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4巻
4-2
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「……嘘は、言ってないらしいな」
「へえ」
コーエンにジッと半眼で見詰められる。すると、リィンツェル王国が王女――リーシェン・メイ・リィンツェルに頭の中を覗かれた時と、とてもよく似た違和感に見舞われる。
覗かれた。もしくは読まれた、か。
己の中でそう結論付けた俺は、無意識のうちに感嘆めいた声を口にしてしまっていた。
もし仮に、コーエンが俺の思考か何かを読み取っていたなら、道理で納得がいく。
俺から何かを読み取っているならば、それはもう影が気になって仕方がない事だろう。何か言葉にし難い違和感でもあるのか、俺の影に視線を時折向ける彼の行動は、まさに正しいと言える。
「だが、それだけだ。お前は嘘をついてはいない。だからといって、お前の言葉遊びに付き合うほどおれも暇じゃない。今すぐおれの目の前から――」
「――なん、で」
コーエンが俺に向かって言葉を吐き捨てようとした瞬間、そこに割って入ったのは、消え入りそうなエレーナの声。乾いた喉から出てきた声は、少しだけ掠れていた。
「なんで、きみがアレを知ってるの……?」
「……アレ?」
「化け物の、事に決まってるでしょっ……なんで、どうして、きみが……知ってるの?」
じりじりと距離を詰めてくるエレーナの瞳は、何故か光が薄れていた。初対面時の彼女の印象は正しく天真爛漫。しかし、今の彼女は俺の知るエレーナではなかった。
豹変。そう言い表す他なかった。
「早く答えろよッッ!!!!」
突然の怒号が俺の耳朶を殴りつける。
血走った瞳からは殺意が奔っており、びりびりと肌を刺されるような感覚に見舞われた。
「俺が、知っている理由……」
語ろうと思えば、俺はその理由を日暮れまで語れる事だろう。だが、どうしてか疑問に思った。
そもそもなんで、俺はこんなにも〝異形〟という存在にこだわり続けているのだろうか、と。
危険な存在であると、魂レベルで刷り込まれているから?
ああ、きっとそれは理由の一つだ。
〝異形〟という存在が仇であるから?
ああ、それも、理由の一つだ。
挙げていけば本当にキリがない。
ふとコーエンの姿を確認すると、彼も俺の返答を気にしているようであった。先程の俺の言葉の真偽を、この答えで判断するハラなのかもしれない。
深い深い思考の海に沈みゆくうちに、「どうして知っているのか」というエレーナの問い掛けは、己の中で勝手に「どうして、こだわり続けているのか」に移り変わっていた。
「そう、か。そう、だよな。盗み聞きして人様の事情を知ったくせに、俺だけ何も言わないのは不公平、か」
そう言いながら空を仰ぐと、さっきまでは燦々と輝いてこれでもかとばかりに照らしつけていた太陽が、雲に覆われ始めていた。
暗澹と蠢く雲が、大地に翳りを落とす。
「……多分、それは」
隠す理由はない。
だから、俺は目一杯、口の端を吊り上げた。
無理矢理に笑おうと試みた時に行う仕草。鏡で見なくとも、今の俺はとびきり醜悪な笑みを浮かべていると言い切れた。
「これが、理由だろうな」
ふはっ、と自嘲気味に息だけで笑う。
エレーナは知らない。俺が笑う時は決まって――剣を振るう時だと。
「殺さなきゃいけない存在だから、知ってる。許容してはならない存在だから、こうしてこだわり続けてる」
とどのつまり、俺は笑って死にたいだけだった。
譲れないものを守れれば、それで良かった。
けれどそれ以上に、約束は俺にとって何より重いものであった。
「殺し尽くすと誓ったあの約束を、反故にはできないんだよ」
俺が俺である限り、たとえどんな状況下だろうとも、あの〝異形〟の存在だけは許容できやしない。知らぬフリなど、するはずがない。
「…………」
息を呑む音がすぐ側から聞こえてきた。
納得を、してくれただろうか。
少なくとも、あの〝異形〟に与する人間でない事を知ってもらえたならば、話した甲斐もあった。
茫然自失に立ち尽くすエレーナに背を向ける。鬼気迫る様子は、既に彼女から消え去っていた。
「深いな」
言葉を交わす価値がないと拒絶していた色は薄らぎ、興味深そうに反応を窺うコーエンの声が聞こえてきた。
「闇が、深い。まるで底なし沼のような人間だ、お前は」
変なたとえ方をするやつだと、そう思った。そんな胸中すらお見通しなのか、コーエンの表情が少しだけ歪んだ。
「読めば読むほど闇が深まっていく。それを底なし沼と言わずして何と言う?」
まるで俺の心を読んだかのような疑問を覚えた。いや、まるでではない。恐らく本当に心を読んだのだろう。ならば――好きなだけ読めばいい。心を読みたいならば、読めばいい。俺の心象を、覗き込めばいい。
そうすれば、俺と〝異形〟の関係がいやでも分かってしまうはずだから。
一度読んでしまったが最後。彼は二度と否定できなくなる。
俺が求める情報を持っている可能性の極めて高い人間に、質問できる機会を、信頼を掴み取る事は決して悪くない。
「生憎、俺は自分が底なし沼だなんて思った事はないもんでね。よく分からん、が」
