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第2話「糸見の目の覚醒」
しおりを挟む柚子の婚礼の日が近づいていた。織姫は最後の調整に余念がない。朝から晩まで針を走らせ、一針一針に想いを込める。
「この縫い目が緩いわね」
糸車が指摘する。前夜から親しく会話するようになった神具の相棒は、織姫の作業に厳しい目を向けていた。
「祖母ならここをもっと丁寧に。お前は前世の裁縫技術に頼りすぎる」
「でも現代の縫製技術の方が丈夫で…」
「問題は丈夫さだけではない。神具衣装は縫い手の想いが込められてこそ、力を発揮する」
織姫は素直に針を抜き、やり直した。糸車は織姫の唯一の理解者であり、厳しくも頼りになる師匠だった。
「糸見の目」の力を使いながら縫い進むと、糸から発せられる青い光が織姫の指先から布地全体に広がっていく。この光こそ、布に宿る霊力の可視化だった。
織姫が集中すると、光の流れがより明確になる。ある箇所で光が滞っていることに気づいた。
「あそこで霊力が詰まっているわ」
「よく気づいた。布目の方向が変わる境目は、霊力の流れも変わる。そこを丁寧に縫うことで、全体の調和が生まれるのだ」
糸車の助言に従い、織姫はその部分を特に丁寧に縫い直した。すると霊力の流れがスムーズになり、衣装全体が均一に淡く輝き始める。
「これが…神具衣装の力?」
「そうだ。お前の作る衣装は、着る者に力を与える。今回の婚礼衣装は、柚子の生命力を高め、体を守る効果がある」
前世では考えられなかった現象に、織姫は興奮を隠せない。しかし同時に不安も湧いてくる。
「こんな力、村人に知られたら…」
「恐れることはない。真の力を持つ者は、常に誤解されるものだ。お前の祖母もそうだった」
***
婚礼の朝を迎えた。村は早くから賑わい、柚子の家には親戚や村人が大勢集まっていた。織姫も招かれ、柚子の着付けを手伝うことになる。
柚子は緊張のあまり顔色が優れない。しかし織姫が持参した婚礼衣装を身につけると、不思議と顔色が良くなり、生気が漲ってくる。
「織姫さん、この衣装を着ると心が落ち着くわ。そして体が軽く感じる」
着付けを終えた柚子は、鏡の前で自分の姿に見とれていた。赤地に金糸で鶴と亀を刺繍した婚礼衣装は、着る者の美しさを引き立てるだけでなく、体の不調を癒す効果を秘めていた。
「糸見の目」で見ると、衣装から発する霊力が柚子の体を包み込み、生命の輝きを高めているのが分かる。
「柚子様、本当に美しいです」
「ありがとう、織姫さん。あなたのおかげで、自信を持って婚家に嫁げるわ」
婚礼の行列が村を出発する。柚子を乗せた駕籠が隣村へと向かう様子を、織姫は小高い丘から見送った。
「見事な出来だったな」
帰り道、糸車が織姫を褒める。
「祖母にも褒めてもらえたかしら」
「当然だ。しかし、これは始まりに過ぎない。お前の真価が問われるのはこれからだ」
糸車の予言は的中した。その日の夕方、村長の息吉が織姫の家を訪れた。
「織姫、柚子の婿殿から使いが来た。婚礼の途中、柚子が突然体調を崩し倒れたそうだ」
「え?でも、あの衣装を着ていれば…」
「それが不思議なことに、衣装を着替えた途端に倒れたという。何か心当たりはないか?」
織姫は震える手で顔を覆った。自分の衣装に問題があったのだろうか。いや、朝の様子を思い出せば、明らかに柚子の体調は良くなっていた。何か別の原因があるはずだ。
「私に一度、柚子様を診せてください」
***
婚家に到着した織姫を、柚子の母・春江が迎えた。彼女の目には疑念の色が浮かんでいる。
