悪役令嬢の執事、未来視で無双する

ソコニ

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第24話:時を遡る魔術師

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「撤退!全軍撤退!」

エドガーの叫び声が戦場に響き渡った。火と煙に包まれた丘陵地帯で、「王女軍」の兵士たちが必死に後退していく。わずか二週間前まで、彼らは連戦連勝の快進撃を続けていた。しかし今、彼らは三日連続の敗北に直面していた。

クロヴィスは高台から混乱する戦場を見下ろし、顔をしかめた。彼の未来視に基づく完璧な作戦は、何かによって次々と覆されていた。そして彼の心には、恐れと混乱が渦巻いていた。

「一体何が起きているのか...」

彼は呟いた。未来視の力に絶対の自信を持っていたクロヴィスだが、ここ数日、その能力が機能しなくなっていた。彼が見た未来は、実際に訪れる現実とは異なるものになっていたのだ。

「クロヴィス!」

レティシアの声が背後から聞こえた。彼女は馬から飛び降り、急いで彼に近づく。その鎧には血と泥が付着し、顔には疲労の色が濃く表れていた。

「何が起きているの?なぜ作戦が失敗するの?」

彼女の声には焦りと混乱が滲んでいた。クロヴィスは彼女に向き合い、深く頭を下げた。

「申し訳ありません。私の未来視が...機能していないようです」

彼の言葉に、レティシアの表情が驚きに変わる。

「どういうこと?」

「私が見た未来と、実際に起きる出来事が異なっています。何かが...未来を書き換えている」

彼は顔を上げ、真剣な眼差しでレティシアを見つめた。

「敵の新しい指揮官...『時間逆行の魔術師』と呼ばれる人物の仕業かもしれません」

「時間逆行...?」

「はい。私の未来視が捉えた紫色の瞳を持つ魔術師です。情報によれば、彼の名はヴァレリアン。ミラドニア帝国の最高魔術師の一人だと」

レティシアは思案するように眉を寄せた。

「彼の能力が、あなたの未来視を無効化しているってこと?」

「そう考えるのが妥当でしょう」

クロヴィスの声は冷静だったが、その内面には焦りがあった。彼の最大の武器である未来視が通用しない相手。それは彼にとって未知の領域だった。

「どうすれば...」

レティシアの言葉は、近づいてくる兵士の足音で遮られた。

「報告です!」

若い斥候が息を切らして駆け寄ってきた。

「敵軍が再び進軍を始めました。リバーサイド地方全域を制圧する気配です」

クロヴィスとレティシアは再び顔を見合わせた。

「アーケン砦まで撤退します」

クロヴィスは決断した。

「そこで態勢を立て直し、敵の能力について調査する時間が必要です」

レティシアは渋々頷いた。彼女は後退を好まなかったが、現状を理解していた。未来視が機能しない今、無謀な戦いは避けるべきだった。

「全軍にアーケン砦への撤退を命じて」

彼女の命令に、斥候は敬礼して去っていった。

◆◆◆

アーケン砦は小さいながらも頑強な要塞で、敵の進行を一時的に食い止めるには十分だった。「王女軍」はここで傷を癒し、次の作戦を練ることになった。

司令室でクロヴィスは地図と情報報告書を広げ、黙考していた。未来視に頼れない今、彼は通常の情報分析と戦略構築に戻らざるを得なかった。

「ヴァレリアン...」

彼は情報書に記された断片的な情報を読み返す。紫色の瞳、常に青い宝石の入った杖を持ち歩く姿、戦場で時空が歪むような現象が観測される事実。すべては「時間」に関わる能力を示唆していた。

「彼の能力を理解しなければ...」

ドアがノックされ、レティシアが入ってきた。彼女も戦闘服を脱ぎ、より日常的な服装に着替えていた。

「何か分かった?」

彼女はクロヴィスの隣に座った。

「断片的な情報だけです」

クロヴィスは頭を振った。

「彼の能力の全容を知るには、直接観察する必要があります」

「直接...?」

「はい。私自身が敵陣に潜入するつもりです」

レティシアの顔が青ざめた。

「それはあまりにも危険よ!」

「危険は承知しています」

クロヴィスは冷静に応じた。

「しかし、これ以上の敗北は「王女軍」の士気を根本から揺るがしかねません。ヴァレリアンの能力を理解し、対抗策を見つけることが最優先です」

彼の決意を見て、レティシアは深いため息をついた。

「わかったわ。でも約束して。無理はしないで」

「ご心配なく」

クロヴィスは微笑んだ。それは彼女を安心させるための笑顔だった。

「私はかつての『死神の影』です。潜入と諜報は得意分野ですから」

◆◆◆

夜が更けるにつれ、クロヴィスは潜入の準備を整えた。彼は執事の服装を脱ぎ捨て、暗色の軽装に身を包んだ。かつての暗殺者時代を思い出させる出で立ちだ。

「行ってきます」

彼はレティシアに別れを告げた。彼女は心配そうな表情を浮かべていたが、それ以上の反対はしなかった。彼の決意が固いことを知っていたからだ。

「気をつけて。絶対に戻ってきて」

彼女の言葉に、クロヴィスは深く頭を下げた。

「必ず」

彼は闇に紛れ、砦を後にした。敵陣まではおよそ30キロ。夜通し移動すれば、明け方には到着するだろう。

暗殺者時代の身のこなしと技術が、彼の体に戻ってきていた。木々の間を音もなく進み、地形を利用して敵の斥候の目を避ける。未来視こそ頼れないものの、彼の五感は通常の人間を遥かに超えていた。

