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第23話:未来視の参謀
しおりを挟むディムリア砦の司令室は、早朝からの活気に満ちていた。「王女軍」の幹部たちが一堂に会し、大型の地図を囲んでいる。その中心に立つのは、クロヴィスとレティシアだった。
「予報通り、ミラドニア帝国軍は今日から本格的な進軍を開始します」
クロヴィスの冷静な声が室内に響く。彼の指が地図上の北部国境を指した。
「彼らの主力部隊は、この平原地帯を越えて王都への最短ルートを確保しようとするでしょう」
騎士団長エドガーが眉をひそめた。
「その予測は確かなのか?情報部からの偵察報告では、敵はまだ西部国境に兵力を集中させているはずだが」
「西部への集中は偽装です」
クロヴィスは確信を持って答えた。
「彼らは三日後、突如として北部に兵を移動させ、一気に突破を試みます。その時——」
彼は部屋の隅に置かれた砂地図に向かい、敵軍の動きを示した。
「敵軍は三つの部隊に分かれて進軍します。第一部隊はここ、ブラックストーン峠を通過。第二部隊はグリーンフィールド平原を横断。そして第三部隊は迂回してリバーサイド村に向かい、そこを前線基地とします」
部屋の空気が凍りついた。クロヴィスの描く敵の動きは、あまりにも詳細で具体的だった。
「クロヴィス、その情報は...」
エドガーが疑いの目を向ける。
「私の未来視によるものです」
クロヴィスは表情を変えず、静かに応じた。
「3日後の未来に、彼らの動きを見ました」
「未来視だと?馬鹿な...」
エドガーが口を開きかけたその時、レティシアが一歩前に踏み出した。
「エドガー、彼は本当に未来を見ることができるのよ。公開裁判の日、アレクシスの暗殺計画も、彼の未来視で事前に阻止できた」
彼女の言葉に、室内の騒めきが静まった。「王女軍」の幹部たちの多くは、クロヴィスの能力について噂には聞いていたが、その実態を知らなかった。
「では、我々はどう対処すべきなのだ?」
エドガーの態度が軟化した。
「敵の動きを事前に知っているというなら、正面から迎え撃つべきではないのか?」
クロヴィスは首を横に振った。
「正面からの衝突は避けるべきです。敵の数は我々の三倍。たとえ動きを予測できたとしても、戦力差は大きすぎます」
彼は再び地図に目を向けた。
「代わりに、我々は敵の補給路を断ちます」
◆◆◆
作戦会議の後、レティシアはクロヴィスと二人きりになった。
「皆、まだあなたの能力を信じきれていないわね」
彼女は少し心配そうに言った。
「仕方のないことです」
クロヴィスは静かに応じた。
「未来視など、通常では信じがたい能力ですから。しかし...」
彼の表情が引き締まる。
「作戦の成功が、最も強力な証明になるでしょう」
レティシアは頷いた。彼女の顔に決意が浮かぶ。
「作戦の準備を急ぎましょう。三日しかないのよね」
「ええ。まず、部隊配置を変更します」
クロヴィスは執事らしい几帳面さで、詳細な計画書を取り出した。
「トムの斥候隊には、リバーサイド村近くの森に潜伏してもらいます。敵の補給隊が必ず通過する場所です」
「待ち伏せね」
「はい。そしてエドガーの騎兵隊は、グリーンフィールド平原の南側に隠れておきます。斥候隊が補給隊を襲撃し混乱が生じた時、一気に敵の側面から攻撃するのです」
「でも...これって普通の軍事戦略よりずっと危険じゃない?」
レティシアの声に懸念が混じる。
「少数の部隊を敵の深部に送り込むなんて」
「確かに危険です」
クロヴィスは率直に認めた。
「しかし私の未来視では、この作戦が成功します。カギは正確なタイミングです」
彼は懐から一つの懐中時計を取り出した。
「これをトムとエドガーに渡してください。この時計は特別に調整されています。各部隊がいつ行動を開始すべきか、正確に示すでしょう」
レティシアは時計を受け取り、不思議そうに眺めた。
「本当に大丈夫?」
「信じてください」
クロヴィスの目に、強い自信が宿っていた。