「おかげで大変なことになった。もしかして、呪いでも込めたのか?」
「そんなことはありません!私の衣装は柚子様を守るためだけに作りました」
寝室に案内された織姫は、青白い顔で横たわる柚子を目にした。
「柚子様…」
「織姫…さん…」
柚子の声は弱々しく、婚礼の時の輝きはすっかり消えていた。織姫は「糸見の目」を使って柚子の様子を観察する。すると、彼女の体から黒い霧のような「死の気」が立ち上っていることに気づく。
「これは…毒?」
織姫はさらに目を凝らすと、柚子の手に黒い糸が絡みついているのが見えた。その糸は婚礼の間に柚子に贈られた手袋から伸びている。
「この手袋、誰が?」
「婿の母様からの贈り物よ」と春江が答える。
織姫は慎重に手袋を取り上げ、「糸見の目」で観察した。手袋は一見普通だが、内側に黒い糸で細かな刺繍が施されている。その模様は一種の呪いだった。
「これは…禍織(まがりおり)」
糸車から聞いた禁断の裁縫術。糸に悪意を込め、着用者に災いをもたらす術だ。
「織姫、これは『禍織師』の仕業だ」と糸車が囁く。「柚子を守るには、その呪いを打ち消す必要がある」
織姫は決意した。自分の衣装に問題はなかった。むしろ婚礼衣装があったからこそ、柚子はここまで持ちこたえられたのだ。
「春江様、私に糸と針をください。そして、柚子様に婚礼衣装を着せてください」
半信半疑ながらも、春江は織姫の言う通りにした。
織姫は集中して針を手に取る。前世の知識と祖母から学んだ技術、そして「糸見の目」の力を最大限に発揮する時だ。
手袋の内側の呪いの刺繍を「糸見の目」で見極め、それを打ち消す陽の紋様を思い描く。前世で学んだアンチパターンの概念を応用し、織姫は婚礼衣装の袖口に、呪いを無効化する紋様を縫い始めた。
針先から金色の光が放たれ、糸に乗って布に染み込んでいく。その光と共に、織姫の思いも衣装に込められる。
「柚子様を守るために、この衣装に力を」
完成した紋様は単純ながらも力強い。太陽と月を組み合わせた陰陽の調和を表す独自のデザインだ。
柚子の婚礼衣装の袖口にその紋様が浮かび上がると、手袋から伸びていた黒い糸が次々と断ち切られていく。柚子の体から立ち上っていた「死の気」も薄れていった。
「あら…体が暖かい」柚子が目を開ける。「織姫さん、あなたがいてくれて良かった」
織姫は安堵の笑みを浮かべた。初めて実戦で「糸見の目」を使い、呪いを打ち消すことに成功したのだ。
しかし、その喜びも束の間。部屋に一人の老婆が入ってきた。婿の母だ。
「あらあら、なにやら不思議な治療をしていたようね」
老婆の目は冷たく光っていた。「糸見の目」で見ると、老婆の体からも黒い糸が幾筋も出ており、明らかに「禍織師」の気配がある。
「あなたが…」
「ふふ、見破られてしまったか。『糸見の目』の使い手とは驚きだ」
老婆の声が一変し、若々しく鋭くなる。変装していたのだ。
「お前のような小娘が、私の『死の手袋』を解くとはな」
「あなたは誰?なぜ柚子様を狙ったの?」
「私は『禍織師』の一人、絹女(きぬめ)。『糸見の目』の使い手を探していたのだよ」
その時、村長の息吉と数人の若者が部屋に駆け込んできた。
「怪しい老婆を見なかったか?」
絹女は一瞬ひるみ、窓から飛び出していった。
「追え!」
混乱する場内で、織姫は窓辺に落ちていた一枚の和紙を拾い上げた。そこには「お前の力を見定めた。いずれ迎えに来よう」と書かれていた。
***
村に戻った織姫は、糸車に一部始終を話した。
「禍織師…祖母もその存在を恐れていた」と糸車。「本来、裁縫の力は人を守り、幸せにするもの。しかし禍織師は、その力を悪用して人に災いをもたらす」