夜明け前、クロヴィスは敵の前線基地に到達した。ミラドニア帝国軍はリバーサイド村を占領し、そこに大規模な陣地を築いていた。彼は村の外れに潜み、敵の動きを観察した。

朝食の準備をする兵士、巡回する警備兵、負傷者の手当てをする医師たち。彼はそれらの日常的な光景の中から、重要な情報を収集していった。しかし彼の真の目的——ヴァレリアンの姿はまだ見えなかった。

「どこにいる...」

彼は辛抱強く待った。いずれ指揮官は姿を現すはずだ。

正午近く、ようやく彼の待ちは報われた。村の中央に建つ大きな建物から、一人の男が現れた。長身で銀髪、そして紫色の瞳。青い宝石の杖を手にしたその姿は、間違いなく情報と一致していた。

「ヴァレリアン...」

クロヴィスは息を殺し、彼の一挙手一投足を観察した。ヴァレリアンは数人の幹部と共に歩き、時折指示を出している様子だった。特に異常な能力を使っている様子はなかったが、その存在感は尋常ではなかった。

彼はさらに近づくため、村の中へと忍び込んだ。宿屋の裏手に隠れ、ヴァレリアンが指揮官たちと集会を開く建物を見つめる。そこで何が話し合われているのか、知る必要があった。

幸運なことに、建物の裏には小さな窓があり、中の会話が聞こえてきた。クロヴィスはそこに身を寄せ、耳を澄ませた。

「明日の攻勢の準備は整っているか?」

ヴァレリアンの声は意外に若く、穏やかなものだった。

「はい、全て計画通りです」

部下の一人が答える。

「ただ、「王女軍」の抵抗も侮れません。アーケン砦は小さいながらも難攻不落の要塞です」

「心配するな」

ヴァレリアンの声が自信に満ちて響く。

「彼らの最大の武器は、未来視を持つ参謀だった。しかし、私の『逆行』の力の前では無力だ」

クロヴィスの心臓が高鳴った。まさに彼の探していた情報だ。

「彼らの参謀が見る未来は、確かに正しい。しかし、私が時を巻き戻せば、その未来は書き換えられる。過去を変えれば、未来も変わるのだ」

その言葉に、クロヴィスの思考が急速に回転し始めた。「時を巻き戻す」——つまり、彼が未来視で見た出来事が実際に起きた後、ヴァレリアンが時間を逆行させ、異なる選択をしているのだ。

「しかし、殿下」

別の指揮官が声を上げた。

「『逆行』の力は使い過ぎれば体に負担がかかります。どうか無理はなさらないでください」

「わかっている」

ヴァレリアンの声には少し苛立ちが混じった。

「15分以上の逆行は危険だし、一日に3回までという制限もある。だが、それで十分だ。戦場の重要な局面だけを書き換えればいい」

クロヴィスの目が輝いた。これこそ彼が求めていた情報だった。ヴァレリアンの能力には明確な限界がある——時を巻き戻せるのは15分以内、しかも一日に3回までということだ。

さらに聞き続けたいところだったが、突然の騒ぎが彼の集中を破った。

「侵入者だ!」

近くで警備兵の叫び声が上がる。クロヴィスは咄嗟に身を隠したが、彼を発見したわけではないようだった。別の場所で何かが起きたのだろう。

しかし、この騒ぎで会議は中断された。ヴァレリアンと幹部たちが建物から出てくる音が聞こえた。クロヴィスは静かに身を引こうとしたが——

「そこにいるのは誰だ?」

冷静な声が背後から聞こえた。振り返ると、そこにはヴァレリアン本人が立っていた。紫色の瞳が、クロヴィスを冷静に見つめている。

「まさか...」

クロヴィスは動揺を隠せなかった。どうして彼がここに?会議室から出てきたばかりのはずなのに。

「『王女軍』の参謀殿か」

ヴァレリアンの口元に小さな笑みが浮かんだ。

「未来を見る能力を持つ男。興味深い能力だ」

クロヴィスは一瞬で状況を判断した。戦うか、逃げるか。しかし、目の前の男の能力を考えれば、単純な逃走は難しいだろう。

「警備を呼ばないのですか?」

彼は冷静さを取り戻し、ヴァレリアンに問いかけた。

「なぜそうする必要がある?」

ヴァレリアンは杖を軽く地面に突きながら答えた。

「君と私、二人きりで話した方が効率的だろう」

彼の態度には敵意よりも好奇心が感じられた。

「どうやって私を見つけた?」

クロヴィスの問いに、ヴァレリアンは軽く笑った。

「私は過去に戻れる。つまり、君が隠れる前の場所を知っていたというわけだ」

その説明に、クロヴィスは理解した。ヴァレリアンは既に「逆行」の力を使ったのだ。彼が見つかるという事態が発生し、それを知ったヴァレリアンが時間を巻き戻し、直接クロヴィスの元に来たのだろう。

