悪役令嬢の執事、未来視で無双する

ソコニ

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第3話:未来視の目覚め

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貧民街の夜は、王城や貴族街とは違う顔を持っていた。

星明かりだけが照らす狭い路地を、レティシアとクロヴィスは静かに歩いていた。数日前の夜、クロヴィスは主の秘密を知り、彼女の二面性を理解した。高慢な悪役令嬢の仮面の下に隠された優しい心。そして今夜、彼は初めて彼女の「任務」に同行していた。

「次はハーバー地区よ。そこにも支援が必要な子供たちがいるの」

レティシアは質素な平民の服装に身を包み、周囲を警戒しながら前へと進む。彼女の手には薬と食料を詰めた鞄があった。

「お嬢様、このような危険な場所へは私だけで調査し、安全を確保してからご案内すべきでした」

クロヴィスは常に周囲を警戒しながら、主に寄り添って歩いた。彼の感覚は暗殺者時代から研ぎ澄まされており、貧民街の暗がりに潜む危険を察知していた。

「無理よ、クロヴィス。この子たちは私を信頼している。初めて見る人だけが現れたら、怖がって逃げてしまうわ」

彼女は足早に進みながら説明した。

「それに、この活動は絶対に父や他の貴族に知られてはいけないの。『高慢な悪役令嬢』がこんなことをしていると知れたら、すべてが台無しになる」

貧民街の深い部分へと入っていくにつれ、周囲の建物はより粗末になり、空気はより重くなった。病気と貧困の匂いが漂う場所だった。

彼らが目的地に着いたのは、港に近い古い倉庫だった。レティシアは特殊なノックの仕方でドアを叩いた。

「誰?」中から警戒した声が聞こえる。

「希望の使いよ」

レティシアの合言葉に、ドアがゆっくりと開いた。中から現れたのは、やせ細った青年だった。彼はレティシアを見るなり、安堵の表情を浮かべた。

「天使様…来てくださったんですね」

しかし、クロヴィスの存在に気づくと、彼は身構えた。

「大丈夫、トム。彼は私の執事で、信頼できる人よ」

レティシアの言葉に青年は少し緊張を解いたが、なお警戒心を完全には捨てていなかった。

「中へどうぞ。みんな待ってます」

◆◆◆

倉庫の内部は、想像以上に整然としていた。古いランプの灯りが空間を照らし、十数人の子供たちと数人の大人が集まっていた。そこはハーバー地区の孤児や貧しい家庭の子供たちの隠れ家となっていた。

「天使様が来たぞ!」

子供の一人が声を上げると、皆が一斉にレティシアの方へ駆け寄ってきた。彼女は柔らかな笑顔で子供たちを迎え、一人一人に声をかけていく。

「リリー、熱は下がった?このお薬を飲むのを忘れないでね」
「ジェイク、手の怪我はどう?きちんと包帯を取り替えないとダメよ」
「トム、他の場所での活動状況は?」

クロヴィスは静かに後ろに控え、その様子を見守っていた。彼が目にしたのは、貴族社会では決して見ることのできないレティシアの姿だった。彼女は子供たちの健康状態を細かくチェックし、手際よく薬を分け、食料を配り、時には子供たちを抱きしめて励ましの言葉をかける。

トムと名乗った青年がクロヴィスに近づいてきた。

「彼女は本物の貴族なのに、こんなことをしてくれる。最初は誰も信じなかったんだ…でも、彼女は毎月欠かさず来てくれる」

「いつからこの活動を?」

「もう二年近くになるかな。最初は一人で来て、俺たちを驚かせたよ。『高慢な悪役令嬢』が突然現れて、薬と食料を持ってきたんだから」

トムは懐かしむように語った。

「彼女が『天使様』と呼ばれるようになったのは、病気で死にかけていた妹を救ってくれたからだ。高価な薬を持ってきて、お医者さんまで連れてきてくれた。妹は今、王都の北にある修道院で元気に暮らしている」

クロヴィスは黙って聞いていた。その眼差しには、主への新たな尊敬の念が浮かんでいた。

レティシアは子供たちへの支援を終え、トムに何かを指示していた。それは次回の訪問日や緊急時の連絡方法についてのようだった。

「じゃあ、また来月ね。それまで元気でいるのよ」

彼女が子供たちに別れを告げると、小さな手が彼女のドレスの裾を引っ張った。五歳ほどの少女だ。

「天使様、これあげる」

少女は折り紙で作った小さな花をレティシアに差し出した。

「ありがとう、エマ。大切にするわ」

レティシアは少女の頭を優しく撫で、その折り紙の花を大事そうに鞄にしまった。その表情には、どんな宝石や財宝よりも価値あるものを受け取ったかのような喜びが浮かんでいた。

