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第11話「噂の広がる魔竜の農園」
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盗賊退治から一ヶ月が過ぎた頃、グリーンウッド村は穏やかな春の日差しに包まれていた。レインの農園では、冬に植えた白菜が見事に育ち、収穫の時期を迎えていた。
「今日の出来は上々だな」
レインは満足げに大きな白菜を手に取り、その重みを確かめた。隣でフィリアが青い髪をなびかせながら頷いている。彼女は人間の姿のまま、素手で土に触れるのにもすっかり慣れていた。
「これはいい」フィリアは白菜の葉を優しく撫でるように触れた。「葉の瑞々しさが違う。私の息の効果があったのかもしれないな」
冬の間、フィリアは時折竜の姿になり、特殊な体温調節の息を作物に吹きかけていた。その結果、霜の害を受けず、通常よりも大きく育った白菜が畑一面に広がっていた。
「君の力のおかげだよ」レインは笑顔で言った。「これなら村の冬市で評判になるだろう」
二人が収穫作業を続けていると、畑の入り口から人の気配がした。振り返ると、トモが息を切らして駆けてくるところだった。
「レインさん!フィリアさん!」トモは興奮した様子で二人に手を振った。
「どうした、トモ?そんなに慌てて」レインは白菜を脇に置き、立ち上がった。
「大変です!いや、大変というか、すごいことになってるんです!」トモは言葉を詰まらせながら説明を始めた。「隣村から、それからさらに向こうの町からも、たくさんの人が村に来てるんです!」
「何のために?」フィリアが不思議そうに尋ねた。
「あなたたちに会うためです!」トモは目を輝かせた。「『魔竜と暮らす元勇者の農園』が噂になって、みんな見物に来てるんです!」
レインとフィリアは顔を見合わせた。フィリアの表情には明らかな戸惑いが見えた。
「私に...会いに?」
「ええ!特にフィリアさんの竜の姿を見たいって言ってます」トモは続けた。「盗賊団を一瞬で撃退した青い魔竜の噂が広がって...」
レインは眉をひそめた。「困ったな。フィリアはショーの見世物じゃないんだが」
「そうなんです、村長もそう言ってるんですけど」トモは肩をすくめた。「でも、人が集まり始めてるんです。商人たちも店を出し始めて、なんだか小さな市場みたいになってきました」
「まるで祭りじゃないか」レインは溜息をついた。「せっかくの平穏な生活が...」
「でも」トモは明るい声で言った。「これって村にとっては良いことなんですよ。商売も活気づいて、グリーンウッド村の名前も広がって」
確かにトモの言う通りだった。辺境の小さな村にとって、人の往来が増えることは経済的にも大きなプラスになる。レインはそれを理解しつつも、平和な生活が乱されることへの不安を感じていた。
「フィリア、どう思う?」レインは彼女に尋ねた。
フィリアは少し考えてから答えた。「私は...見せ物になるのは好きではない。でも、村のためなら少しは協力してもいい」
彼女の言葉には迷いがあったが、村に受け入れられた恩義を感じていることも伝わってきた。
「それに」フィリアは付け加えた。「人間ばかりではなく、他の種族も来ているのか?」
トモは頷いた。「はい!つい先ほど、エルフの旅人も来ていましたよ」
フィリアの目が輝いた。「エルフ?私、エルフに会ったことがない」
レインは思わず笑みを浮かべた。フィリアが他の種族に興味を示すのは初めてのことだった。彼女はこれまで人間に対して警戒心を解くのに時間がかかっていたが、他の種族、特に人間ではない存在に対しては別の感情を抱いているようだった。
「分かった」レインは決心した。「村に行ってみよう。ただし、フィリアはプレッシャーを感じる必要はない。竜の姿になるかどうかは、彼女自身が決めることだ」
三人は収穫した白菜をかごに入れ、村へと向かった。
---
