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第12話:「真の聖女」の皮を剥ぐ
しおりを挟む魔王城の東の塔から侵入した王太子アレンと聖騎士団は、まるで導かれるかのように城内を進んでいた。
「殿下、余りにもスムーズすぎませんか?」騎士団長のバルトが不安げに囁いた。「魔族の警備が薄すぎる」
「奇襲の効果だ」アレンは自信なさげに答えた。「彼らは我々の侵入を予想していない」
しかし彼の目には不安が宿っていた。かつての婚約者リリエルの姿が、彼の心に恐怖の影を落としていた。聖光祭で見た彼女は、もはや彼が知っていた優しい聖女ではなかった。冷たく、美しく、そして恐ろしいほど強大な力を持つ存在へと変貌していた。
「リリエルの部屋はこの先だ」アレンは地図を確認しながら言った。「情報通りなら、聖剣はそこにある」
一行は緊張しながら廊下を進み、大きな扉の前で立ち止まった。扉には魔法の封印があったが、驚くほど簡単に解除できた。
「おかしい...」バルトが眉をひそめた。「これほど重要な場所なのに」
「今は考えるな」アレンは焦りを隠せず言った。「早く聖剣を」
扉を開けると、そこには広大な寝室が広がっていた。黒と赤を基調とした豪華な調度品、そして正面の壁に——聖剣が掛けられていた。
「あれだ!」アレンは小声で叫んだ。「聖剣だ!」
聖剣は微かに光を放っていた。通常の純白ではなく、赤と紫が混ざったような不気味な輝きだったが、明らかに聖剣の姿だった。
「急ぎましょう」バルトが促した。「いつ魔族に気づかれるか」
アレンは恐る恐る聖剣に近づき、壁から取り外した。剣を手にした瞬間、彼は安堵のため息をついた。
「これで王国も救われる」彼は小声で言った。「ルミエルの手に戻せば、彼女の聖女としての力も完全に戻るだろう」
「殿下、急ぎましょう」バルトが促した。
彼らは来た道を急いで引き返した。不思議なことに、帰路でも魔族に遭遇することはなかった。
城を出て、森の中に用意した馬に乗り、彼らは全速力で王都へと向かった。
「成功だ!」アレンは興奮して言った。「聖剣を取り戻した!」
彼の顔には久しぶりの笑顔が浮かんでいた。一連の出来事で失墜しつつあった彼の威信も、これで回復するはずだった。
しかし、彼は気づいていなかった。すべてがリリエルの計画通りに動いていることを。
---
魔王城の高い塔から、リリエルと魔王はアレン一行が去っていく様子を見守っていた。
「予定通りね」リリエルは冷たく微笑んだ。「彼らは偽物を持ち帰った」
「お前の策略は見事だ」魔王が彼女の腰に腕を回した。「彼らが王国に戻り、勝利を祝う頃合いを見計らって...」
「そう」リリエルは手に持つ本物の聖剣を見つめた。「私が真実を突きつける」
彼女の青い瞳には冷酷な期待が宿っていた。復讐の甘美な果実を噛みしめる直前の表情だった。
「しかし、その前に」魔王が言った。「もう一つの計画も進めておこう」
「ええ」リリエルは頷いた。「ルミエルの正体を暴くための調査ね」
彼女は部屋に置かれた古い書物に目を向けた。魔王城の図書館から見つけてきた、神々と精霊に関する古文書だった。
「私の精霊たちの話では、ルミエルには元々聖女の力がなかったそう」リリエルは書物を開きながら言った。「でも、彼女はどこからか突然現れた。それが気になるわ」
「お前の勘は正しいかもしれない」魔王は彼女の肩越しに書物を覗き込んだ。「神々が人形を操ることは、古来より伝えられている」
リリエルは古文書の一節を指差した。
「ここに書いてある」彼女は読み上げた。「『神は時に、自らの意志を地上に反映させるため、『器』を用いる。その器は人の形を持ち、神の言葉を伝える』」
「神の人形...」魔王が低い声で言った。「それがルミエルの正体かもしれないな」
