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第3話:「濡れ衣を着せられた少女」
しおりを挟むギルド・エクスチェンジでの調査を始めてから二週間、誠は毎日の業務を終えた後、必ず市場を訪れるようになっていた。彼は小さなノートを片手に、魔導株の値動き、投資家たちの反応、新規上場の研究内容などを詳細に記録していた。投資するほどの資金はまだないが、情報収集と分析は怠らなかった。
「やはり市場の動きには法則性がある」
今日も誠は、閉鎖間際のギルド・エクスチェンジを後にして、宿へと向かう途中だった。秋の夕暮れ、王都の街並みは温かみのある灯りで彩られている。
「そろそろ小さく投資を始めてみるか…」
手元にはシルバー30枚ほどの貯金ができていた。商人ギルドでの仕事ぶりが認められ、給料も少しずつ上がってきたおかげだ。ノートを閉じてポケットにしまい、誠は市場区域から宿のある区域へと向かった。
途中、彼はいつもと違う通りを通ることにした。市場の裏手にある路地は、小さな専門店が並ぶ通りで、魔法素材や珍しい道具を扱う店も多い。何か参考になるものがあるかもしれないと考えたのだ。
通りを曲がったとき、遠くから騒がしい声が聞こえてきた。
「泥棒!」
「許さん!」
「証拠は明らかだ!」
誠は声のする方へと足を向けた。通りの広場に着くと、そこには大きな人だかりができていた。人々は怒りに満ちた声を上げ、輪の中心にいる何者かを取り囲んでいる。
「何が起きているんだ?」
誠は背伸びをして中の様子を窺い知ろうとした。背の高い男性の間から覗き込むと、輪の中央にいたのは一人の少女だった。
いや、人間の少女ではない。頭の上には大きな猫のような耳があり、背後からは長い尻尾が伸びている。半獣人だ。
誠はこの世界に来てから、様々な種族の存在を知っていた。人間のほか、エルフやドワーフ、そして動物の特徴を持つ半獣人たちも存在する。しかし彼らは一般の社会では差別されることも多く、特に半獣人はしばしば下層労働や使用人としての仕事しか得られないと聞いていた。
「盗んでないわ!信じて!」
少女は必死に訴えていた。10代半ばほどに見える彼女は、身なりこそ質素だが、大きな琥珀色の瞳と銀色がかった髪が印象的だった。服は所々で繕われた痕があるが、清潔に保たれている。
彼女に向かって指を突きつける太った男性は、怒りに顔を赤くしていた。
「嘘をつくな!お前が私の店から高価な魔導石を盗んだのは明らかだ!」
「違います!私はただ店の前を通っただけです!」
「目撃者がいるんだ。この女、店の中をうろついていて、突然駆け出したって!」
群衆の中から、一人の痩せた男性が前に出てきた。「ああ、私が見ました。この半獣人が店から出てくるところを」
「見てください!この子の服のポケットを!」店主が叫んだ。
「でも…」少女は震える手でポケットを裏返した。「何も持ってません!」
確かに彼女のポケットからは何も出てこない。
「どこかに隠したに違いない!」店主は譲らない。「この魔導石は青い水晶でできた特別な品だ。価値はゴールド1枚以上する!」
「もう探しましたけど、何も出てきませんでした」広場の警備兵が言った。
「どこかに捨てたんだ!この獣め!」
状況は悪化するばかりだった。少女の周りには次第に人垣が狭まっていき、中には「半獣人は皆泥棒だ」「追い出せ」という声も上がり始めていた。
誠は眉をひそめた。これはあまりにも不当な状況だ。何の証拠もなく、少女が犯人だと決めつけているように見える。
彼は商人ギルドで培った観察眼を使って、状況を冷静に分析し始めた。
まず、少女。彼女は明らかに怯えているが、その目には真実を語っているという強い意志が見える。次に店主。怒りは本物だが、やや大げさな演技のようにも見える。そして「目撃者」の男。彼は何か落ち着きがない。視線が定まらず、いつでも逃げ出せるよう群衆の外側に位置している。
「あれは…」
誠はふと、目撃者の男の手の動きに注目した。彼は何かを袖口に隠そうとしているようだ。そして、より不自然なのは彼の立ち位置だ。普通なら、興味本位で集まった群衆は中心に向かって密集するものだが、この男だけは明らかに外周に位置取りし、逃げ道を確保している。
「あいつだ」
誠は確信した。本当の犯人は目撃者のふりをしているこの男だろう。おそらく、少女が通りかかったのを見て、彼女が半獣人であることを利用し、完全犯罪を企てたのだ。