グリーンウッド村の中心部は、確かにトモの言葉通り、小さな祭りのような賑わいを見せていた。普段は静かな広場に、見知らぬ顔の人々が集まり、いくつかの露店も出ていた。子供たちは興奮した様子で走り回り、大人たちは好奇心いっぱいの表情で周囲を見回していた。
レインとフィリアが姿を現すと、周囲の視線が一斉に彼らに集まった。
「あれが噂の元勇者か?」
「隣の青い髪の娘が魔竜なのか?」
「思ったより普通に見えるな...」
囁き声が広場中に広がる。フィリアは少し不安そうにレインの袖を掴んだ。
「大丈夫だ」レインは彼女に優しく言った。「無理はしなくていい」
村長が人々の間から現れ、二人に歩み寄ってきた。
「レイン、フィリア、ついに来てくれたか」村長は少し申し訳なさそうな表情を浮かべた。「こんなことになって、すまない。噂が噂を呼んで...」
「村の活気につながるなら、悪いことではありませんよ」レインは理解を示した。「ただ、フィリアのことは...」
「もちろん、無理強いはしない」村長は頷いた。「訪問者たちにもそう伝えてある。ただ、彼らの好奇心は抑えられなくてね」
村長の言葉が終わるか終わらないかのうちに、人々が少しずつ近づいてきた。質問や歓声が飛び交う中、レインは冷静に対応しようとしていた。しかし、フィリアは徐々に緊張の色を強めていった。
突然、群衆の間から一人の女性が静かに歩み出てきた。
その瞬間、広場全体が不思議な静けさに包まれた。
長い翡翠色の髪が風にそよぎ、透き通るような白い肌が春の日差しに輝いている。耳は特徴的な尖った形をしており、その優雅な立ち姿は人間離れした美しさを放っていた。
エルフだった。
女性は群衆を優雅に抜け、レインとフィリアの前に立った。彼女の瞳は深い森のように緑色で、古代からの知恵がその中に宿っているかのようだった。
「初めまして」エルフの女性は、風鈴のような澄んだ声で話し始めた。「私はリーフィア。森の民の一人です」
彼女は丁寧にお辞儀をした。
「うわさを聞いて、はるばるエンフォリア森から来ました。魔竜と共に暮らす勇者...そして何より」彼女はフィリアの方に視線を向けた。「種族の壁を越えて人間と共に生きる竜族に、ぜひ会いたいと思ったのです」
フィリアは言葉を失ったように立ち尽くしていた。彼女の目は好奇心と驚きで見開かれていた。
「あなたが...エルフ?」フィリアはようやく口を開いた。
リーフィアは穏やかに微笑んだ。「はい。あなたが初めて会うエルフなのでしょうか、フィリアさん」
「ええ」フィリアは素直に答えた。「私は長い間、山の洞窟で暮らしていたから...」
「そして今は人間の村で」リーフィアは優しく言った。「それは素晴らしいことです。種族の違いを超えた共存...私たちエルフも常に追い求めてきたことです」
レインはリーフィアの言葉に何か深い意味を感じ取った。エルフたちも何か独自の事情や歴史を持っているのだろう。
「リーフィアさん」レインは彼女に尋ねた。「グリーンウッド村にはどれくらい滞在する予定ですか?」
「それはまだ決めていません」リーフィアは微笑みながら答えた。「この地の植物を調査するのが私の本来の目的でしたが...」彼女はフィリアを見た。「今は別の興味も湧いてきました」
フィリアは少し顔を赤らめた。竜族が恥じらいを見せるのは珍しいことだった。
「よかったら」フィリアは少し躊躇いながらも言葉を続けた。「私たちの農園を見てみませんか?」
リーフィアの顔に喜びの表情が広がった。「ぜひ!それは素晴らしい提案です」
レインはフィリアの積極的な態度に驚きつつも、嬉しく思った。人間以外の種族に対する彼女の反応は、予想以上に前向きだった。
「では、明日にでも」レインは提案した。「今日はもう遅いし、フィリアと私も収穫の作業があるので」
「ありがとう、楽しみにしています」リーフィアは優雅にお辞儀をした。
周囲の人々は、この異種族同士の穏やかな交流を驚きと興味の眼差しで見守っていた。特に子供たちは、エルフの美しさと魔竜の存在に目を輝かせていた。
---
その日の夕暮れ時、レインとフィリアは農園に戻り、収穫した白菜を納屋に運び入れていた。
