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17話

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 一際大きく響き渡った雷撃。
 それは容赦なく大地を穿ち、地響きを齎した。数秒程経過した今も尚、その余波は見受けられる。
 鼓膜を揺らす帯電の音。
 立ち上る砂煙と、それに纏わり付く雷の残滓が眼前一帯を支配していた。

 無理を重ねたせいで、とうの昔に限界値を超えている私達にとって、これでも立ち向かってくるともなれば、いよいよお手上げだった。

「────その他大勢を守りながら、この大立ち回り。いやはや、凄まじいの一言に尽きますね」

 ……これでも、駄目なのか。

 疲労をこれっぽっちも感じさせないその物言いに、諦念に似た感情が湧きあがった。
 だけど、程なくそれが先程まで相手取っていた者の声ではない事に気付く。

「ぇっ、と、だ、れ……?」
「ロヴレン・マグノリア」

 息も絶え絶え。
 疲労の色が顔に滲み、立ち尽くしている事がやっとの状態だろう、ヴァンがそう答えた。

「……あの魔導具からもしやと思った、が、どうして貴方が此処にいる」

 ここで、先のヴァンの呟きが繋がった。
 彼がマグノリアの名前を出したのは、偶然でも何でもなく、この場にマグノリアの人間がやって来ていたから。

 だけど、疑問が残る。

 パーティーに招待された人間の中に、マグノリア公爵家の人間はいなかった筈だ。
 なのに、どうしてこのタイミングでマグノリア公爵家の人間がいる……?

 そもそも、同じ国の貴族とはいえ果たして味方と認識して良いのだろうか。
 疑心暗鬼に陥る私だったが、時間と共に晴れゆく砂煙越しに見えた光景のお陰で、その疑念は呆気なく払拭された。

『曰く、偶然が重なった結果、なんだってさ。しかし、魔導具師の一族ね。確かに、あのカルロス・エスタークが認めるだけの事はある。少なくとも、魔法や精霊術じゃ、こんな真似は不可能だろうね』
「ハク?」

 安心感をこれ以上なく齎してくれる親しみ深い声。
 ヴァンがロヴレン・マグノリアと呼んだ人物のすぐ側に浮遊する白いモコモコ────ハクがそこにいた。
 やがて、浮遊していたハクは私の側にまで近づいて来てくれる。

「……なんで、貴方がここにいるんですかねえ……? ロヴレン・マグノリア」

 見たこともない魔導具に絡め取られ、先の魔法をもろに食らっていた灰髪の男が疑問を口にする。
 地に伏せながら、拘束される彼は、何故か身体に刻まれた見るも痛々しい傷を回復させられていなかった。

 何か、条件があるのだろうか。

「うちの王子様が、カルロスについて行けと煩かったんですよ。昼行灯な方ではありますが、一応あれでもちゃんとしてますからね。それと、あの方の勘は侮れませんから」
「……ひ、ひひふふふ、成る程成る程。第三王子ラバン・ノーレッドの仕業でしたか」

 この状況下でも笑う態度を前に、拘束の手が強められる。

「一応、カルロス・エスタークだけならば、逃げる術はまだ残っていたんですが……これはアテが外れましたねえ」

 姿は未だ見えないが、ロヴレンさんの言葉を信ずるならばこの近くにカルロスさんもいる。
 敵は身体を拘束されており、最早どうしようもない。

「流石のワタシも、これはどうしようもない。一人では、どうしようもありませんねえ」

 私の限界と共に、消えゆく〝擬似固有結界ディア・ガーデン〟。
 その外には、万全の状態のカルロスさんと、異変を察知して駆け付けたエスターク公爵家の騎士達が控えていた。

 そんな現実を目視してしまったからこその言葉であったのだろう。

「ですが、それはワタシに限った話ではないようだ。大方これは……万が一の保険、ってところですかねえ?」

 抵抗する気はないのだろう。
 ことこの状況においては無駄と割り切る灰髪の男は虚空に視線をやりながら、キヒと笑う。

 それはまるで、愉楽に歪んでいるようで、自虐的な破顔であった。

 やがて、何もなかった場所に変化が起きる。
 じんわりと、煩雑な絵の具が滲んでいくような色味の変化だった。

「……転移魔法」

 現象を前に、誰かがぽつりと呟いた。
 その事象は、まごう事なき転移魔法と呼ばれる移動魔法の予兆。

 そして、使用者が限られるその魔法の使い手に、私達は心当たりがあった。
 何故ならば、転移魔法は、このノーレッド王国にて一、二を争う程に有名な人間の代名詞でもあったから。
 若くして王国騎士団副団長という地位に任ぜられたその者の名を、

