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本編
15. 孤児『シエラ』
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エンゾ様の訃報を受けて5日が過ぎました――
エンゾ様の死にいつまでも塞ぎ込んでいる訳にはいきません。元聖女として、この町の結界や森の浄化などやるべき『聖務』もありますし、尼僧である私は教会の雑事や併設の孤児院での仕事もあります。
何分にも教会が他にない辺境ではシスター・ジェルマが修道司祭として祭事も執り行っており、私はそれをお手伝いしなければならないのですから。
ですが、頭では分かっていても体がついてこないのです。
エンゾ様を想うと、未だに悲しみで胸が張り裂けそうになり、涙が自然と流れてしまうのです。そこで、考えないようにすると今度は胸にぽっかりと穴が開いたように気力が抜け出てしまい、何にも手がつかず体が動かなくなるのです。
「シスター・ミレ、仕事は暫く休んでいいのよ。だけど少しでいいから何か口に入れてちょうだい」
突然の声に寝台に腰掛けていた私が顔を上げれば、顔を曇らせたシスター・ジェルマがいつの間にか立っていました。
自室に引き籠り、暗い部屋の中で寝台に腰掛けて放心していたせいで、彼女が部屋に入ってきたのに気がつかなかったようです。
「ご心配をお掛けして申し訳ございません」
私は何とか寝台から腰を上げ、シスター・ジェルマに従って子供達の待つ食堂へと向かいました。
足が重い……
何故でしょう。
自分の身体の筈なのに思うように足が動かないのです。気持ちはこれ程までに身体に影響を与えるものなのでしょうか?
なんとか無理矢理に自分の身体を動かして食堂の私の割り当ての席についたのですが、それだけで気力を全て使い果たしてしまったかの様に身体がとても重く、シスター・ジェルマが食事の祈りを捧げ終えて子供達が匙を手に取り食事を始めても、私の手は匙へとは伸びませんでした。
ふと視線を感じて周囲に顔を向ければ、子供達が手を止めて私をじっと見詰めていました。その表情はシスター・ジェルマと同じ憂いの色が現れていました。
いけません。
このままでは子供達に心配を掛けてしまいます。
「大変だシスター!」
子供達に心配を掛けまいと、匙を手にして無理矢理スープを口に運ぶのに悪戦苦闘している最中に、自警団の男性が慌てて入ってきました。
「街道に『魔獣』が現れて、行商人の一団が襲撃されたらしい!」
弾かれた様に立ち上がると、私は急いで自警団の方について現場へと向かいました。面白いもので、あんなに重かった体もこの時は不思議と枷が取れたみたいに楽々と動いたのです。
自警団の方々が先行して『魔獣』を牽制してくれていたおかげで、被害は最小限に抑えて『魔獣』を討伐できました。しかし、全くの無傷と言う訳にはいきませんでした。
おぎゃぁぁぁあ! おぎゃぁぁぁあ! おぎゃぁぁぁあ!
動かぬ親に赤子が泣く激しい哭。
行商人の中に若い夫婦がいたのですが、自分達の子供を守るために犠牲となってしまったのです。
「こいつら結婚したばかりで……」
「子供もできてこれから幸せになろうって時だったのによ」
「この子も可哀想に……」
仲間の行商人達が憐憫の情を露わにしましたが、誰も赤子に手を差し伸べようとはしませんでした。彼らもそんなに余裕があるわけではないのです。
泣き止まない赤子は若夫婦の腕に必死に守られていました。とても痛ましく、私の胸もきゅっと潰れてしまいそうです。
堪らず私が赤子をそこから掬い上げると、その子は小さな手で私の胸にしっかりとしがみ付きました。
この子は私を離すまいと自分のあらん限りの力で私の服を掴んだのです。
「この子の名前は?」
「確か『シエラ』だった筈だ」
聞けば行商人の1人がすんなりと教えてくれました。
「シエラ」
私が名を呼べば、赤子……シエラはきゃっきゃと笑ってくれました。
その笑顔はとても愛らしく、
その笑い声がとても可愛くて、
赤子の温もりがとても愛おしい。
だからもう私は決めたのです――
「まさかシスターその子を引き取るのか?」
「はい。この子は孤児院で引き取ろうと思います」
――この孤児となってしまったシエラを私が守り育てるのだと。
シエラを抱いて戻り、私は孤児院でこの子を引き取りたいとシスター・ジェルマに申し出たところ、彼女は笑って頷いてくれました。
それからの孤児院は戦場でした。
この孤児院でも乳飲み子を受け入れた経験は無く、全てが手探り状態だったからです。
最初はおしめを取り換えるのに悪戦苦闘しました。
奥様連の方々がにもらい乳の為に頭を下げました。
夜泣きするシエラを一晩中あやしたりもしました。
熱を出して苦しんでいる時などは、ずっと添い寝をして看病をしたものです。
この時に初めて知りましたが、赤子の熱を無暗に『神聖術』で治癒してはいけないのだそうです。シスター・ジェルマに叱られてしまいました。
シエラの子育てには本当に色々な事がありました。毎日シエラの為に駆けずり回りました。
そのお陰で私は様々な経験をし、たくさんの事を知り、そしてとてもとても心を満たす温もりを頂いたのです。
そして気がつけば、その慌ただしい日常に私の胸の奥にあったエンゾ様を喪った悲しみが薄れ、いつの間にか私は普通に生活を送れるようになっていたのです。
だから思ったのです。
シエラとの出会いはきっと無気力な私に見かねたエンゾ様の天よりのお計らいだったのではないかと……
エンゾ様の死にいつまでも塞ぎ込んでいる訳にはいきません。元聖女として、この町の結界や森の浄化などやるべき『聖務』もありますし、尼僧である私は教会の雑事や併設の孤児院での仕事もあります。
何分にも教会が他にない辺境ではシスター・ジェルマが修道司祭として祭事も執り行っており、私はそれをお手伝いしなければならないのですから。
ですが、頭では分かっていても体がついてこないのです。
エンゾ様を想うと、未だに悲しみで胸が張り裂けそうになり、涙が自然と流れてしまうのです。そこで、考えないようにすると今度は胸にぽっかりと穴が開いたように気力が抜け出てしまい、何にも手がつかず体が動かなくなるのです。
「シスター・ミレ、仕事は暫く休んでいいのよ。だけど少しでいいから何か口に入れてちょうだい」
突然の声に寝台に腰掛けていた私が顔を上げれば、顔を曇らせたシスター・ジェルマがいつの間にか立っていました。
自室に引き籠り、暗い部屋の中で寝台に腰掛けて放心していたせいで、彼女が部屋に入ってきたのに気がつかなかったようです。
「ご心配をお掛けして申し訳ございません」
私は何とか寝台から腰を上げ、シスター・ジェルマに従って子供達の待つ食堂へと向かいました。
足が重い……
何故でしょう。
自分の身体の筈なのに思うように足が動かないのです。気持ちはこれ程までに身体に影響を与えるものなのでしょうか?
