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第12話「生贄の子ども」
しおりを挟む井戸のある広場から逃げるように離れた真一は、頭の中が混乱していた。幻影は過去の記憶なのか、それとも霧間村の呪いが見せる幻なのか。いずれにせよ、「紅の游び」の正体はほぼ明らかになった。それは単なる子どもの遊びではなく、何かを生贄に捧げる忌まわしい儀式だったのだ。
しかし、まだ謎は残っている。なぜ健太たちは「紅の游び」をやっていたのか。誰が彼らにその儀式を教えたのか。そして「紅い御子様」とは何者なのか。
「もっと情報が必要だ…」
真一は霧に覆われた村を歩きながら考えた。この時間、開いている場所はないはずだが、一つだけ可能性があった。村の図書館。祖母から聞いた話では、霧間村の図書館は特別な場所で、緊急時には村人が避難する場所にもなっていたという。
赤い月の下、真一は中央広場に建つ石造りの図書館に向かった。建物は暗く、窓から漏れる明かりもない。しかし入口のドアが少し開いているのに気づいた。
「誰かいるのか?」
慎重に中に入ると、館内は薄暗く、ろうそくの灯りだけが一角を照らしていた。そこには一人の老人がいた。村の古文書係、加藤だった。
「高槻か」加藤は真一に気づいても驚いた様子はなかった。「来ると思っていたよ」
「加藤さん…こんな時間に何を?」
「今夜は特別な夜だからね」加藤は古い本を手に取った。「『紅い月』の夜には、古い記録を確認しておかねばならん。また間違いが起きないように」
「間違い?」
加藤は黙ってテーブルの上の本を指した。「自分で読むといい」
真一はろうそくの灯りを頼りに本を開いた。それは「霧間村秘史」と題された手書きの古文書だった。日付は1823年と記されている。
「これは…」
「霧間村の本当の歴史だ」加藤は静かに言った。「公式の記録には載っていない、村の闇の部分さ」
真一は震える手でページをめくり始めた。
最初のページには、かつて霧間村で起きた疫病の記録があった。1823年、原因不明の病が村を襲い、多くの命が失われた。特に子どもたちの死亡率が高く、村の存続が危ぶまれたという。
医師の治療も祈祷も効果がなく、村人たちは絶望していた。そんな中、村の外れに住む老婆が「紅い御子様」と呼ばれる存在に祈りを捧げれば、村は救われると告げた。
「紅い御子様」とは何か、本には詳しい記述はない。ただ「山の向こうから来た神」「赤い月の夜に現れる」などの表現があるのみだった。
村人たちは老婆の言葉に従い、「紅い御子様」への祈りを捧げることにした。その方法は残酷なものだった。生贄として子どもたちに「紅の游び」と呼ばれる儀式をさせたのだ。
儀式の内容は、子どもたちが輪になって手をつなぎ、中央に小動物を置く。そして「紅い御子様」に捧げるため、その血で体を赤く染めるというものだった。子どもたちの純粋な魂と生贄の命が、「紅い御子様」を喜ばせるとされていた。
「恐ろしい…」真一は呟いた。
しかし、さらに恐ろしい記述が続いていた。儀式が行われた後、確かに疫病は収まったという。村人たちは「紅い御子様」の力を信じ、以降、毎月の満月の夜に「紅の游び」を行わせるようになった。
そして1850年、儀式が暴走する事件が起きた。あまりにも長く儀式を続けたせいか、子どもたちの中に「紅い御子様」の声が聞こえるようになった者が現れたのだ。彼らは次第に常軌を逸した行動を取るようになり、ついには互いを生贄にしようとする事態に発展した。
村では12人の子どもが行方不明となり、捜索の末、森の中で発見されたのは血に染まった衣服のみだった。子どもたちの遺体は見つからなかった。
村人たちは恐れおののき、「紅い御子様」への儀式を禁止した。しかし、それから村では不幸な出来事が続いた。作物は不作となり、再び病が流行り始めた。そして満月の夜になると、行方不明になった子どもたちの泣き声が村中に響き渡ったという。
「子どもたちの霊を鎮めるため」と本には書かれている。村人たちは「紅い部屋」と呼ばれる社を建て、そこに子どもたちの霊を封印した。「紅い部屋」の中で子どもたちは永遠に「紅の游び」を続け、その代わりに村は「紅い御子様」の怒りから守られるという契約が結ばれたのだ。
以来、村では「紅の游び」は禁忌とされ、子どもたちには決して教えないことが村の掟となった。そして毎月、大人の代表が「紅い部屋」に入り、子どもたちに供物を捧げるようになったという。
