ドラゴンと始めるスローライフ農園 〜元勇者と魔竜の平和な田舎暮らし〜

ソコニ

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第6話「野菜を知らないドラゴン」

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「これが…キッチンというものか」

フィリアは好奇心に満ちた目で小屋の中を見回した。彼女の傷は順調に回復し、今では人間の姿で短時間なら歩き回れるようになっていた。レインはついに彼女を納屋から小屋へと招き入れたのだ。

「そうだ。ここで食事を作るんだ」

レインは笑顔で答えた。フィリアの人間としての姿は日に日に安定し、今では角と首筋の鱗以外は普通の人間の少女と見分けがつかなくなっていた。その角と鱗も、髪で適当に隠せる程度になっていた。

「座っていいよ」レインは暖炉の近くの椅子を指さした。

フィリアは慎重に椅子に腰掛けた。竜だった彼女にとって、人間の生活道具はまだ慣れないものだったが、好奇心は旺盛だった。

「今日は特別な料理を作るよ」

レインは前日に収穫した自家製の野菜をテーブルに並べ始めた。まだ新米農夫の彼の畑ではあったが、村人たちの助けもあり、最初の収穫を得ることができていた。小ぶりではあるが艶のある赤いトマト、こんもりとした緑の葉物、色鮮やかな根菜類。

フィリアはそれらを怪訝な表情で見つめていた。

「それは食べ物なのか?」

「ああ、野菜だよ。食べたことはないのか?」

フィリアは誇らしげに顎を上げた。

「私は竜だ。肉食だ」

「そうか」レインは微笑んだ。「では今日が初めての野菜体験だね」

「私に草を食べさせるつもりか?」フィリアは眉をひそめた。

「草じゃない、野菜だ。そして調理すれば、君も気に入ると思うよ」

レインは手際よく野菜を洗い、切り始めた。フィリアは黙って彼の作業を見つめていた。炎を制御し、鍋に水を入れ、材料を加えていく工程が、彼女には魔法のように見えるようだった。

「何を作っているんだ?」

「野菜のシチューだよ。それと、パンも焼こうと思う」

「パン?」

「小麦粉を発酵させて焼いたものだ。ムラタさんからもらった生地があるから、焼くだけでいい」

レインは鍋を火にかけながら、パン生地をオーブンに入れた。小屋に温かい香りが広がり始める。

「いい匂いだ…」

フィリアは知らず知らずのうちに鼻を鳴らしていた。レインはそんな彼女の様子を見て微笑んだ。

「人間の体になると、食の好みも変わるのかもしれないね」

「私はまだ竜だ」フィリアは素っ気なく言ったが、その目は料理の様子から離れなかった。

時間が経つにつれ、シチューからは野菜の甘い香りと、スパイスの刺激的な香りが混ざり合って立ち上った。レインが鍋の蓋を開けると、フィリアは思わず立ち上がって覗き込んだ。