「なぜ私を?」
「お前の『糸見の目』が目当てだろう。代々受け継がれる特別な力を持つ者を、彼らは仲間にしたがる」
織姫は震える手で顔を覆った。自分の力が人を傷つける可能性があるという事実に、恐怖を覚える。
「私は…人を守る衣装を作りたいだけなのに」
「だからこそ、もっと力をつけねばならぬ。お前の力は、まだ目覚めたばかり。これからが本当の修行だ」
その夜、織姫は決意を固めた。より強い「神具衣装」を作れるようになるには、もっと修行が必要だ。そして最終的には都に出て、正式な「神職人」として認められなければならない。
しかし翌朝、村の様子が一変していた。
柚子が呪いにかけられたことが知れ渡り、それを解いたのが織姫だという噂も広まった。村人たちの態度は一夜にして変わり、恐れと畏怖の目で織姫を見るようになった。
「あの娘は魔法を使う」
「普通の裁縫ではない、何か禍々しい力を持っている」
特に村の薬師・万助は、自分では治せなかった柚子の病を織姫が治したことに面目を潰され、強く反発していた。
「正規の許可なき神職人の業は違法だ。しかも最弱の裁縫師風情が」
村長の息吉だけは織姫の味方だったが、村全体の空気は急速に冷え込んでいった。
糸守村の神社で執り行われる月例祭の席で、村の長老・戒右衛門が立ち上がった。
「皆の衆、わしらの村に『魔女』がおることは承知の通り」
ざわめく村人たち。織姫も呼ばれてその場にいた。
「この者、翁女の孫・織姫は、正規の許可なく神具に似た力を持つ衣を作りおる。これは幕府の法に背く行為だ」
戒右衛門は続ける。
「加えて、昨日の禍事は、彼女が呼び込んだ災いかもしれぬ。我らの村の安全のため、織姫を追放することを提案する」
織姫は震える足で立ち上がった。
「私は魔女ではありません!私には『糸見の目』という力があり、それで布や糸の霊力を見ることができるだけです。私の作る衣装は人を守るためのもの。決して害を与えるものではありません!」
しかし村人たちの表情は硬く、怯えの色すら浮かべている。
「嘘だ!」薬師の万助が叫ぶ。「あの手袋の呪いも、お前が仕掛けたに違いない」
「違います!それは禍織師の仕業です!」
「禍織師?そんな伝説上の存在を持ち出すとは。お前こそ禍織師ではないのか」
議論は紛糾した。最終的に、村長の息吉の執り成しにより、即刻の追放は免れたものの、「一週間の猶予を与える。その間に神職人としての正規の許可を得られなければ、村を出ていくこと」という条件が突きつけられた。
茫然として家に戻る織姫。一週間で幕府の許可など、とうてい得られるはずがない。事実上の追放宣告だった。
「民衆の無知と恐怖は常に共にある」と糸車が慰める。「だが、これは新たな門出と思うがよい」
織姫は窓辺に立ち、遠くに見える山々を眺めた。その向こうには広い世界が広がっている。都では、自分の力が正当に評価される可能性もある。
「そうね。ここにはもう居場所がない」
「それでこそ。だが、その前にやるべきことがある」
織姫は糸車の言葉に頷いた。村を出る前に、自分の力の証として、そして柚子を完全に守るため、本物の「神具衣装」を作り上げねばならない。
「糸見の目」で見える世界は、まだほんの入り口に過ぎない。その奥には、もっと深い裁縫の神秘が眠っているはずだ。
そして織姫は、祖母から受け継いだ古い絹布を広げ、新たな挑戦を始めるのだった。
「針一本で、この世界を変えてみせる」
夜空に輝く星々の下、織姫の決意は固く、そして静かに燃えていた。
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