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第26話:死闘、未来vs過去
しおりを挟む聖域への使者が出発して三日が経過した頃、ミラドニア帝国軍は突如として総攻撃を開始した。
「全軍、防衛態勢!」
アーケン砦は混乱に包まれた。使者が戻る前の、この予想外の攻勢に「王女軍」は慌てふためいた。
「ヴァレリアンの逆行でしょうか」
クロヴィスはレティシアに向かって言った。
「彼が会談の申し込みを知り、時間を巻き戻して攻撃命令を出した可能性が高いです」
二人は急いで塔に上り、戦場を見渡した。敵軍は三方向から砦に迫っていた。兵力は「王女軍」の三倍以上。明らかに圧倒的な戦力差があった。
「こちらの使者は?」
「まだ戻っていません。おそらく捕えられたか...」
クロヴィスの言葉は途中で途切れた。彼は未来視を使って三分後の未来を探り、顔色を変えた。
「前線を統率しているのはヴァレリアン本人です。彼は...私たちとの会談を望んでいるようです」
「会談?攻撃しながら?」
レティシアの疑問に、クロヴィスは厳しい表情で頷いた。
「彼なりの接触方法なのでしょう。私が前線に出れば、彼は応じるはずです」
レティシアは眉をひそめた。
「危険すぎるわ。それは罠かもしれない」
「その可能性も考慮しています。しかし、彼が本当に『時の紋章』について話すつもりなら、これは貴重な機会です」
二人は沈黙の中で視線を交わした。
「行くわ。一緒に」
レティシアの決意に、クロヴィスは困惑の色を浮かべた。
「それは危険です。あなたは指揮官として—」
「私の中に眠る力について知るためなら、危険を冒す価値はある」
彼女の瞳に強い意志が宿っていた。クロヴィスは懸念を抱きながらも、彼女の決意を尊重した。
「わかりました。ですが約束してください。私の指示に従うと」
「ええ」
レティシアは頷き、すぐに準備を始めた。
◆◆◆
戦場は既に混乱の極みにあった。「王女軍」は砦の周囲に防衛線を築き、必死に敵軍の侵攻を食い止めていた。しかし、兵力差は明らかで、少しずつ押されつつあった。
クロヴィスとレティシアは、小さな護衛隊を従えて最前線へと向かった。クロヴィスは執事の服装から軽装の戦闘服に着替え、両手には細身の短剣を構えていた。レティシアも青と金の軍装に身を包み、宝剣を手に持っていた。
「前方五百メートルの丘にヴァレリアンがいます」
クロヴィスの未来視が捉えた光景を、二人は目指した。
丘に近づくにつれ、敵兵の攻撃が不自然に弱まっていった。彼らは意図的に道を開けているかのようだった。
「警戒してください」
クロヴィスの警告に、護衛の兵士たちは緊張を高めた。
丘の上に到達すると、そこには紫色の瞳を持つ銀髪の男——ヴァレリアンが一人で立っていた。彼は青い宝石の杖を手に持ち、クロヴィスたちを見つめていた。
「よく来た、『視界』の紋章を持つ者よ」
彼の声は静かだったが、威厳に満ちていた。
「そして『神の血』を持つ女よ」
彼の視線がレティシアに移る。
「聖域での会談を拒み、代わりに攻撃を仕掛けるとは」
クロヴィスは冷静に言った。
「恐縮だ」
ヴァレリアンは微笑んだが、その目に笑みは届いていなかった。
「しかし、これが最も確実な接触方法だった。ディアナや宰相の監視の目を欺くためにもね」
クロヴィスの表情が僅かに変化した。ヴァレリアンの言葉は、彼が単独で行動していることを示唆していた。
「何が目的だ?」
「既に伝えたはずだ」
ヴァレリアンは杖を軽く回した。
「『時の紋章』について話すために来た。そして...」
彼の目がレティシアに向けられる。
「あなたの中に眠る『神の血』について」
レティシアは緊張しながらも、毅然とした態度を崩さなかった。
「私に何を望むの?」
「まずは、あなたの力の真価を見せてほしい」
ヴァレリアンの言葉に続いて、彼の瞳が紫色に輝いた。
「『逆行』の力で」
クロヴィスの反応は一瞬だった。彼は未来視を使い、ヴァレリアンの次の動きを予測した。三秒後、彼は左から攻撃してくる——その未来を見た瞬間、クロヴィスはレティシアを庇うように前に出た。
