『婚約破棄された聖女、魔王の妻として闇堕ちします ~もう「いい子」はやめました~』

ソコニ

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第3話:魔王の出現

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黒雲を抜け、リリエルの目の前に魔王城が姿を現した。

漆黒の石で築かれた巨大な城は、周囲の荒涼とした大地を見下ろすように聳え立っていた。尖った塔と禍々しい装飾の数々——それは聖女館の清楚な建築とは正反対の、闇の美しさを放っていた。

「これが...魔王城」

リリエルの言葉に、魔王ヴァルゼスは彼女を強く抱きしめた。

「お前の新しい住まいだ」

彼の声には独占欲が滲んでいた。リリエルは魔王の胸に抱かれたまま、魔王城の中庭に降り立った。

周囲には多くの魔族が集まり、好奇の目で彼女を見つめていた。角や尻尾、翼を持つ者、人間に近い姿をした者、様々だ。彼らの目には警戒と共に、興味が宿っていた。

「魔王様が連れ帰ったのは...人間か?」
「いや、あの髪...聖女ではないのか?」
「なぜ聖女が魔王様と...」

囁きが広がる中、ヴァルゼスはリリエルの腰に腕を回したまま、堂々と城の中へと歩を進めた。その仕草には、彼女を自分のものだと主張する意思が明確に示されていた。

「魔族たちには構うな」魔王が彼女に囁いた。「彼らはお前に従うだけでいい」

冷たい大理石の床と、壁に掲げられた異形の装飾が続く廊下を通り、彼らは魔王の執務室へと辿り着いた。

執務室は驚くほど豪奢だった。赤黒い調度品と黄金の装飾、そして一面の本棚。知的な趣味を持つ支配者の部屋という印象だ。

ヴァルゼスはリリエルを座らせると、自らはデスクに腰かけた。彼の金色の瞳が、彼女を食い入るように見つめる。

「さて、リリエル・アーディアン」ヴァルゼスの声は低く、魅惑的だった。「お前は本当に俺に従う気があるのか?」

リリエルは真っすぐに魔王を見つめ返した。彼女の青い瞳には、かつての聖女の慈愛は宿っていなかった。そこにあるのは冷たい決意だけだった。

「ええ。私はあなたに従います」彼女は静かに言った。「ただし条件があります」

「条件?」魔王は面白そうに片眉を上げた。「俺の捕虜が条件を出すとは」

「捕虜ではなく、協力者として」リリエルは冷静に言い返した。「私があなたに従う代わりに、あなたは私の復讐に力を貸してください」

「ほう」魔王の唇が歪んだ。「王国に対する復讐か」

「はい。私を裏切った全ての者に——王太子アレン、偽聖女ルミエル、そして...私を見捨てた民たち」

リリエルの声には、かつてない冷酷さがあった。魔王は彼女の変化を楽しむように観察していた。

「面白い」魔王が立ち上がり、彼女に近づいた。「元聖女が復讐を望むとはな」

彼はリリエルの顎を指で持ち上げ、彼女の顔を覗き込んだ。

「だが俺は疑問に思う。お前は本当に復讐を遂げられるか?」魔王の声には挑発があった。「お前は『聖女』だったのだろう? 人を憎み、呪う心があるのか?」

リリエルは一瞬だけ迷った。確かに彼女は長年、聖女として人々を愛し、神に仕えてきた。しかし——

「もうあの聖女は死にました」

彼女の声は氷のように冷たかった。

「あの処刑台の上で、私の中の『聖女』は死にました。残ったのは...裏切られた女です」

魔王の目に驚きが浮かんだ。次の瞬間、彼は高らかに笑った。

「素晴らしい!」魔王の笑いは部屋中に響き渡った。「お前は俺の期待を裏切らない」

彼はリリエルの手を取り、立ち上がらせた。二人の間にはほとんど距離がなかった。魔王の体温と、彼の放つ威圧的な魔力がリリエルを包み込む。

「リリエル・アーディアン、俺はお前を気に入った」魔王の声には欲望が混じっていた。「お前が望む復讐のために、俺の力を使わせよう」

魔王の魔力が部屋を満たす。その圧倒的な存在感に、リリエルは息を呑んだ。

「だが、代償は必要だ」

魔王が彼女の耳元で囁いた。その息がリリエルの首筋を撫でる。

「代償...?」

「ああ」魔王は彼女の髪に指を滑らせた。「お前は俺のものになれ」

リリエルの瞳が広がった。

「あなたの...もの?」