過去を、偲ぶ。
幸せも、辛さも、悲しさも、嬉しさも。
抱いた感情全てが詰め込まれた過去を想い焦がれ、それが決して戻ってこないものであると知ってしまって、とめどない寂寞に身が震える。
「闇だ、沼だと指摘された覚えはある。あんたがそう言うのなら、これは闇なんだろうよ。これは沼なんだろうよ。抱く感想は人それぞれ。好き勝手思っとけばいい。それを俺は否定しねえよ」
頭の中で暴れ回る記憶の奔流。ざりざりと理性を削り取ってくるソレへの、若干の嫌悪を相貌に貼り付けながら、俺は言葉を続ける。
「そして、あんたが俺の心を覗こうが、それも否定しねえ。決して自分から語りたいもんじゃねえけど、覗かれたんなら仕方ない。そう、割り切れてるんでな」
だから、リーシェン・メイ・リィンツェルに覗かれた時も、俺は怒る素振りすら見せなかった。
「コーエン、って言ったよな? いいぜ、好きなだけ覗けよ。あんたが沼なんて言い表す心をさ」
理屈すらないただの勘でしかなかったけれど、この者なら、知っているんじゃないかと。誰が〝異形〟を創り出したのか、それを知っているんじゃないかと思ったから。だから、俺はこうしてひけらかすような真似をしているのかもしれない。何より、その情報を得られるのならば、俺の過去なんて安いもの、取るに足らなかった。
「吐き気がするが、それでも今だけ耐えてやるさ」
過去を想う時、誰しもが都合のいい記憶にだけ触れる。不快感を催す記憶を好んで掘り返す者なぞ、いるはずもない。
俺も、そうだった。
けれど、今はそれではダメだった。
〝異形〟という存在を引き合いに出している時点で、懐古に浸れるはずもない。
「好きなだけ覗けよ。解読できると言った理由は俺の記憶の中にあるからさ」
そう言って、無理矢理に思い起こす。
奥底で蓋をされていた鈍色の記憶を浮上させる。何もかもが血で塗り潰された失意の記憶を引き上げる。同時、やってくる圧迫感。
目に見えない何かに、心の臓をぎゅううと握り締められる感覚に襲われ、動悸がする。
そして俺の思考は真っ白に摩滅した。
一瞬の――ホワイトアウト。
諦観が襲い、途方もない寂しさが俺という人間全てを埋め尽くす。残酷なまでに鮮明に俺の心に存在を刻んだ者達はもう、どこにもいない。慟哭を上げ続け、涙すら枯らした心が、ぎしりと再び軋んだ。
血に塗れた道が、見えた。
己が辿った鮮紅色に彩られた軌跡が――
死骸の山。踏み締めた人骨。落ちた血。失われる命。届かない手。歪む心。消えていく何か。酷薄に押し寄せる。血に塗れた剣。〝影剣〟。壊れていく感情。零れ落ちる存在。後悔。諦念。自責。自嘲。慚愧。焼かれる。呑まれる。砕ける。潰される。蹂躙。溢れ返る。誰かの死。無慈悲に死んでいく。希望も。光も。何もかもが死んでいく。殺された。残忍に、誰もが殺された。日常も。存在も。夢も。全てが殺された。失って。失って。失って。奪われて。それでも生きて。答えを求めて。探して。縋って。そして、絶望して。孤独に泣いて。喘いで。そして、自分を殺して。また剣を執って。殺して。殺して。殺して。生きて。失って。また殺して。己を見失って。無感情に生きて。夢を見て。泣いて。後悔して。幸せを噛み締めて。地獄に絶望して。希望はないと知って。救いもないと知って。殺す事しかできないと理解して。笑って。嗤って。ワラッテ。墓標の丘に立って。原風景。殺風景。血色の景色。色褪せた灰色の世界。あるのは死。数多の死。まるで鬼のように死を撒き散らし。殺して。殺して。殺して。殺し尽くして。空虚を知って。泣いて。自刃して――零れ落ちて。
「は、ぁっ……」
それは一瞬の出来事。
にもかかわらず、俺は小さく息を切らし、大きく脈打った心臓の音と共に、息を吐き出した。
埋め尽くす後悔に心を乱されながら、俺はコーエンを見据える。
その残酷なまでの情報の奔流を言われるがまま読み取ってしまったコーエンは、息を呑んでいた。呼吸さえも忘れて、限界まで目を見開き、立ち尽くしていた。凍り付いていた。肢体の一切の活動が止まり、彼の時間は停止してしまっていた。
「シヅキ、と言ったか」
言葉を吟味し、ゆっくりとコーエンは発言する。その声音には、心底理解できないと言わんばかりの、呆れに似た感情を孕んでいた。
だが、それとは裏腹に、彼の口端が段々と吊り上がっていく。顔中に、胸の奥から溢れ出した感情が広がる。
その感情とは何を隠そう――
「――はっ。ははっ、はははは!!! はははははははははははははハハ!!!!」
歓喜、であった。
狂気的な光を瞳の奥に湛えながら、コーエンは尋常でない哄笑を轟かせる。
「なんだ!? なんなんだお前は!? どうして生きていられる!? どうして立ち向かう!? どうして立ち向かえたんだ!?」
爆発した歓喜は止まる事を知らない。
「なあ、なあ、なあ――ッ!! お前はどうして、ここにいる!?」
「言っただろ。俺は、殺し尽くさなければならないって」
未知を求める探求者。考古学者という存在を言葉で表すならば、それが何より適切だろう。だから、コーエンにとって俺の心の中は、黄金よりも価値ある何かに見えたのかもしれない。
