伝わってほしいなら言葉にしなければ、そうでなければそれは自分の中だけで終わってしまうものだということを春陽はもう知っているから。
「っ、私もだよ。私も春陽くんと出会えて本当によかった」
雪愛が春陽と同じ考えかはわからない。
けれど雪愛も想いを相手に伝えることの大切さをちゃんと知っている。
二人は互いの想いが同じであることに微笑み合うのだった。
すると、春陽が立ち上がり、雪愛に手を差し出した。
「雪愛、一緒に踊らないか?」
「うん!」
春陽の手を取り、雪愛も立ち上がる。
二人は手を繋いで多くの生徒が踊っているグラウンドへと向かった。
多くの生徒に混ざって二人は笑顔で踊る。
グラウンドには他にも瑞穂、未来、香奈がそれぞれ男子生徒と楽しそうに踊る姿があったのだが、雪愛も彼女達もお互いに気づくことはなかった。
その後、いよいよ教員のコントが始まった。
つまり、もうすぐ後夜祭も終わりだ。それを見ていた春陽達は東城が愚痴をこぼしていた理由がわかった気がした。今回、東城はオチ担当のようで、恥ずかしいのか顔を赤くしながらもヤケクソ気味に最初から全力で取り組んでいた。
それがまた生徒達の笑いを誘い、結果的には今年も大盛り上がりとなった。
後夜祭の最後は文化祭実行委員が企画した打ち上げ花火が上がり、春陽と雪愛を含め、残っている生徒達が皆空を見上げていた。
こうして光峰祭は幕は閉じたのだった。
そして、後夜祭を最後まで満喫した春陽と雪愛は二人で学校を出て帰宅の途についた。
翌日、春陽はいつものようにバイトの予定だったのだが、昨日のうちに麻理から連絡があり、バイトは休みになってしまった。
今日は急きょ予定が入ったため店を閉めているらしい。
そのため今日の春陽は大分遅い起床だ。
明日は元々バイトは休みの予定なので、体調を崩した訳でもないのに、こんなに連続でバイトを休むことになるのは初めてのことかもしれない。
加えて、今日と明日は文化祭の振替で学校も休みだ。
突然できてしまった休みだが特にすることもないため、春陽はこの二日間をゆっくり過ごすことにした。
と言っても遅く起きて、その後も部屋の中でただぼんやり過ごすだけなのだが。
春陽がこう決めたのは、きっと二学期が始まってからの学校でのあれこれで精神的に疲弊していたところに、文化祭前、文化祭と色々なことがあったため、気づかぬうちに疲れが溜まっていたからだろう。
本当に何もせず、十分に心身を休めたこの日の夜、雪愛から電話があった。
雪愛は春陽の声が聴きたくなったと電話をしてきたようで、しばらく雑談をしていたのが、会話が一度途切れる。
少しの沈黙の後、雪愛が口を開いた。
「ねえ、春陽くん。明日って何か予定ある?」
「明日?バイトも休みだし、予定なんてないけど、それがどうかしたか?」
「……うん。……もしよかったら、なんだけど……、明日遊びに行ってもいい?春陽くんに会いたくなっちゃって……」
それは衝動的な申し出だった。どうやら声を聴いていたらそれだけでは満足できなくなってしまったようだ。
「それはいい、っていうか俺も嬉しいけど、雪愛は予定があるって言ってなかったか?そっちは大丈夫なのか?」
春陽の言う通り、明日バイトがないことは以前から決まっていたため、最初から会う約束をしていても不思議ではない。
ではなぜしていなかったかというと、雪愛がこの日は文化祭の打ち上げで、瑞穂達と出かける予定だと言っていたからだ。
「うん。えっとね、昨日の夜みんなで少し話したんだけど、今日正式に決まってね。また今度にしようってことで延期になったの」
雪愛も春陽に詳しく話していないことだし、詳細は省くが、未来と香奈が文化祭からの高まったテンションで頑張った結果とだけ言っておこう。
「そうだったのか。わかった」
二人はこの後、明日の時間を決め、電話を終えるのだった。
そして翌日。
今雪愛は春陽の胸に頭を預け、春陽の腕に包まれながら座って、春陽と話している。
この二人、二人っきりになるとイチャイチャするのが普通になってきている。それなのに未だキス止まりというのが何とも言えない。二人らしいと言えばそのとおりなのだが。
また、春陽は雪愛がいつ来てもいいようにと水だけでなく、コーヒーや牛乳を常備するようになった。
おかげで一人のときにもコーヒーや牛乳を飲む機会も増え、水だけだった頃よりも飲み物は少しだけ改善されたと言っていいかもしれない。
午前中に雪愛が春陽の部屋へと来たのだが、今日は春陽の住むアパートのちょうど真上の部屋が何だか騒がしい。
