魔女の闇夜が白むとき

古芭白あきら

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第七章 新緑の少女と猿の妖魔

七の伍.

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「か、玃猿かくえん!?」

 翠蓮は路干の肩越しに恐ろしい怪物が太い枝にぶら下がり、翠蓮と目が合った瞬間にたぁと笑った。

「ああん? なんだただの猿の妖魔あやかしじゃねぇか」
「最悪……」

 路干は気にも止めなかったが、玃猿は女にとって最も出会いたくない妖魔あやかしとして有名である。

 その姿形は成人男性と同程度の背丈で全身を青黒い毛皮で覆われた人と同じく直立歩行をする猿。

 この妖魔は雄しか存在せず好んで人の女を攫う。玃猿は犯した女が子を孕めば無事に人里まで帰すが、女は呪いを掛けられ子を無事に育てなければ死に至る。

 子を無事に育てたとしても、妖魔の子を産んだ女がまちでどのような扱いを受けるかなど考えるまでもない。

 玃猿に捕えられれば生きるも地獄、死ぬも地獄の未来が待っている。

 ならば、死に物狂いで逃げる他に道は無い。
 だが、それも絶望的だと翠蓮は知っていた。

 只人ただびと妖魔あやかしに力で優る筈もなく、しかも玃猿は人間にとって天敵とも言うべき能力を持っている。

「へっ、安心しなって、こんな猿くらい俺様がすぐに退治してやるからよ」

 この時ばかりは翠蓮も心の底から路干を応援した。
 彼の勝利に一分の可能性も無いと分かっていても。

 路干の神賜術かみのたまもの勇武之達ゆうぶのたつは術者の身体能力を向上させるだけではなく、訓練すればあらゆる武技に精通できる。

 その強力な賜術ならあるいはと翠蓮も願わずにはいられない。

「あらよっと」

 特殊な歩法で一気に玃猿との間合いを詰める路干。並の相手なら彼が突然目の前に現れたように見えただろう。

「これでいっちょ上がりっと」

 そして、繰り出された斬撃で勝負は決していただろう――相手が並なら。

「なっ!?」

 しかし、玃猿はすれすれで路干の剣をかわした。

「ちっ、運の良い奴!」

 躍起になって路干は剣を振るったが、そのいずれも玃猿を捉えられなかった。それどころか玃猿は笑いながら両手を叩いて路干を馬鹿にし始める始末。

 (やっぱりダメだったか……)

 翠蓮は天を仰いだ。

 玃猿は妖魔あやかしの中で際立って強いわけではない。ところが人間相手には比類ない強さを発揮する。

 (玃猿が人の心を読むって本当だったのね)

 路干が幾ら賜術を駆使しても何をするか読まれてしまっては勝負にならない。

「くそぉ何で当たんねぇんだ!」
「ギャッギャッ、オマエ弱スギ」

 玃猿の無造作に振るった拳が路干の腹を捉えた。

「路干!」

 吹き飛ばされ地に転がった路干を翠蓮が助けて起こす。

「このままじゃまずいわ。とにかく守りに徹して森の外へ逃げましょう」

 翠蓮は一番可能性のありそうな提案をしたが路干は怯えて首を振った。

「む、無理だ。こんな化け物相手じゃ逃げ切れねぇ」

 翠蓮は舌打ちしそうになった。あんなに自信満々だった癖に路干の心はもろかった。

「ギャギャ、逃シテヤロウカ?」

 そんな心の弱さを見透かしたように玃猿はニタリと笑うと、路干に甘い提案を持ちかけるのだった。
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