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第12話:「ミラの過去」
しおりを挟むエリオットの魔導株は予定通り発行され、ギルド・エクスチェンジで順調に取引されていた。説明会での混乱にもかかわらず、あるいはアルフレッドの後押しもあってか、「防御魔法障壁研究」の株価は安定して推移し、初日終了時には12ゴールドという発行価格を上回る価格をつけていた。
フェニックス・インベストメントの店内は、成功の達成感と新たな緊張が入り混じった雰囲気に包まれていた。
「これで一段落ですね」
トビアスは帳簿の最終確認を終え、誠に報告した。
「うん、一応の成功だ」誠は微笑んだ。「エリオットも研究に集中できるはずだ」
「ただ、ヴァンダーウッド家の今後の動きが心配です」
トビアスの言葉に、誠も無言で頷いた。説明会でのセバスチャン執事長との対決以来、明確な報復はまだなかったが、それは単に時間の問題かもしれなかった。
「ミラはどこだ?」誠は周囲を見回した。
「少し体調が優れないと言って、早めに帰りましたよ」
「そうか…」
誠は少し心配になった。確かに最近、ミラは疲れた様子で、いつもの活気が感じられなかった。彼女は通常、数字に関することなら誰よりも精力的に取り組むのだが、ここ数日は集中力も欠いているように見えた。
「今日はもう閉店しよう。トビアス、ご苦労さん」
「はい、お疲れさまでした」
誠は店を出ると、足早にミラの住む下宿へと向かった。彼女は王都の東側、市場から少し離れた庶民的な地区に小さな部屋を借りていた。以前誠が訪れたことがあったので、道順は覚えていた。
薄暗い路地を抜け、古い木造の建物に到着すると、誠は二階の窓を見上げた。ミラの部屋だ。灯りが漏れているので、彼女は起きているようだった。
軽くノックすると、少し時間を置いてから扉が開いた。
「誠さん?どうしたの?」
ミラは少し驚いた様子で尋ねた。彼女の目は少し赤く、何かで泣いていたようにも見えた。
「体調が悪いと聞いたから、心配になってね」
「ごめんなさい、ただの疲れよ。気にしないで」
ミラは笑顔を見せようとしたが、その表情は無理に作られたもののように見えた。
「少し話せないかな?」
誠の真摯な問いかけに、ミラは少し躊躇ったが、やがて頷いて誠を部屋に招き入れた。
部屋は小さいながらも整然としており、必要最低限の家具だけが効率良く配置されていた。壁には市場区域の地図と複雑な計算式が書かれた紙が貼られていた。
「お茶を入れるわ」
ミラは小さな炉に火をつけ、湯を沸かし始めた。彼女の動きには、いつもの機敏さが欠けていた。
「ミラ、何かあったんだろう?」
誠は静かに尋ねた。「最近、様子がおかしい。特にヴァンダーウッド家の名前が出ると、表情が変わる」
ミラは湯を注ぐ手を止めた。彼女の猫のような耳がピクリと動き、尻尾が不安げに揺れた。
「…それほど分かりやすかった?」
「ああ。私にとっては」
ミラは深く息を吐き、誠の向かいに座った。彼女は膝の上で手を組み、少し震えているように見えた。
「実は…私、ヴァンダーウッド家のことを知っているの。とても個人的に」
ミラの声は小さかったが、決意がこもっていた。
「私が幼い頃、ヴァンダーウッド家で働いていたの」
「え?」誠は驚いて身を乗り出した。
「8歳から12歳まで。半獣人の多くは貴族の屋敷で下働きとして雇われるの。私も例外じゃなかった」
ミラは静かに語り始めた。彼女の幼少期の記憶、孤児院から連れ出され、ヴァンダーウッド家の広大な邸宅で働き始めた日々。最初は庭の手入れや使用人の手伝いなど、単純な仕事だったという。
「でも、私が数字に強いことが偶然分かったの。台所の食材の計算を瞬時にできたり、商品の納品書の誤りを見つけたり…」
彼女の才能に気づいた執事長(現在のセバスチャンの前任者)が、彼女を会計室の補助として抜擢した。そこで彼女は基本的な会計や経理の仕事を学び、徐々に重要な業務も任されるようになっていった。
「若い半獣人の私が数字の才能を持っていることを、当時の人たちは珍しがったわ。『計算する猫』って呼ばれて、お客様にも見せ物のように紹介されたりしたの」
