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第21話:「毒水の魔物」
しおりを挟む夜明け前、まだ薄暗い村に誠たちの姿があった。荷物を馬車に積み込み、水源への調査準備を整えていた。
「必要なものは揃ったかい?」
誠は持参したノートに最終確認を書き込んでいた。探査用の魔導具、サンプル採取用の瓶、解毒剤、そして護身用の簡易魔法杖。
「大丈夫よ」ミラは帳簿に記録しながら答えた。「食料と水も十分確保したわ」
ソフィアは自分の魔法バッグをチェックし、トビアスは護衛の村人たちと話していた。そこへ村長の妻がやってきた。
「本当に行くのですね」彼女の目には心配と希望が混ざっていた。「気をつけてください。水源は村から北に二時間ほど。もともとは美しい清流だったのですが…」
彼女は途中で言葉を詰まらせた。誠は優しく頷いた。
「必ず調査してきます。そして解決策を見つけます」
一行に三人の村人が案内人として同行することになった。マルコという壮年の男性が先導役を務め、他の二人は若い猟師のケインとレオだった。
「道は荒れていますが、馬車で行けるところまでは行けます」マルコは説明した。
---
村を出発してから約一時間、馬車は北へと進み、次第に道は細く荒れていった。周囲の植物は枯れか変色しており、不吉な雰囲気が漂っていた。
「ここから先は馬車が通れません」マルコが言った。「徒歩で進むことになります」
一行は馬車を安全な場所に置き、徒歩での調査に切り替えた。小道を進むと、異様な臭いが漂ってきた。酸っぱい腐敗臭と硫黄のような刺激臭が混ざったような匂いだ。
「これは…」ソフィアが眉をひそめた。「魔物の痕跡です」
しばらく歩くと、かつて清流だったであろう水源が見えてきた。しかしその光景は、想像を絶するものだった。
「なんてことだ…」
誠は言葉を失った。かつての清流は今や毒々しい紫色に変色し、周囲の土は黒く変質していた。水面からは紫色の蒸気が立ち上り、近くの木々は枯れるか奇形に変形していた。
「これが村の主水源だったのか」
「はい」マルコは悲しげに頷いた。「かつてはこの地域一帯で最も美しい湧き水でした。この水のおかげで村は豊かな農業を営めたのに…」
ソフィアは慎重に水辺に近づき、魔法検知の術を唱えた。彼女の手から青い光が放たれ、水面に向かって伸びていく。
「間違いありません」彼女は真剣な表情で言った。「『毒水蛇(ヴェノムアクアサーペント)』の魔力反応があります。しかも、かなり強力な個体のようです」
「毒水蛇?」トビアスが怯えた様子で尋ねた。
「水源に棲む魔物の一種です」ソフィアは説明した。「通常は希少で、特定の条件がない限り現れません。体長は成体で5メートルほど、毒素を含んだ体液で水源を汚染します」
誠は周囲を注意深く観察していた。「この魔物はいつ頃から現れたんだ?」
「半年前の春先です」マルコが答えた。「ある朝突然、水が紫色に変わり、確認に来た村人が大蛇を目撃したのです」
「突然…」誠は眉をひそめた。彼の経験からすると、自然界でそれほど希少な生物が「突然」現れるとは考えにくい。何か違和感があった。
「周囲を調査しよう」誠は提案した。「この魔物がなぜここに現れたのか、手がかりを探そう」
一行は二手に分かれて調査を始めた。誠とミラが水源の上流側を、ソフィアとトビアスが下流側を調べることになった。村人たちは安全のため、少し離れた場所で見張りを続けた。
「何か変わったことはなかったか?」誠はマルコに尋ねた。「魔物が現れる前に、この辺りで不審な人物を見かけたりしなかったか?」
マルコは首を傾げた。「そういえば…魔物が現れる約一週間前、この辺りで黒い服を着た男たちを見かけたという話があります。測量をしているように見えたとか」
「黒い服…」誠とミラは視線を交わした。ヴァンダーウッド家の関与を示唆する情報だ。
水源の上流側を調査していた誠は、突然立ち止まった。岩陰に何か不自然なものが見えたのだ。近づいて確認すると、それは半分埋もれた小さな金属容器だった。
「これは…」
誠が容器を掘り出すと、その側面には魔法の印が刻まれていた。中は空だったが、底に紫色の残留物が付着していた。
「ミラ、これを見てくれ」
ミラが近づいて容器を調べた。「これは高級魔法素材の容器よ。通常、希少な魔法素材や試薬を運ぶために使われるもの」
「そして、この紫色の残留物…」
二人は同じ結論に達した。これは人為的に魔物を呼び寄せた証拠だった。おそらく、特殊な魔法薬品を使って毒水蛇を誘引したのだろう。
「ヴァンダーウッド家の仕業だわ」ミラは怒りを込めて言った。「わざと水源を汚染して、村人たちを苦しめているのね」
「証拠を持ち帰ろう」誠は容器を注意深く袋に入れた。
その時、下流側から悲鳴が聞こえた。
「助けて!」
トビアスの声だった。誠とミラは急いでその方向へ走った。