なんとか無理矢理に自分の身体を動かして食堂の私の割り当ての席についたのですが、それだけで気力を全て使い果たしてしまったかの様に身体がとても重く、シスター・ジェルマが食事の祈りを捧げ終えて子供達が匙を手に取り食事を始めても、私の手は匙へとは伸びませんでした。
ふと視線を感じて周囲に顔を向ければ、子供達が手を止めて私をじっと見詰めていました。その表情はシスター・ジェルマと同じ憂いの色が現れていました。
いけません。
このままでは子供達に心配を掛けてしまいます。
「大変だシスター!」
子供達に心配を掛けまいと、匙を手にして無理矢理スープを口に運ぶのに悪戦苦闘している最中に、自警団の男性が慌てて入ってきました。
「街道に『魔獣』が現れて、行商人の一団が襲撃されたらしい!」
弾かれた様に立ち上がると、私は急いで自警団の方について現場へと向かいました。面白いもので、あんなに重かった体もこの時は不思議と枷が取れたみたいに楽々と動いたのです。
自警団の方々が先行して『魔獣』を牽制してくれていたおかげで、被害は最小限に抑えて『魔獣』を討伐できました。しかし、全くの無傷と言う訳にはいきませんでした。
おぎゃぁぁぁあ! おぎゃぁぁぁあ! おぎゃぁぁぁあ!
動かぬ親に赤子が泣く激しい哭。
行商人の中に若い夫婦がいたのですが、自分達の子供を守るために犠牲となってしまったのです。
「こいつら結婚したばかりで……」
「子供もできてこれから幸せになろうって時だったのによ」
「この子も可哀想に……」
仲間の行商人達が憐憫の情を露わにしましたが、誰も赤子に手を差し伸べようとはしませんでした。彼らもそんなに余裕があるわけではないのです。
泣き止まない赤子は若夫婦の腕に必死に守られていました。とても痛ましく、私の胸もきゅっと潰れてしまいそうです。
堪らず私が赤子をそこから掬い上げると、その子は小さな手で私の胸にしっかりとしがみ付きました。
この子は私を離すまいと自分のあらん限りの力で私の服を掴んだのです。
「この子の名前は?」
「確か『シエラ』だった筈だ」
聞けば行商人の1人がすんなりと教えてくれました。
「シエラ」
私が名を呼べば、赤子……シエラはきゃっきゃと笑ってくれました。
その笑顔はとても愛らしく、
その笑い声がとても可愛くて、
赤子の温もりがとても愛おしい。
だからもう私は決めたのです――
「まさかシスターその子を引き取るのか?」
「はい。この子は孤児院で引き取ろうと思います」
――この孤児となってしまったシエラを私が守り育てるのだと。
シエラを抱いて戻り、私は孤児院でこの子を引き取りたいとシスター・ジェルマに申し出たところ、彼女は笑って頷いてくれました。
それからの孤児院は戦場でした。
この孤児院でも乳飲み子を受け入れた経験は無く、全てが手探り状態だったからです。
最初はおしめを取り換えるのに悪戦苦闘しました。
奥様連の方々がにもらい乳の為に頭を下げました。
夜泣きするシエラを一晩中あやしたりもしました。
熱を出して苦しんでいる時などは、ずっと添い寝をして看病をしたものです。
この時に初めて知りましたが、赤子の熱を無暗に『神聖術』で治癒してはいけないのだそうです。シスター・ジェルマに叱られてしまいました。
シエラの子育てには本当に色々な事がありました。毎日シエラの為に駆けずり回りました。
そのお陰で私は様々な経験をし、たくさんの事を知り、そしてとてもとても心を満たす温もりを頂いたのです。
そして気がつけば、その慌ただしい日常に私の胸の奥にあったエンゾ様を喪った悲しみが薄れ、いつの間にか私は普通に生活を送れるようになっていたのです。
だから思ったのです。
シエラとの出会いはきっと無気力な私に見かねたエンゾ様の天よりのお計らいだったのではないかと……
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