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第13話:王太子の絶望
しおりを挟む王国の議会室に重い空気が満ちていた。
テーブルの周りに集まった大臣たちの表情は暗く、全員が王太子アレンを見つめていた。彼は議会の中央に立ち、頭を垂れていた。顔色は悪く、目の下には疲労と不眠による黒い隈ができていた。
「王太子殿下」年老いた首相のラインハルトが静かに口を開いた。「事の顛末をご説明いただきたい。聖剣の偽物、そして聖女ルミエルの...消失について」
アレンは沈黙したままだった。彼の手は震え、顔には自信のかけらもなかった。
「民衆は真実を求めています」ラインハルトが続けた。「リリエル元聖女の言葉は王都中に広まり、多くの者がそれを信じ始めています」
「私は...」アレンはようやく口を開いたが、声は震えていた。「だまされていたのです」
議会室に緊張が走った。
「神殿の祭司たちに...神々の意志だと言われ...」彼は言葉を詰まらせた。「ルミエルが真の聖女だと信じ込まされていたのです」
ラインハルトは深いため息をついた。
「事実を確認しましょう」彼は厳しい声で言った。「聖女リリエルを偽聖女として処刑しようとしたのは間違いだったということですね?」
アレンは顔を上げることができず、小さく頷いただけだった。
「そして、彼女は今、魔王の妻となっている。彼女が本物の聖剣を持ち、それを使えるということは、彼女が真の聖女だという証拠になります」ラインハルトが続けた。
「そうです...」アレンはかすれた声で認めた。
「そして、ルミエル聖女は...神々が作り出した人形だったとリリエル元聖女は主張している」ラインハルトは慎重に言葉を選んだ。「この点について、何か反論はありますか?」
アレンは頭を抱えた。彼の肩が震えていた。
「ルミエルは...消えました」彼は絞り出すように言った。「彼女の体から光が溢れ出し、形を失って...」
彼は言葉を詰まらせた。あの瞬間の恐怖と絶望を思い出すだけで、心が折れそうになった。
大臣たちの間で囁きが交わされた。多くの者が不安の色を顔に浮かべていた。
「王国は危機に瀕しています」ラインハルトが宣言した。「民衆の間で不信と恐怖が広がっている。神々への信仰が揺らぎ、我々の統治基盤そのものが危うくなっています」
アレンは返答できなかった。彼の心は既に崩壊していた。愛したルミエルの正体、彼が裏切ったリリエルの復讐、そして彼自身の過ちの重さ——それらが彼を押し潰していた。
---
王宮の自室で、アレンは窓の外を虚ろな目で見つめていた。
日が落ち、王都に夜の闇が広がり始めていた。しかし、彼の心の闇はそれよりも深かった。
「リリエル...」彼は小さく呟いた。「なぜ、そこまで変わってしまったのか...」
彼の記憶の中のリリエルは、優しく清らかな聖女だった。常に人々を想い、微笑みを絶やさない理想の女性。しかし今、彼女は氷のような冷徹さを持ち、復讐に燃える魔王妃となっていた。
「それは、あなたのせいよ」
突然の声に、アレンは驚いて振り返った。そこには——シルフが浮かんでいた。風の精霊は以前のような純白ではなく、黒と白のまだら模様の姿になっていた。
「精霊...?」アレンは震える声で言った。「なぜお前が...」
「私はリリエル様の使いです」シルフが小さく頭を下げた。「彼女の言葉を伝えに来ました」
アレンの顔から血の気が引いた。
「彼女は...何を?」
「『あなたの苦しみはまだ始まったばかり』と」シルフは淡々と伝えた。「『あなたが私に与えた絶望の十倍を返す』と」
アレンの脚から力が抜け、彼は椅子にへたり込んだ。