「変わった一日だったな」レインは言いながら、大きな白菜を棚に並べた。
「ああ」フィリアは同意した。「あんなに人が集まるとは思わなかった」
「村の名物になったみたいだね、私たち」レインは少し皮肉を込めて笑った。
フィリアは手に持っていた白菜を置き、静かに言った。「悪い気はしない」
レインは驚いて彼女を見た。「本当に?見世物になるのは嫌だと思ってたけど」
「人間に見られるのは少し気まずい」フィリアは認めた。「でも、村の役に立てるなら...それに」彼女の目が輝いた。「エルフに会えたのは良かった」
「リーフィアのことか」レインは微笑んだ。「彼女は確かに印象的だった。明日来るのが楽しみだ」
「ええ」フィリアは少し恥ずかしそうに頷いた。「人間ではない誰かと話すのは...新鮮だった」
レインはフィリアの言葉の意味を理解した。どれだけ彼女が村に受け入れられたとしても、彼女は依然として人間ではない存在だ。同じ人間ではない誰かと会うことは、彼女にとって特別な意味を持つのだろう。
「これからもっと増えるかもしれないね、様々な種族の訪問者が」レインは言った。「私たちの農園が、種族を超えた交流の場になるとは思わなかった」
フィリアはしばらく黙っていたが、やがて静かに言った。「悪くないかもしれない」
レインは驚きつつも、嬉しく思った。フィリアの心が少しずつ開かれていくのを感じる。かつては人里離れた洞窟で孤独に暮らしていた彼女が、今は村の一員として受け入れられ、さらに他の種族との交流にも興味を示している。
「ただ...」フィリアは少し不安そうな表情を見せた。「明日、リーフィアに竜の姿を見せるべきだろうか?」
レインは考え込んだ。「それは君が決めることだよ。彼女は見たいだろうけど、無理する必要はない」
「分かった」フィリアは頷いた。「考えておく」
作業を終えた二人は小屋に戻り、夕食の準備を始めた。今夜の主菜は、もちろん彼らが育てた新鮮な白菜だ。フィリアはすっかり料理にも慣れ、レインと協力して美味しい白菜鍋を作り上げた。
食事をしながら、二人は明日のことや、村に広がった噂について話し合った。平穏な生活が少し変わり始めている予感はあったが、それは必ずしも悪いことではない。新たな出会いや可能性が彼らを待っているのかもしれない。
夜が更けていく中、農園の小屋からは暖かな灯りが漏れていた。明日には新たな訪問者を迎え、彼らの物語はまた一歩前進しようとしていた。
---
翌朝、レインが畑の準備をしていると、村の方から馬車の音が聞こえてきた。リーフィアだろうか、と思いきや、もっと大きな音だった。
畑の入り口に目をやると、何台もの馬車が連なって近づいてくるのが見えた。先頭に立つのは村長で、その隣には昨日会ったリーフィアの姿があった。
「なんだこれは...」レインは眉をひそめた。
フィリアが小屋から出てきて、状況を見て驚いた様子だった。「何が起きているの?」
「分からない」レインは首を振った。「でも、たくさんの人が来ているようだ」
村長が近づくと、申し訳なさそうな表情で説明を始めた。
「レイン、フィリア、すまない。噂がさらに広がってしまって...」彼は馬車の列を指した。「隣町から商人たちが押し寄せてきたんだ。『魔竜の農園』の作物を買いたいと」
「何だって?」レインは驚いて声を上げた。
リーフィアが一歩前に出て、穏やかな声で説明した。「昨夜、宿でお話していたら、あなたたちの白菜のことが話題になったのです。魔竜の力で育てられた作物は特別な効能があるという噂が...」
フィリアは呆れたように溜息をついた。「私の息は作物の成長を早めるだけで、特別な効能などないのに」
「噂というものは時に事実より大きくなるものです」リーフィアは微笑んだ。「特に人間の世界では」
村長は困ったように頭をかいた。「どうする?彼らを追い返すか?」
レインはしばらく考え込み、やがてフィリアに向き直った。「これも一つの機会かもしれない。私たちの作った作物に価値を見出してくれるなら、それは嬉しいことじゃないか」
