悪役令嬢の執事、未来視で無双する

ソコニ

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第25話:神の血の兆し

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アーケン砦の周辺は数日間の膠着状態に入っていた。ミラドニア帝国軍は砦を包囲しながらも、大規模な攻撃には出ていなかった。まるで何かの機会を窺っているかのようだった。

砦の中でも緊迫した空気が流れていた。クロヴィスが持ち帰った情報——「時間逆行の魔術師」ヴァレリアンの能力と、その限界について——をもとに、「王女軍」は新たな戦略を練っていた。

司令室では、夜遅くまで作戦会議が続いていた。

「ヴァレリアンの『逆行』は15分以内、一日3回まで。この制限を利用すれば勝機はある」

クロヴィスは地図を指し示しながら説明を続けた。

「彼が能力を使うのは、最も重要な局面のみ。それを見極め、あえて偽の重要局面を作り出す策を提案します」

エドガーが眉を寄せた。

「偽の重要局面?」

「はい。まず小規模な攻撃で彼の能力を消費させ、本当の攻撃は彼が能力を使い切った後に仕掛ける」

レティシアは静かに頷いた。

「一理あるわ。でも、彼が何を重要と判断するかは予測できない」

「その通りです」

クロヴィスは認めた。

「しかし彼は軍の指揮官。軍事的に重要な局面で能力を使うはずです。そこを逆手にとる」

議論はさらに深夜まで続いた。最終的に、翌日から小規模な奇襲作戦を複数回実施し、ヴァレリアンの能力を消耗させることが決まった。

会議が終わり、疲れた幹部たちが部屋を後にする中、クロヴィスは窓辺に立ち、星空を見上げていた。彼の心には、まだ語っていない思いがあった。

「まだ起きているの?」

レティシアの声が背後から聞こえた。彼女も疲労が見えるものの、気丈に振る舞っていた。

「少し考え事を」

クロヴィスは振り返り、彼女に向き合った。

「実は...ヴァレリアンとの会話で、まだ伝えていないことがあります」

レティシアの表情が引き締まる。

「何?」

「彼によれば、私の未来視も彼の時間逆行も、全て『時の紋章』と呼ばれる力の一部だそうです」

「時の紋章...」

レティシアは小声で繰り返した。バルドルから聞いた言葉を彼女も覚えていた。

「そして...」

クロヴィスは言葉を選ぶように一瞬黙った後、続けた。

「驚くべきことに、あなたの血にも紋章の力が眠っているとヴァレリアンは言いました。『神の血』と呼ばれるものが」

「私の...血に?」

レティシアは驚きの表情を浮かべた。

「公開裁判の日、あなたの中から金色の光が溢れ出ました。あれは『永遠』の紋章の力の断片的発現だったのかもしれません」

レティシアは自分の手を見つめた。あの日、確かに彼女の中から不思議な力が湧き出し、アレクシスを「心操りの紋」から解放する助けとなった。しかしそれ以来、その力が顕著に現れることはなかった。

「神の血...」

彼女は困惑したように呟いた。

「それが本当なら、なぜ今まで気づかなかったの?」

「バルドルの話によれば、紋章の力は強いストレスや危機の時に目覚めることがあるそうです」

クロヴィスの説明に、レティシアは考え込むように黙った。

「明日の作戦、私も前線に立つわ」

彼女の声には強い決意が込められていた。

「レティシア様...」

「大丈夫、無茶はしない。でも、私の存在が兵士たちの士気を高めることは知っているもの」

クロヴィスは懸念と共に頷いた。彼女の言うことは正しかった。「戦乙女」としての彼女の姿は、確かに「王女軍」の精神的支柱となっていた。

「わかりました。ですが、くれぐれも危険には近づかないでください」

「ええ、約束する」

レティシアの微笑みに、クロヴィスの心配は少し和らいだ。しかし彼の胸の内には、不安の種が残っていた。「神の血」——それが意味するもの、そしてヴァレリアンがなぜそれを知っているのか。まだ多くの謎が解かれていなかった。