「そうだ」魔王の声は強引さを増した。「俺の妻となれ」

リリエルは一歩後ずさった。予想外の言葉に戸惑いを隠せない。

「妻...?」

「驚いたか?」魔王は彼女の反応を楽しむように笑った。「だが考えてみろ。元聖女が魔王の妻となる——これ以上の王国への侮辱があるか?」

その言葉に、リリエルの心が揺れた。確かに、彼の言う通りだ。聖女が魔王に堕ちる——それは神への、王国への、そして裏切った者たちへの最大の反逆となる。

「魔王の...妻」

彼女はその言葉を試すように口にした。奇妙なことに、その響きは彼女の心に不思議な高揚を与えた。

「これを」

ヴァルゼスはデスクの引き出しから小さな箱を取り出した。開くと、中には深紅の宝石が埋め込まれた黒い指輪があった。

「この指輪は血の契約の証だ。これを身につければ、お前は俺の魔力を使うことができる」

彼は指輪をリリエルの左手の薬指に差し出した。

「選べ、リリエル。聖女の誇りを捨て、俺の妻となるか。それとも...」

彼はもう一方の手に黒い炎を灯した。

「ここで死ぬか」

リリエルは指輪を見つめた。聖女であった彼女なら、死を選んだだろう。しかし今の彼女は——

「私は選びます」彼女は静かに左手を差し出した。「あなたの妻になります、魔王ヴァルゼス」

魔王の笑みが深まった。彼は指輪をリリエルの指に滑り込ませた。

その瞬間、激しい痛みが彼女の体を貫いた。指輪から黒い模様が彼女の指に広がり、やがて左手全体を覆う。彼女は叫び声を上げようとしたが、魔王が彼女の唇を自分の唇で塞いだ。

強引な口づけは、契約の成立を告げるものだった。

痛みが収まると、リリエルの左手には複雑な黒い刻印が残されていた。魔王の血の契約の証だ。

「これで契約は成立した」魔王が彼女を抱きしめる。「お前は俺の妻だ。俺のものだ」

その言葉には所有欲が滲んでいた。リリエルは彼の胸に頭を預けた。不思議なことに、この男の腕の中にいると安心感があった。裏切られ、捨てられた後で、誰かに必要とされることの心地よさ。

「さて」魔王が彼女の髪を撫でながら言った。「お前の復讐の計画を聞かせてもらおうか」

リリエルは魔王から身を離し、冷たい微笑みを浮かべた。

「まず、聖剣を奪います」

「聖剣?」魔王の目が鋭くなった。「王国の守護神器か」

「はい。その剣は本来、真の聖女にしか扱えないもの」リリエルは続けた。「私がそれを奪えば、ルミエルが偽物であることの証明になります」

「なるほど」魔王は感心したように頷いた。「賢い考えだ」

「そして次に、王太子アレンの弱さを国民に知らせます」彼女の目が冷たく光る。「彼が私を簡単に捨てたように、国民も彼を簡単に見限るでしょう」

魔王は彼女の冷酷な策略に笑みを深めた。

「お前の中の闇が美しい」彼は言った。「もはやそこに聖女の慈悲はないな」

「慈悲は必要ありません」リリエルは断言した。「私に必要なのは力だけです」

「力か」魔王の目が輝いた。「実はお前の中にはまだ聖女の力が残っている。だがそれは変わりつつある」

リリエルは自分の手を見た。確かに、彼女の中には光の力がまだ残っていた。しかし、血の契約によって、その力は何か別のものへと変わり始めていた。

「どういうことですか?」

「お前の聖女の力は、お前の心の闇と共に進化している」魔王は彼女の肩に手を置いた。「お前は『堕ちた聖女』として、新たな力を得るだろう」

その言葉に、リリエルの体に奇妙な高揚感が広がった。彼女の指先から、今まで感じたことのない力が漏れ出す。それは聖女の光でも、魔族の闇でもない、何か新たなものだった。

「この力で...」彼女は震える手を見つめた。「私は復讐を遂げられる」

「ああ」魔王は満足げに頷いた。「だが、その力を完全に解放するには時間が必要だ。まずはお前に魔王城を案内しよう。ここがお前の新しい家だ」

彼は彼女の手を取り、ドアへと導いた。

「明日から、お前の闇の道が始まる」魔王の声には期待が込められていた。「俺の妻、闇堕ちした聖女として」

リリエルはヴァルゼスの手を握り返した。彼女の心に今あるのは、復讐への冷たい決意だけだった。

かつての聖女は、もういない。
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