「私の戦略は、暗殺者の経験と執事の計画性、そして未来視の力が融合したものです。これまでにない戦術かもしれませんが、必ず成功します」
彼の確信に満ちた言葉に、レティシアの不安は少しずつ和らいでいった。
◆◆◆
三日後、クロヴィスの予測通り、ミラドニア帝国軍は北部国境に姿を現した。
「来ましたね」
ディムリア砦の監視塔から、レティシアとクロヴィスは遠くの敵軍を見つめていた。
「正確に予測した通りの動きだわ」
レティシアの声に驚きが混じる。敵の主力部隊は確かに三つに分かれ、クロヴィスが言った通りの経路で進軍していた。
「トムとエドガーの部隊は?」
「予定位置に潜伏済みです」
クロヴィスは懐中時計を確認した。
「あと二時間で、敵の補給隊がリバーサイド村に差し掛かります」
レティシアは緊張した面持ちで頷いた。彼女もまた戦闘服に身を包み、腰には宝剣を下げていた。
「私も出撃します」
「レティシア様...」
クロヴィスの声に心配が滲む。
「大丈夫よ。『王女軍』の指揮官として、前線で戦うわ」
彼女の決意に、クロヴィスは深く頭を下げた。
「私も同行させてください」
「もちろん。あなたは私の執事であり、参謀だもの」
二人は互いに頷き合い、出撃の準備を始めた。
◆◆◆
リバーサイド村近くの森は静寂に包まれていた。トム率いる斥候隊が木々の間に潜み、敵の補給隊を待ち伏せている。彼らは村人に変装した斥候から、敵の補給隊が接近中との報せを受け取っていた。
「来るぞ...」
トムは小声で仲間に告げた。彼の手には、クロヴィスから渡された懐中時計がある。その針が特定の位置に来るまで、彼らは動くことができない。
時計の針が指定された位置に到達した瞬間、最初の馬車が彼らの視界に入った。
「今だ!」
トムの合図で、斥候隊が一斉に動き出す。彼らは敵の補給隊を前後から挟み込み、混乱に陥れた。馬車を護衛していた敵兵たちは、まさかこんな場所で襲撃されるとは思っておらず、戸惑いながらも応戦した。
「馬車を確保しろ!」
トムの指示に従い、斥候隊は武器や食料を積んだ馬車を次々と制圧していく。戦闘は短時間で決着がつき、敵の補給隊は壊滅状態となった。
「クロヴィス様の言った通りだ...」
トムは驚嘆の声を上げた。敵は予想通りの経路で現れ、予想通りの戦力で、そして予想通りのタイミングで彼らの前に姿を現した。未来視の精度に、彼は改めて恐れと敬意を感じた。
◆◆◆
同じ頃、グリーンフィールド平原の南側に潜むエドガーの騎兵隊も、時計の針を見つめていた。
「殿下の執事の時計通りに動けば良いのだな...」
エドガーはまだ半信半疑だったが、命令には従うつもりだった。時計の針が示した瞬間、彼は剣を高く掲げた。
「出撃!」
勇ましい雄叫びと共に、騎兵隊は隠れ場所から飛び出した。彼らが平原を横切ると、そこにはちょうど混乱の報せを受け取り、足止めされていた敵の第二部隊の姿があった。
騎兵隊の突然の出現に、敵軍は完全に動揺した。補給路断絶の報せを受け取ったばかりの彼らは、まともな陣形も整えられないまま、騎兵隊の猛攻を受けることになった。
「進め!王女様のために!」
エドガーの号令に、騎兵たちは勢いを増した。
◆◆◆
連絡を受けたレティシアとクロヴィスは、グリーンフィールド平原に急行した。到着した時には、戦いは既に終盤を迎えていた。敵軍は大混乱に陥り、降伏する者も続出していた。
「見事な戦略だったわ」
レティシアはクロヴィスを讃えた。
「ありがとうございます」
彼は謙虚に頭を下げた。しかし、その胸には確かな自信があった。彼の計画は完璧に機能していた。未来視で見た通りの展開で、敵の補給路は断たれ、主力部隊は混乱に陥っていた。
「レティシア様!」
エドガーが馬を駆けて近づいてきた。彼の顔には、戦いの昂揚感と共に、驚きの色が浮かんでいた。
「クロヴィス殿の計画通りでした。敵はまさに予言された通りの場所に現れ、予言された通りに行動しました」
彼の声には、最早疑いの色はなかった。未来視の参謀の力を、彼は身を持って体験したのだ。