「アレを殺せるのか? お前が? ……いや、殺していたなお前は」
ふう、と溜息を吐き、コーエンは落ち着かない脈動を必死に抑え込んでいる。
「アレを殺せるお前が、おれに何を尋ねる?」
お前の質問を受け付ける。彼の声音はそう言っていた。
「〝異形〟を生み出した人物を知りたい」
「知ってどうする?」
「殺す」
感情の失われた冷え切った言葉に、コーエンの身体がほんの少しだけ萎縮する。
「……シンプルな答えは嫌いじゃない、が、お前は殺し尽くす事を望んでいるんだろう? 元凶を殺したところで最早何も変わらないと思うが?」
「だとしても、だ」
「なるほど、随分と強情な性格らしい」
割り切った性格だとでも思っていたのか、俺の切り返しが予想外だったらしく、笑みが零れる。
「おれはお前の問いに答えられる。だが、タダというわけにはいかない。分かるだろう?」
コーエンが何を言いたいのか、すぐに理解が及ぶ。もとより、俺は既にその報酬を提示していた。
「今からお前を、遺跡に連れていく」
息を呑む音の、重奏。
呆然とした様子で俺とコーエンの会話を聞いていたエレーナから、驚愕の感情が飛んでくる。
「なん、でッ」
「こいつが提示した取引におれが応じるだけだ。何もおかしな事はあるまい」
「でもっ――」
「ああ、そうだ。良い機会だ。お前達も付いてきて構わんぞ」
急な手のひら返し。
遺跡に行かせまいとしていた彼はどうしてか、エレーナ達に向かってそんな言葉を吐いた。
「ただ、おれが思っていたよりずっと刺激的な歴史かもしれない。おれ個人の意見を言わせてもらうなら、ここは素直に帰った方が良いと思うがな」
第四話 孤独の剣王。故に、剣帝
「一つ質問、いいか」
『心読』――コーエン・ソカッチオを先頭に、俺、エレーナ、そしてその従者らしき二人の男性、レームとウルが追従する中、不意にコーエンが口を開いた。
抑えめな、少し距離を置いて後ろを歩くエレーナ達には聞こえるか聞こえないかといった声量故に、俺に向けた言葉なのだと理解が及んだ。
「なに」
俺がにべもなく答えると、振り返りすらせずに続きの言葉がやってくる。
「これでも随分と、過去の歴史を追っていた。そして過去の遺物の声を聞いていく中で唯一名が挙がった人物がいた」
俺の方が情報を手にしていると踏んでか、自分の持つ情報を漏らす事にコーエンは何の躊躇いも抱いているようには見えない。
「もっとも、それは敬称のようなものであったが――」
ほんの少しだけ、言葉に畏怖に似た感情を込めて、言う。
「――〝剣帝〟。そいつはそう呼ばれていたらしい。そこでお前に尋ねたい」
「その〝剣帝〟について、を?」
「……ああ。何故そいつが〝剣帝〟と呼ばれていたのか。おれは、それが知りたかった。大方の予想は付いているが、ずっと気になっていてな。どうせお前はその答えを知っているんだろ?」
「そんなの俺も知らねえよ」
投げやりに答えるが、コーエンの言葉は紛れもなく事実であった。
ファイ・ヘンゼ・ディストブルグは、かつてはシヅキと呼ばれ、剣士として生きた過去がある。
その記憶が確かに俺の中にあった。
〝剣帝〟と呼ばれた思い出が、あった。
しかし、その思い出を辿っても、どうして〝剣帝〟と呼ばれていたのか。そこに関する記憶は存在しない。
何故なら、当人の与り知らぬうちに、そんな大仰な名前で呼ばれるようになっていたのだから。
ただ、そう呼ばれていた理由について、俺なりの見解を口にするくらいはできる。
「……きっとそれは、最後まで生き残ってしまった孤独の剣士故、なんだろうよ」
「孤独の剣士?」
「そ。頼る相手も、縋る相手も、託す相手も。全て何もかも失い、孤独に陥った骸の上に立つ剣士。誰かがその様を見て言ったんだろうよ。〝剣帝〟ってな」
どうして〝剣帝〟と呼ばれていたのか。
その理由を俺は知らない。ただ、もし仮に俺が好き勝手に理由を付けていいのだとすれば、きっとそんな理由なのではと、俺は思った。
「……成る程」
「あくまでも俺の予想だけどな」
「いや、十分過ぎる。〝当事者〟が言うんだ。ならばつまり、そういう事なんだろう。それにおれの予想とも一致する。それが聞けただけでも収獲だ」
「そっか」
俺にとっちゃ、どうして〝剣帝〟と呼ばれていたのかなんざ取るに足らない事であったのだが、目の前の男にとってはそうじゃなかったのだろう。心なしか、返ってきた声は弾んでいた。
「それで」
今度は俺の番、とばかりに声を上げる。
「あれが遺跡でよかったか」
指で示した先には、煤けた薄緑の軍服に身を包む男性が幾人か、遺跡への侵入を拒むように配置されていた。
今は辛うじて肉眼で捉えられる距離であるが、彼らがこちらに気づくのも時間の問題だろう。
と、思われた刹那。
不意にコーエンの足がぴたりと止まる。
それに合わせて俺の足が、次いで、黙って歩いていたエレーナとその従者二人の足も。
「ああ、そうだ。が、あそこに着く前に一つ、お前と取引がしたい。シヅキとやら」
「ん?」
コーエンは、嫌な予感が当たったとばかりにほんの少しだけ不快そうに顔を歪めていた。
首を傾げる俺に悠長に考える時間はくれないのか、話は先へと進む。
「お前は言っていたな。殺したいと」
「それが?」