ミラの表情に苦い思い出が浮かんだ。
「でも、それでも私は嬉しかった。自分の能力が認められているって思えたから…」
彼女の目に懐かしさと痛みが混じった光が宿った。
「ある日、私は会計帳簿の点検中に、おかしな数字に気づいたの。巨額の資金が謎の項目に流れていて、公式の記録からは消えていたわ」
ミラは当時の自分の若さゆえの無邪気さで、その発見を上司に報告した。
「それが…」
彼女の声が震えた。
「最初は軽く諭されるだけだったの。『それは特別な会計処理だから、気にするな』って。でも、私がその後も『なぜ』と疑問を持ち続けたことで、状況が変わり始めたわ」
次第に彼女への態度が変わり、嫌がらせが始まった。難しい仕事を押し付けられ、ミスを犯すように仕向けられ、時には食事も与えられなかった。
「それでも私は耐えていたの。でも、ある日…」
ミラの顔から血の気が引いた。
「レオンハルト卿の書斎から高価な装飾品が盗まれたの。そして私が犯人だと言われたわ」
誠はミラの手を握った。彼女の手は冷たく、震えていた。
「証拠も何もなかったのに、半獣人の私の言葉なんて誰も信じてくれなかった。『計算する猫』は突然、『泥棒猫』になったのよ」
ミラの目から涙が溢れ始めた。
「私は追放されたわ。盗みの罪で罰を受け、二度と貴族の屋敷で働けないよう、悪評も流された。12歳の私は、突然路頭に迷うことになったの」
彼女は涙をぬぐいながら続けた。
「その後、私は市場で小さな仕事を見つけて生きてきた。伝票整理、在庫管理…数字を扱う仕事なら何でもしたわ。でも、『泥棒猫』の噂は付きまとって、まともな職には就けなかった」
「そんな…」誠は言葉を失った。
「だから、誠さんが初めて私を『泥棒』の濡れ衣から救ってくれた時、私は本当に…」
ミラは声を詰まらせた。
「あの時、誠さんは私の言葉を信じてくれた。それが、私にとってどれほど大きなことだったか…」
誠は、あの市場での出会いを思い出した。高価な魔導石を盗んだと罵られていた彼女を、彼が窮地から救った瞬間を。あの時、彼は単なる正義感から行動しただけだったが、ミラにとっては人生を変える瞬間だったのだ。
「そして、誠さんは私の能力を正当に評価してくれた。『対等なパートナー』として扱ってくれた…」
ミラは深い感謝の気持ちを込めて誠を見つめた。
「だから…ヴァンダーウッド家との対立は、私にとって単なるビジネスの問題じゃないの。あの家の不正を暴き、私への不当な仕打ちに決着をつけたいという思いもあるわ」
誠は長い沈黙の後、静かに言った。
「ミラ、君の過去を打ち明けてくれてありがとう。それだけの苦しみを経て、君がこんなにも強く成長したことに敬意を表するよ」
彼は真剣な表情で続けた。
「ヴァンダーウッド家の不正は許せない。彼らが君にしたことも、絶対に許せない。私たちはきっと真実を明らかにする」
「誠さん…」
「ただ、復讐だけが目的にならないでほしい」誠は優しく言った。「君の素晴らしい才能は、もっと建設的なことに使えるはずだから」
「わかってる」ミラは涙混じりに微笑んだ。「私は復讐だけを望んでいるわけじゃない。正義を求めてるの。そして、自分の能力で世界をより良くしたいと思ってる」
「それこそが、私が君を『対等なパートナー』と呼ぶ理由だ」
誠の言葉に、ミラの目に新たな光が宿った。
「これからも一緒に頑張ろう、ミラ。ヴァンダーウッド家との戦いも、フェニックス・インベストメントの成長も、全てを共に」
「うん…ありがとう、誠さん」
二人は静かに微笑み合った。夜は更け、窓の外では月明かりが静かに街を照らしていた。
---
翌朝、店に現れたミラは、ここ数日とは明らかに違っていた。彼女の目は輝き、動きも活気に満ちていた。
「おはよう、ミラ。元気そうだね」
「うん、久しぶりにぐっすり眠れたわ」彼女は明るく答えた。
トビアスも彼女の変化に気づき、安心した様子だった。三人は通常業務に戻り、特にエリオットの魔導株の動向を注視していた。
「株価は安定しています」トビアスが報告した。「13ゴールドまで上がって、そこで落ち着いています」