「敵の動きは?」
クロヴィスが尋ねた。
「第一部隊と第三部隊も混乱しています。補給路を断たれ、主力の敗北を知った彼らは撤退を始めました」
「予想通りですね」
クロヴィスは静かに頷いた。
「我々の損失は?」
「最小限です。怪我人はいますが、死者はほとんどいません」
レティシアの顔に安堵の表情が広がった。彼女が最も恐れていたのは、味方の犠牲だった。クロヴィスの戦略は、敵の混乱を最大限に利用することで、味方の犠牲を極力抑えるものだったのだ。
「前線に出ましょう」
レティシアの言葉に、クロヴィスとエドガーは頷いた。三人は戦場の中心へと向かった。
◆◆◆
戦場には、レティシアの姿を見た兵士たちから熱狂的な歓声が上がった。彼女は「王女軍」の象徴として、青と金の軍装に身を包み、馬上から兵士たちを励ました。
「皆の活躍のおかげで、勝利を手にしました!」
彼女の声は戦場に響き渡った。
「これは始まりに過ぎません。これからも共に、王国を守りましょう!」
兵士たちからは更なる歓声が上がった。レティシアの存在は「王女軍」の精神的支柱となっていた。彼女は時に前線で自ら剣を取って戦い、時に負傷者に寄り添い、その姿は多くの兵士たちの心を掴んでいた。
「あれが悪役令嬢だとは思えないな」
ある兵士が仲間に呟いた。
「悪役令嬢なんかじゃない。あれは我らの『戦乙女』だ」
その言葉は瞬く間に兵士たちの間で広がっていった。「戦乙女」——戦場の守護者としてのレティシアを表す新たな呼び名が誕生した瞬間だった。
◆◆◆
戦いが終わり、「王女軍」は勝利の余韻に浸っていた。捕虜となった敵兵は数百人に上り、武器や食料など、多くの戦利品も手に入れることができた。
砦に戻ったレティシアは、クロヴィスと共に勝利の報告書を作成していた。
「王都への報告は完了です」
クロヴィスは書類から目を上げた。
「アレクシス殿下も、この勝利を喜んでいることでしょう」
「ええ」
レティシアは微笑んだが、その目には疲労の色が浮かんでいた。戦いの緊張と興奮から解放され、ようやく疲れが出てきたのだろう。
「少しお休みください」
クロヴィスの優しい声に、彼女は素直に頷いた。
「そうするわ。あなたも休みなさい」
しかし、レティシアが部屋を後にした後も、クロヴィスは未来視を使って次の動きを探り続けた。彼の未来視は日に日に鋭敏になっていた。3秒、3分、3時間、3日、3ヶ月、3年後の未来を、より鮮明に、より詳細に見ることができるようになっていた。
彼が見たのは、まだ霞がかかったような不確かな未来の光景だった。次の戦いに現れる、ある人物の姿。紫色の瞳を持ち、時間を操る不思議な魔術師。その人物の周囲では、時間の流れそのものが歪んでいるように見えた。
「新たな敵...」
クロヴィスは眉をひそめた。彼の未来視が捉えたその人物は、「王女軍」にとって大きな脅威となりそうだった。しかし詳細はまだ見えない。彼はさらに未来を探ろうとするが、疲労のためか視界が霞んでくる。
「無理はよくないな...」
彼はため息をつき、未来視を中断した。体力と精神力を回復させ、より鮮明な未来を見るためには、彼自身も休息が必要だった。
クロヴィスは窓辺に立ち、夕暮れの空を見上げた。今日の勝利は確かに大きなものだった。「王女軍」は初めての本格的な戦いで圧倒的な勝利を収め、未来視の参謀としての彼の地位も確立された。しかし、これは長い戦いの序章に過ぎなかった。
彼の脳裏に、紫色の瞳を持つ魔術師の姿が再び浮かぶ。その人物が誰なのか、敵なのか味方なのか、まだ判然としない。しかし、その存在が今後の戦いに大きな影響を与えることだけは確かだった。
「来るべき戦いに備えねば...」
クロヴィスは静かに呟いた。彼の使命は、レティシアを守り、王国の未来を守ること。そのために、彼はあらゆる手段を講じる覚悟だった。未来視の参謀として、そして彼女の執事として。
(続く)
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