フィリアは少し躊躇いながらも、頷いた。「確かに...私たちの畑はこれ以上広げるつもりがないし、余った作物なら売ってもいいかもしれない」
こうして、予想外の「魔竜の農園市」が即席で始まることになった。レインとフィリアは収穫した白菜や他の野菜を商人たちに販売し始めた。驚くべきことに、彼らの作物は通常の何倍もの値段で取引されていった。
「信じられない」レインは頭を振った。「こんなことになるとは」
フィリアも困惑した様子だったが、同時に、自分の力が新たな形で認められることへの密かな喜びも感じていた。
市が賑わう中、リーフィアはレインとフィリアに近づき、静かに言った。
「二人の作り出す調和は素晴らしいです。私もその一部を見て、学びたいと思っています」
「学びたい?」フィリアは驚いて尋ねた。
リーフィアは穏やかに微笑んだ。「はい。私はエルフの中でも植物の知識を研究しています。あなたたちのように種族の壁を越えて協力する姿、そして竜の力を平和的に使う方法...それは私たちエルフにとっても貴重な学びです」
レインは考えた。リーフィアの言葉には真実があった。彼らがしていることは、単なる農業ではなく、種族間の調和の実践でもある。それは新しい未来の可能性を示しているのかもしれない。
「もし良ければ」リーフィアは続けた。「しばらくここに滞在して、二人から学ばせていただけませんか?」
フィリアは驚きの表情を見せたが、その目には喜びの光が宿っていた。レインも微笑みながら頷いた。
「もちろん、大歓迎だよ」
こうして、グリーンウッド村の「魔竜の農園」は、新たな段階へと踏み出していった。かつての勇者と魔竜の静かな農園は、今や様々な種族が集う交流の場へと変わりつつあった。
その日の夕方、市も落ち着き、訪問者たちが村へと戻っていく中、レインとフィリア、そしてリーフィアの三人は農園の小屋で夕食を共にしていた。
「これからどうなるのだろうね」レインは窓の外を見ながら言った。「私たちの平和な生活は変わってしまうのかな」
フィリアは少し考えてから答えた。「変わるだろうね。でも、悪い方向へとは限らない」
リーフィアは二人の会話に静かに耳を傾けながら、微笑んだ。
「全ては成長の過程です。種が芽を出し、花を咲かせるように、あなたたちの物語もまた育ちゆくのでしょう」
彼女の詩的な言葉に、レインとフィリアは思わず顔を見合わせた。
「さあ、明日のことを考えましょう」リーフィアは明るく言った。「私のエルフの植物知識とフィリアさんの竜の力を組み合わせれば、きっと素晴らしい作物が育つはず」
その言葉に、フィリアの目が輝いた。「本当に...協力してくれるの?」
「もちろん」リーフィアは優雅に頷いた。「種族の壁を越えた友情と協力...それこそが私がここに来た理由です」
レインはこの会話を聞きながら、心の中で静かに微笑んだ。フィリアが他の種族と心を開いて交流する姿に、深い喜びを感じていた。これは彼女にとって大きな一歩だった。
「明日からは三人での農園生活だね」レインは言った。「新しい冒険の始まりだ」
窓の外では、夕暮れの空が美しく染まり、グリーンウッド村に平和な夜が訪れようとしていた。しかし、その平和な景色の中にも、彼らの世界がさらに広がっていくような予感が漂っていた。
噂は噂を呼び、人は人を呼ぶ。魔竜の農園の物語は、まだ序章に過ぎなかった。
「今日の出来は上々だな」
レインは満足げに大きな白菜を手に取り、その重みを確かめた。隣でフィリアが青い髪をなびかせながら頷いている。彼女は人間の姿のまま、素手で土に触れるのにもすっかり慣れていた。
「これはいい」フィリアは白菜の葉を優しく撫でるように触れた。「葉の瑞々しさが違う。私の息の効果があったのかもしれないな」
冬の間、フィリアは時折竜の姿になり、特殊な体温調節の息を作物に吹きかけていた。その結果、霜の害を受けず、通常よりも大きく育った白菜が畑一面に広がっていた。
「君の力のおかげだよ」レインは笑顔で言った。「これなら村の冬市で評判になるだろう」
