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第11話:聖剣の奪取
しおりを挟む王都の混乱から一週間が経ち、リリエルは魔王城の自室で聖剣を前に座っていた。
彼女の部屋の壁に掛けられた聖剣は、通常の純白ではなく、赤と紫の光を放っていた。彼女がそれに近づくたびに、光はより強く脈打つ。まるで彼女を認識し、呼応するかのように。
「不思議ね」リリエルは聖剣を手に取り、その光る刀身を眺めた。「聖剣は元々、光の使い手のためのもの。なのに私に応えている」
「お前を拒絶していないのは確かだな」
振り返ると、魔王が部屋の入り口に立っていた。彼は彼女の修行を終えたところを見計らったかのように現れた。
「古い文献には、聖剣は『光と闇の均衡』のために作られたとある」魔王は彼女に近づきながら言った。「お前のような存在——光と闇の力を両方持つ者には、特別な反応を示すのかもしれない」
リリエルは聖剣を振るってみた。刀身から赤と紫の光の筋が放たれ、空中に美しい軌跡を描く。
「この剣は、私の血でしか真の力を発揮しないの」彼女は自分の指先を剣で軽く切り、数滴の血を刀身に垂らした。
血が聖剣に触れると、剣全体が強く輝き始めた。リリエルの体に電流が走ったような感覚があり、彼女は一瞬息を呑んだ。
「これは...」
彼女の左腕の刻印が応えるように赤く光り、聖剣と共鳴するような感覚があった。
「剣が私の力を認めている」彼女は静かに言った。「私の血が剣を目覚めさせる」
魔王はその様子を興味深く見つめていた。
「聖剣の真の力を解放できるのは、お前だけかもしれない」彼は言った。「『聖魔女』としてのお前だけが」
リリエルは聖剣を振るってみた。驚くべきことに、彼女の動きは剣術の経験がないにも関わらず、流麗だった。まるで剣自体が彼女を導くかのように。
「私の体が...剣と共に動く」彼女は驚きを隠せなかった。
「聖剣はお前と共鳴し始めている」魔王が説明した。「お前の意志と力を感じ取り、応えているのだ」
リリエルは聖剣を前に掲げ、集中した。彼女の意識が剣に流れ込むと、剣から強烈な光が放たれた。赤と紫の光が部屋中を満たし、その力は彼女自身をも包み込んだ。
「この力...」リリエルは自分の手から放たれる力に戸惑いながらも、恐れはなかった。「聖剣が私の力を増幅している」
魔王の目に感嘆の色が浮かんだ。
「お前と聖剣の相性は完璧だ」彼は低い声で言った。「王国の守護神器が、今や我々の武器となった皮肉」
リリエルは光を収め、聖剣を下ろした。彼女の唇に冷たい微笑みが浮かんだ。
「この剣は元々私のものだったのよ」彼女は静かに言った。「聖女としての私が守護していたもの」
「そして今は、闇落ちした聖女の手に戻った」魔王が付け加えた。
リリエルは聖剣を壁に戻し、魔王の方を向いた。
「次の計画は?」魔王が尋ねた。「王国への第三の一撃をどう放つつもりだ?」
「シルフから情報を得ましょう」リリエルは言った。「王国の現状を知る必要があります」
彼女が風の精霊を呼ぶと、シルフが姿を現した。精霊の姿は以前より変化し、白と黒の模様がより鮮明になっていた。
「リリエル様」シルフは敬意を込めて一礼した。「お呼びですか?」
「王国の状況を報告して」リリエルは命じた。
「はい」シルフは飛び回りながら報告を始めた。「王国は大混乱です。聖光祭での出来事から、民衆の間でルミエルへの不信感が広がっています」
「王太子アレンは?」
「毎日のように民衆に向けて演説を行い、『魔族の欺き』だと主張していますが、信じる者は少なくなっています」シルフの声には微かな満足感があった。「また、『偽聖女討伐軍』は北の国境で待機したまま、無駄な時間を過ごしています」
リリエルは満足げに頷いた。偽情報の効果は絶大だった。
「ルミエルについて、何か新しい情報は?」