◆◆◆

倉庫を出た二人は、来た道を引き返し始めた。夜はさらに深まり、貧民街の路地はより一層の闇に包まれていた。

「これが私の本当の『任務』よ、クロヴィス」

レティシアは静かに言った。

「貴族として持てる特権を使って、恵まれない人たちを助ける。それが私の義務だと思っているの」

「しかし、なぜ秘密にするのですか?公然と慈善活動をされても…」

「そんなことをしたら、政治的に利用されるだけよ。『善行』は時に武器になる。私が表向き『高慢な悪役令嬢』でいれば、誰も私の行動を政治的に利用できない。そして、本当に助けが必要な人たちに、目立たずに手を差し伸べられる」

彼女の言葉には賢明さと強い決意が込められていた。クロヴィスは黙って頷いた。

しかし、その会話は突然中断された。

「…!」

クロヴィスの鋭い感覚が危険を察知した。暗殺者特有の気配が周囲に漂い始めていた。

「レティシア様、危険です。早く—」

彼の言葉が終わる前に、闇から複数の人影が飛び出してきた。黒装束の男たちだ。その手には短剣が握られていた。

「お前が『天使様』か。厄介な真似をしてくれるな」

男の一人が低い声で言った。彼らの目的は明らかだった—レティシアの命だ。

クロヴィスは瞬時に主の前に立ちはだかり、迫り来る刺客から彼女を守る姿勢をとった。

「レティシア様、私の後ろに」

彼は冷静に状況を分析した。5人の暗殺者。全員が訓練を受けた専門家のようだ。武器は短剣と投げナイフ。彼らの動きから、毒が塗られている可能性が高い。

「貴様が噂の『影の執事』か。邪魔するな。我々の目的はお前の主だけだ」

「申し訳ありませんが、それはお断りします」

クロヴィスの声音が変わった。執事の丁寧さを残しながらも、その奥に冷たい殺気が満ちていた。

「天使様の活動は邪魔だ。貧民街の連中が希望を持つなど許されん。彼らは絶望の中で生き、利用されるべき存在なのだ」

男の言葉にレティシアの表情が怒りで歪んだ。

「あなたたち…誰に雇われたの?」

「それを知る前に死ぬがいい!」

男たちが一斉に襲いかかってきた。その瞬間、クロヴィスの中で何かが切り替わった。

暗殺者時代の記憶と技術が完全に呼び覚まされる。彼の動きは正確かつ致命的だった。最初の刺客の短剣を避け、その腕を掴んで関節を極める。二人目の男の攻撃は髪の毛一本の差で回避し、カウンターの膝蹴りを腹部に叩き込んだ。

「クロヴィス!」

レティシアの警告の声。背後から飛来する投げナイフ。クロヴィスは咄嗟に体を回転させ、それを避けようとした。

その瞬間だった。

激しい頭痛と共に、彼の視界が急変した。

まるで複数の映像が重なるように、さまざまな時間軸の光景が一度に見えるようになった。

3秒後—背後のナイフがレティシアの肩に刺さる。
3分後—残りの刺客が路地の奥から増援を呼ぶ。
3時間後—彼らは屋敷に戻れず、追手に追われている。
3日後—レティシアが傷の毒で病床に伏している。
3ヶ月後—王宮で王太子アレクシスが公の場でレティシアとの婚約を破棄する。
3年後—白い服を着たレティシアが処刑台に立たされている。

「なっ…!」

クロヴィスは混乱しながらも、最も差し迫った危機に反応した。彼は驚異的な速さで身を翻し、飛来するナイフを空中で捕らえた。そして反射的にそのナイフを投げ返す。ナイフは襲撃者の肩に命中し、男は悲鳴を上げて倒れた。