二人が収穫作業を続けていると、畑の入り口から人の気配がした。振り返ると、トモが息を切らして駆けてくるところだった。
「レインさん!フィリアさん!」トモは興奮した様子で二人に手を振った。
「どうした、トモ?そんなに慌てて」レインは白菜を脇に置き、立ち上がった。
「大変です!いや、大変というか、すごいことになってるんです!」トモは言葉を詰まらせながら説明を始めた。「隣村から、それからさらに向こうの町からも、たくさんの人が村に来てるんです!」
「何のために?」フィリアが不思議そうに尋ねた。
「あなたたちに会うためです!」トモは目を輝かせた。「『魔竜と暮らす元勇者の農園』が噂になって、みんな見物に来てるんです!」
レインとフィリアは顔を見合わせた。フィリアの表情には明らかな戸惑いが見えた。
「私に...会いに?」
「ええ!特にフィリアさんの竜の姿を見たいって言ってます」トモは続けた。「盗賊団を一瞬で撃退した青い魔竜の噂が広がって...」
レインは眉をひそめた。「困ったな。フィリアはショーの見世物じゃないんだが」
「そうなんです、村長もそう言ってるんですけど」トモは肩をすくめた。「でも、人が集まり始めてるんです。商人たちも店を出し始めて、なんだか小さな市場みたいになってきました」
「まるで祭りじゃないか」レインは溜息をついた。「せっかくの平穏な生活が...」
「でも」トモは明るい声で言った。「これって村にとっては良いことなんですよ。商売も活気づいて、グリーンウッド村の名前も広がって」
確かにトモの言う通りだった。辺境の小さな村にとって、人の往来が増えることは経済的にも大きなプラスになる。レインはそれを理解しつつも、平和な生活が乱されることへの不安を感じていた。
「フィリア、どう思う?」レインは彼女に尋ねた。
フィリアは少し考えてから答えた。「私は...見せ物になるのは好きではない。でも、村のためなら少しは協力してもいい」
彼女の言葉には迷いがあったが、村に受け入れられた恩義を感じていることも伝わってきた。
「それに」フィリアは付け加えた。「人間ばかりではなく、他の種族も来ているのか?」
トモは頷いた。「はい!つい先ほど、エルフの旅人も来ていましたよ」
フィリアの目が輝いた。「エルフ?私、エルフに会ったことがない」
レインは思わず笑みを浮かべた。フィリアが他の種族に興味を示すのは初めてのことだった。彼女はこれまで人間に対して警戒心を解くのに時間がかかっていたが、他の種族、特に人間ではない存在に対しては別の感情を抱いているようだった。
「分かった」レインは決心した。「村に行ってみよう。ただし、フィリアはプレッシャーを感じる必要はない。竜の姿になるかどうかは、彼女自身が決めることだ」
三人は収穫した白菜をかごに入れ、村へと向かった。
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グリーンウッド村の中心部は、確かにトモの言葉通り、小さな祭りのような賑わいを見せていた。普段は静かな広場に、見知らぬ顔の人々が集まり、いくつかの露店も出ていた。子供たちは興奮した様子で走り回り、大人たちは好奇心いっぱいの表情で周囲を見回していた。
レインとフィリアが姿を現すと、周囲の視線が一斉に彼らに集まった。
「あれが噂の元勇者か?」
「隣の青い髪の娘が魔竜なのか?」
「思ったより普通に見えるな...」
囁き声が広場中に広がる。フィリアは少し不安そうにレインの袖を掴んだ。
「大丈夫だ」レインは彼女に優しく言った。「無理はしなくていい」
村長が人々の間から現れ、二人に歩み寄ってきた。
「レイン、フィリア、ついに来てくれたか」村長は少し申し訳なさそうな表情を浮かべた。「こんなことになって、すまない。噂が噂を呼んで...」
「村の活気につながるなら、悪いことではありませんよ」レインは理解を示した。「ただ、フィリアのことは...」
「もちろん、無理強いはしない」村長は頷いた。「訪問者たちにもそう伝えてある。ただ、彼らの好奇心は抑えられなくてね」