「素晴らしい」誠は満足げに頷いた。「これならエリオットの研究も順調に進むだろう」
その時、店のドアが開き、アルフレッドが入ってきた。
「お早うございます、皆さん」
「アルフレッドさん、いらっしゃい」誠が迎えた。
「お祝いを言いに来ました。エリオットの魔導株発行、成功おめでとうございます」
「あなたの助けがあってこそです」ミラが礼を言った。
アルフレッドは少し声を落として続けた。
「しかし、警戒は怠らないでください。私の情報筋によると、ヴァンダーウッド家は何らかの報復を計画しているようです」
「どのような?」誠が真剣な表情で尋ねた。
「詳細はまだわかりません。しかし、彼らは市場操作のエキスパートです。何らかの形で、エリオットの魔導株を攻撃してくるでしょう」
「わかりました。十分注意します」
アルフレッドは店を後にし、三人は対策会議を開いた。
「まずは、エリオットの研究の進捗を確認しましょう」誠が提案した。「実際の成果があれば、株価も安定します」
「私は市場の噂を調査するわ」ミラが言った。「ヴァンダーウッド家が悪評を流し始めたら、すぐに対策を立てられるように」
「僕は投資家との関係強化を担当します」トビアスも意気込んだ。「特に、エリオットの魔導株を持っている人たちへの情報提供を徹底します」
彼らは手分けして行動を始めた。誠はエリオットの研究室を訪ね、進捗を確認した。幸い、エリオットは資金を得て以来、研究に没頭しており、既に初期の成果が出始めていた。
「小規模な反魔法障壁のプロトタイプが完成しました!」エリオットは誇らしげに報告した。「これをギルド・エクスチェンジで発表すれば、投資家たちも安心するでしょう」
「素晴らしい」誠は喜んだ。「できるだけ早く、成果発表の場を設けよう」
一方、ミラは市場の情報収集に精を出していた。彼女の過去の経験から培われた人脈と観察力は、市場の微妙な変化も見逃さなかった。
「確かに、小さな噂が流れ始めているわ」彼女は誠に報告した。「エリオットの研究の危険性や、実用化の難しさを強調する声が、一部の投資家から出ているの」
「ヴァンダーウッド家の工作だろうな」
「おそらくそうね。でも、まだ大きな影響は出ていないわ」
トビアスも投資家たちと丁寧にコミュニケーションを取り、エリオットの研究の価値を再確認させていた。彼の真摯な態度と熱意は、多くの投資家の信頼を得ていた。
「皆さん、基本的には信頼してくれています」トビアスは報告した。「ただ、具体的な成果を早く見たいという声も多いです」
三人は夕方に再集合し、一日の結果を共有した。
「今のところ大きな問題はないようだ」誠はまとめた。「エリオットの成果発表を急ぎ、株価の安定を図ろう」
「ヴァンダーウッド家も単純な攻撃はしてこないでしょうね」ミラが分析した。「彼らは賢いから、もっと巧妙な形で打撃を与えようとするはずよ」
「私たちもそれに備えましょう」
店を閉める時間になり、トビアスが先に帰った後、誠とミラは二人きりになった。
「ミラ」誠は静かに言った。「君の過去のことは、トビアスにも教えた方がいいかな?」
「…そうね、いずれは」ミラは頷いた。「彼も私たちのパートナーだから、知る権利があるわ。でも、もう少し時間がほしいの」
「わかった、急かさないよ」
誠はミラを宿まで送った。別れ際、彼女は誠に向かって少し恥ずかしそうに言った。
「昨日は、弱い所を見せてごめんなさい」
「何を言ってるんだ」誠は優しく微笑んだ。「君の強さを改めて知った日だよ。あれだけの経験をして、それでも前を向いて生きている君は、本当に素晴らしい」
ミラの頬が赤く染まった。
「おやすみ、ミラ」
「おやすみ、誠さん」
誠は自分の宿へと歩き始めた。ミラの過去を知ったことで、彼女への尊敬の念がさらに深まっていた。そして同時に、ヴァンダーウッド家への怒りも。
「必ず真実を明らかにしよう」
誠は夜空を見上げ、静かに誓った。それは単なるビジネス上の勝利ではなく、ミラへの不当な仕打ちに対する正義の実現でもあった。
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