「はい」シルフは少し躊躇いながら言った。「彼女の素性を調査する動きが、王宮内部でも始まっています。彼女が突然現れた経緯や、聖女の力を証明できないことへの疑念が広がっているのです」
「素晴らしいわ」リリエルの瞳に冷たい光が宿った。「まさに私の望んだ通りね」
魔王は彼女の肩に手を置いた。
「王太子は焦っているだろうな」彼は言った。「民衆の信頼を失いつつある今、彼は何をするだろう?」
「恐らく...」リリエルは考え込むように言った。「何か大きな行動に出るはず。私への対抗策として」
シルフが小さく頷いた。
「実は、その通りです」彼女は言った。「王太子アレンは、『聖剣奪還作戦』を計画しています。魔王城への奇襲攻撃です」
「なんと愚かな」魔王が冷笑した。「我が城に攻め込むとは」
リリエルはしかし、意外な表情を見せた。瞳に期待の光が宿っていた。
「いいえ、これは好機かもしれません」彼女は言った。「彼らを城に誘い込みましょう」
「誘い込む?」魔王が意外そうに尋ねた。
「ええ」リリエルは冷酷に微笑んだ。「彼らに聖剣を取り戻させるふりをして、罠にはめるのです」
彼女の頭にはすでに完璧な計画が浮かんでいた。それは単なる力の誇示ではなく、敵を心理的にも打ちのめす策略だった。
「聖剣の偽物を用意し、彼らにそれを奪わせる」彼女は計画を説明した。「彼らが王国に凱旋して偽りの勝利に酔いしれた時...」
「本物の聖剣を持ったお前が現れる」魔王が彼女の意図を察し、続けた。
「そう」リリエルは冷たく笑った。「最大の屈辱と絶望を味わわせるために」
魔王は彼女の計画に満足げに頷いた。
「お前の闇の策略は美しい」彼は称賛した。「かつての聖女が、ここまで冷徹な計算をするとは」
リリエルはその言葉に微かに頬を赤らめたが、すぐに冷静な表情を取り戻した。
「では、偽物の聖剣を準備しましょう」彼女は言った。「そして、彼らが忍び込む道を意図的に作る」
「ガルヴァンに指示を出そう」魔王が言った。「偽の聖剣と、城への侵入経路の準備を」
リリエルはシルフに向き直った。
「シルフ、あなたは王太子の動きを見張り続けて」彼女は命じた。「彼らが作戦を実行する日を正確に知らせて」
シルフは一礼し、風と共に消えていった。
魔王はリリエルの腰に腕を回し、彼女を引き寄せた。
「お前の策略を見るたび、俺は惚れ直すよ」彼の声には欲望と誇りが混ざっていた。「元聖女が闇に堕ちた姿は、何よりも美しい」
リリエルは彼の腕の中で少し体を預けた。彼にだけ見せる弱さの表現だった。
「あなたのおかげよ」彼女は小さく呟いた。「あなたが私を救わなければ、私はただの『聖女』のまま死んでいた」
魔王は彼女の金髪に手を滑らせ、その感触を楽しむように撫でた。
「お前を見つけた時から、俺はお前を欲していた」彼は正直に告白した。「お前の中に潜む闇の可能性を感じていたからだ」
リリエルは静かに微笑んだ。彼女の心には不思議な感情が宿っていた。それは聖女時代には決して感じることのなかった、解放感と自由の感覚だった。
「もう二度と『いい子』にはならない」彼女は決意を込めて言った。「誰かのために生きるのではなく、私自身のために生きる」
「そうあるべきだ」魔王は彼女の唇を軽く奪った。「お前は俺のものだが、同時に誰にも縛られない存在だ」
その矛盾した言葉に、リリエルは小さく笑った。それは冷酷な微笑みでありながら、どこか暖かさも含んでいた。
---
三日後、魔王城の作戦室にリリエルと魔王、そして側近たちが集まった。
「偽の聖剣の準備が整いました」ガルヴァンが報告した。「見た目は本物と遜色ありませんが、力はありません」
テーブルの上には、聖剣とそっくりの模造品が置かれていた。通常の目では本物と見分けがつかないほど精巧な作りだった。
「完璧ね」リリエルは偽物を手に取り、満足げに頷いた。「これなら彼らは騙されるでしょう」
「城への侵入経路も準備しました」レイヴンが続けた。「東の塔の警備を意図的に薄くしています。彼らの諜報員はすでにその情報を得たようです」