村長の言葉が終わるか終わらないかのうちに、人々が少しずつ近づいてきた。質問や歓声が飛び交う中、レインは冷静に対応しようとしていた。しかし、フィリアは徐々に緊張の色を強めていった。
突然、群衆の間から一人の女性が静かに歩み出てきた。
その瞬間、広場全体が不思議な静けさに包まれた。
長い翡翠色の髪が風にそよぎ、透き通るような白い肌が春の日差しに輝いている。耳は特徴的な尖った形をしており、その優雅な立ち姿は人間離れした美しさを放っていた。
エルフだった。
女性は群衆を優雅に抜け、レインとフィリアの前に立った。彼女の瞳は深い森のように緑色で、古代からの知恵がその中に宿っているかのようだった。
「初めまして」エルフの女性は、風鈴のような澄んだ声で話し始めた。「私はリーフィア。森の民の一人です」
彼女は丁寧にお辞儀をした。
「うわさを聞いて、はるばるエンフォリア森から来ました。魔竜と共に暮らす勇者...そして何より」彼女はフィリアの方に視線を向けた。「種族の壁を越えて人間と共に生きる竜族に、ぜひ会いたいと思ったのです」
フィリアは言葉を失ったように立ち尽くしていた。彼女の目は好奇心と驚きで見開かれていた。
「あなたが...エルフ?」フィリアはようやく口を開いた。
リーフィアは穏やかに微笑んだ。「はい。あなたが初めて会うエルフなのでしょうか、フィリアさん」
「ええ」フィリアは素直に答えた。「私は長い間、山の洞窟で暮らしていたから...」
「そして今は人間の村で」リーフィアは優しく言った。「それは素晴らしいことです。種族の違いを超えた共存...私たちエルフも常に追い求めてきたことです」
レインはリーフィアの言葉に何か深い意味を感じ取った。エルフたちも何か独自の事情や歴史を持っているのだろう。
「リーフィアさん」レインは彼女に尋ねた。「グリーンウッド村にはどれくらい滞在する予定ですか?」
「それはまだ決めていません」リーフィアは微笑みながら答えた。「この地の植物を調査するのが私の本来の目的でしたが...」彼女はフィリアを見た。「今は別の興味も湧いてきました」
フィリアは少し顔を赤らめた。竜族が恥じらいを見せるのは珍しいことだった。
「よかったら」フィリアは少し躊躇いながらも言葉を続けた。「私たちの農園を見てみませんか?」
リーフィアの顔に喜びの表情が広がった。「ぜひ!それは素晴らしい提案です」
レインはフィリアの積極的な態度に驚きつつも、嬉しく思った。人間以外の種族に対する彼女の反応は、予想以上に前向きだった。
「では、明日にでも」レインは提案した。「今日はもう遅いし、フィリアと私も収穫の作業があるので」
「ありがとう、楽しみにしています」リーフィアは優雅にお辞儀をした。
周囲の人々は、この異種族同士の穏やかな交流を驚きと興味の眼差しで見守っていた。特に子供たちは、エルフの美しさと魔竜の存在に目を輝かせていた。
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その日の夕暮れ時、レインとフィリアは農園に戻り、収穫した白菜を納屋に運び入れていた。
「変わった一日だったな」レインは言いながら、大きな白菜を棚に並べた。
「ああ」フィリアは同意した。「あんなに人が集まるとは思わなかった」
「村の名物になったみたいだね、私たち」レインは少し皮肉を込めて笑った。
フィリアは手に持っていた白菜を置き、静かに言った。「悪い気はしない」
レインは驚いて彼女を見た。「本当に?見世物になるのは嫌だと思ってたけど」
「人間に見られるのは少し気まずい」フィリアは認めた。「でも、村の役に立てるなら...それに」彼女の目が輝いた。「エルフに会えたのは良かった」
「リーフィアのことか」レインは微笑んだ。「彼女は確かに印象的だった。明日来るのが楽しみだ」
「ええ」フィリアは少し恥ずかしそうに頷いた。「人間ではない誰かと話すのは...新鮮だった」