◆◆◆

翌朝、「王女軍」は作戦を開始した。まず、トム率いる斥候隊が敵の前哨基地を襲撃。物資を略奪するというよりも、敵の注意を引くのが目的だった。

作戦は成功し、敵は一時的に混乱した。しかし、クロヴィスの予想通り、彼らは素早く態勢を立て直した。おそらくヴァレリアンが「逆行」の力を使ったのだろう。

「第一段階完了」

クロヴィスは静かに呟いた。彼は砦の監視塔から、望遠鏡で戦場を観察していた。

「第二段階に移ります」

彼の指示で、次はエドガーの騎兵隊が行動を開始した。彼らは敵陣の北側を襲撃し、補給線を一時的に断つことに成功した。しかし、またしても敵は不自然なほど素早く対応。これもヴァレリアンの「逆行」の結果だろう。

「ヴァレリアンの能力、あと一回...」

クロヴィスの計算では、ヴァレリアンはあと一度しか「逆行」を使えないはずだった。そして最後の使用を誘い出すのが、レティシア率いる部隊の役目だった。

「準備はいい?」

クロヴィスが尋ねると、レティシアは青と金の軍装で身を固め、頷いた。

「ええ。出撃するわ」

彼女の周りには選りすぐりの兵士たちが集まっていた。彼らの任務は、敵陣の東側を攻撃し、まるで大規模な突破を図るかのような印象を与えることだった。

「気をつけて」

クロヴィスの言葉に、レティシアは微笑み、出撃した。

◆◆◆

戦場は、既に騎兵隊と斥候隊の攻撃で混乱していた。レティシアの部隊は、その混乱に乗じて敵陣に接近した。彼女は先頭に立ち、兵士たちを鼓舞する。

「前進!王国のために!」

彼女の声に、兵士たちの士気が高まる。彼らは敵陣に突撃し、一時的に突破口を開いた。

敵兵は驚きの表情を浮かべながらも反撃。激しい戦闘が始まった。レティシアも前線で剣を振るい、熟練の剣術で敵を次々と倒していく。しかし、彼女は自分の役割を理解していた——ヴァレリアンの最後の「逆行」を引き出すこと。

作戦は順調に進んでいた。敵は明らかに彼女の攻撃を重要な脅威と認識し、大量の兵力を投入して対応していた。これでヴァレリアンの最後の「逆行」を使わせることができれば——

「レティシア様、背後に注意!」

近くの兵士の叫び声に、彼女は振り返った。数十名の敵兵が、彼女の部隊の背後から迫っていた。彼らは完全に包囲される危険性があった。

「撤退の準備を!」

レティシアは冷静に判断した。作戦の目的はほぼ達成された。これ以上無謀な戦いを続ける必要はない。

しかし、撤退の道が断たれつつあった。敵は彼女の部隊を完全に包囲しようとしていた。レティシアの表情に緊張が走る。

「この先の道を切り開くしかない!」

彼女は剣を構え、突破口を作る決意を固めた。しかし、その時だった。

「矢が来るぞ!」

兵士の一人が空を指さした。敵の弓兵隊が一斉に矢を放ったのだ。数百本の矢が、空を覆うように彼らに向かって飛来する。

「全員、盾を!」

レティシアは叫んだが、盾を持たない兵士も多かった。このままでは甚大な被害は免れない。彼女は咄嗟に前に出て、盾のない兵士たちの前に立った。

「レティシア様!」

兵士たちの悲痛な叫びが響く。

その瞬間だった。レティシアの体から、突如として金色の光が放射され始めた。その光は周囲に広がり、まるで時間そのものを捉える領域を作り出した。そして信じられないことに、空中を飛んでいた矢が、その領域に入った途端に——停止したのだ。

