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第7話:「大貴族の影」
しおりを挟む開業から二ヵ月、フェニックス・インベストメントは着実に成長していた。顧客数は三十人を超え、運用資産も百ゴールドを突破。誠の市場予知能力とミラの計算能力、そして二人の協力によって、安定した利益を出し続けていた。
「先週の運用成績、平均で18%の利益があったわ」
ミラは机に広げた帳簿に最後の数字を書き込み、誇らしげに誠に見せた。彼女の完璧な筆跡で記された帳簿は、一見して理解しやすいように整理されていた。
「すごいね。市場全体の平均が7%だから、かなり好成績だ」
誠は満足げに頷いた。彼らの投資手法は、市場予知能力で短期的な価格変動を予測し、ミラの情報網と分析力で中長期的な価値を見極めるという組み合わせだった。これまでのところ、この戦略は驚くほど効果的だった。
「お客さんも増えてるわ。昨日も三人の新規顧客が来たもの」
「そろそろ、事務所が手狭になりそうだね」
トビアスが店の奥から笑顔で加わった。彼は見習い投資魔法使いとして日々成長し、今では簡単な投資分析も任せられるようになっていた。
「まだ大丈夫よ」ミラは笑った。「でも、確かに成長してるわね」
このような会話をしていたある午後、店のドアが開き、これまでとは明らかに違う客が入ってきた。
洗練された深緑色の上質な上着に、金の刺繍が施された白いシャツ。腰には装飾的な短剣を帯び、指にはエメラルドの指輪が輝いている。20代後半と思われる若い男性は、生まれながらの気品を漂わせていた。
「こちらが噂のフェニックス・インベストメントですか?」
ゆったりとした声音で男性が尋ねた。店内にいた数人の顧客が、明らかな貴族の来訪に驚いて見つめる中、誠は丁寧に応対した。
「はい、当店へようこそ。私が経営者の田中誠です」
「アルフレッド・ノーブルガード」男性は軽く会釈した。「市場ではあなた方の噂を聞きました。『投資魔法使い』とか」
彼の言葉には皮肉や軽蔑はなく、純粋な好奇心が感じられた。
「ただの綽名です」誠は微笑んだ。「どのようなご用件でしょうか?」
「あなた方の投資手法に興味があります。少しお話を聞かせていただけませんか?」
ミラとトビアスが驚いた表情を交換する中、誠はアルフレッドを奥のテーブルに案内した。他の顧客の対応はミラに任せ、二人は静かな会話を始めた。
「ノーブルガード家と言えば…」
「ええ、北部領の領主を務めています」アルフレッドは静かに説明した。「私は家督を継ぐ前に、王都の政務に携わっているのです」
「当店にご興味を持たれたのは?」
「あなた方の成績に、単純に興味を持ちました」彼は率直に答えた。「市場には多くの投資家やアドバイザーがいますが、あなた方のような安定した高成績を出す者は稀です。特に、貴族の後ろ盾もなく、これほど急速に評判を高めたのは異例なことです」
誠はアルフレッドを観察した。彼の周りには透明に近い青い気流が漂っており、それは誠の経験則では「誠実さ」を示していた。敵意や悪意は感じられない。
「私たちは徹底した調査と分析で投資判断をしています」誠は慎重に答えた。彼の市場予知能力については、あえて言及しないことにした。
「なるほど」アルフレッドは頷いた。「しかし、そのような成功は必ずしも歓迎されないこともあるでしょう。特に、ヴァンダーウッド家のような勢力には」
「ヴァンダーウッド家?」
誠はその名を聞いた記憶があった。ミラが以前、市場で影響力を持つ貴族として言及していたはずだ。
「王国最大の財力を持つ貴族です」アルフレッドは声を落とした。「彼らは市場を何世代にもわたって支配してきました。新たな力が台頭することを、あまり好まない傾向があります」
「市場を支配?そんなことが可能なのですか?」
「可能ですとも」アルフレッドは少し苦々しい表情を浮かべた。「彼らは魔導株の株価を操作する術を持っています。大量の資金を使って価格を動かし、時には内部情報を利用して他の投資家より先に行動することも」
誠はアルフレッドの言葉に深い関心を示した。前世でも、市場操作や内部取引は重大な問題だった。しかし、この世界では法規制が未熟なのか、より露骨に行われているようだ。
「あなたはそういった行為に反対なのですね」
「ええ」アルフレッドは真剣な表情で答えた。「私は市場の透明性と公正性を信じています。全ての参加者が平等な条件で競争すべきだと」
「それは私も同感です」
二人の会話は徐々に打ち解けたものになり、アルフレッドは市場の内部事情について多くを語った。ヴァンダーウッド家が主導する市場操作の手法、王国の規制の弱さ、そして改革を阻む既得権益層の力。
「私のような改革派は少数派です」彼は説明した。「多くの貴族は現状に満足しており、変化を望みません。しかし、市場が健全に発展するためには、改革が必要なのです」
「なぜそこまで市場改革にこだわるのですか?」誠は興味深く尋ねた。
アルフレッドは少し遠い目をして答えた。「私の領地は北部にあり、資源に乏しいのです。人々が豊かになるためには、商業や投資の力が必要です。市場が一部の特権階級に独占されていては、真の繁栄は生まれません」
その言葉に、誠は強く共感した。前世でも、金融市場の民主化やアクセスの拡大は重要なテーマだった。
「ノーブルガードさん、あなたの考えに賛同します。私たちも、より多くの人が投資の恩恵を受けられる世界を目指しています」
「それは心強い」アルフレッドは微笑んだ。「だからこそ、警告しておきたいのです。あなた方の成功が目立てば目立つほど、ヴァンダーウッド家の目に留まる可能性が高まります。彼らは自分たちの利益を脅かす存在を容赦しません」