しかし、どうやって証明すればいいのか。誠は考えを巡らせた。直接男に詰め寄るのは危険だ。彼は逃げるか、証拠を捨てるかもしれない。
その時、彼は少女の嘆きを聞いた。
「私を信じて…」
彼女の声は震え、目には涙が浮かんでいた。その姿に、誠は決心した。
「待ってください!」
誠は大きな声で叫び、群衆をかき分けて中央へと進み出た。全ての目が彼に向けられる。
「この少女は無実です!本当の犯人は—」
彼は指を「目撃者」の男に向けた。
「あの男です!」
群衆から驚きの声が上がる。店主も、少女も、そして指をさされた男も、一瞬固まった。
「な、何を言ってるんだ!」男は声を荒げた。「私は目撃者だぞ!」
「あなたが本当の犯人です」誠は冷静に言い放った。「袖の中に何か隠していますね?」
「馬鹿な!証拠もなく…」
「では、袖をめくってみせてください」
男の顔が一瞬青ざめた。それを見逃さなかった誠は、さらに畳みかける。
「あなたは群衆の中でも外側にいて、いつでも逃げられるよう準備している。それに、右手で何か小さなものを隠すような動きを何度もしている」
興味を持った警備兵が男に近づいた。「念のため、確認させてもらおう」
「く、来るな!」
男は突然、警備兵を押しのけ、群衆の隙間から逃げ出そうとした。しかし、誠の警告で警戒していた群衆が彼を取り囲み、すぐに取り押さえられた。
「放せ!俺は何もしていない!」
男が暴れる中、警備兵が彼の袖をまくり上げた。そこには小さな布切れに包まれた何かが隠されていた。警備兵がそれを開くと、中から青い輝きを放つ水晶が現れた。
「私の魔導石だ!」店主が叫んだ。
群衆からどよめきが起こる。男の顔は怒りと恐怖で歪んだ。
「これはどういうことだ?」警備兵が男を厳しく問いただす。
「…そいつが悪いんだ!」男は半獣人の少女を指差した。「こんな獣に仕事を奪われるなんて…」
彼の言葉から、この犯行が単なる窃盗ではなく、少女への嫌がらせだったことが明らかになった。警備兵は男を連行し、店主は慌てて謝罪の言葉を述べた。
「すまない…早とちりだった…」
群衆も次第に散り始め、広場には誠と半獣人の少女、そして数人の見物人だけが残った。
「…ありがとう」
少女は小さな声で誠に礼を言った。彼女の目には涙が光っていた。
「いいえ、当然のことをしただけです」誠は微笑みながら答えた。
「でも、あなたはなぜ私を信じてくれたの?他の人は皆…」
「あなたの目を見たんです。嘘をついている人の目じゃなかった」
少女は少し驚いた様子で誠を見つめ、やがて顔を赤らめた。
「あなたは…初めて私の言葉を信じてくれた人だわ」
「私は田中誠です。あなたの名前は?」
「ミラ…ミラ・シルバーテイル」
彼女は少し戸惑いながらも、自分の名を名乗った。
「ミラさん、もう大丈夫です。でも、こんな時間に一人で大丈夫ですか?送りましょうか?」
「ううん、大丈夫。私の住処はすぐ近くだから」
ミラは少し考え込む様子を見せた後、決心したように言った。
「もし良かったら…何かお礼がしたいの。私にできることは多くないけど…」
誠は首を振った。「お礼なんて必要ありませんよ」
「でも…」ミラは躊躇いながらも続けた。「私、市場のことをよく知ってるの。いつもあなたが市場で調査しているのを見かけるから…何か役に立てるかもしれない」
誠は驚いた。この少女は彼の行動を観察していたのか。
「では、お願いしようかな。実は魔導株のことをもっと詳しく知りたいと思っていたんです」
ミラの表情が明るくなった。「私、明日の午後は仕事が休みなの。もし良かったら、市場案内をさせて?」
「ぜひお願いします」
二人は明日の待ち合わせ場所と時間を決め、別れた。帰り道、誠は今日の出来事を振り返った。
半獣人の少女、ミラ。彼女は市場に詳しいようだ。彼が探していた情報源になるかもしれない。それに、あの眼差し—鋭く、何かを見抜くような目。彼女は通常の人よりも観察力が優れているのかもしれない。
「明日が楽しみだな」
誠はポケットの中の魔導石を握りしめた。石は温かく脈打っていた。まるで、ミラとの出会いを祝福しているかのように。
翌日への期待を胸に、誠は宿へと足を向けた。王都の空には、満天の星が瞬いていた。
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