「私の能力についても、もう知ったようだな」

ヴァレリアンの言葉に、クロヴィスは無言で頷いた。

「興味深い。君の『視界』と私の『逆行』。どちらも『時の紋章』の力だ」

「時の紋章...」

クロヴィスの脳裏に、バルドルから聞いた話が蘇る。

「そう。神々が残した力の断片だ」

ヴァレリアンは静かに続けた。

「君は未来を見る。私は過去を変える。対極にある能力とも言えるが、本質は同じだ」

彼は一歩クロヴィスに近づいた。

「ディアナから聞いていた。『視界』の紋章を持つ男がいると」

ディアナの名前に、クロヴィスの表情が硬くなる。

「彼女と宰相は、君たちを恐れている。特に君の未来視と、あの『永遠』の紋章を持つ女の力をね」

「レティシア様を...」

「そう、君の主人だ」

ヴァレリアンは杖を軽く回しながら言った。

「ところで、君はもう一つ重要なことに気づいているかな?」

「何のことだ?」

「君の未来視と私の逆行。この二つの力がぶつかり合うとき、何が起きるか」

クロヴィスは考え込んだ。確かに、彼の未来視で捉えた未来が、ヴァレリアンの「逆行」によって書き換えられる。しかし、それだけではない気がした。

「二つの力が...干渉し合う」

彼は慎重に言葉を選んだ。

「その通り」

ヴァレリアンの目が輝いた。

「『視界』と『逆行』は本来、相容れない力だ。しかし同時に、最も強力な組み合わせになりうる」

クロヴィスは彼の言葉の意味を理解しようとした。敵であるはずの相手が、なぜこんな話をするのか?

「警備兵が来る。もうすぐこの場所は安全ではなくなる」

ヴァレリアンは急に言った。

「逃げるなら今だ。次に会うときは、戦場になるだろう」

クロヴィスは一瞬躊躇ったが、すぐに判断した。得られた情報を持ち帰ることが最優先だ。

「なぜ私を逃がす?」

彼は最後に問うた。

「興味があるからさ」

ヴァレリアンの口元に微笑みが浮かんだ。

「君との戦いが、どんな結果をもたらすのか——それを見たい」

警備兵の足音が近づいてきた。クロヴィスはもう一度ヴァレリアンを見つめ、そして素早く暗闇に身を隠した。彼の暗殺者としての技術が、再び彼を助けた。

◆◆◆

アーケン砦へ戻るまでの道のりは長かった。クロヴィスは幾度となく敵の斥候や巡回兵に遭遇したが、その度に巧みに回避した。彼の頭の中には、ヴァレリアンとの会話が繰り返し流れていた。

「時の紋章:逆行」の力。過去に戻り、起きた出来事を変える能力。そして何より、その力には明確な限界がある——15分以内、一日3回まで。

彼はこの情報を元に、新たな戦略を練り始めていた。ヴァレリアンの能力を逆手に取る方法があるはずだ。

夜明け前、クロヴィスはようやくアーケン砦に帰還した。疲労困憊の彼を、レティシアが待っていた。彼女は一晩中眠らず、彼の帰りを見守っていたのだ。

「無事だったのね...」

彼女の声には安堵の色が濃かった。

「ご心配をおかけしました」

クロヴィスは丁寧に頭を下げた。

「情報を得ることができました。ヴァレリアンの能力と、その限界について」

彼はレティシアに全てを報告した。敵陣での観察、ヴァレリアンの言葉、そして不思議な会話の内容まで。

「つまり...彼は過去に戻って、私たちの作戦を妨害していたのね」

レティシアは理解した様子で頷いた。

「しかし、その能力には制限がある。これを利用すれば...」

「ええ」

クロヴィスは強い自信を持って言った。

「私たちにも勝機があります。彼の能力の限界を知った今、新たな戦略を立てられます」

レティシアは彼を見つめ、微笑んだ。

「あなたは本当に素晴らしい参謀よ、クロヴィス」

彼女の言葉に、クロヴィスは恐縮しながらも、誇りを感じた。

「さあ、新たな戦略を練りましょう」

クロヴィスはレティシアと共に司令室へと向かった。今度こそ、彼は「時間逆行の魔術師」ヴァレリアンに対抗する術を見つけ出すつもりだった。未来視が通用しない相手に、どう立ち向かうか——それが彼の新たな挑戦となる。

(続く)
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