水辺に到着すると、恐ろしい光景が広がっていた。巨大な蛇のような魔物—毒水蛇—が水面から姿を現し、トビアスとソフィアに襲いかかっていた。魔物の体は紫色の鱗で覆われ、頭部には三つの角があった。その口からは毒々しい紫の液体が滴り落ちていた。
「下がって!」
ソフィアは魔法の防御結界を展開していたが、魔物の攻撃で結界にヒビが入り始めていた。
「みんな、気をつけろ!」誠は叫んだ。
しかし遅かった。魔物は尾を振るい、毒の飛沫を四方に飛ばした。ソフィアの結界がトビアスを完全に守りきれず、彼は腕に毒を浴びてしまった。
「ぐっ…」
トビアスは顔を歪め、膝から崩れ落ちた。
「トビアス!」ミラが彼に駆け寄った。
誠は状況を素早く判断した。彼の市場予知能力が、魔物の動きを「気流」として捉え始めていた。怒りと攻撃性を示す赤い渦が魔物の周りを取り巻いている。
「ミラ、トビアスを安全な場所へ!」誠は指示した。「ソフィア、あとどれくらい結界を維持できる?」
「あと数分が限界です!」ソフィアは額に汗を浮かべながら答えた。
誠は村人たちに向かって叫んだ。「マルコ!ロープと網を持っているか?」
「はい!狩りの道具なら!」
「持ってきてくれ。それと、火も必要だ!」
誠は魔物の動きを予測しながら、周囲の地形を利用した作戦を立てた。彼の市場予知能力は、通常の市場だけでなく、あらゆる「流れ」を読むことができるようになっていた。
ミラがトビアスを岩陰に運び、解毒剤を投与している間、誠はソフィアと村人たちに作戦を説明した。
「毒水蛇は水中では強いが、陸上では動きが鈍くなる。あの狭い渓谷に誘い込み、上から網をかぶせる。そして火で威嚇して、一時的に撤退させるんだ」
村人たちは不安げな表情を浮かべながらも、頷いた。他に方法はなかった。
誠は自ら囮となり、魔物の注意を引くことにした。
「準備はいいか?」
誠の合図で作戦が開始された。彼は石を投げて魔物を挑発し、渓谷方向へと誘導し始めた。魔物は怒りの咆哮を上げながら、誠を追いかけてきた。
「こっちだ!」
誠は渓谷へと走った。彼の市場予知能力が魔物の動きを先読みし、毒の飛沫や突進を避けることができた。魔物が渓谷に入ったところで、誠は叫んだ。
「今だ!」
渓谷の上に待機していたケインとレオが大きな網を投げ下ろした。網は魔物の上に落ち、その動きを一瞬制限した。続いて、マルコと村人たちが準備していた松明を投げ込む。火に怯えた魔物は苦しげな鳴き声を上げた。
ソフィアはこの機会を逃さず、魔法陣を展開した。
「水源浄化の魔法!」
彼女の手から青い光が放たれ、魔物に向かって飛んでいった。しかし、魔物の毒は予想以上に強く、完全に浄化することはできなかった。
「力が足りません!」ソフィアは悔しげに叫んだ。
魔物は網を振り切り、さらに激しく暴れ始めた。誠たちは一時撤退を余儀なくされた。
「みんな下がれ!」
一行は急いで安全な場所へと退避した。魔物は追いかけてこようとしたが、火の障壁に阻まれ、やがて水中へと引き返していった。
---
「これはただの魔物ではない」
安全な場所に撤退した一行は、トビアスの手当てをしながら状況を確認していた。解毒剤のおかげで彼の命に別状はなかったが、まだ意識は朦朧としていた。
「人為的に強化された毒水蛇だわ」ソフィアは断言した。「通常の浄化魔法では太刀打ちできないほど強力な毒性を持っています」
誠は発見した容器を皆に見せた。「これが証拠だ。誰かが意図的にこの魔物を呼び寄せ、さらに強化した」
マルコは怒りに震えていた。「なぜ、誰がそんなことを…」
「ヴァンダーウッド家だ」ミラは静かに言った。「彼らは水源を汚染することで村人たちを苦しめ、土地を安く手に入れようとしている」
村人たちの表情に怒りと絶望が混ざった。
「では、私たちに何ができるというのです」ケインが悔しげに言った。「あんな強力な魔物、どうやって倒せるというのですか」
誠は考え込んだ。「今日はいったん村に戻ろう。トビアスの手当てが必要だ。そして、集めた情報を基に対策を練る」
帰り道、誠は黙々と歩きながら思考を巡らせていた。単なる投資の問題を超え、この状況は人々の命と生活がかかった深刻な危機だった。しかし同時に、彼はある可能性に気づき始めていた。
「魔物に対抗するには専門的な魔法が必要だが…」誠は小声でミラに言った。「しかし、村には伝統的な知恵があるはずだ。もし魔法と村の知恵を組み合わせれば…」
ミラの目が輝いた。「それよ、誠!二つの力を合わせることで、新しい解決策が生まれるかもしれない」
村に戻りながら、誠は決意を新たにした。これは単なる魔物退治ではなく、貪欲な権力者から村人たちの未来を取り戻す戦いだった。彼の投資家としての知識と経験が、今こそ試される時が来たのだ。
「絶対に諦めない」誠は心の中で誓った。「この村を救う方法を必ず見つけ出す」
日没が近づき、一行は疲れた足取りで村へと戻っていった。水源の方角では、紫色の靄が立ち込め、暗雲のように村の上空に漂っていた。
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