「確かめる必要があるわ」リリエルは決意を込めて言った。「シルフ!」
彼女の呼びかけに応じ、風の精霊が姿を現した。
「リリエル様」シルフが一礼した。
「ルミエルを調査して」リリエルは命じた。「彼女の過去、どこから来たのか、その正体について。できる限りの情報を」
シルフは少し躊躇った様子だったが、頷いた。
「分かりました。でも、彼女には強い神聖な気配があります。近づくのは危険かもしれません」
「彼女が本当に神の人形なら、そうかもしれないわね」リリエルは考え込むように言った。「慎重に行動して。他の精霊たちの助けも借りて」
シルフは一礼し、風と共に消えていった。
魔王はリリエルの肩に手を置いた。
「お前の復讐計画は、単なる個人的な復讐を超え始めているな」彼の声には珍しく真剣さがあった。「神々への反逆にもなりうる」
リリエルは聖剣を見つめ、静かに頷いた。
「私は聖女として神に仕えてきた」彼女は低い声で言った。「でも、神は私を見捨てた。私が処刑されそうになった時、助けはなかった」
彼女の瞳に冷たい光が宿った。
「もし神が私を棄てたのなら、私も神を棄てる」
魔王はその言葉に満足げな表情を浮かべた。彼はリリエルの頬に手を当て、彼女の唇を軽く奪った。
「その決意こそが、お前を強くする」彼は言った。「神にも魔にも属さない、唯一無二の存在として」
---
翌日、王都セントグラールは祝賀ムードに包まれていた。
「聖剣奪還」のニュースが広まり、民衆は王宮の前に集まっていた。王太子アレンは式典の準備を急がせ、彼の勝利を王国全体に知らしめようとしていた。
「今日は重要な日だ」アレンは宮殿の部屋でルミエルに告げた。「聖剣を取り戻したことで、民衆の信頼を取り戻せる」
「ええ」ルミエルは微かに頷いた。しかし、彼女の瞳には何か不安の色が宿っていた。「でも...リリエルが現れないか心配です」
「彼女は現れない」アレンは断言した。「我々が聖剣を奪ったことで、彼女の力は弱まっているはず。それに、魔王城から出てくる勇気もないだろう」
ルミエルは不安げに頷いたが、彼女の表情からは確信が感じられなかった。
「式典の準備を整えなさい」アレンは命じた。「聖剣を持ち、民衆に祝福を与えるのだ。お前が真の聖女であることを証明する時だ」
ルミエルはゆっくりと頷いた。彼女は偽の聖剣を見つめたが、その目には何か恐れの色が宿っていた。
---
同じ頃、魔王城ではシルフが急いでリリエルのもとに戻ってきていた。
「リリエル様!」彼女は興奮した様子で言った。「重大な情報です!」
リリエルは書物から顔を上げ、シルフに視線を向けた。
「何を見つけたの?」
「ルミエルの正体です」シルフが急いで報告した。「彼女は確かに神の作り出した人形です。彼女の記憶は全て偽りのもの。彼女は一年前、森の神殿で『目覚めた』のです」
「一年前...」リリエルは思い出すように言った。「ちょうどその頃、私は聖女としての力が強まり始めていた」
「そうです」シルフが続けた。「神々は貴女の力が増すことを恐れたのです。貴女が『聖魔女』になる可能性を」
リリエルの瞳が鋭くなった。
「そのためにルミエルを作り出したの?」
「はい」シルフが小さく頷いた。「神々は貴女を排除し、操りやすい『聖女』を据えようとしたのです」
リリエルの唇に冷たい笑みが浮かんだ。
「なるほど」彼女は低く笑った。「私は神々にとっても脅威だったのね」
魔王が部屋に入ってきて、会話を聞いていた。
「これは大きな発見だな」彼は言った。「王太子アレンは騙されていたのか、それとも共犯だったのか」
「それも調べました」シルフが報告を続けた。「アレン王太子は半分騙されていました。神殿の祭司たちが彼を操り、ルミエルを『真の聖女』として信じ込ませたのです」
「でも、彼は喜んで従った」リリエルは冷たく言った。「彼は私を簡単に捨てた。私よりも『神の意志』を選んだ」