しかし何も起きなかった。
「見事だ」
ヴァレリアンは感心したように言った。
「私が『逆行』の力を使い、左から攻撃する未来を作った。しかし君はそれを見抜き、先に対応した」
クロヴィスは冷静を装いながらも、内心は驚いていた。ヴァレリアンの「逆行」が起きる前に、彼の未来視がその結果を捉えたのだ。
「面白い実験だったが、本題に入ろう」
ヴァレリアンは一歩前に出た。
「あなたがたに伝えたいのは、『時の紋章』の真実と、それを持つ者たちの運命だ」
彼の口調は真剣さを増した。
「しかし、言葉だけでは伝わらない。実際に体験してもらおう」
突然、彼は杖を大きく振りかぶった。青い光が杖から放たれ、クロヴィスたちに向かって飛来する。
「危険!」
クロヴィスの警告に、護衛の兵士たちが盾を構えた。しかし光は盾を通り抜け、地面に衝突。爆発的な衝撃波が発生した。
クロヴィスはレティシアを抱き寄せ、爆風から守った。護衛の兵士たちは吹き飛ばされ、無事だがしばらく戦闘不能の状態に陥った。
「貴様...!」
クロヴィスの目が怒りに燃えた。
「これが私の本当の目的だ」
ヴァレリアンは杖を構えた。
「『視界』対『逆行』。私たちの力の真価を試したい」
クロヴィスは瞬時に状況を判断した。護衛は無力化され、レティシアと彼だけが残された。今は逃げるよりも、ヴァレリアンの真意を探るべきだろう。
「レティシア様、下がってください」
彼は短剣を構え、ヴァレリアンに向き合った。
「行くぞ、『視界』の継承者よ」
ヴァレリアンの言葉と共に、戦いが始まった。
◆◆◆
ヴァレリアンの最初の攻撃は素早かった。彼は杖から青い光弾を放ち、クロヴィスに向かって飛ばした。クロヴィスは未来視でその軌道を予測し、見事に回避した。
「予想通りだな」
ヴァレリアンは微笑んだ。
「しかしこれはどうだ?」
彼は「逆行」の力を使い、時間を少し巻き戻した。今度は光弾の角度を変え、クロヴィスの回避先を狙った。
しかしクロヴィスの未来視は、その「逆行」後の未来も捉えていた。彼は更に別の方向に跳び、再び攻撃を回避した。
「面白い」
ヴァレリアンの目が輝きを増した。
「君の『視界』は、私の『逆行』で変化した未来も見ることができるのか」
クロヴィスは答えず、今度は自ら攻撃に転じた。短剣を手に、ヴァレリアンに向かって疾走する。彼の動きは暗殺者時代の技術に裏打ちされた、洗練された殺しの動きだった。
ヴァレリアンは杖で彼の攻撃を受け止めた。予想以上の剣術の腕前だ。二人は一瞬にして数十の攻防を繰り広げた。
「君は暗殺者だったな?」
ヴァレリアンが言った。
「その技術は見事だ」
彼は杖を大きく振り、クロヴィスを押し返した。
「だが、私も剣術の達人。かつては王国最高の剣士と称されたこともある」
二人の戦いは、時間能力の応酬から次第に純粋な武術の対決へと変わっていった。クロヴィスの俊敏な動きと二本の短剣による攻撃に対し、ヴァレリアンは杖一本で対応する。彼の杖さばきは、まるで剣のように正確で力強かった。
「なぜ敵として戦う?」
攻防の合間に、クロヴィスは問うた。
「なぜミラドニア帝国に仕える?」
「彼らに忠誠を誓っているわけではない」
ヴァレリアンの返答に、クロヴィスの動きが一瞬止まった。
「私の目的は別にある。『神々への復讐』だ」
「神々への...?」
その隙を突き、ヴァレリアンの杖がクロヴィスの肩を捉えた。鋭い痛みが走る。しかし、クロヴィスは後退せず、その痛みを押し殺して反撃した。
「神々とは何だ?」
彼は短剣を振るい、ヴァレリアンの胸元を狙った。しかし相手はそれを見事に受け流した。
「時の紋章を作り出した存在たちだ」
二人は一時的に距離を取った。両者とも息が上がり、傷を負っていた。
「彼らは私たちを実験台とし、玩具として扱ってきた」
ヴァレリアンの声には、深い憎しみが滲んでいた。
「私は彼らの一人によって『逆行』の力を与えられた。しかし、それは祝福ではなく、呪いだった」
彼の言葉にクロヴィスは眉を寄せた。バルドルから聞いた「神の声」を思い出していた。
「あなたは神の子?」
「そう呼ばれたこともある」