「……今更、何の用ですかね。リディア・シサック。駆け付けた、にしては随分とタイミングが遅い上……このタイミングでここに偶然やって来たというには些か、都合が良過ぎる気がしますが」

 程なく、姿を現した紅色の髪を首の後ろで一纏めにした女騎士を前に、ロヴレンさんが苦々しそうに皮肉とあわせて言葉を告げる。
 灰髪の男の言葉を全面的に信用している訳ではないだろうが、ロヴレンさんの中でも最悪の未来が予想出来てしまったが故の反応だったのだろう。

 何より、王都から離れたエスターク公爵家で問題が起こっていると知る人物は普通、近くにいた人間もしくは、その下手人だけだ。

 ロヴレンさんの疑問はその通りでしかない。

「勿論、偶然と言い張るつもりはない。こうしてここにやって来たのは、エスターク公爵領に用があったからだ。とはいえ、斯様な事になっている事までは知らなかったが。だが、事情は大体理解した。故に、この者達の処遇についてだが、ここからは我々が引き継ごう」

 周囲を一度見回した後、リディアさんは言う。

 転移してきたのは彼女だけではなく、他にも騎士らしき人間が複数人。
 拘束されている灰髪の男を引き取るべく、彼らは動き始めた。
 その様子に、初めからそのつもりだったと捉えてしまう私の考えは歪んでいるのだろうか。

 追い詰めたのも、捕まえたのも私達なのに、まるで狙ったかのようなタイミングで現れて、全てを証拠隠滅するように奪い去ろうとする。
 不都合な事実を隠蔽するかのように。

 タイミングについては、擬似固有結界のせいもあるかもしれない。だけど、それでも何もしなかった、出来なかった人間が、一方的に結果を奪う事は許容して良いものではない。
 なのにどうしてか、カルロスさんやロヴレンさんは兎も角、ヴァンまでもが異を唱えようとしていなかった。

「それと、ヴァン殿と……」

 リディアさんは、蔦で拘束されたままのアリスと私を見比べる。
 アリスの名前は知っていたのだろう。
 面影の残る私の容姿から、彼女は答えに辿り着く。

「アイルノーツの御息女には、事情を伺いたく、王都まで同行していただこう」

 そして、私達を取り囲むように、騎士達が位置どりを始めた。
 逃さないようにという意図が透けて見えるその行動に、とてもじゃないが好意的という感情は湧き上がらない。
 寧ろ、灰髪の男の言葉が正しいのではという感想しか抱けなかった。


「断る」


 そんな中、場に朗々と声が響き渡った。

 ヴァンの声だ。

 疲労を一切感じさせない、凛とした声音。
 逡巡の含まれないその返答に、場に漂う空気が凍りついた。

「百歩譲って、こいつを引き渡す事は認めてやっても良かった。だが、同行だと? 少なくとも、俺やノアが身体に鞭を打ってお前達の為にわざわざ王都に足を運んでやる義理はない。駆け付けた時には既に全てが終わっていたと伝えればいいだけの話だろ」
「……本当に、それでよろしいので?」

 リディアさんに同行していた騎士のうちの一人が、眉根を寄せて指摘する。
 それはまるで、挑発するかのような声のトーンであった。

「……どういう事ですか」

 その反応に、堪らず私は反応してしまう。

「そのままの意味ですよ。我々は今回、エスターク公爵家が外部の人間と通じている、という噂を耳にしたが故に、こうしてやって来たのですから」

 出て来た言葉は、今回の騒動にエスターク公爵家が関与しているかもしれないと、その可能性を疑うものであった。

 そんなふざけた話があるかと言ってやりたかったが、私が怒りに身を任せて声を上げるより先にヴァンが私を手で制する。
 反論するなと言わんばかりの行動だった。

「成る程。そういう事情か。しかし、王都での騒動に追われる騎士団が、噂一つで副団長を伴って動くとは思えない。恐らく、噂を裏付けした人物がいたんだろう。騎士団に、少なくない影響力を持つ人間の誰か、がな。だが、おかしいと思わなかったのか」
「おかしい、ですか?」
「中立派でかつ、王都にて事態の収拾を図る人間が、どうして外部を頼ろうとする?」
「それは勿論、エスターク卿がこの事態に対して手に負えないからと協力を仰いだ────」
「ああ、そうだな。『実力行使』という最終手段を持ち合わせていない人間ならば、ヤケクソになったという言い分もまだ分かった。だが、親父殿は違う筈だ。寧ろ、外部に頼ろうとする動機が十二分にあるのは親父殿に邪魔をされている人間……。こうして搦手でエスターク公爵家を陥れようとしたかったが為、と、言われた方がよっぽど納得が出来る気がするがな」