最後のページには警告文があった。「紅い部屋の封印が解かれれば、紅い御子様が現れる。そして新たな生贄を求めるだろう」
真一はページをめくり終え、加藤を見た。「これが本当の歴史なのですか?」
加藤は重く頷いた。「残念ながらな。そして歴史は繰り返す。15年前、君たち子どもが『紅の游び』を再開させてしまった」
「でも、どうして僕たちはその儀式を知っていたんですか?誰も教えなかったはず」
「それが問題なんだ」加藤は不安そうに窓の外を見た。「誰かが教えたのではない。『紅い部屋』に封印された子どもたちが、君たちに語りかけたのだ」
「幽霊が?」
「『紅い部屋』の封印は完全ではなかった。子どもたちの霊は、時に外の世界に干渉することができた。特に、感受性の強い子どもたちには」
真一は、子どもの頃に聞いた囁き声、夢の中の赤い服の子どもたちのことを思い出した。あれは幻覚ではなく、本当に封印された子どもたちの声だったのだ。
「そして君たちは『紅の游び』を始めた」加藤は続けた。「最初は小さな生贄から。しかし、次第にエスカレートしていった。そして最後に…」
「あの日のことですか?」真一の声が震えた。
「あの日、君たちは『紅の游び』の最終段階に至った。人間の生贄を捧げようとした」加藤の目が真一を貫いた。「君が逃げ出したことで、儀式は未完了となった。しかし、他の7人の子どもたちは『紅い部屋』に吸い込まれてしまった」
「そんな…」
「彼らが今、赤い服の姿で現れるのは、『紅い部屋』に囚われた魂だからだ。彼らは君を呼んでいる。儀式を完了させるために」
真一は頭を抱えた。記憶の欠片が次々とつながっていく。秘密基地での出来事、健太たちの変貌、そして自分が村から逃げ出した理由。
「ということは、僕が村を出た後…」
「村では再び不幸が始まった」加藤は窓の外を指差した。「子どもが生まれなくなり、毎月の月例祭で大人が『紅い部屋』に入ることで、かろうじて村は存続している。しかし今夜、『紅い月』の夜に君が戻ってきたことで、全てが変わろうとしている」
「紅い月?」
「150年に一度訪れる特別な満月だ。この夜、『紅い部屋』の封印は最も弱まる。そして『紅い御子様』は新たな生贄を求める」
真一の背筋に冷たいものが走った。「僕が生贄になるということですか?」
加藤は答えなかった。代わりに、ろうそくを消し始めた。「もう時間がない。儀式が始まる」
突然、図書館の窓が全て開いた。赤い月の光が室内に差し込み、書棚の影が不気味に伸びた。真一が加藤を見ると、老人の姿は消えていた。代わりに、窓の外に赤い服を着た子どもたちが立っているのが見えた。
彼らは無言で真一を見つめていた。そして一斉に口を開いた。
「真一くん、もう全部思い出した?」
真一は震える声で答えた。「まだ…全部は…」
「本当に?」健太が一歩前に出た。「あの日、秘密基地で何があったか、覚えていないの?」
その瞬間、真一の頭に衝撃的な記憶が甦った。秘密基地で健太たちが囲んでいたのは、村に来ていた旅行者の子ども・雄太ではなかった。中央に座っていたのは…自分自身だった。
「僕が…生贄だったのか?」
「そう」健太は悲しげに頷いた。「君は裏切り者だから、私たちの代わりに『紅い御子様』に捧げられることになった。でも、最後の瞬間、君は逃げた」
「そして私たちが代わりに吸い込まれた」美香が続けた。「でも、それは間違いだった。本当の生贄は君のはずだった」
「だから私たちは君を待っていたんだ」健太は窓から顔を覗かせた。「今夜、全てを正すために」
子どもたちは一斉に手を伸ばし、真一を招いた。「紅い部屋で待ってるよ」
そして彼らは風のように消えた。窓の外には赤い月だけが残り、その光は血のように赤く、村全体を染め上げていた。
加藤の姿も消え、図書館には真一一人だけが残された。しかし、彼の脳裏には新たな記憶が鮮明に浮かんでいた。秘密基地での最後の「紅の游び」。自分が生贄として選ばれた理由。そして健太たちが赤い光に飲み込まれていく恐怖の瞬間。
「全て僕のせいだったのか…」
窓の外からは、神社の方角から太鼓の音が強く響いてきた。儀式が始まろうとしているのだ。
真一は震える足で図書館を後にした。行くべき場所は明確だった。全ての始まりであり、終わりでもある場所——「紅い部屋」へ。
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