「彼女は...何をするつもりだ?」彼は恐怖に震えながら尋ねた。
「それは私には分かりません」シルフが答えた。「ただ、彼女は変わりました。聖女の時とは違う強さを持っています」
「私は...彼女を愛していた」アレンは震える声で言った。「だが神々の言葉に惑わされて...」
「愛?」シルフの声が冷たくなった。「愛とは、こんなにも簡単に裏切るものですか?彼女が処刑台に立たされた時、あなたは彼女を救おうとしましたか?」
アレンは答えられなかった。彼はただ顔を両手で覆い、肩を震わせた。
「リリエル様はもう戻りません」シルフは続けた。「彼女は闇を選び、魔王の妻となり、新たな力を手に入れました」
そこまで言うと、シルフは風と共に消えていった。
残されたアレンは、暗闇の中で一人、絶望に打ちひしがれていた。
---
魔王城では、リリエルが魔鏡を通してアレンの姿を見つめていた。
「完璧ね」彼女は冷たく微笑んだ。「彼の絶望する顔...思った以上に満足感があるわ」
魔王ヴァルゼスは彼女の肩に手を置いた。
「お前の復讐は見事だ」彼は称賛の声で言った。「王太子は精神的に破壊され、王国は混乱に陥っている」
リリエルは小さく頷いた。彼女の青い瞳には冷酷な満足感が宿っていた。
「でも、まだ終わりじゃないわ」彼女は言った。「彼の絶望をさらに深めたい」
「どうするつもりだ?」魔王が尋ねた。
リリエルは魔鏡から顔を上げ、窓辺に歩み寄った。彼女の背中の黒い翼は以前より大きくなり、左目の下の刻印もより鮮明になっていた。聖剣を奪い、ルミエルの正体を暴いたことで、彼女の力はさらに増していた。
「彼が一番大切にしているものを奪うわ」彼女は冷たく言った。「王位継承権」
魔王は興味深そうに彼女を見つめた。
「どうやって?」
「王国の民衆は既に彼への信頼を失いつつある」リリエルは説明した。「そこに、彼の無能さと弱さを徹底的に晒せば...」
「民衆は彼を拒絶するだろうな」魔王が続けを言った。
「そう」リリエルは冷酷に微笑んだ。「彼の父である王は病に伏せっている。継承者が拒絶されれば、王国は内部から崩壊し始める」
魔王は彼女の策略に満足げな表情を浮かべた。
「お前の闇の知略は鮮やかだ」彼は彼女の頬に触れた。「かつての聖女が、ここまで冷徹な復讐者になるとは」
リリエルはその言葉に小さく微笑んだ。魔王の前でのみ見せる、素直な表情だった。
「あなたのおかげよ」彼女は静かに言った。「あなたが私を救わなければ、私はただの聖女のまま死んでいた」
魔王は彼女を強く抱きしめた。その腕には所有欲と保護欲が混ざっていた。
「お前は俺のものだ」彼は低い声で囁いた。「誰にも渡さない」
リリエルはその言葉に身を委ねた。かつて彼女が聖女だった頃、彼女は神に全てを捧げ、見返りに何も求めなかった。しかし今、魔王の腕の中で彼女が感じるのは、確かな安心感と、彼女自身を大切にする自由だった。
「さて」彼女は魔王の腕から離れ、冷静さを取り戻した。「次の計画を進めましょう」
彼女は大きなテーブルに広げられた王国の地図に向かった。そこには既に様々な印が付けられていた。
「シルフとサラマンダーから報告があった」彼女は言った。「王国内で不満を持つ貴族たちがいるわ。私たちはそれを利用できる」
「王太子に反旗を翻す者たちか」魔王が地図を覗き込んだ。
「ええ」リリエルは頷いた。「彼らに少し...後押しをしてあげましょう」
彼女は指先から紫の光を放ち、地図上のいくつかの地点を指し示した。
「この地域の貴族たちに、私の『訪問』を計画しているわ」彼女は冷たく微笑んだ。「彼らに真実を伝え、アレンの弱さを強調する」
「危険だぞ」魔王の目に心配の色が浮かんだ。「王国の奥深くまで潜入するなど」
