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第4話:魔王城への道
しおりを挟む翌朝、リリエルは見知らぬ寝室で目を覚ました。
天蓋付きの巨大なベッドに横たわり、周囲を見回す。黒と深紅を基調とした豪奢な調度品、窓から差し込む紫がかった朝日。ここが魔王城であることを思い出した。
左手を見ると、そこには昨日交わした契約の証——黒い刻印が浮かび上がっていた。
「本当に魔王の妻になったのね...」
彼女は呟きながら起き上がった。ベッドの傍らには、すでに新しい衣装が用意されていた。聖女の純白のドレスではなく、深紅と黒を基調とした優美なドレス。
ドアをノックする音がして、若い魔族の侍女が現れた。角が生え、尻尾を持つ少女だが、人間に近い姿だった。
「おはようございます、リリエル様」彼女は恭しく頭を下げた。「私はミーナ。魔王様の命により、お仕えすることになりました」
「リリエル...様?」
「はい」ミーナは顔を上げた。「魔王様の妻となられた方は、私たちにとって主です」
リリエルは複雑な気持ちで頷いた。昨日まで処刑されかけた身だったのに、今は魔族から敬意を払われている。皮肉な運命だった。
着替えを終えると、ミーナに案内され、食堂へと向かった。そこには既に魔王ヴァルゼスが待っていた。
「良く眠れたか?」魔王が彼女に微笑みかけた。
「ええ」リリエルは短く答えた。彼女の態度はまだ警戒心を隠していなかった。
「その衣装、よく似合っている」ヴァルゼスの視線が彼女の体を舐めるように見つめた。「白よりも赤の方が、お前には合っているな」
リリエルは黙って席に着いた。魔王は彼女の隣に座り、朝食が運ばれてきた。
「今日からお前の訓練を始める」魔王が言った。「お前の中の力を目覚めさせるためにな」
「私の...力?」
「そうだ」魔王の金色の瞳が鋭く光った。「お前は聖女の力を持ちながら、闇を受け入れた。その結果、お前の中には特別な力が眠っている」
リリエルは自分の手を見つめた。確かに、昨日から何かが変わっていると感じていた。体の中を流れるエネルギーが、以前とは異なっていた。
「それではまず、城内を案内しよう」
食事を終えると、魔王はリリエルを連れて魔王城の内部を巡り始めた。広大な城内には、訓練場、図書館、宝物庫、そして魔力を研究する実験室まであった。
「ここが魔法演習場だ」魔王が広い空間を示した。「ここでお前の力を試すことになる」
演習場には数人の魔族が訓練をしていた。彼らはリリエルを見ると、驚きと警戒の目を向けた。
「彼女は俺の妻だ」魔王がはっきりとした声で宣言した。「今後は敬意を持って接するように」
魔族たちは一斉に頭を下げた。しかし、その中の一人、赤い鎧を着た大柄な魔族が不満そうな表情を浮かべていた。
「しかし魔王様」彼が声を上げた。「人間を、それも聖女を妻にするとは...」
「グラウト」魔王の声が低く沈んだ。「お前は俺の判断に疑問を持つのか?」
空気が凍りついた。グラウトと呼ばれた魔族は膝をつき、頭を下げた。
「いいえ、魔王様。失礼いたしました」
「よろしい」魔王はリリエルの肩に手を置いた。「彼女は単なる人間ではない。これから見せてやろう」
魔王はリリエルを演習場の中央に導いた。
「お前の力を見せる時だ」彼は彼女の耳元で囁いた。「恐れることはない。俺がついている」
リリエルは不安を感じながらも頷いた。魔王が彼女から離れ、演習場の端に立った。
「聖女の力を使ってみろ」魔王が指示した。「かつてお前が使っていた癒しの力を」
リリエルは深呼吸をして、目を閉じた。かつて彼女が当たり前のように使っていた聖女の力——神の光を宿した癒しの力を呼び起こす。
しかし、何かが違った。
彼女の手から光が放たれた時、それはかつての純白の光ではなく、紫がかった光だった。そして、その力は以前よりもはるかに強大だった。
「これは...」リリエルは自分の手から放たれる光に驚いた。
「お前の力が変化している」魔王が満足げに言った。「光と闇、両方の力を持つ者となりつつあるのだ」
演習場の魔族たちは驚愕の表情でリリエルを見つめていた。彼女の放つ力は、聖女のものでありながら、魔族が恐れる神聖な痛みを与えなかった。
「では、次は攻撃の力を試してみよう」魔王が言った。「グラウト、的になれ」
赤い鎧の魔族が前に出た。彼の表情には不満が残っていたが、魔王の命令には逆らえない。
「ミーナ」魔王が侍女を呼んだ。「剣を持ってこい」
すぐに侍女が一振りの剣を持ってきた。それはリリエルが一度も見たことのない形状の剣だった。刀身は黒く、赤い模様が浮かび上がっている。