レインはフィリアの言葉の意味を理解した。どれだけ彼女が村に受け入れられたとしても、彼女は依然として人間ではない存在だ。同じ人間ではない誰かと会うことは、彼女にとって特別な意味を持つのだろう。
「これからもっと増えるかもしれないね、様々な種族の訪問者が」レインは言った。「私たちの農園が、種族を超えた交流の場になるとは思わなかった」
フィリアはしばらく黙っていたが、やがて静かに言った。「悪くないかもしれない」
レインは驚きつつも、嬉しく思った。フィリアの心が少しずつ開かれていくのを感じる。かつては人里離れた洞窟で孤独に暮らしていた彼女が、今は村の一員として受け入れられ、さらに他の種族との交流にも興味を示している。
「ただ...」フィリアは少し不安そうな表情を見せた。「明日、リーフィアに竜の姿を見せるべきだろうか?」
レインは考え込んだ。「それは君が決めることだよ。彼女は見たいだろうけど、無理する必要はない」
「分かった」フィリアは頷いた。「考えておく」
作業を終えた二人は小屋に戻り、夕食の準備を始めた。今夜の主菜は、もちろん彼らが育てた新鮮な白菜だ。フィリアはすっかり料理にも慣れ、レインと協力して美味しい白菜鍋を作り上げた。
食事をしながら、二人は明日のことや、村に広がった噂について話し合った。平穏な生活が少し変わり始めている予感はあったが、それは必ずしも悪いことではない。新たな出会いや可能性が彼らを待っているのかもしれない。
夜が更けていく中、農園の小屋からは暖かな灯りが漏れていた。明日には新たな訪問者を迎え、彼らの物語はまた一歩前進しようとしていた。
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翌朝、レインが畑の準備をしていると、村の方から馬車の音が聞こえてきた。リーフィアだろうか、と思いきや、もっと大きな音だった。
畑の入り口に目をやると、何台もの馬車が連なって近づいてくるのが見えた。先頭に立つのは村長で、その隣には昨日会ったリーフィアの姿があった。
「なんだこれは...」レインは眉をひそめた。
フィリアが小屋から出てきて、状況を見て驚いた様子だった。「何が起きているの?」
「分からない」レインは首を振った。「でも、たくさんの人が来ているようだ」
村長が近づくと、申し訳なさそうな表情で説明を始めた。
「レイン、フィリア、すまない。噂がさらに広がってしまって...」彼は馬車の列を指した。「隣町から商人たちが押し寄せてきたんだ。『魔竜の農園』の作物を買いたいと」
「何だって?」レインは驚いて声を上げた。
リーフィアが一歩前に出て、穏やかな声で説明した。「昨夜、宿でお話していたら、あなたたちの白菜のことが話題になったのです。魔竜の力で育てられた作物は特別な効能があるという噂が...」
フィリアは呆れたように溜息をついた。「私の息は作物の成長を早めるだけで、特別な効能などないのに」
「噂というものは時に事実より大きくなるものです」リーフィアは微笑んだ。「特に人間の世界では」
村長は困ったように頭をかいた。「どうする?彼らを追い返すか?」
レインはしばらく考え込み、やがてフィリアに向き直った。「これも一つの機会かもしれない。私たちの作った作物に価値を見出してくれるなら、それは嬉しいことじゃないか」
フィリアは少し躊躇いながらも、頷いた。「確かに...私たちの畑はこれ以上広げるつもりがないし、余った作物なら売ってもいいかもしれない」
こうして、予想外の「魔竜の農園市」が即席で始まることになった。レインとフィリアは収穫した白菜や他の野菜を商人たちに販売し始めた。驚くべきことに、彼らの作物は通常の何倍もの値段で取引されていった。
「信じられない」レインは頭を振った。「こんなことになるとは」
フィリアも困惑した様子だったが、同時に、自分の力が新たな形で認められることへの密かな喜びも感じていた。
市が賑わう中、リーフィアはレインとフィリアに近づき、静かに言った。
「二人の作り出す調和は素晴らしいです。私もその一部を見て、学びたいと思っています」
