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第28話:執事の極限戦術
しおりを挟むヴァレリアンの遺した青い杖を前に、クロヴィスは深く思索に沈んでいた。アーケン砦の執務室には、地図や資料が散乱し、徹夜で戦術を練っていた形跡が見て取れる。窓から差し込む朝日が彼の疲れた顔を照らしていた。
「クロヴィス、また徹夜?」
ドアが開き、レティシアが心配そうに顔を覗かせた。
「はい、少し考え事を」
彼は微笑みかけたが、その目に疲労の色は隠せなかった。レティシアは部屋に入り、彼の隣に座った。
「何か思いついたの?」
クロヴィスは青い杖を手に取り、静かに言った。
「ヴァレリアンの言葉を考えていました。『時の紋章』の力は互いに干渉し合うということ...」
彼は地図に向き直った。その上には様々な記号とメモが散りばめられていた。
「三つの紋章の力——あなたの『停止』、私の『視界』、そしてヴァレリアンの『逆行』。これらを組み合わせれば、ディアナの『始まり』に対抗できるかもしれません」
レティシアは興味深そうに地図を覗き込んだ。
「どんな戦術?」
「まず、あなたの『停止』の力で敵の動きを一時的に止める。その間に、私の『視界』で敵の次の動きを予測する。そして、『逆行』の力で失敗を修正する」
彼の説明に、レティシアの目が輝いた。
「三つの時間能力の連携...」
「はい。問題は、『逆行』の力をどう使うかです」
クロヴィスは青い杖を見つめた。
「ヴァレリアンの杖に宿る力をコントロールできなければ...」
そのとき、ドアがノックされた。
「入ってください」
バルドルが杖をつきながら入ってきた。彼の容態は徐々に回復していたが、まだ完全ではなかった。
「『逆行』の力について、さらに神の声が聞こえました」
彼の言葉に、二人は身を乗り出した。
「何と?」
「『逆行』の杖は、持ち主の意思に応じて力を発揮するそうです。強い意志があれば、その力を借りることができる」
クロヴィスは思案するように杖を見つめた。
「強い意志...」
「そして、『視界』と『停止』の力と共鳴すれば、その効果は増幅するとも」
バルドルの言葉に、クロヴィスの表情が明るくなった。
「それなら可能かもしれない。三つの力を同時に使う戦術が」
彼は立ち上がり、部屋を歩き始めた。思考が加速しているようだった。
「時間はあとわずかです」
バルドルが言った。
「神々の声によれば、ディアナの『始まり』の力は明日、完全に開花するとのこと」
「それまでに準備を整えなければ」
クロヴィスは決意を固めた。
「エドガーを呼んでください。作戦会議を開きます」
◆◆◆
作戦会議では、クロヴィスの提案する「三時の連携」戦術が詳細に説明された。エドガーをはじめとする「王女軍」の幹部たちは、当初は懐疑的な表情を浮かべていたが、クロヴィスの明確な説明に次第に納得していった。
「最重要なのは、タイミングです」
クロヴィスは地図上の位置を指し示した。
「レティシア様の『停止』の力は一時的なもの。その効果が続いている間に、私の『視界』で敵の動きを予測し、部隊を配置します」
「そして『逆行』は?」
エドガーが尋ねた。
「失敗した行動を修正するために使用します。状況によっては、時間を少しだけ巻き戻し、違う選択をする」
幹部たちは信じられないというような表情を交換し合った。
「それが...本当にできるのですか?」
「できますとも確言はできません」
クロヴィスは正直に答えた。
「しかし、これが私たちの最良の策だと信じています」
レティシアが立ち上がった。
「私はクロヴィスを信じます。この作戦に賭けましょう」
彼女の言葉に、幹部たちも渋々ながら同意した。
「では、準備を始めてください。明日の夜明けまでに全てを整えるのです」
会議が終わった後、クロヴィスはひとり塔に上り、遠くの敵陣を見つめた。彼は静かに目を閉じ、未来視の力を極限まで高めようと集中した。
「3秒先...3分先...3時間先...」
彼の意識は時間の流れを超え、様々な未来を同時に探っていく。
「3日先...3ヶ月先...3年先...」
彼の体から金色の光が僅かに漏れ出し、「視界」の紋章の力が最大限に発揮されていた。クロヴィスは、可能な全ての未来を見渡していた。無数の分岐する道筋、様々な選択肢と、それによって生まれる異なる結末。
その中で、彼は一筋の光を見出した——勝利への唯一の道。それは細く、危険に満ちた道だったが、確かに存在していた。