「その悲願におれも手を貸そう」
「……どういう風の吹き回しなんだよ」
「事情が変わった」
肩越しに振り向き、俺の姿をサングラス越しに射抜くコーエン・ソカッチオ。彼は、遺跡を目にした途端に足を止めた。厳密に言うならば、遺跡を囲む兵士の姿を視認した直後、か。
「少し、厄介な事になった」
「……はぁ?」
「兵士の数が明らかに多い。いや、多過ぎる」
そして、コーエンの視線が、俺から未だ表情に影を落とすエレーナへと移る。
「……何かな」
「なぁ、カルサスの。やはりお前は帰れ」
「ここまで来てそれを言うの? 嫌だね」
エレーナは〝時の魔法〟を求めていると言っていた。それが一縷の希望であるとばかりに。
そして、その手掛かりが遺跡に存在していると口にしていた。ここまで来て遺跡に背を向けるなど、許容できないはずだ。
「ならば、あえて言おう。お前はおれに、自分は呼びつけられた側と言っていたな。その結果がコレだ。厳重過ぎる警戒体制だ」
「それが何?」
「……チッ」
忌々しげに舌打ちするコーエン。
その様は、俺の目には演技のようには思えなかった。心底、理解力が乏し過ぎると苛立っていた。
なんとなくだが、コーエンが言いたい事は分かる。
恐らく、飛んで火に入る夏の虫とでも言いたいのだろう。
しかし、帝国側に位置するはずのコーエンが、どうして帝国に利が働くようにしないのか。
きっと、それこそが彼が「事情が変わった」と言った理由なのだろう。
疑問を解消すべく、俺はそこへ割って入る。
「あんた、帝国側の人間じゃねえのかよ」
「……歴史を知る上で都合が良かったから帝国に身を置いているだけだ」
それは言いかえると、都合が悪くなれば帝国から他所へ鞍替えするという事だろう。
「おれにとって、歴史は全てだ。歴史を知るためになら何だろうと捨てられる自信がある」
ゆえに、考古学者だと名乗っているんだがな、と付け加える。
「そして、その女は既に滅んだ王国――カルサス王家の血を継いでいる……個人的な借りもあるが何より、おれはエレーナを逃がしたい。他でもない、考古学者として」
「だから俺にその手伝いをしろと? その見返りが、〝異形〟を生み出したヤツを殺す手伝い? それを俺が、はいそうですかって信じると思ってるのかよ」
グレリア兄上のように頭脳に秀でていない俺でも分かる。コーエンの言っている事は矛盾だらけであると。
何より怪し過ぎる。毒と分かっていて呑むバカはいないだろう。
それに、もとより俺は全て一人で済ませるつもりであった。
誰かの助けが必要であると思っていないし、その考えが変わる事は金輪際ないだろう。
「エレーナを逃がしたいんなら今ここで、一緒になって逃げればいい」
「それはできない」
「なら――」
俺もあんたの言葉を信用できるはずがねえな、と言おうとして、
「勘違いをするな。あくまでも、今はだ」
言葉を遮られる。
「……ん」
「俺は考古学者として帝国に身を寄せている……今、ここにいる理由は、遺跡の解読を任されているからだ」
それは紛れもなく真実だろう。
「だが、はっきり言って上手く進んではいない。その現状を憂いてか、今回の作戦の責任者は既に痺れを切らしている」
それが何に繋がるんだと思う暇もなく。
「今、帝国とここディストブルグ王国の関係は、お世辞にも良いとは言えない。だから、良くてディストブルグに活用されないように遺跡を爆破するか。悪ければ――」
コーエンはもう一度、エレーナを見やり、言う。
「〝異形〟がもう一体増える事になるかもな」
「……言葉は選べよ」
俺は相手が底冷えするであろう程の敵意を滲ませながら、コーエンへ炯眼の焦点を結ぶ。
「選んでいる。だが、事実そうなった事例がある。取り繕って隠す方がタチ悪いだろう?」
「…………」
不快感が触手のように全身に纏わりつき、胸の奥から嫌悪が湧き上がる。
「おれがここから離反した瞬間、間違いなく遺跡はパァだ。おれはこの歴史的価値のある遺跡を壊させたくない。そしてその上で、エレーナを逃がしたい」
随分と強欲な奴だなと、俺は溜息を吐く。
「だとしても――」
その提案には乗れない。そう言おうとして、ふと思い出す。
俺がここへやってきた理由は何だったか。
それは、遺跡に関する『豪商』ドヴォルグ・ツァーリッヒからの依頼ではなかったか。
「い、や……」
つまり俺にとっても、現状、あの遺跡には価値がある。
本音では歴史なんてどうでもいいが、それでもこの約束を軽んじる事はできなかった。
「はあぁぁぁ……」
項垂れ、投げやりに髪を掻き毟る。
「あんたは遺跡を守る為に離れられない。けれどエレーナをここから逃がしたい。だから俺にその手伝いをしろ、と? そしてその報酬としてあんたが俺に手を貸すと」
俺の確認に、コーエンは小さく一度だけ頷いた。
俺はお供のフェリやラティファを置いてきぼりにして、ここへやってきている。遺跡で用を済ませたらさっさと退散するつもりであったのに、厄介事を押し付けられちゃ堪ったもんじゃない。
けれど、俺の勘が告げている。
このまま遺跡に立ち入ったところで、ロクな事にはならない、と。
しかし、
「……言っておくけどわたしは帰らないよ」
