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第2話「怨霊の少女と轉魂の秘密」
しおりを挟む夕闇が濃くなる頃、蒼は下宿のアパートに辿り着いた。老人の消えた場所から逃げるように急いだ道のりで、彼の頭は混乱したままだった。
「どうして俺に...」
手の甲に浮かぶ金色の紋様は、今も薄く光を放っている。アパートの階段を上りながら、蒼は老人から流れ込んだ記憶の断片を必死に整理しようとした。
三階の自室のドアを開ける。暗い部屋の空気が、いつもと違うことに気づいた瞬間、蒼は息を呑んだ。
窓際に、誰かが立っていた。
「お帰り、深宮蒼」
月明かりに照らされた少女の姿。黒い着物を纏い、長い髪が風もないのに揺れている。彼女の周りには、淡い青白い炎のような気配が漂っていた。
「誰だ...!?」思わず叫んだ蒼の声に、少女は表情を変えなかった。
「夜宮綾音。あなたを待っていたわ」
少女――綾音は、まるで長い間ここにいたかのような自然さで告げた。蒼が警戒して後ずさる様子を見て、彼女はかすかに微笑んだ。
「怖がらないで。敵じゃないわ」
蒼が照明のスイッチを入れると、少女の姿がはっきりと見えた。十五、六歳ほどの少女。白い肌に黒髪、そして異様なまでに澄んだ紫色の瞳。その周囲には確かに、暗い霧のようなオーラが漂っていた。
「どうやって入った?ドアは鍵を...」
「私はあなたの力に導かれてきたの」綾音は部屋の中を歩き始めた。彼女の足音は全く聞こえない。「あなたが契約を結んだ瞬間、呼ばれたようにね」
蒼は混乱を隠せなかった。「契約...老人との?」
「そう」綾音は蒼に近づき、彼の右手を取った。触れられた感覚はあるのに、どこか実体がないような不思議な感触だった。
「この紋様は轉魂の印。あなたが特別な能力者、轉魂使いであることの証よ」
「轉魂使い...?」
綾音は蒼の手を放し、部屋の中央に立った。彼女の周囲の空気が歪み、青白い炎が燃え上がる。
「轉魂使いとは、他者と魂契約を結び、一時的にその人の能力と記憶を借用できる稀有な存在」綾音の声には不思議な響きがあった。「あなたは今日、葛老人と契約を結んだ。彼の体術の記憶と能力があなたの中に流れ込んでいる」
蒼は思わず老人から受け取った木箱を握りしめた。「あの老人は...消えた。どうして?」
綾音の表情が一瞬、悲しげになった。「契約の代償よ。彼は自分の力と記憶をあなたに託して、この世界を去った」
「それが...契約というものなのか?」
「いいえ」綾音は首を振った。「通常、契約は一定時間で解除され、能力も記憶も借用者に戻る。でも葛老人は...もう長くなかったの。だから最後の力を使って、あなたに契約を申し出たのよ」
蒼は呆然と立ち尽くした。自分が何かの能力を持っているなど、これまで考えたこともなかった。そして目の前のこの不思議な少女――彼女は何者なのか。
「あなたは...何者だ?」
綾音は月明かりに照らされた窓際に戻った。「私はあなたの守護者。あなたの力が目覚めるのを待っていたの」
「守護者...?」
「あなたは10年前の事故で記憶を失った。家族のことも、自分の出自も分からないままだった。でも今、あなたの中で眠っていた力が目覚め始めた」
綾音の言葉に、蒼の心臓が高鳴った。これまで誰も答えてくれなかった疑問に、ようやく光が当たるかもしれない。
「俺の...過去を知っているのか?」
「断片的にね」綾音は蒼を見つめた。「あなたの記憶と家族の手がかりは、『七大魂器』にある」
「七大魂器...?」
「七つの特殊な力を持つ器。それぞれが強大な力を秘めているわ」綾音は空中に手を伸ばし、青白い炎で何かを描くような仕草をした。
「記憶の杯、感情の鏡、時の砂時計、空間の羅針盤、生命の種、力の剣、真実の書...それらを集めれば、あなたの記憶を取り戻し、失われた真実に辿り着けるはず」
蒼は眉をひそめた。あまりにも突然の出来事と情報の洪水に、半信半疑だった。
「なぜ俺がそんなものを探さなきゃならない?」
「それはあなたの選択よ」綾音は静かに答えた。「でも、葛老人から受け取ったものは、その手がかりになるかもしれない」
蒼は木箱を見つめた。
「あの老人...葛の孫娘に届けるよう言われた。霧原町の東の端の神社に...」
「そう、それが最初の一歩ね」綾音は頷いた。「明日から調査を始めましょう。霧原町について調べる必要があるわ」
蒼は深く息をついた。突然の出来事に頭がぐるぐると回る。だが何かが彼の胸の奥で、この道を進むべきだと囁いていた。
「分かった...明日から調べてみる」
その夜、蒼は眠れなかった。窓際に座り込んだ綾音は一晩中、静かに外を眺めていた。彼女が本当に眠るのか、蒼には分からなかった。
眠れぬ夜半、蒼は老人の記憶にある体術を思い出してみた。体を動かしてみようと立ち上がり、記憶を辿る。すると驚くべきことに、体が自然と動き始めた。
しなやかな動きで部屋の中央に立ち、呼吸を整える。そして次の瞬間、蒼の体は老人の記憶通りに動いた。複雑な型を次々と繰り出し、見たこともない武術を完璧に披露していた。
「信じられない...」蒼は自分の手を見つめた。「これが、轉魂の力...?」
窓際から綾音が彼を見つめていた。彼女の目には何か深い感情が宿っていた。
「これはほんの始まりよ、深宮蒼」綾音は静かに告げた。「あなたの真の力は、これからゆっくりと目覚めていく」
蒼の右手の紋様が再び光り、その光は部屋の闇を押し返した。未知なる力と謎に満ちた未来。深宮蒼の新たな一歩が、今始まろうとしていた。
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