ヴァレリアンは苦々しく言った。
「だが実際は、神の実験体に過ぎない」
彼は再び杖を構え、攻撃を再開した。今度の攻撃はさらに激しさを増していた。杖から放たれる光弾はより速く、より強力になっていた。
クロヴィスは未来視を駆使して回避を続けたが、徐々に追い詰められていった。彼の未来視は相手の動きを予測できても、体がついていかなくなっていたのだ。
「クロヴィス!」
レティシアの声が響いた。彼女は戦いを見守りながらも、介入するタイミングを計っていたのだろう。
「大丈夫です!」
クロヴィスは彼女を安心させようとしたが、その瞬間、ヴァレリアンの杖が彼の胸を直撃した。強い衝撃に、クロヴィスは数メートル吹き飛ばされた。
「クロヴィス!」
レティシアの叫びが戦場に響く。彼女は躊躇なく宝剣を抜き、ヴァレリアンに向かって駆け出した。
「来るな!」
クロヴィスは必死に声を絞り出した。
「彼の狙いはあなたです!」
しかし、レティシアは止まらなかった。彼女の剣がヴァレリアンに向かって閃く。
ヴァレリアンは冷静に彼女の攻撃を受け止めた。
「来てくれたか、『神の血』の継承者よ」
彼の言葉に、レティシアの動きが一瞬止まった。
「あなたの血には、複数の紋章の力が眠っている。『停止』はその一つに過ぎない」
ヴァレリアンの紫色の瞳が、レティシアを見つめた。
「力を解放してみせろ。危機の時にこそ、真の力は現れる」
「何を...」
レティシアの言葉の途中、ヴァレリアンの杖が彼女に向かって振り下ろされた。
「レティシア様!」
クロヴィスの絶叫が響く。彼は全力で身を起こし、彼女に向かって走り出した。しかし間に合わない——
その瞬間だった。
レティシアの体から、突如として金色の光が放たれた。その光は周囲に広がり、まるで時間そのものを支配するかのような領域を形成した。そして信じられないことに、戦場全体が静止したのだ。
ヴァレリアンの杖、飛び交っていた矢、走っていた兵士たち——すべてが凍りついたように止まった。
「これは...」
レティシアは自分の手から溢れ出る光を見つめ、困惑していた。
「『時の紋章:停止』の力です」
クロヴィスはようやく彼女の元に辿り着き、息を切らしながら言った。
「しかし、前回よりも広範囲に...」
戦場全体が静止する光景は圧巻だった。しかし、その静止は長くは続かなかった。徐々に時間が流れ始め、動きが戻ってきた。最初に動きを取り戻したのはヴァレリアンだった。
「見事だ...」
彼の表情には、驚きと共に何か別の感情——満足のようなものが浮かんでいた。
「これが『神の血』の力...」
クロヴィスはその隙を逃さなかった。彼は素早くヴァレリアンに飛びかかり、短剣を彼の喉元に突きつけた。
「動くな」
彼の声は冷たかった。
「話せ。『神の血』とは何だ?なぜレティシア様がその力を持っている?」
ヴァレリアンは抵抗せず、むしろ微笑んだ。
「それこそ、私が伝えたかったことだ」
彼は静かに言った。
「『神の血』とは、時の神々の血を引く者たちのこと。彼らは人間の姿をしているが、その血には複数の紋章の力が眠っている」
「時の神々?」
レティシアが近づきながら尋ねた。
「彼らは宇宙創造の瞬間から存在する原初の存在だ」
ヴァレリアンの声は低く、重々しかった。
「彼らは人間界を作り出し、時間という概念を創造した。そして自分たちの力の一部を『時の紋章』として残した」
彼はレティシアを見つめた。
「あなたの先祖は、おそらく神々の一人と人間の間に生まれた子孫。だからこそ、その血には複数の紋章の力が眠っている」
レティシアの表情が凍りついた。自分の出自に関わる、あまりにも衝撃的な真実だった。
「そして、なぜ神々に復讐するのだ?」
クロヴィスの問いに、ヴァレリアンの目に憎悪が浮かんだ。
「神々は私たち——紋章の力を持つ者たちを、単なる道具として扱ってきた」
彼は自分の紫色の瞳を指さした。
「この目は、『逆行』の紋章を与えられた証。私は時の神ドルファの落とし子として生まれた。彼に選ばれ、彼のために戦うよう強いられてきた」
「何のために?」
「人間界の時間を収穫するためだ」
ヴァレリアンの言葉に、二人は息を呑んだ。