「これは『闇刀』。魔力を宿した武器だ」魔王がリリエルに剣を手渡した。「お前の力を込めて、グラウトを攻撃してみろ」
「でも私は戦いの経験がありません」リリエルは躊躇った。
「恐れることはない」魔王は彼女の肩に手を置いた。「お前の体は覚えている。聖女の力の本質を」
リリエルは剣を握った。不思議なことに、その感触は彼女の手に馴染んだ。まるで以前から使い慣れていたかのように。
「集中しろ」魔王が彼女の背後から囁いた。「お前の中の力を剣に流し込め」
リリエルは目を閉じ、自分の内側に意識を向けた。すると、胸の奥から何かが湧き上がってくるのを感じた。それは聖女としての彼女が使ったことのない、新たな力だった。
彼女はその力を剣に導いた。
剣が紫の光を放ち始めた。リリエルは目を開け、グラウトに向かって剣を振るった。
彼女の動きは驚くほど滑らかだった。まるで何年も訓練を積んだ戦士のように。剣から放たれた紫の光の弧がグラウトを直撃した。
「ぐっ!」
赤い鎧の魔族は、防御の構えを取っていたにも関わらず、一撃で膝をつき、苦悶の表情を浮かべた。
演習場が静まり返った。
「これが...私の力?」リリエルは自分の手を見つめた。
魔王が彼女の背後から両肩を掴み、耳元で囁いた。
「お前の力は特別だ。聖女の力と闇の力、両方を持つ者となりつつある」彼の声には興奮が滲んでいた。「お前は『聖魔女』になる可能性を秘めている」
「聖魔女...?」
「聖なる力を持ちながら、闇の力も使える存在。神にも魔にも属さない、特別な存在だ」魔王が説明した。「だがその力を完全に目覚めさせるには、お前の心がさらに闇に落ちる必要がある」
リリエルは無言で頷いた。彼女の中には既に復讐心という闇が芽生えていた。それをさらに深めることで、この力が完全に目覚めるのなら...
「私の力で、復讐を果たせますか?」彼女は魔王に尋ねた。
「ああ」魔王は彼女の髪に触れた。「お前の力が完全に目覚めれば、王国も、偽聖女も、あの裏切り者の王太子も、お前の前にひれ伏すだろう」
その言葉に、リリエルの口元に冷たい笑みが浮かんだ。
「それなら、私はこの力を受け入れます」
魔王は満足げに微笑んだ。
「さあ、次は魔法の訓練だ」彼はリリエルの手を取った。「お前の可能性を引き出してやろう」
数時間にわたる訓練の後、リリエルは疲労で膝をつく寸前だった。しかし、彼女の中の力は確実に変化していた。聖女としての光の力が、闇の力と混ざり合い、新たな形へと変わりつつあった。
「もう十分だ」魔王が彼女の腕を支えた。「休め」
リリエルはようやく息を整え、魔王を見上げた。
「あなたは...なぜ私を選んだのですか?」彼女は問いかけた。「聖女である私を」
魔王の金色の瞳が彼女を深く見つめた。
「最初は興味だけだった」彼は正直に答えた。「聖女の力を持ちながら、心に闇を抱く者——それは珍しい」
彼はリリエルの顔に触れた。
「だが今は違う」彼の声は低く、所有欲に満ちていた。「お前は俺のものだ。お前の全てを俺だけのものにしたい」
その言葉に、リリエルの心が奇妙に揺れた。裏切られた後で、こうして誰かに強く求められることの心地よさ。
「夕食の時間だ」魔王が彼女を抱き上げた。「今夜は特別な饗宴を用意させた。お前を魔王の妻として、全ての魔族に紹介するためにな」
リリエルは魔王の胸に抱かれたまま、城内を移動した。彼の腕の中で、彼女は不思議な安心感を覚えた。
「あなたは...私を裏切りませんか?」思わず口にした言葉に、彼女自身が驚いた。
魔王は立ち止まり、彼女をじっと見つめた。
「俺はお前を裏切らない」彼の声は真剣だった。「お前は俺のものだ。俺は自分のものを決して手放さない」
その言葉には、奇妙な安心感があった。
「あの王太子とは違う」魔王は続けた。「奴は宝石を見つけながら、その価値がわからなかった愚か者だ」
魔王の言葉に、リリエルの心のどこかが暖かくなった。それは聖女としての彼女が感じていた神への信頼とは違う、もっと人間的な、もっと直接的な感情だった。
「ありがとう...」
リリエルがそう呟いた時、魔王は彼女の額に軽くキスをした。
「これからの日々、お前は俺と共に闇の道を歩む」彼は言った。「そして復讐を果たす。それが俺たちの契約だ」
リリエルは静かに頷いた。彼女の心に残っていた最後の迷いが消え、代わりに冷たい決意が芽生えた。
彼女はもう「いい子」ではない。
彼女は聖女ではない。
彼女は——魔王の妻であり、復讐の炎を胸に抱く女だった。
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