 要するに、その根も葉もない噂を裏付けした人間こそが怪しいのではないのか。
 冷静に指摘するヴァンの言葉に、騎士の男はうぐ、と言葉を詰まらせる。

「なのに、一方の情報を鵜呑みにして、こいつを奪い取り、挙句、俺達を連行だと? ふざけているにも程がある。疑うならば、それ相応の証拠を先に出せ。話はそれからだ。そもそも、身柄を即座に引き取ろうとするその行動には怪しさしか感じられないがな。タイミングが良過ぎるんだよ。俺達を王都に連れて、口封じでもしたいんじゃないのか? この男は、特別口も軽かったしな」
「なん、だと……!! ヴァン殿は、我々を侮辱するか……!?」

 ヴァンの発言に、騎士の一人が激情し、今にも飛びかかろうとする。
 だが、そんな騎士をリディアさんが制する。

「……やめろ。確かに、ヴァン殿がそう思うのも無理はない。ですが、噂は噂であると軽視出来ない状況である事についてはある程度の理解をしていただきたい。カルロス殿」

 リディアさんの視線がヴァンから外れ、向かった先にはいつやって来たのかは不明だが、カルロスさんが立ち尽くしていた。
 エスターク公爵領に引き篭もっている状態のヴァンと異なり、つい先日まで王都にいた貴方ならば分かるだろうと同意を求めていた。

「確かにその通りだ。が、それでも、はいそうですかと納得はしてやれねえな。ヴァンの言うように、同行だって認められん。話が聞きたいならうちの屋敷で聞けばいい。正直に言うが、今の王都の連中は信用出来ない奴が多過ぎる」
「……それでは、公平さが」
「証拠の一つすら出さずに、噂を鵜呑みにしてヴァン達を一方的に連行は都合が良すぎるだろう。王都に連れていっちまえばそれこそ何でも出来る。公平さもクソもねえだろ。それとも何か。これは王命か?」

 王命とは、現国王にのみ許されたもの。
 貴族であるならば、その命には何があろうと逆らえない。
 だが、露骨に視線を逸らすあたり、王命ではなかったのだろう。

「協力はしてやる。オレとしても、今回の事については一日でも早く首謀者を明らかにしたいからな。ただ、それについても条件がある」
「条件?」
「ここに居合わせた騎士の中で限るなら、オレが協力出来る相手はリディア・シサック。あんただけだ。よって、他の騎士の同席は認められねえ」
「そんなふざけた話が……!!」

 名指しされたリディアさんは、口を真一文字に引き結んでいるものの、他の騎士達がこぞって声を上げる。
 しかし、リディアさんが同調しない事もあってか、その勢いは決して強くはなかった。

 もしくは、王国の剣と認識されているカルロス相手に、高圧的な態度は畏れ多いと本能的に察していたからなのかもしれない。

「今回の件は、オレの留守を狙って行われたものだった。つまり、オレの行動を把握している人間によって実行に移されたものだ。ここまで言えば、言いたい事は理解したか?」

 要するに、有象無象の騎士は信用出来ない。
 少なくとも、副騎士団長であるリディアさんのような立場にある人間で漸く、多少の信頼を寄せてもいい、ということなのだろう。
 尤も、その信頼も、立場があるが故に下手な事は出来ないと踏んでの信頼なのだろうが。

「そいつの身柄は引き渡してやる。それがオレに出来る最大限の譲歩だ」


* * * *


「……親父殿は何を考えているのやら」

 あれから私達は、傷を負っていた事もあり、駆け付けたエスターク公爵家の騎士達によって屋敷へと戻る事になった。
 ヴァンはカルロスさんが決めた事である事。
 今回の一件は自分の我儘が引き金となった可能性が高いからと表立って意を唱えるつもりはなかったようだが、やはり納得はいっていない様子だった。