エレーナ本人が拒絶する上、何より俺自身も〝異形〟の手掛かりを得られるであろうこの機会をふいにはできない。
「へえ」
コーエンにジッと半眼で見詰められる。すると、リィンツェル王国が王女――リーシェン・メイ・リィンツェルに頭の中を覗かれた時と、とてもよく似た違和感に見舞われる。
覗かれた。もしくは読まれた、か。
己の中でそう結論付けた俺は、無意識のうちに感嘆めいた声を口にしてしまっていた。
もし仮に、コーエンが俺の思考か何かを読み取っていたなら、道理で納得がいく。
俺から何かを読み取っているならば、それはもう影が気になって仕方がない事だろう。何か言葉にし難い違和感でもあるのか、俺の影に視線を時折向ける彼の行動は、まさに正しいと言える。
「だが、それだけだ。お前は嘘をついてはいない。だからといって、お前の言葉遊びに付き合うほどおれも暇じゃない。今すぐおれの目の前から――」
「――なん、で」
コーエンが俺に向かって言葉を吐き捨てようとした瞬間、そこに割って入ったのは、消え入りそうなエレーナの声。乾いた喉から出てきた声は、少しだけ掠れていた。
「なんで、きみがアレを知ってるの……?」
「……アレ?」
「化け物の、事に決まってるでしょっ……なんで、どうして、きみが……知ってるの?」
じりじりと距離を詰めてくるエレーナの瞳は、何故か光が薄れていた。初対面時の彼女の印象は正しく天真爛漫。しかし、今の彼女は俺の知るエレーナではなかった。
豹変。そう言い表す他なかった。
「早く答えろよッッ!!!!」
突然の怒号が俺の耳朶を殴りつける。
血走った瞳からは殺意が奔っており、びりびりと肌を刺されるような感覚に見舞われた。
「俺が、知っている理由……」
語ろうと思えば、俺はその理由を日暮れまで語れる事だろう。だが、どうしてか疑問に思った。
そもそもなんで、俺はこんなにも〝異形〟という存在にこだわり続けているのだろうか、と。
危険な存在であると、魂レベルで刷り込まれているから?
ああ、きっとそれは理由の一つだ。
〝異形〟という存在が仇であるから?
ああ、それも、理由の一つだ。
挙げていけば本当にキリがない。
ふとコーエンの姿を確認すると、彼も俺の返答を気にしているようであった。先程の俺の言葉の真偽を、この答えで判断するハラなのかもしれない。
深い深い思考の海に沈みゆくうちに、「どうして知っているのか」というエレーナの問い掛けは、己の中で勝手に「どうして、こだわり続けているのか」に移り変わっていた。
「そう、か。そう、だよな。盗み聞きして人様の事情を知ったくせに、俺だけ何も言わないのは不公平、か」
そう言いながら空を仰ぐと、さっきまでは燦々と輝いてこれでもかとばかりに照らしつけていた太陽が、雲に覆われ始めていた。
暗澹と蠢く雲が、大地に翳りを落とす。
「……多分、それは」
隠す理由はない。
だから、俺は目一杯、口の端を吊り上げた。
無理矢理に笑おうと試みた時に行う仕草。鏡で見なくとも、今の俺はとびきり醜悪な笑みを浮かべていると言い切れた。
「これが、理由だろうな」
ふはっ、と自嘲気味に息だけで笑う。
エレーナは知らない。俺が笑う時は決まって――剣を振るう時だと。
「殺さなきゃいけない存在だから、知ってる。許容してはならない存在だから、こうしてこだわり続けてる」
とどのつまり、俺は笑って死にたいだけだった。
譲れないものを守れれば、それで良かった。
けれどそれ以上に、約束は俺にとって何より重いものであった。
「殺し尽くすと誓ったあの約束を、反故にはできないんだよ」
俺が俺である限り、たとえどんな状況下だろうとも、あの〝異形〟の存在だけは許容できやしない。知らぬフリなど、するはずがない。
「…………」
息を呑む音がすぐ側から聞こえてきた。
納得を、してくれただろうか。
少なくとも、あの〝異形〟に与する人間でない事を知ってもらえたならば、話した甲斐もあった。
茫然自失に立ち尽くすエレーナに背を向ける。鬼気迫る様子は、既に彼女から消え去っていた。
「深いな」
言葉を交わす価値がないと拒絶していた色は薄らぎ、興味深そうに反応を窺うコーエンの声が聞こえてきた。
「闇が、深い。まるで底なし沼のような人間だ、お前は」
変なたとえ方をするやつだと、そう思った。そんな胸中すらお見通しなのか、コーエンの表情が少しだけ歪んだ。
「読めば読むほど闇が深まっていく。それを底なし沼と言わずして何と言う?」
まるで俺の心を読んだかのような疑問を覚えた。いや、まるでではない。恐らく本当に心を読んだのだろう。ならば――好きなだけ読めばいい。心を読みたいならば、読めばいい。俺の心象を、覗き込めばいい。
そうすれば、俺と〝異形〟の関係がいやでも分かってしまうはずだから。
一度読んでしまったが最後。彼は二度と否定できなくなる。
俺が求める情報を持っている可能性の極めて高い人間に、質問できる機会を、信頼を掴み取る事は決して悪くない。
「生憎、俺は自分が底なし沼だなんて思った事はないもんでね。よく分からん、が」
過去を、偲ぶ。
幸せも、辛さも、悲しさも、嬉しさも。
抱いた感情全てが詰め込まれた過去を想い焦がれ、それが決して戻ってこないものであると知ってしまって、とめどない寂寞に身が震える。