「今日、彼らは王都で式典を開く予定です」シルフが言った。「聖剣奪還を祝う大規模な式典です」
リリエルは立ち上がり、窓辺に歩み寄った。彼女の背中の翼が小さく震えていた。
「完璧なタイミングね」彼女は冷酷に微笑んだ。「彼らが最も高揚している時に、真実を突きつける」
「お前はどうするつもりだ?」魔王が近づいて尋ねた。
リリエルは聖剣を手に取り、その刀身に自分の指を軽く走らせた。
「私は式典に現れる」彼女は決意を込めて言った。「本物の聖剣を持って」
「民衆の前で彼らの嘘を暴くわけだな」魔王は彼女の計画に満足げに頷いた。
「それだけじゃないわ」リリエルの瞳に冷たい光が宿った。「ルミエルの正体も暴く。彼女が神の人形であること、アレンが神に操られていたことも」
魔王は彼女の肩に手を置いた。
「危険だぞ」彼の声には心配が混ざっていた。「一人で行くつもりか?」
「ええ」リリエルは冷静に答えた。「私一人の方が効果的。それに...」
彼女は魔王を見上げ、珍しく柔らかな表情を見せた。彼にだけ見せる表情だった。
「心配しないで」彼女は小さく微笑んだ。「私には聖剣がある。そして、あなたとの契約の力も」
魔王は渋々と頷いた。彼女を止めることはできないと理解していた。
「危険を感じたら、即座に戻れ」彼は厳しい声で言った。「お前がいなくなれば、俺は狂う」
リリエルはその言葉に身震いした。彼の狂気めいた愛情は時に彼女を戸惑わせたが、同時に安心感も与えた。
「約束するわ」彼女は小さく頷いた。
---
王都セントグラールの中央広場では、盛大な式典が始まっていた。
王太子アレンと偽聖女ルミエルが高台に立ち、民衆に向かって「聖剣奪還」の勝利を宣言した。
「我が勇敢な騎士団により、聖剣は無事に取り戻された!」アレンの声が広場に響き渡った。「魔王の手から我らの聖なる守護神器を救い出したのだ!」
民衆からは歓声が上がった。しかし、その中にはまだ疑念の声も混ざっていた。
「ここに、真の聖女であるルミエル様が、聖剣を手に民に祝福を与える」アレンは続けた。「これで王国の平和は再び訪れるだろう」
ルミエルは恐る恐る偽の聖剣を手に取った。彼女の手が微かに震えていた。
「皆さんに、神の恵みを...」彼女は小さな声で言いかけた。
その時だった。
空が突然暗くなり、広場の中央に紫の光が集中した。人々が驚愕の声を上げる中、光の中からリリエルが姿を現した。
彼女は背中の黒い翼を広げ、左目の下の刻印を堂々と見せ、何より——彼女の手には本物の聖剣があった。燦然と輝く聖剣は、ルミエルの持つ剣とは明らかに違う光彩を放っていた。
「嘘の祝典を開いて、楽しいですか?」リリエルの冷たい声が広場を凍らせた。「王太子アレン、そして『偽聖女』ルミエル」
広場は一瞬で静まり返った。
「リ...リリエル!」アレンの顔から血の気が引いた。「なぜお前が...」
「なぜ私が聖剣を持っているのか?」リリエルは冷たく微笑んだ。「簡単よ。あなたが持っているのは偽物。これが本物」
彼女が聖剣を掲げると、剣から強烈な光が放たれた。それは明らかに神聖な力を持つ本物の聖剣の輝きだった。
民衆の間から驚きの声が上がった。
「偽物だと...?」
「我々は騙されていたのか?」
「そう、あなたたちは騙されていた」リリエルは高らかに宣言した。「王太子は空の勝利を祝っている。彼らが魔王城から持ち帰ったのは、私たちが用意した偽物」
アレンの顔が青ざめた。彼はルミエルの持つ剣を見つめ、その輝きの乏しさに今さらながら気づいたようだった。
「嘘だ!」彼は叫んだ。「彼女は魔族だ!信じるな!」
「本当に?」リリエルは冷たく笑った。「では、なぜ私が聖剣を使えるのか説明してみて?」
彼女は聖剣を振るい、その刀身から赤と紫の光の弧が放たれた。それは明らかに剣の力が彼女に応えている証拠だった。