「どうして、あの人を引き渡しちゃったんだろうね。あ、ヴァン。動いちゃだめだよ」
「……ぐ、ぃっ、てえ」

 精霊術を用いて治療を行っていた私は、逃げようとするヴァンを注意する。
 効き目はいいのだが、傷に応じてしみたりと、治療に少なくない痛みを伴ってしまうのだが、こればかりは耐えて貰う他なかった。

 最中、宙を浮遊するハクが口を開いた。

『あそこで引き渡しを拒めば、それこそ相手の思う壺だったからだろうね』
「思う壺?」
『動機は兎も角、あの状況なら引き渡す以外に選択肢はなかったってこと。あそこで拒絶していたら、次は更に怪しいからと騎士団の大半を引き連れてやってくるかもしれない。そう出来るだけの口実を与える事になる。だから、あの場では遺憾だろうと、引き渡しておいた方が色々丸くおさまったって訳。それに、首謀者らしきもう一人の人物は捕らえてあるしね』

 一人奪われたところで別に大した問題はないとハクは告げる。
 
「……成る程。だから親父殿はあっさりとあいつを引き渡したのか」
『そういう事』

 そして、今はリディアさんに騎士団を動かした人物の詳細について、尋ねているのだろう。
 きっと、私達が心配する事はもう何もない。

 今はカルロスさんがいる上、ロヴレンさんもいるのだから。
 ただ、

「ねえ、ヴァン」
「ん?」
「ごめんね」

 安堵出来たからこそ、今になって一気に申し訳ないという感情が押し寄せた。

「婚約の事も、そうだけど。さっきだって、そう。結局、私は何にも出来なかった」

 こうして、治療するのが今できる最大限の罪滅ぼし。
 そんな感情が私の頭の中を埋め尽くしている。

 頭の中では、精霊術があれば何とかなる。
 多分、そんな驕りがあったのだと思う。
 でも結果はこれだ。
 相手が悪かったという事もあるだろう。

 だけど、あの場で私は間違いなく足手纏いだった。
 なのに。

「それは違うだろ」

 当たり前の事のように。
 気遣っていると一切感じさせないいつも通りのトーンでヴァンは言う。

「ノアがいなかったら、あいつらが全員無事である事はあり得なかった。俺だって、どうなったか分からない。〝擬似固有結界ディア・ガーデン〟がなかったら、途中で味方かどうかも分からない騎士団の連中に介入されてもっと悲惨な事になってた可能性だってある」
「……だけど、」

 私が婚約の件についてヴァンの手を煩わせていなかったら、こんな事にはならなかったのではないのかと言おうとして。

「そもそも、何でノアが謝る? ノアは謝らなきゃいけないような事でもしたのか?」
「いや、そんな事はしてないけど」
「だったら、そんな顔をする必要ないだろ。もしノアを責める奴がいたら、俺がぶん殴ってやる」
「……流石にそれは物騒過ぎるよ」
「そのくらい、あり得ない事なんだよ。だから、気にするな。堂々としておけばいい。不安なら俺が何回でも言ってやる。ノアは、何も悪くなんてない」

 沢山傷を負ってる筈なのに、そんなものは知らないと言わんばかりにあっけらかんと笑うヴァンを前にして、私は嬉しく思うと同時、後悔した。

 もっと、まじめに精霊術を学んでいたらヴァンが傷つく事はなかったのではないか。

 ……でも、その後悔は最早、いまさらだ。

 だから私は、傍にいる為にも。
 ううん。傍に、いたいから。

「ねえ、ハク」
『うん?』
「私、もっと知りたい。もっと、強くなりたい。もっと、立派になりたい。ヴァンの隣にいられるくらい、もっと、もっと」

 みんなの前で誓ったように、ヴァンと対等で、そばに居られる人間に。

 これから先、またこんな事が起こった時に今度は自分の無力さに打ちひしがれないで済むようにと。
 そう思いながらハクの瞳を見つめ、返事を待っていたその矢先だった。

「────それならば、お誂え向きの方法がありますよ」

 そんな声が、不意にドア越しに聞こえた。
 聞き覚えがあった。

 程なく開かれた先には、私の頭に浮かんでいた心当たり────ロヴレンさんがいた。

「本当はカルロスに言われて二人の様子を確認するだけのつもりで、この事、、、を提案するのはもっと後にする予定だったのですがね」
「この事? もっと後? どういう事だ?」
「単刀直入に言いましょう。お二人とも、魔法学園に興味はおありですか?」
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