「色が鮮やかだ…」

鍋の中では、赤いトマトと緑の葉物、黄色の根菜が温かなスープに浮かんでいた。レインはそっと味見をし、塩を少し加えた。

「もうすぐできるよ」

そう言うと、彼はオーブンからこんがりと焼けたパンを取り出した。香ばしい小麦の香りが部屋中に広がる。

「では、食べてみようか」

レインはシチューを二つの器に分け、パンを切り分けた。フィリアの前に料理を置くと、彼女は戸惑いながらもスプーンを手に取った。

「どうやって食べるんだ?」

「こうやって」レインはスプーンですくって見せた。「熱いから気をつけて」

フィリアは慎重にレインの動作を真似た。彼女はスプーンを口に運び、ゆっくりとシチューを口に含んだ。

その瞬間、フィリアの黄金の瞳が大きく見開かれた。

「これは…」

彼女の表情が見る見る内に変化していく。驚き、戸惑い、そして純粋な喜び。彼女はもう一口、そしてさらにもう一口と、急いでスプーンを動かし始めた。

「美味しい…こんなに美味しいものがあったなんて…」

フィリアの声には、これまで見せたことのない素直な感動が溢れていた。レインは嬉しそうに微笑んだ。

「そうだろう?これがトマトの甘さと酸味、それにニンジンの優しい甘み、ハーブの香り…」

フィリアはもはや聞いていなかった。彼女は夢中になって食べ続け、器が空になるとレインの方を見た。その目には明らかな期待が浮かんでいた。

「もっと…あるか?」

「もちろん」レインは笑って鍋からおかわりをよそった。「パンも試してみて」

フィリアはパンを手に取り、その香りを嗅いだ。そして小さく一口かじると、またしても彼女の顔に驚きの表情が広がった。

「これもまた違う美味しさだ…」

彼女はパンをシチューに浸して食べ始めた。その姿は、もはや高慢な魔竜の面影はなく、新しい発見に目を輝かせる子供のようだった。

「人間の食べ物は、こんなに多様なのか?」

「ああ、これはほんの一例に過ぎないよ」レインはパンをちぎりながら答えた。「世界中に様々な料理がある。魚料理、果物のデザート、お菓子…」

「お菓子?」

フィリアの目が好奇心で輝いた。レインは立ち上がり、棚から小さな布包みを取り出した。

「これはハチミツクッキー。村の子供達が持ってきてくれたんだ」

レインがクッキーを差し出すと、フィリアは恐る恐る一枚取り、かじった。

「甘い!」彼女は驚きの声を上げた。「これは何だ?この味は?」

「ハチミツというんだ。蜂が作る甘い蜜さ」

「蜂の…?」フィリアは首を傾げたが、すぐに二枚目のクッキーに手を伸ばした。

二人が食事を終えるころには、テーブルの上は空っぽの器とパンくずだけになっていた。フィリアは満足げに椅子に深く腰掛け、小さなため息をついた。

「人間の食事は…悪くない」

「嬉しいよ」レインは笑った。「これからもっといろんな料理を作ってあげよう」

「本当か?」フィリアの声には抑えきれない期待が混じっていた。

「ああ。でも…」レインは庭を指さした。「これらの野菜は自分で育てたものだ。もっと色々な野菜を育てれば、もっと美味しい料理が作れる」

フィリアは窓から畑を見た。レインの畑はまだ小さく、素人の手入れゆえに整然とはしていなかったが、そこには確かに命が育っていた。

「自分で育てる…」

フィリアはその言葉を噛みしめるように繰り返した。竜にとって、何かを育てるという概念は新鮮だったのだろう。

「一緒にやってみないか?」レインは提案した。「君の力があれば、もっと良い農園になるはずだ」

フィリアは驚いた表情でレインを見た。

「私が?農作業を?」

「ああ。体が完全に回復したら、だけどね」

フィリアは長い間黙っていた。彼女の表情からは、複雑な感情が読み取れた。高慢な魔竜としてのプライド、人間の営みへの好奇心、そして自分を受け入れてくれた男への感謝。

「…見せてほしい」彼女はついに言った。「どうやって野菜を育てるのか」

レインの顔に笑みが広がった。

「もちろん」

彼は立ち上がり、フィリアの手を取った。フィリアは最初驚いたように身を引いたが、すぐに彼の導きに従った。二人は小屋を出て、レインの小さな畑へと向かった。

陽は西に傾き始め、畑には柔らかな黄金色の光が注いでいた。若々しい野菜の芽が風に揺れ、土の香りが鼻をくすぐる。

「ここが私の農園だ」レインは誇らしげに言った。「小さいけれど、少しずつ大きくしていくつもりだ」

フィリアは黙って畑を見つめていた。彼女の目に映るのは、単なる植物ではなく、レインが日々愛情をもって育ててきた命の集まりだった。

「触ってみていいよ」

フィリアは恐る恐る手を伸ばし、葉に触れた。その感触は、彼女が想像していたよりもずっと繊細で柔らかだった。

「生きている…」彼女は小さく呟いた。

「そうだ。毎日水をやり、雑草を抜き、話しかけて育てるんだ」

「植物と話すのか?」

「ああ。応えはしないけどね」レインは微笑んだ。「でも、きっと聞いてくれていると思う」

フィリアは不思議そうな表情を浮かべ、葉を撫でながら問いかけた。

「お前たちは…美味しくなるつもりか?」

レインは思わず笑い出した。フィリアは恥ずかしそうに顔を赤らめた。

「何がおかしい?」

「いや、その質問の仕方が…可愛かったよ」

「可愛くなどない!私は魔竜だ!」

フィリアの高慢な調子が戻ってきたが、その表情には以前のような冷たさは見られなかった。むしろ、どこか照れくさそうだった。

「じゃあ、明日から少しずつ農業の基本を教えよう」レインは提案した。「種のまき方、水のやり方、土の耕し方…」

「…仕方ない」フィリアはため息をつきながらも、目を輝かせていた。「お前が教えるなら、学んでやろう」

夕日が地平線に沈みかけ、二人の長い影が畑に伸びていた。風は優しく、遠くからは村の子供たちの声が聞こえてくる。レインはこの平和な瞬間を胸いっぱいに感じていた。

「そろそろ納屋に戻ろうか。夜は冷えるからな」

フィリアは少し残念そうに畑を見た。

「明日も…来てもいいか?」

「当然だ。これからは毎日だよ」

フィリアは小さく頷いた。二人が納屋に向かう途中、彼女は突然立ち止まった。

「レイン…」

「何だ?」

「私を受け入れてくれて…ありがとう」

その言葉は小さく、ほとんど聞き取れないほどだったが、レインの心には確かに届いた。彼は優しく微笑み、フィリアの肩に手を置いた。

「お互いさまだよ。君がいてくれて、この農園はもっと素晴らしいものになる」

フィリアは何も言わなかったが、その黄金の瞳には明らかな感情が浮かんでいた。彼女は初めて、人間との間に真の絆を感じ始めていたのだ。

「明日は何を食べられるんだ?」

納屋に着くと、フィリアは突然尋ねた。レインは笑い声を抑えられなかった。

「そうだな…明日はキャベツと豆のスープはどうだろう?それとパンケーキも作れるかな」

「パンケーキ?それはまた新しい食べ物か?」

「ああ、きっと気に入ると思うよ」

フィリアの目が再び好奇心で輝いた。高慢な魔竜が、人間の食べ物に心を開いていく。この意外な変化に、レインは心から喜びを感じていた。

「おやすみ、フィリア」

「おやすみ…レイン」

フィリアは最近、彼の名前を呼ぶことに慣れてきていた。そして彼女自身も気づいていないだろうが、彼女の口調は日に日に柔らかくなっていた。

納屋のドアを閉めながら、レインは空を見上げた。満天の星が輝いている。彼が王都で勇者だった頃には、ゆっくり星を眺める余裕などなかった。今、彼はこの静かな夜空を、かつての竜との間に芽生えた不思議な絆を、心から幸せに思った。

明日からの日々が、どんなふうに展開していくのか。彼はその未来に、静かな期待を抱きながら小屋へと戻っていった。
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