「闇だ、沼だと指摘された覚えはある。あんたがそう言うのなら、これは闇なんだろうよ。これは沼なんだろうよ。抱く感想は人それぞれ。好き勝手思っとけばいい。それを俺は否定しねえよ」
頭の中で暴れ回る記憶の奔流。ざりざりと理性を削り取ってくるソレへの、若干の嫌悪を相貌に貼り付けながら、俺は言葉を続ける。
「そして、あんたが俺の心を覗こうが、それも否定しねえ。決して自分から語りたいもんじゃねえけど、覗かれたんなら仕方ない。そう、割り切れてるんでな」
だから、リーシェン・メイ・リィンツェルに覗かれた時も、俺は怒る素振りすら見せなかった。
「コーエン、って言ったよな? いいぜ、好きなだけ覗けよ。あんたが沼なんて言い表す心をさ」
理屈すらないただの勘でしかなかったけれど、この者なら、知っているんじゃないかと。誰が〝異形〟を創り出したのか、それを知っているんじゃないかと思ったから。だから、俺はこうしてひけらかすような真似をしているのかもしれない。何より、その情報を得られるのならば、俺の過去なんて安いもの、取るに足らなかった。
「吐き気がするが、それでも今だけ耐えてやるさ」
過去を想う時、誰しもが都合のいい記憶にだけ触れる。不快感を催す記憶を好んで掘り返す者なぞ、いるはずもない。
俺も、そうだった。
けれど、今はそれではダメだった。
〝異形〟という存在を引き合いに出している時点で、懐古に浸れるはずもない。
「好きなだけ覗けよ。解読できると言った理由は俺の記憶の中にあるからさ」
そう言って、無理矢理に思い起こす。
奥底で蓋をされていた鈍色の記憶を浮上させる。何もかもが血で塗り潰された失意の記憶を引き上げる。同時、やってくる圧迫感。
目に見えない何かに、心の臓をぎゅううと握り締められる感覚に襲われ、動悸がする。
そして俺の思考は真っ白に摩滅した。
一瞬の――ホワイトアウト。
諦観が襲い、途方もない寂しさが俺という人間全てを埋め尽くす。残酷なまでに鮮明に俺の心に存在を刻んだ者達はもう、どこにもいない。慟哭を上げ続け、涙すら枯らした心が、ぎしりと再び軋んだ。
血に塗れた道が、見えた。
己が辿った鮮紅色に彩られた軌跡が――
死骸の山。踏み締めた人骨。落ちた血。失われる命。届かない手。歪む心。消えていく何か。酷薄に押し寄せる。血に塗れた剣。〝影剣〟。壊れていく感情。零れ落ちる存在。後悔。諦念。自責。自嘲。慚愧。焼かれる。呑まれる。砕ける。潰される。蹂躙。溢れ返る。誰かの死。無慈悲に死んでいく。希望も。光も。何もかもが死んでいく。殺された。残忍に、誰もが殺された。日常も。存在も。夢も。全てが殺された。失って。失って。失って。奪われて。それでも生きて。答えを求めて。探して。縋って。そして、絶望して。孤独に泣いて。喘いで。そして、自分を殺して。また剣を執って。殺して。殺して。殺して。生きて。失って。また殺して。己を見失って。無感情に生きて。夢を見て。泣いて。後悔して。幸せを噛み締めて。地獄に絶望して。希望はないと知って。救いもないと知って。殺す事しかできないと理解して。笑って。嗤って。ワラッテ。墓標の丘に立って。原風景。殺風景。血色の景色。色褪せた灰色の世界。あるのは死。数多の死。まるで鬼のように死を撒き散らし。殺して。殺して。殺して。殺し尽くして。空虚を知って。泣いて。自刃して――零れ落ちて。
「は、ぁっ……」
それは一瞬の出来事。
にもかかわらず、俺は小さく息を切らし、大きく脈打った心臓の音と共に、息を吐き出した。
埋め尽くす後悔に心を乱されながら、俺はコーエンを見据える。
その残酷なまでの情報の奔流を言われるがまま読み取ってしまったコーエンは、息を呑んでいた。呼吸さえも忘れて、限界まで目を見開き、立ち尽くしていた。凍り付いていた。肢体の一切の活動が止まり、彼の時間は停止してしまっていた。
「シヅキ、と言ったか」
言葉を吟味し、ゆっくりとコーエンは発言する。その声音には、心底理解できないと言わんばかりの、呆れに似た感情を孕んでいた。
だが、それとは裏腹に、彼の口端が段々と吊り上がっていく。顔中に、胸の奥から溢れ出した感情が広がる。
その感情とは何を隠そう――
「――はっ。ははっ、はははは!!! はははははははははははははハハ!!!!」
歓喜、であった。
狂気的な光を瞳の奥に湛えながら、コーエンは尋常でない哄笑を轟かせる。
「なんだ!? なんなんだお前は!? どうして生きていられる!? どうして立ち向かう!? どうして立ち向かえたんだ!?」
爆発した歓喜は止まる事を知らない。
「なあ、なあ、なあ――ッ!! お前はどうして、ここにいる!?」
「言っただろ。俺は、殺し尽くさなければならないって」
未知を求める探求者。考古学者という存在を言葉で表すならば、それが何より適切だろう。だから、コーエンにとって俺の心の中は、黄金よりも価値ある何かに見えたのかもしれない。
「アレを殺せるのか? お前が? ……いや、殺していたなお前は」
ふう、と溜息を吐き、コーエンは落ち着かない脈動を必死に抑え込んでいる。
「アレを殺せるお前が、おれに何を尋ねる?」
お前の質問を受け付ける。彼の声音はそう言っていた。