「聖剣は偽物を受け付けない」彼女は続けた。「私こそが真の聖女。あなたたちに裏切られ、魔王の妻となった聖女」
民衆の間で囁きが広がった。多くの者が、リリエルの言葉に真実を感じ始めていた。
「そして、もう一つの真実を教えましょう」リリエルは氷のような視線をルミエルに向けた。「彼女の正体について」
ルミエルの顔から血の気が引いた。彼女は後ずさりしようとしたが、リリエルの強烈な視線に釘付けにされたようだった。
「ルミエルは人間ではない」リリエルは宣言した。「彼女は神々が作り出した人形。記憶も人格も全て偽りのもの。神々が私を排除するために送り込んだ『器』に過ぎない」
その言葉に、広場に衝撃が走った。
「人形...?」
「神の作り物...?」
アレンの顔が激しい動揺を見せた。彼はルミエルを見つめ、初めて疑いの色を浮かべた。
「ルミエル...本当なのか?」
ルミエルは言葉を失ったように立ちすくんでいた。彼女の目が虚ろになり始め、体から微かな光が漏れ出し始めた。
「見なさい」リリエルは冷酷に言った。「真実が明らかになりつつある」
ルミエルの体から突然、強い光が放たれた。彼女は叫び声を上げ、両手で頭を抱えた。
「やめて...やめて...」彼女の声が変わり始めた。それはもはや彼女自身の声ではなく、何か別のものの声のようだった。
「神々の声が聞こえ始めたようね」リリエルは冷たく微笑んだ。「彼女の中の『神』が怒っている」
「何をする!」アレンが叫んだ。「ルミエルを放せ!」
しかし、既に手遅れだった。ルミエルの体から光が溢れ出し、彼女の姿が変形し始めた。人間の形を失い、代わりに神聖な光の塊へと変わりつつあった。
「真実を見なさい、王太子アレン」リリエルは冷酷に言った。「あなたが愛したのは人形。神の意志を地上に伝えるための器に過ぎない存在」
アレンの顔に絶望の色が広がった。彼が愛し、リリエルを裏切ってまで選んだ女性の正体が明らかになる瞬間だった。
「そして民衆の皆さん」リリエルは高らかに宣言した。「これが真実です。あなたたちは神々の策略に騙されていた。私は冤罪で処刑されかけた。聖女の座を奪われ、命を狙われた」
民衆の間で動揺が広がった。多くの者が、リリエルの言葉を信じ始めていた。
「私は選んだ」彼女は続けた。「神々に見捨てられた後、私は魔王の妻となり、闇の力を受け入れた。それでも、聖剣は私を認めている」
彼女は聖剣を高く掲げた。
「私はもはや聖女ではない。しかし、偽りの聖女よりも真実に近い存在だ」
その瞬間、ルミエルの体が完全に光の塊と化し、空へと消えていった。残されたのは、絶望に打ちひしがれたアレンと、混乱する民衆だけだった。
リリエルは冷たく微笑み、アレンに視線を向けた。
「どうですか、王太子?」彼女の声には冷酷な満足感があった。「あなたが愛した女性の正体を知った感想は?」
アレンは膝をつき、虚ろな目で彼女を見上げた。彼の目には絶望と後悔が浮かんでいた。
「リリエル...」彼は震える声で言った。「私は...」
「謝らないで」リリエルは冷たく言った。「もう遅い。あなたは選択をした。その代償を払うだけ」
彼女は翼を広げ、天を仰いだ。
「これが始まりに過ぎないわ」彼女は高らかに宣言した。「神々への反逆は、これから始まる」
紫の光に包まれ、リリエルの姿は消えた。残されたのは、絶望に打ちひしがれたアレンと、真実を知って動揺する民衆だけだった。
王国の秩序は、この日を境に崩れ始めた。聖女の正体、神々の策略、そして新たな力を得た魔王妃の存在——これらの真実は、人々の信仰と忠誠を根底から揺るがすものだった。
復讐は、予想以上の効果を生み出していた。
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