「良い仕事ね」リリエルは冷たく微笑んだ。「あとは彼らが罠にかかるのを待つだけ」
シルフが風と共に現れ、リリエルの前に現れた。
「リリエル様、緊急報告です」彼女は息を切らせて言った。「王太子アレンは明日の夜、魔王城への奇襲を計画しています。偽聖女ルミエルは王宮に残り、彼は精鋭の騎士団だけを連れていくそうです」
「明日ですか」リリエルは少し驚いたが、すぐに冷静を取り戻した。「予想より早いわね。でも準備は整っている」
「騎士団だけとは、慎重になっているようだな」魔王が言った。
「彼は私に対する恐怖を隠せていないのよ」リリエルは低く笑った。「ルミエルを連れて来ないのは、彼女を危険に晒したくないから...それとも、彼女に聖女の力がないことを知っているからかもしれない」
魔王は満足げに頷いた。
「では、明日の夜に備えよう」彼は宣言した。「彼らが城に入った時、お前はどうする?」
「私は姿を隠しています」リリエルは計画を説明した。「彼らに偽物を持ち去らせた後、追いかけるふりをしましょう。彼らが王国に戻り、勝利を祝い始めた時...」
彼女の瞳に冷酷な光が宿った。
「その時、私は本物の聖剣を持って現れます」
「民衆の前で彼らの嘘を暴くわけだな」魔王は彼女の策略に満足げに頷いた。「彼らの『勝利』を、最大の屈辱に変えるわけだ」
「そう」リリエルは冷たく微笑んだ。「彼らが味わう絶望を想像すると...」
彼女は言葉を切ったが、その表情には明らかな期待と満足感があった。復讐の快感を先取りするような表情だった。
「お前の闇は日に日に美しくなるな」魔王は彼女の頬に手を当てた。「かつての聖女の面影はもはやない」
リリエルはその言葉に満足げに頷いた。彼女の心にあるのは、復讐への渇望と、魔王への信頼だけだった。
「明日の夜が待ち遠しいわ」彼女は静かに言った。「アレンの絶望する顔が見たい」
魔王は彼女を引き寄せ、強く抱きしめた。
「お前の復讐は必ず成功する」彼は低い声で約束した。「俺がそれを保証しよう」
リリエルは彼の腕の中で安心感を覚えた。彼女が聖女だった頃、彼女は神に祈り、神の愛に慰めを求めた。しかし今、彼女の心を満たすのは魔王の確かな腕の中にある安心感だった。それは不確かな信仰ではなく、確かな存在が与える安心感だった。
「準備しましょう」彼女は魔王の腕から抜け出し、凛とした表情を取り戻した。「明日の夜のために」
彼女がそう言った時、彼女の背中の翼が少し大きくなったように見えた。聖剣との共鳴と彼女の心の変化により、彼女の体も確実に変わりつつあったのだ。
---
翌日の夜、魔王城の東の塔は意図的に警備が薄くされていた。
リリエルは魔王と共に、見えない結界の中から城の外を見つめていた。
「来たわ」彼女は小声で言った。
暗闇の中、黒装束の集団が城に忍び寄っていた。先頭に立つのは王太子アレン。彼の横顔には緊張と恐怖が混ざった表情が浮かんでいた。
「怖がっているわね」リリエルは冷たく微笑んだ。「私を恐れているのかしら」
「当然だろう」魔王は低く笑った。「お前の復讐を恐れているのだ」
彼らは黙って見守った。アレンと聖騎士団は、意図的に残された隙間から城内に侵入していく。
「ガルヴァンの報告では、彼らは私の部屋の位置を把握しているそうね」リリエルは言った。「偽の情報通りに」
「ああ」魔王は頷いた。「彼らは確実に偽物の聖剣へと導かれる」
リリエルの唇に冷たい微笑みが浮かんだ。
「では、待ちましょう」彼女は静かに言った。「彼らが罠にかかるのを」
魔王は彼女の肩に手を置き、共に闇の中で待機した。
リリエルの瞳は冷たく光っていた。かつての聖女の優しさはなく、そこにあるのは復讐に燃える魔王妃の冷徹な決意だけだった。
聖剣の奪還作戦は始まった——だが、それはリリエルの完璧な罠であり、王太子アレンの最大の屈辱への序章に過ぎなかった。
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