「…なんだ、お前は!」

残りの刺客たちが動揺を隠せない。クロヴィスの瞳が金色に輝いているのを見て、彼らは恐怖に震え始めた。

「私はただの執事です」

クロヴィスは冷静に答えた。しかし、その姿は執事のそれではなかった。彼は影のように動き、刺客たちの動きを完全に予測し、一人また一人と無力化していく。

「増援が来る前に片付けなければ」

彼は3分後の未来を見た知識に基づいて行動した。最後の刺客をあっという間に倒し、レティシアの手を取る。

「レティシア様、このままでは数分後に新たな刺客が現れます。別の道で急いで戻りましょう」

「えっ?どうしてそれを…?」

混乱するレティシアを促し、クロヴィスは路地の影へと素早く移動した。彼の予測通り、数分後に増援の暗殺者たちが現れるが、二人の姿はすでになかった。

◆◆◆

「クロヴィス、あなた…一体何があったの?」

安全な場所に辿り着いた後、レティシアは震える声で尋ねた。彼女は執事の変貌ぶりに戸惑いを隠せなかった。

クロヴィスは自分の額に手を当てた。頭痛はまだ続いていたが、視界の異常は徐々に安定しつつあった。それでも、様々な時間の映像が断続的に浮かび上がる。

「私にも…よくわかりません。ですが、どうやら先の未来が見える能力が目覚めたようです」

「未来が…見える?」

「はい。3秒後、3分後、3時間後、3日後、3ヶ月後、そして3年後の未来が、同時に見えるのです」

クロヴィスは自分でも信じがたい言葉を口にした。しかし、彼は確信していた。あの映像は幻覚ではなく、未来の断片だと。

「それで刺客の動きを予測できたのね…」

レティシアは少し落ち着きを取り戻し、思案げな表情を浮かべた。

「でも、なぜ突然そんな能力が?」

「おそらく…あなたを守りたいという強い意志が引き金になったのかもしれません」

クロヴィスはそう答えたが、本当のところは自分でもわからなかった。ただ、彼の中に眠っていた何かが、レティシアの危機によって覚醒したのは間違いなかった。

「それより…もっと深刻な問題があります」

クロヴィスの表情が暗くなった。

「私が見た未来の断片の中に…あなたが婚約破棄され、そして…処刑される光景がありました」

レティシアの顔から血の気が引いた。

「何ですって…?」

「3ヶ月後、王太子アレクシス殿下があなたとの婚約を公の場で破棄します。そして3年後…あなたは処刑台に立たされているのです」

クロヴィスは言葉を選びながら、慎重に伝えた。その視界には、まだ断片的に未来の映像が浮かんでいた。

「他にも何か見えましたか?」

レティシアは冷静さを取り戻し、実務的な口調で尋ねた。これが彼女の強さだった—どんな衝撃的な知らせにも、冷静に対処する能力。

「はい…婚約破棄の場面で、アレクシス殿下の隣に銀髪の少女がいました。彼女は『聖女』と呼ばれていたようです」

「聖女…?」

「そして彼女の背後に、宰相フォン・クラウスの姿もありました。二人は何か…計画を持っているようでした」

レティシアは黙って考え込んだ。そして決意に満ちた表情で顔を上げた。

「今回の刺客も、その計画の一部かもしれないわね。私の活動が誰かの目障りになっている…」

「レティシア様、これからどうなさいますか?」

クロヴィスは主の指示を待った。彼の中には、レティシアを守るという揺るぎない決意があった。

「まずは安全に屋敷に戻りましょう。そして…あなたの能力についてもっと調べる必要があるわ」

彼女は少し間を置いて続けた。

「クロヴィス、あなたの過去についても知りたい。あなたは普通の執事ではないでしょう?あの戦い方は…」

クロヴィスは一瞬躊躇ったが、すぐに決心した。レティシアが彼に真実を明かしたように、彼も彼女に真実を告げるべきだった。

「…はい。実は私、前世では『死神の影』と呼ばれる暗殺者でした」

彼はすべてを打ち明けた。暗殺者だった過去、最後の任務で少女を救って命を落としたこと、そしてこの世界で執事として転生したことを。

レティシアは黙って聞き、最後に小さく頷いた。

「だから、あなたはあんなに完璧なのね…そして私を守るために、あの能力が目覚めたのかもしれない」

「私はあなたの執事として、どんな危険からもお守りします。たとえ、それが王太子や王国全体であっても」

クロヴィスは膝をつき、主への忠誠を新たに誓った。その瞳は再び金色に輝き、未来の断片が見えていた。

「立ちなさい、クロヴィス」

レティシアは執事の肩に手を置いた。

「これからは二人三脚よ。私たちは運命を変えるわ」

月明かりの下、悪役令嬢と未来視の執事は新たな決意を固めた。彼らはまだ知らなかった—目覚めた能力と明かされた真実が、やがて世界の歯車そのものを狂わせることになるとは。

(続く)
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