「見つけた...」
彼は目を開け、深い決意を胸に抱いた。
◆◆◆
夜明け前、「王女軍」の全兵力がアーケン砦の周囲に配置された。クロヴィスの未来視によれば、敵軍はこの日の朝、総攻撃を仕掛けてくるはずだった。
クロヴィスとレティシア、そしてバルドルは砦の塔に位置し、戦況を見渡せる場所に陣取っていた。クロヴィスは青い杖を手に、静かに呼吸を整えていた。
「本当にできる?」
レティシアが小声で尋ねた。
「絶対とは言えませんが...」
クロヴィスは青い杖を見つめた。
「全力を尽くします」
東の空が白み始めると同時に、敵軍の姿が地平線上に現れた。ミラドニア帝国軍の全兵力が、一斉にアーケン砦に向かって進軍してきたのだ。
「来ました」
クロヴィスの声は冷静だった。
「あなたの『視界』は?」
「はっきりと見えています」
彼の瞳が金色に輝き始めた。
「敵軍は三方向から攻めてきます。しかし、主力は東側からです」
レティシアは深呼吸し、自分の中に眠る力を呼び覚まそうとした。
「私の『停止』はまだ完全にコントロールできません」
「大丈夫です」
クロヴィスは彼女に微笑みかけた。
「危機の時に、力は目覚めます」
敵軍はますます近づき、その数は「王女軍」を遥かに上回っていた。彼らの進軍は、まるで黒い波のように見えた。
「今です!」
クロヴィスの合図で、レティシアは前に踏み出した。彼女は目を閉じ、自分の中の力を解放しようと集中した。
最初、何も起きなかった。しかし次の瞬間、彼女の体から金色の光が溢れ出し、周囲に広がっていった。光は砦を越え、戦場全体を覆い尽くす。
「成功しました!」
クロヴィスの声に、レティシアは目を開けた。驚くべきことに、敵軍の動きが完全に停止していた。何千もの兵士が、まるで時間が止まったかのように動きを止めていたのだ。
「行きましょう!」
クロヴィスは青い杖を高く掲げた。彼の未来視が最大限に働き、敵軍の次の動きを全て予測していた。
「エドガー隊は北側へ!トム隊は東の包囲を!」
彼の指示に従い、「王女軍」の各部隊が素早く移動を始めた。レティシアの「停止」の効果は長くは続かないだろう。その短い時間を最大限に活用するために、クロヴィスは未来視で見た最適な配置へと部隊を導いていた。
やがて、敵軍が再び動き始めた。「停止」の効果が切れたのだ。しかし、その時には既に「王女軍」の各部隊が最適な位置に就いていた。敵は混乱し、進軍が乱れ始めた。
「第二段階に移ります」
クロヴィスは冷静に告げた。彼の未来視により、敵の次の行動がすべて読めていた。彼は各部隊に対し、敵の動きを先回りする指示を出していく。
「東側の敵部隊が陣形を変えます。その隙を突くのです」
エドガー率いる騎兵隊が、その指示通りに動いた。彼らは敵の陣形変更の瞬間を捉え、突撃。敵部隊に大きな混乱をもたらした。
「北側、敵の援軍が来ます。トム隊は後退し、罠に誘導してください」
トムの斥候隊も指示通りに行動。敵の援軍を待ち伏せ地点へと誘導することに成功した。
「完璧です」
バルドルは感嘆の声を上げた。
「クロヴィス殿の戦術通りに全てが動いている」
しかし、勝利の喜びもつかの間、予期せぬ事態が発生した。敵軍の中央から、突如として紫色の光が立ち上がったのだ。
「ディアナ...!」
クロヴィスの表情が強張った。未来視にも映っていなかった出来事だった。
紫色の光の中心には、変貌したディアナの姿があった。彼女は人間の形をしていながらも、その姿はどこか異質だった。紫の瞳は深い赤に変わり、全身から不気味な靄が立ち上っていた。
「『時の紋章:始まり』の力が完全に解放された...」
バルドルが恐れおののく声で言った。
「神の使徒として覚醒したのだ」
ディアナの変わり果てた姿を見て、戦場は一瞬静まり返った。敵味方問わず、全ての兵士が恐怖に打ちのめされていた。
「我が名はディアナ・オム・ハロネウス」
彼女の声は、不自然に響き渡った。
「時の神ハロネウス様の使徒として、ここに降臨した」
彼女は両手を広げ、紫色の光線を放った。光線が通った地面は歪み、崩れ始める。さらに恐ろしいことに、光線に触れた兵士たちは急速に老化し、最後には灰となって消えていった。
「これが『始まり』の力...!」
クロヴィスは愕然とした。物事の起源、つまり「始まり」を操作することで、彼女は物質を原初の状態に戻したり、生命を誕生前の無に返したりすることができるのだ。
「このままでは全滅します」
彼は急いでレティシアとバルドルを見た。