「〝異形〟を生み出した人物を知りたい」
「知ってどうする?」
「殺す」
感情の失われた冷え切った言葉に、コーエンの身体がほんの少しだけ萎縮する。
「……シンプルな答えは嫌いじゃない、が、お前は殺し尽くす事を望んでいるんだろう? 元凶を殺したところで最早何も変わらないと思うが?」
「だとしても、だ」
「なるほど、随分と強情な性格らしい」
割り切った性格だとでも思っていたのか、俺の切り返しが予想外だったらしく、笑みが零れる。
「おれはお前の問いに答えられる。だが、タダというわけにはいかない。分かるだろう?」
コーエンが何を言いたいのか、すぐに理解が及ぶ。もとより、俺は既にその報酬を提示していた。
「今からお前を、遺跡に連れていく」
息を呑む音の、重奏。
呆然とした様子で俺とコーエンの会話を聞いていたエレーナから、驚愕の感情が飛んでくる。
「なん、でッ」
「こいつが提示した取引におれが応じるだけだ。何もおかしな事はあるまい」
「でもっ――」
「ああ、そうだ。良い機会だ。お前達も付いてきて構わんぞ」
急な手のひら返し。
遺跡に行かせまいとしていた彼はどうしてか、エレーナ達に向かってそんな言葉を吐いた。
「ただ、おれが思っていたよりずっと刺激的な歴史かもしれない。おれ個人の意見を言わせてもらうなら、ここは素直に帰った方が良いと思うがな」
第四話 孤独の剣王。故に、剣帝
「一つ質問、いいか」
『心読』――コーエン・ソカッチオを先頭に、俺、エレーナ、そしてその従者らしき二人の男性、レームとウルが追従する中、不意にコーエンが口を開いた。
抑えめな、少し距離を置いて後ろを歩くエレーナ達には聞こえるか聞こえないかといった声量故に、俺に向けた言葉なのだと理解が及んだ。
「なに」
俺がにべもなく答えると、振り返りすらせずに続きの言葉がやってくる。
「これでも随分と、過去の歴史を追っていた。そして過去の遺物の声を聞いていく中で唯一名が挙がった人物がいた」
俺の方が情報を手にしていると踏んでか、自分の持つ情報を漏らす事にコーエンは何の躊躇いも抱いているようには見えない。
「もっとも、それは敬称のようなものであったが――」
ほんの少しだけ、言葉に畏怖に似た感情を込めて、言う。
「――〝剣帝〟。そいつはそう呼ばれていたらしい。そこでお前に尋ねたい」
「その〝剣帝〟について、を?」
「……ああ。何故そいつが〝剣帝〟と呼ばれていたのか。おれは、それが知りたかった。大方の予想は付いているが、ずっと気になっていてな。どうせお前はその答えを知っているんだろ?」
「そんなの俺も知らねえよ」
投げやりに答えるが、コーエンの言葉は紛れもなく事実であった。
ファイ・ヘンゼ・ディストブルグは、かつてはシヅキと呼ばれ、剣士として生きた過去がある。
その記憶が確かに俺の中にあった。
〝剣帝〟と呼ばれた思い出が、あった。
しかし、その思い出を辿っても、どうして〝剣帝〟と呼ばれていたのか。そこに関する記憶は存在しない。
何故なら、当人の与り知らぬうちに、そんな大仰な名前で呼ばれるようになっていたのだから。
ただ、そう呼ばれていた理由について、俺なりの見解を口にするくらいはできる。
「……きっとそれは、最後まで生き残ってしまった孤独の剣士故、なんだろうよ」
「孤独の剣士?」
「そ。頼る相手も、縋る相手も、託す相手も。全て何もかも失い、孤独に陥った骸の上に立つ剣士。誰かがその様を見て言ったんだろうよ。〝剣帝〟ってな」
どうして〝剣帝〟と呼ばれていたのか。
その理由を俺は知らない。ただ、もし仮に俺が好き勝手に理由を付けていいのだとすれば、きっとそんな理由なのではと、俺は思った。
「……成る程」
「あくまでも俺の予想だけどな」
「いや、十分過ぎる。〝当事者〟が言うんだ。ならばつまり、そういう事なんだろう。それにおれの予想とも一致する。それが聞けただけでも収獲だ」
「そっか」
俺にとっちゃ、どうして〝剣帝〟と呼ばれていたのかなんざ取るに足らない事であったのだが、目の前の男にとってはそうじゃなかったのだろう。心なしか、返ってきた声は弾んでいた。
「それで」
今度は俺の番、とばかりに声を上げる。
「あれが遺跡でよかったか」
指で示した先には、煤けた薄緑の軍服に身を包む男性が幾人か、遺跡への侵入を拒むように配置されていた。
今は辛うじて肉眼で捉えられる距離であるが、彼らがこちらに気づくのも時間の問題だろう。
と、思われた刹那。
不意にコーエンの足がぴたりと止まる。
それに合わせて俺の足が、次いで、黙って歩いていたエレーナとその従者二人の足も。
「ああ、そうだ。が、あそこに着く前に一つ、お前と取引がしたい。シヅキとやら」
「ん?」
コーエンは、嫌な予感が当たったとばかりにほんの少しだけ不快そうに顔を歪めていた。
首を傾げる俺に悠長に考える時間はくれないのか、話は先へと進む。
「お前は言っていたな。殺したいと」
「それが?」
「その悲願におれも手を貸そう」
「……どういう風の吹き回しなんだよ」
「事情が変わった」
肩越しに振り向き、俺の姿をサングラス越しに射抜くコーエン・ソカッチオ。彼は、遺跡を目にした途端に足を止めた。厳密に言うならば、遺跡を囲む兵士の姿を視認した直後、か。