「神々は人間の時間を糧として生きている。彼らは定期的に『時間収穫』を行い、人間たちから時間を奪い取る」
彼の言葉は、公開裁判の日にディアナが行った「時間収穫」の儀式を思い起こさせた。
「紋章を持つ者たちは、その収穫を手助けする存在として創られた。だが、私はそれを拒んだ」
ヴァレリアンの声には激しい怒りが込められていた。
「人間として育った私は、神々の真の目的を知り、裏切られたと感じた。それ以来、私は神々に復讐を誓ったのだ」
クロヴィスは彼の言葉を信じるべきか迷った。しかし、バルドルから聞いた「神の声」と一致する点が多い。「人間よ、我々の時を返せ」という神の警告は、ヴァレリアンの言葉と呼応していた。
「なぜこれをミラドニア帝国のために戦う理由にする?」
レティシアが問うた。
「単純な取引だ」
ヴァレリアンは肩をすくめた。
「彼らは私に力と資源を提供し、見返りに私の能力を使わせる。そして何より...この戦争は、神々の代理人であるディアナや宰相に対抗する絶好の機会だからだ」
クロヴィスはようやく理解した。ヴァレリアンは自分の復讐のために戦争を利用していたのだ。そして彼は、レティシアとクロヴィスにも同じ目的を持っていると感じていた。
「だが、もう十分だ」
突然、ヴァレリアンが言った。
「今日の目的は達成された。お前たちに『神の血』の真実を伝え、その力を目覚めさせること」
彼は紫色の瞳を輝かせた。
「次に会う時は、もっと多くを話そう。しかし今は...」
「『逆行』を使うつもりか」
クロヴィスは短剣を強く押し付けた。
「その通り」
ヴァレリアンは微笑んだ。
「今日の戦いは『無かったこと』にする。私たちの会話を知る者は、お前たち二人だけになる」
その言葉と共に、彼の体から紫色の光が溢れ出た。クロヴィスは彼を止めようとしたが、時すでに遅し。空間が歪み、時間が巻き戻り始めた。
「待て!」
クロヴィスの声が虚空に消える。
そして気がつくと、彼とレティシアはアーケン砦の塔の上に立っていた。周囲を見回すと、戦いは始まったばかりのようだった。
「これは...」
レティシアが困惑した表情で言った。
「ヴァレリアンの『逆行』です」
クロヴィスは状況を理解した。ヴァレリアンは時間を大きく巻き戻し、彼らとの戦いを「無かったこと」にしたのだ。しかし、不思議なことに二人の記憶だけは残されていた。
「彼の言っていたこと...信じられる?」
レティシアの声には動揺が滲んでいた。
「全てとは言えませんが、部分的には真実でしょう」
クロヴィスは慎重に言った。
「バルドルの話や、私たちが経験したことと一致する点が多すぎます」
二人は黙って戦場を見下ろした。敵軍の攻勢は続いていたが、丘の上にヴァレリアンの姿はなかった。彼はおそらく、作戦を変更したのだろう。
「時の神々...『神の血』...」
レティシアは静かに呟いた。
「私の中に眠る力が、そこから来ているならば...」
「どんな力であれ、それはあなた自身のものです」
クロヴィスは彼女に向き合った。
「その起源が何であれ、あなたはあなたです。レティシア・フォン・ルーベンシュタイン」
彼の言葉に、レティシアの表情が柔らかくなった。
「ありがとう、クロヴィス」
二人は再び戦場に目を向けた。戦いは続いている。しかし彼らの心には新たな認識が芽生えていた。これは単なる国家間の戦争ではない。より大きな、神々を巻き込んだ戦いの一部なのだと。
「準備しましょう」
クロヴィスは決意を込めて言った。
「この戦いは、私たちが思っていたよりも複雑です。しかし、あなたの力と私の未来視があれば...」
「ええ、必ず道は開けるわ」
レティシアの目には強い決意が宿っていた。彼女の中の「神の血」が何であれ、彼女はそれを自分の力として受け入れる覚悟を決めたようだった。
戦場では、砦を守る「王女軍」と攻め寄せるミラドニア帝国軍の激しい戦いが続いていた。しかし、今やこの戦争の背後には、より大きな存在の影が見え隠れしていた。
(続く)
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