「ここで『逆行』の力を使います」
クロヴィスは青い杖を高く掲げた。
「私の意志よ、杖に宿れ...!」
彼の強い思いが青い杖に伝わったのか、杖から紫色の光が放射され始めた。クロヴィスの体が僅かに浮き上がり、周囲の空間が歪む。
「見事だ!」
バルドルが驚嘆の声を上げた。
「彼は『逆行』の力を使いこなしている!」
クロヴィスの意識は時間の流れを遡っていた。数分前、ディアナが現れる直前まで。彼はその瞬間の記憶を保ったまま、時間を巻き戻すことに成功したのだ。
「今度は違う選択を...」
時間が再び流れ始め、クロヴィスは即座に行動した。
「全軍、即座に後退!中央に要注意!」
突然の命令に兵士たちは困惑したが、クロヴィスの確固たる声に従った。そして彼の言葉通り、数秒後に中央から紫色の光が立ち上がった。
「的確な予測...!」
エドガーは驚愕した。
「未来視だけでなく、これがヴァレリアンの杖の力か...」
クロヴィスの指示により、兵は事前にディアナの光線から避難していた。彼女の攻撃は空振りとなり、犠牲者は最小限に抑えられた。
「まだだ!」
クロヴィスは未来視と「逆行」の力を組み合わせ、最大限の効果を発揮していた。敵の動きを予測し、失敗したら時間を巻き戻して再挑戦する——この連携は「王女軍」に圧倒的なアドバンテージをもたらした。
「レティシア様!」
クロヴィスの叫びに応え、レティシアは再び「停止」の力を解放した。彼女の周囲から金色の光が広がり、ディアナの放つ紫色の光線と衝突。二つの光が戦場の上空で渦を巻き、異様な光景を作り出した。
「『永遠』の力が目覚めつつあります!」
バルドルが叫んだ。
「『停止』と『永遠』、二つの力が混ざり合っている!」
レティシアの金色の光はより強く、より広範囲に広がっていった。それはディアナの紫色の光線を次第に押し戻していく。
「いくぞ!」
クロヴィスの号令で、「王女軍」は反撃に転じた。「三時の連携」——レティシアの「停止」、クロヴィスの「視界」、そして「逆行」の力の完璧な組み合わせにより、彼らは絶対的に不利な戦力差を覆していた。
ミラドニア帝国軍は次第に混乱し、統制を失い始めた。多くの兵士が恐怖に駆られて逃走し始め、一部は投降してきた。
「勝てる...!」
エドガーの声に希望が灯った。
ディアナの変貌した姿が空中に浮かび上がり、怒りに満ちた赤い瞳を光らせた。
「この程度の力で、神に逆らえると思うか?」
彼女の声はさらに不気味さを増していた。
「真の力を見せてやろう」
彼女の背後に、巨大な影が形成され始めた。人の形をしているようでいて、どこか歪んだその姿は、時の神ハロネウスの投影のようだった。
「これが始まりに過ぎないことを知れ」
ディアナの言葉と共に、空から強烈な紫色の光線が降り注いだ。それは地面に激突し、大地を焼き尽くす。爆発的な衝撃波が発生し、戦場全体が変貌した。
「後退!全軍後退!」
クロヴィスの命令に、「王女軍」は急いで砦に撤退し始めた。
「まだ勝機はあります」
彼はレティシアとバルドルを促した。
「ですが、今は退くべきです。次の戦いに備えなければ」
レティシアは戦場を一瞥し、苦渋の決断をした。
「撤退を」
彼女の言葉に従い、「王女軍」は秩序を保ちながら撤退。クロヴィスの「逆行」と「視界」の力で、敵の追撃をかわすことに成功した。
戦場には大きなクレーターが残り、紫色の炎が燃え続けていた。それは「始まり」の力による破壊の痕跡だった。しかし同時に、「王女軍」の兵士たちの心には希望も生まれていた。あれほどの神の使徒相手でも、彼らは一度は優勢に立った。クロヴィスの「極限戦術」と、レティシアの「神の血」の力があれば、勝利の可能性はゼロではないのだ。
砦に戻りながら、クロヴィスは極度の疲労を感じていた。「逆行」の力を使うことは、彼の想像以上に体力と精神力を消耗するものだった。しかし同時に、彼の心には確かな手応えもあった。
「次は...もっと綿密に準備します」
彼はレティシアに向かって言った。
「三つの時の力、そして『神の血』...私たちの連携をさらに強化すれば」
レティシアは静かに頷いた。彼女の瞳には疲れと共に、強い決意が宿っていた。
「神々に抗う戦い...始まったのね」
彼女の言葉に、クロヴィスは深く同意した。これはもはや、単なる人間同士の戦争ではなかった。「時の紋章」を巡る、神々との決戦が始まったのだ。
(続く)
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