「少し、厄介な事になった」
「……はぁ?」
「兵士の数が明らかに多い。いや、多過ぎる」
そして、コーエンの視線が、俺から未だ表情に影を落とすエレーナへと移る。
「……何かな」
「なぁ、カルサスの。やはりお前は帰れ」
「ここまで来てそれを言うの? 嫌だね」
エレーナは〝時の魔法〟を求めていると言っていた。それが一縷の希望であるとばかりに。
そして、その手掛かりが遺跡に存在していると口にしていた。ここまで来て遺跡に背を向けるなど、許容できないはずだ。
「ならば、あえて言おう。お前はおれに、自分は呼びつけられた側と言っていたな。その結果がコレだ。厳重過ぎる警戒体制だ」
「それが何?」
「……チッ」
忌々しげに舌打ちするコーエン。
その様は、俺の目には演技のようには思えなかった。心底、理解力が乏し過ぎると苛立っていた。
なんとなくだが、コーエンが言いたい事は分かる。
恐らく、飛んで火に入る夏の虫とでも言いたいのだろう。
しかし、帝国側に位置するはずのコーエンが、どうして帝国に利が働くようにしないのか。
きっと、それこそが彼が「事情が変わった」と言った理由なのだろう。
疑問を解消すべく、俺はそこへ割って入る。
「あんた、帝国側の人間じゃねえのかよ」
「……歴史を知る上で都合が良かったから帝国に身を置いているだけだ」
それは言いかえると、都合が悪くなれば帝国から他所へ鞍替えするという事だろう。
「おれにとって、歴史は全てだ。歴史を知るためになら何だろうと捨てられる自信がある」
ゆえに、考古学者だと名乗っているんだがな、と付け加える。
「そして、その女は既に滅んだ王国――カルサス王家の血を継いでいる……個人的な借りもあるが何より、おれはエレーナを逃がしたい。他でもない、考古学者として」
「だから俺にその手伝いをしろと? その見返りが、〝異形〟を生み出したヤツを殺す手伝い? それを俺が、はいそうですかって信じると思ってるのかよ」
グレリア兄上のように頭脳に秀でていない俺でも分かる。コーエンの言っている事は矛盾だらけであると。
何より怪し過ぎる。毒と分かっていて呑むバカはいないだろう。
それに、もとより俺は全て一人で済ませるつもりであった。
誰かの助けが必要であると思っていないし、その考えが変わる事は金輪際ないだろう。
「エレーナを逃がしたいんなら今ここで、一緒になって逃げればいい」
「それはできない」
「なら――」
俺もあんたの言葉を信用できるはずがねえな、と言おうとして、
「勘違いをするな。あくまでも、今はだ」
言葉を遮られる。
「……ん」
「俺は考古学者として帝国に身を寄せている……今、ここにいる理由は、遺跡の解読を任されているからだ」
それは紛れもなく真実だろう。
「だが、はっきり言って上手く進んではいない。その現状を憂いてか、今回の作戦の責任者は既に痺れを切らしている」
それが何に繋がるんだと思う暇もなく。
「今、帝国とここディストブルグ王国の関係は、お世辞にも良いとは言えない。だから、良くてディストブルグに活用されないように遺跡を爆破するか。悪ければ――」
コーエンはもう一度、エレーナを見やり、言う。
「〝異形〟がもう一体増える事になるかもな」
「……言葉は選べよ」
俺は相手が底冷えするであろう程の敵意を滲ませながら、コーエンへ炯眼の焦点を結ぶ。
「選んでいる。だが、事実そうなった事例がある。取り繕って隠す方がタチ悪いだろう?」
「…………」
不快感が触手のように全身に纏わりつき、胸の奥から嫌悪が湧き上がる。
「おれがここから離反した瞬間、間違いなく遺跡はパァだ。おれはこの歴史的価値のある遺跡を壊させたくない。そしてその上で、エレーナを逃がしたい」
随分と強欲な奴だなと、俺は溜息を吐く。
「だとしても――」
その提案には乗れない。そう言おうとして、ふと思い出す。
俺がここへやってきた理由は何だったか。
それは、遺跡に関する『豪商』ドヴォルグ・ツァーリッヒからの依頼ではなかったか。
「い、や……」
つまり俺にとっても、現状、あの遺跡には価値がある。
本音では歴史なんてどうでもいいが、それでもこの約束を軽んじる事はできなかった。
「はあぁぁぁ……」
項垂れ、投げやりに髪を掻き毟る。
「あんたは遺跡を守る為に離れられない。けれどエレーナをここから逃がしたい。だから俺にその手伝いをしろ、と? そしてその報酬としてあんたが俺に手を貸すと」
俺の確認に、コーエンは小さく一度だけ頷いた。
俺はお供のフェリやラティファを置いてきぼりにして、ここへやってきている。遺跡で用を済ませたらさっさと退散するつもりであったのに、厄介事を押し付けられちゃ堪ったもんじゃない。
けれど、俺の勘が告げている。
このまま遺跡に立ち入ったところで、ロクな事にはならない、と。
しかし、
「……言っておくけどわたしは帰らないよ」
エレーナ本人が拒絶する上、何より俺自身も〝異形〟の手掛かりを得られるであろうこの機会をふいにはできない。
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