先ほどから春陽の部屋の天井の方からガタゴトと音がしている。
「上の階引っ越しでもしてるのかな?」
雪愛がここに来たときには外に大きなトラックが止まっていて家具と思われるものを運び込んでいた。
それを思い出しての言葉だ。
「どうなんだろうな。今まで上の階が空いてたのかも知らないんだよな」
「そうなの?」
「ああ。ここに越してきたときも挨拶回りとかした訳じゃないし、誰かがウチに挨拶に来たこともないしな。隣の部屋の人は出入りするところを見かけたことあるけど話したことはないし」
「そういうものなんだ?」
一軒家に住んでいる雪愛には隣近所に誰が住んでいるかわからないというのは感覚としてわからないところだった。
「一人暮らしのアパートなんてそんなものじゃないか?」
その後もしばらく上からの音は断続的に続いたが、午後になる頃にはその音もしなくなった。
ちなみに、今日のお昼は雪愛が春陽の家に来る前に食材を買ってきて、焼うどんを作ってくれた。
雪愛は簡単なものでごめんね、と謝っていて、確かに調理時間は短かったのだが、春陽からすれば、そんなことは関係なく、雪愛にうまいと感想を言って美味しくいただき雪愛もそんな春陽の様子に嬉しそうにしながら一緒に食べた。
そうして、洗い物を済ませた二人がのんびりと過ごしていると、春陽の部屋のチャイムが鳴った。
「?誰だ?」
普段自分の部屋に訪ねてくる人物などいないため、立ち上がろうとしない春陽。その声はどこか面倒そうだ。
「?春陽くん出ないの?」
「いや、どうせ新聞の勧誘とかだろうし……」
それを疑問に思って雪愛が尋ねた答えがこれだった。どうやら春陽は予定にない訪問者に対しては居留守を使っているらしい。実際、一人暮らしだとそうしている者は多い。何か用があれば、知り合いならスマホに連絡があるはずだし、そうでなければ相手が何かしら訪問した痕跡を残してくれるからだ。相手には申し訳ないが、大抵が新聞などの営業や宗教などの勧誘だと何度も実体験してこういう考えに至った。
そこで、もう一度チャイムが鳴った。
「やっぱり出た方がいいんじゃ……」
「……そうだな」
ため息を一つ。しつこいチャイムに面倒に思っていることを隠そうともせず春陽が立ち上がる。
そして室内にあるモニターを見てその表情を一変させた。
春陽は慌てて玄関へと向かうと急いで扉を開けた。
春陽の部屋の扉の前に立っていた人物は突然開いた扉に目を大きくしていた。インターホンから反応があると思っていたら、その前に扉が開いたから。
部屋の主である春陽もこちらを見て目を大きくしている。
「こんにちは、春陽」
「いるならすぐに出なさいよね、ハル?」
「……どうして姉さんがここに?それに麻理さんまで」
そう、インターホンを鳴らしたのは美優、そしてその傍には麻理も立っていた。
麻理は春陽に向かって手を上げているが、もう一方の手にスマホを持っており、もしかしたら春陽に連絡しようとしていたのかもしれない。
「引っ越しの挨拶に来たの。今日春陽の上の階に引っ越してきたんだ。だから、これからよろしくね?」
「っ!?上の階って……」
それは今朝から荷物を運んだりする音がしていて、雪愛とも引っ越しかと話していたことだ。
それがまさか美優だったとは。
一人暮らしの話を聞いたのは数日前だ。そのときは麻理が保証人になってくれるというところまで春陽も一緒に話していた。それがもう引っ越してきたというのだから驚くなという方が無理な話だ。
「……とりあえず中に入って話しませんか?」
春陽のその言葉で美優と麻理は春陽の部屋へと上がることになった。
室内にいた雪愛は突然やって来た美優と麻理に驚いたが、お互いに挨拶を済ませる。
美優達にとっても雪愛がいることは想定外だったのか、デートの邪魔をしてごめんなさいと謝っていた。
美優は初めて春陽の部屋に上がって一瞬言葉を失くした。
麻理から少し聞いていたが、こんなに何もないなんて想像を超えていたのだ。
一方、麻理は食器やフライパンが使われていることに気づき笑みを浮かべた。これまで春陽本人の言葉からキッチン回りの物は何も使っていなさそうだったのに、今は使われていることから、これも雪愛のおかげだなと思ったのだ。
春陽と雪愛はコップでアイスコーヒーにして飲んでいたが、美優と麻理に春陽が聞いたところ、それならホットコーヒーで、というのでマグカップにコーヒーを作った。
春陽の持っているコップとマグカップが初めて総動員された瞬間だった。
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