「学びたい?」フィリアは驚いて尋ねた。
リーフィアは穏やかに微笑んだ。「はい。私はエルフの中でも植物の知識を研究しています。あなたたちのように種族の壁を越えて協力する姿、そして竜の力を平和的に使う方法...それは私たちエルフにとっても貴重な学びです」
レインは考えた。リーフィアの言葉には真実があった。彼らがしていることは、単なる農業ではなく、種族間の調和の実践でもある。それは新しい未来の可能性を示しているのかもしれない。
「もし良ければ」リーフィアは続けた。「しばらくここに滞在して、二人から学ばせていただけませんか?」
フィリアは驚きの表情を見せたが、その目には喜びの光が宿っていた。レインも微笑みながら頷いた。
「もちろん、大歓迎だよ」
こうして、グリーンウッド村の「魔竜の農園」は、新たな段階へと踏み出していった。かつての勇者と魔竜の静かな農園は、今や様々な種族が集う交流の場へと変わりつつあった。
その日の夕方、市も落ち着き、訪問者たちが村へと戻っていく中、レインとフィリア、そしてリーフィアの三人は農園の小屋で夕食を共にしていた。
「これからどうなるのだろうね」レインは窓の外を見ながら言った。「私たちの平和な生活は変わってしまうのかな」
フィリアは少し考えてから答えた。「変わるだろうね。でも、悪い方向へとは限らない」
リーフィアは二人の会話に静かに耳を傾けながら、微笑んだ。
「全ては成長の過程です。種が芽を出し、花を咲かせるように、あなたたちの物語もまた育ちゆくのでしょう」
彼女の詩的な言葉に、レインとフィリアは思わず顔を見合わせた。
「さあ、明日のことを考えましょう」リーフィアは明るく言った。「私のエルフの植物知識とフィリアさんの竜の力を組み合わせれば、きっと素晴らしい作物が育つはず」
その言葉に、フィリアの目が輝いた。「本当に...協力してくれるの?」
「もちろん」リーフィアは優雅に頷いた。「種族の壁を越えた友情と協力...それこそが私がここに来た理由です」
レインはこの会話を聞きながら、心の中で静かに微笑んだ。フィリアが他の種族と心を開いて交流する姿に、深い喜びを感じていた。これは彼女にとって大きな一歩だった。
「明日からは三人での農園生活だね」レインは言った。「新しい冒険の始まりだ」
窓の外では、夕暮れの空が美しく染まり、グリーンウッド村に平和な夜が訪れようとしていた。しかし、その平和な景色の中にも、彼らの世界がさらに広がっていくような予感が漂っていた。
噂は噂を呼び、人は人を呼ぶ。魔竜の農園の物語は、まだ序章に過ぎなかった。
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ブラック企業に勤めていた安田悠翔(やすだ はると)は、電車を待っていると後から背中を押されて電車に轢かれて死んでしまう。
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それでも、少しでも役に立ちたくて、
誰にも迷惑をかけないようにと、
夜な夜な一人でダンジョンに潜り、力を磨いた。
仲間を護れるなら…
そう思って使った支援魔法や探知魔法も、
気づかれないよう、そっと重ねていただけだった。
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『ここからは危険だ。荷物持ちは、もう必要ない』
それは、優しさからの判断だった。
俺も分かっていた。だから、何も言えなかった。
こうして俺は、静かにパーティを離れた。
これからは一人で、穏やかに生きていこう。
そう思っていたし、そのはずだった。
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また少し、世界が騒がしくなってきたようです。
◇小説家になろう・カクヨムでも同時連載中です◇
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