「大丈夫」リリエルは自信を持って言った。「私には聖剣がある。そして...」
彼女は左腕の刻印を見せた。それは以前より複雑な模様になり、赤と紫の光を放っていた。
「あなたとの契約の力もある」
魔王は渋々と頷いた。彼女を止めることはできないと理解していた。
「だが、一人では行かせない」彼は厳しい声で言った。「レイヴンたちを同行させる」
リリエルは少し考え、頷いた。
「分かったわ」彼女は言った。「でも、私が主導権を握るわ」
「当然だ」魔王は彼女の決意に満足げに微笑んだ。「お前は俺の妻であり、聖魔女となる者だ」
その夜、リリエルは魔王の寝室で、彼の腕の中で眠りについた。彼女の夢の中では、アレンの絶望した顔が何度も繰り返し現れた。それは彼女に甘美な満足感をもたらし、唇に冷たい微笑みを浮かべさせた。
---
翌朝、魔王城の東の塔に風の精霊シルフが戻ってきた。
「リリエル様、緊急報告です」彼女は息を切らせていた。「王宮に動きがありました」
リリエルは書物から顔を上げ、シルフに視線を向けた。
「何があったの?」
「王太子アレンが...自室で倒れていたそうです」シルフが報告した。「彼は精神的なショックから立ち直れず、高熱を出して寝込んでいます」
リリエルの唇に冷たい微笑みが浮かんだ。
「そう...」彼女は低く笑った。「精神が弱いのね」
「王は非常に心配されていて、最高の医師たちを呼び寄せています」シルフが続けた。「しかし、彼の症状は精神的なものなので、治療が難しいそうです」
「これは好機ね」リリエルはすぐに戦略を練り始めた。「アレンが倒れている間に、貴族たちへの接触を始めましょう」
シルフは小さく頷いた。
「城の中でも、アレンを支持する声が減っています」精霊が付け加えた。「彼の弱さに失望する声が増えているのです」
「完璧よ」リリエルは満足げに言った。「私の計画通りに進んでいるわ」
魔王が部屋に入ってきて、シルフの報告を聞いていた。
「願ったり叶ったりだな」彼は冷笑した。「自滅し始めているとは」
「でも油断はできない」リリエルは冷静に言った。「彼が回復する前に次の一手を打たなければ」
彼女は立ち上がり、窓辺に歩み寄った。彼女の青い瞳には冷酷な光が宿っていた。
「今夜、北部の貴族領に向かいましょう」彼女は決意を込めて言った。「最初の『説得』を始める時よ」
魔王は彼女の決意に満足げに頷いた。
「レイヴンたちに準備をさせよう」彼は言った。「お前の計画を成功させるために」
リリエルは聖剣を手に取り、その刀身を見つめた。剣からは赤と紫の光が放たれ、彼女の決意に呼応するかのように脈打っていた。
かつての聖女は完全に消え、そこにあるのは冷酷な復讐者の姿だけだった。彼女の心に宿るのは、アレンへの復讐心と、魔王への信頼だけ。
「もういい子じゃいられない」彼女は静かに呟いた。「私は自分のために生きる」
魔鏡に映ったのは、病床に伏すアレンの姿だった。彼の顔は蒼白で、額には冷や汗が浮かんでいた。彼の唇は震え、何かを呟いているようだった——おそらく「リリエル」という名前を。
その光景に、リリエルの心は冷たい満足感に満たされた。これは復讐の始まりに過ぎなかった。彼女はアレンをさらに深い絶望に叩き落とし、彼から全てを奪い取るつもりだった。
「見ていなさい、アレン」彼女は魔鏡に向かって冷たく言った。「あなたの王国が、あなたの目の前で崩れ去るのを」
魔王城の窓から見える月は、ちょうど半分が明るく、半分が影に覆われていた。ちょうど彼女の心のように——光と闇が共存する、聖魔女の誕生を象徴するかのように。
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