何百本もの矢が、空中で静止している光景は、戦場の全ての者を凍りつかせた。

「な...何が...」

レティシア自身も、自分の体から溢れ出る力に困惑していた。しかし、その力は確かに彼女と仲間たちを救った。矢は全て空中で停止し、やがて力を失って地面に落ちていった。

「奇跡だ...」
「戦乙女様の神の力だ!」

兵士たちの間から、驚嘆と敬愛の声が上がる。敵兵の方も動揺し、一時的に攻撃が止まった。

レティシアはその隙を逃さなかった。

「撤退!今のうちに!」

彼女の命令に、部隊は素早く陣形を整え、撤退を開始した。敵兵は彼女の不思議な力に恐れをなし、積極的な追撃を躊躇った。

◆◆◆

「本当に起きたのですか?私の目の前で?」

アーケン砦に戻ったレティシアは、まだ信じられない様子でクロヴィスに尋ねた。

「はい、間違いありません」

クロヴィスも驚きを隠せない様子だった。彼は監視塔から、レティシアの周囲に現れた金色の領域と、空中で停止した矢を目撃していた。

「あれは...『時の紋章:停止』の力でした。時間の流れを一時的に停止させる能力です」

「でも、なぜ私に...」

「ヴァレリアンの言っていた『神の血』...あなたの中に眠っていた力が、危機に際して目覚めたのでしょう」

二人は静かに見つめ合った。レティシアの体内に潜む力の正体は、まだ完全には解明されていなかった。しかし、それが「時の紋章」と関連していることは確かだった。

「『時の紋章:停止』...しかし、公開裁判の日に現れたのは『永遠』の力だったはず」

クロヴィスは思案するように眉を寄せた。

「あなたの中には、複数の紋章の力が眠っているのかもしれません」

その可能性に、レティシアの表情が複雑に揺れる。

「私は...何なの?」

彼女の声には不安が滲んでいた。

「わかりません」

クロヴィスは正直に答えた。

「しかし、あなたの力がどこから来たとしても、あなたはあなたです。レティシア・フォン・ルーベンシュタイン。私の主であり、『王女軍』の指揮官です」

彼の言葉に、レティシアの表情が少し和らいだ。

「ありがとう、クロヴィス」

彼女は小さく微笑んだ。

「でも、この力の正体を知る必要があるわ。もし再び発現したとき、コントロールできなければ危険かもしれない」

クロヴィスも頷いた。確かに未知の力は、両刃の剣となりうる。

「実は...一つ考えがあります」

彼は慎重に言葉を選んだ。

「再び、ヴァレリアンと接触してみてはどうでしょう」

「ヴァレリアン?敵の指揮官と?」

レティシアの驚きの声に、クロヴィスは静かに頷いた。

「彼は『時の紋章』について、私たちよりも多くを知っているようです。そして彼には...私たちに話す意志があるように感じました」

「どういうこと?」

「彼は私を捕えることも殺すこともできたはずです。しかし、そうせずに見逃した。それには理由があるはずです」

クロヴィスの推測にレティシアは考え込んだ。確かに、敵の指揮官が敵の参謀を見逃すというのは不可解な行動だった。

「彼には何か別の目的があるのでしょうか」

「それを探るためにも、接触する価値はあると思います」

レティシアは思案した後、決断を下した。

「わかったわ。でも危険すぎる計画は認めない。どうやって接触するつもり?」

クロヴィスは地図を広げ、ある地点を指し示した。

「この中立地帯。かつての聖域とされる場所です。古くから、敵対する者同士が和平交渉を行う場として使われてきました」

「聖域...」

「はい。そこに使者を送り、会談を申し込むのです」

レティシアはなおも懸念の色を浮かべていたが、それ以上の反対はしなかった。彼女も「神の血」の謎を解き明かしたいという思いが強かったのだ。

「わかったわ。使者を送りましょう」

クロヴィスは頷き、すぐに準備を始めた。彼の心には、ヴァレリアンとの奇妙な会話が蘇っていた。敵であるはずの彼が、なぜ「時の紋章」の知識を共有しようとするのか。そして彼がミラドニア帝国のために戦う本当の理由は何なのか。

使者が準備される中、クロヴィスは窓辺から遠くの敵陣を見つめていた。その瞳に金色の光が宿り、未来視の力が作動する。彼が見たのは、聖域でヴァレリアンと向き合う自分の姿。そしてその背後に広がる、不穏な未来の影だった。

(続く)
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