「具体的には、どのような危険があるのでしょうか?」
「様々です。市場での妨害工作、噂の流布、ときには直接的な脅迫や嫌がらせも」アルフレッドは真剣な表情で続けた。「十分にお気をつけください」
会話は二時間近く続き、最後にアルフレッドは立ち上がった。
「お話ありがとうございました。またお伺いしたいと思います」
「こちらこそ、貴重な情報をありがとうございます」
誠がアルフレッドを見送った後、ミラが好奇心に満ちた表情で近づいてきた。
「何の話をしていたの?長かったわね」
誠はミラとトビアスに、アルフレッドとの会話の内容を詳しく説明した。ヴァンダーウッド家による市場支配の実態、アルフレッドの改革への情熱、そして彼からの警告について。
「ヴァンダーウッド家…」ミラの表情が曇った。「確かに市場では有名よ。彼らの動きで株価が大きく変わることもあるわ」
「危険なことになるんでしょうか?」トビアスが心配そうに尋ねた。
「今はまだ大丈夫だろう」誠は冷静に答えた。「私たちはまだ小さな存在だ。ただ、成長するにつれてリスクも高まるかもしれない」
彼らはその日の業務を終え、夕方には店を閉めた。しかし、アルフレッドの警告は三人の心に重くのしかかっていた。
---
翌朝、誠が店に到着すると、ショッキングな光景が広がっていた。
店の正面窓ガラスが粉々に割れ、中には石が投げ込まれていた。石には紙が巻きつけられ、「分をわきまえろ」と書かれていた。
「酷い…」
すでに現場にいたミラが震える声で言った。彼女は早朝から来て、この状況を発見したのだった。
「誰がこんなことを?」
「わからないわ。でも…」ミラは言葉を切った。その表情には恐怖だけでなく、何か思い出したくない記憶が呼び起こされたような苦痛も混じっていた。
誠は静かに石を拾い上げ、紙を広げた。単純な脅迫文だが、その意図は明白だった。
「昨日のアルフレッドさんの警告が、こんなに早く現実になるとは」
誠は深く息を吐いた。この嫌がらせは、彼らが何者かの目に留まり始めたことを意味している。おそらくヴァンダーウッド家、あるいはその関係者だろう。
「どうするの?」ミラは不安げに尋ねた。
「まずは窓を修理しよう」誠は冷静に答えた。「そして、通常通り営業を続ける。脅しに屈するわけにはいかない」
トビアスが到着すると、彼も驚愕の表情を見せたが、すぐに二人を手伝い始めた。三人で協力して破片を片付け、板で窓を一時的に塞いだ。
「今日は営業できそうですか?」トビアスが心配そうに尋ねた。
「もちろんだ」誠は力強く答えた。「これは単なる嫌がらせだ。私たちが正しいことをしている証拠でもある」
ミラは少し躊躇った後、小さな声で言った。「私、ヴァンダーウッド家のことを少し知ってるの」
「え?」誠とトビアスは驚いて彼女を見た。
「詳しくは…今は話したくないけど」彼女は目を伏せた。「彼らは本当に危険よ。私たちのような小さな存在でも、彼らの利益に関わると容赦しないわ」
誠はミラの表情に何か深い傷を感じ取ったが、それ以上追求しないことにした。彼女が話したいときに話すだろう。
「理解したよ。より慎重に行動しよう」
その日、彼らは通常通り営業を始めた。窓ガラスが板で塞がれている状態に、顧客たちは驚いたが、誠たちの冷静な対応に安心した様子だった。
「何があっても、私たちの仕事は続けます」
誠は顧客たちにそう伝え、信頼を維持することに努めた。
午後遅く、市場から戻ったトビアスが興奮した様子で報告した。
「誠さん、市場でヴァンダーウッド家の動きについて情報を集めてきました!」
彼は若さゆえの勇気で、市場の商人たちや投資家から様々な話を聞き出していた。ヴァンダーウッド家の当主レオンハルトの性格、彼らの投資パターン、さらには家の内部情報まで。
「彼らは『感情増幅の魔石』というものを使って市場操作をしているらしいです」トビアスは熱心に説明した。「人々の感情や噂を増幅し、パニック買いや売りを誘発する魔法アイテムだとか」
「なるほど」誠は深く考え込んだ。「それが彼らの市場支配の秘密かもしれない」
閉店後、三人は今後の対策について話し合った。
「まずは情報収集を強化する」誠は決意を表明した。「ヴァンダーウッド家の動きを予測できれば、彼らの市場操作にも対処できるはずだ」
「私のネットワークでも情報を集めるわ」ミラが頷いた。
「僕も市場で色々と聞き込みます!」トビアスも元気よく言った。
「そして、アルフレッドさんとの関係も大切にしよう」誠は続けた。「改革派の貴族との連携は、私たちにとって大きな強みになる」
三人の表情には不安と共に、強い決意も浮かんでいた。彼らはまだ小さな存在だが、市場に変化をもたらす可能性を秘めていた。それは権力者たちにとって、無視できない脅威になりつつあった。
その夜、誠は宿に戻りながら深く考えていた。前世では大手証券会社のエリートとして、市場の中枢にいた。今世では小さな投資事務所の経営者として、既存の権力に挑む立場になっている。皮肉な運命だが、同時に大きなやりがいも感じていた。
「今度は正しく使おう…この知識と能力を」
彼はポケットの魔導石を握りしめた。石は温かく脈打ち、彼の決意に応えているようだった。
フェニックス・インベストメントと大貴族ヴァンダーウッド家。市場における小さな挑戦者と絶対的な支配者。この対立は、これから大きく展開していくことになる。
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