8 / 10
八話
しおりを挟む
†
「……怖くない、か」
閑散と、静まり返った部屋の中で小さな声が響く。
それは、イグナーツ・ロドリゲスの声であった。
「今更どう思われようと気にはしないつもりでいたが、取り繕いでもなく、紛れもない本心からそう言われると、やはり嬉しく思ってしまうのだな」
気にしていない。
などと気を遣って言われ続けていれば、嫌でもその真偽を見透かせるようになってしまう。
その裏に見え隠れする『嫌悪』の感情を読み取れるようになってしまう。
なのに、ルシア・アルヴァルトにはそういった感情一切存在していなかった。
かといって、誰もに慈愛の心を向ける聖人のような性格と思えばそれもまた違っていて。
向けて来ていたあの瞳に湛えられていた感情は、理解というか、共感というか。
あの場では、絶妙にそぐわないものであった。
まるで、一度、自身も似たような経験があると言わんばかりの。
「ただ、だからこそ余計に関わらせたくはない」
気持ちは嬉しい。
建前抜きに、真正面からああして言ってくれる事はイグナーツ自身も心底嬉しく思っていた。
しかしだから、面倒ごとには余計に巻き込みたくないと思ってしまうし、あんな性格の善人は、何事もなく平穏に幸せを享受して欲しいと切に思う。
なれど、常に己の側を譲らない従者————ドゥガが席を外した事実から察するに、何か余計な事をルシアに吹き込みに行ったのだろう。
後で訂正しておかなければ。
そんな事を思いながらも、イグナーツは執務机に積み重なった書類を黙々と片付けてゆく。
「ドゥガの事だ。どうせ、説得をしてくれ、とでも言ってるんだろうな」
苦笑いを一つ。
心当たりがあったからこそ、イグナーツはそう言わずにいられなかった。
しかし、幾ら説得の言葉を投げ掛けられようと、それでも尚、と応じられない事柄はそれこそ、イグナーツには山程ある。
この執務もそう。
魔物の掃討もそう。
「……けど、だめなんだよ。俺はだめなんだ。それだけは、だめなんだ」
誰もいない故に、本音をこぼす。
どれだけ言葉を尽くされようとも、この心だけは変わらないのだと口にする。
「そもそも俺は、お前らが思ってるような人間じゃない」
騎士団長だから。
公爵家の人間だから。
国を愛してるから。
民を慈しんでるから。
故に————自己犠牲を顧みない献身利他な公爵閣下。そう、思っている人間が多いがそれは大きな間違いである。
「俺はもっと、弱虫で、醜くて、意気地なしだったただのエゴイストだ」
全ての行動がエゴまみれ。
ただ懺悔でしかない。
ただの贖罪でしかない。
あまりに、現実離れした理由ゆえに、イグナーツは誰にも打ち明けた事はないが、これはただの罪滅ぼしという名の自己満足だった。
そして、視線をある場所へと移す。
そこには、本が一冊だけ置かれていた。
「なのにどうして、あんな事を言ったんだろうな。俺は」
それは、ルシア・アルヴァルトに向けて口にしてしまっていた言葉に対しての後悔。
本当に拒絶したいならば、もっと都合のいい言葉はあった筈なのだ。
なのに、どうしてあの時、巻き込みたくはないと思っておきながら、逃げ道のある条件を突きつけたのだろうか。
そう、己を責め立てて。
「…………似てたから、なのかね」
イグナーツは執務を続ける手を止めて、視線の先にあった本へと手を伸ばした。
それは伝記だった。
ずっと昔、『大魔法師』と呼ばれていた一人の女性の生涯を描いた伝記。
もう数百年も昔に没した筈の人物の伝記であったが、イグナーツはその人物の事を知っていた。
そして、その人物が浮かべていた瞳と、よく似た瞳をしていたから、己はルシア・アルヴァルトを突き放したいと思いながらも内に入れてしまったのかもしれない。
そう考えてしまい、苦笑が漏れていた。
「このまま呪いで死ぬのも悪くない、なんて考えていたのに」
だから、割り切れた。
だから、誰にどう思われようとイグナーツは全く気にしようともしていなかった。
だから、自分が悪いのだと思う事が出来ていた。
これは、あの時の報いなのだろうと思えば、なんであろうと乗り越える事が出来た。
「あぁ、でも。貴女がもし俺の前にいたなら、きっとこう言ったんだろうな」
殆ど人間が気味悪がっていた呪いには一切目もくれず、ルシア・アルヴァルトのように一蹴した上で、————馬鹿な事を考えるな。
なんて。
「……あぁ、少し疲れた」
手にしていた伝記を己の目の前に置いてから、イグナーツは背もたれに身体を預ける。
そういえば、ルシアが来る前からずっと政務続きだったか。
そんな事を思い出し、己を襲う疲労感に納得しながらイグナーツは目を閉じ、意識をゆっくり手放した。
夢にて思い起こされるは、過去の記憶。
もう二度と取り戻す事のできない心地の良かったかつての日常。
イグナーツ・ロドリゲスが、呪いを押してまで、誰の称賛を求める事もなく、ただただ国に尽くそうとする理由を生み出したきっかけの光景が、夢として蘇る。
イグナーツ・ロドリゲスは、転生者であった。
それも、当時『大魔法師』と呼ばれていたルシア・クロフィスに救われた人間。
心の底から国や民を大事に想いながらも、王族や貴族の被害妄想でしかない保身によって『魔女』に仕立て上げられ、国を追われたルシアにかつて助けられた人間だった。
にもかかわらず、受けた恩を返せなかった意気地なしの卑怯者。
それが、イグナーツの自己評価。
だからせめて、かつての彼女のように、第二の人生を使おうと願ったイグナーツは————幸せであり、苦い思い出でもある己の前世を幻視した。
「……怖くない、か」
閑散と、静まり返った部屋の中で小さな声が響く。
それは、イグナーツ・ロドリゲスの声であった。
「今更どう思われようと気にはしないつもりでいたが、取り繕いでもなく、紛れもない本心からそう言われると、やはり嬉しく思ってしまうのだな」
気にしていない。
などと気を遣って言われ続けていれば、嫌でもその真偽を見透かせるようになってしまう。
その裏に見え隠れする『嫌悪』の感情を読み取れるようになってしまう。
なのに、ルシア・アルヴァルトにはそういった感情一切存在していなかった。
かといって、誰もに慈愛の心を向ける聖人のような性格と思えばそれもまた違っていて。
向けて来ていたあの瞳に湛えられていた感情は、理解というか、共感というか。
あの場では、絶妙にそぐわないものであった。
まるで、一度、自身も似たような経験があると言わんばかりの。
「ただ、だからこそ余計に関わらせたくはない」
気持ちは嬉しい。
建前抜きに、真正面からああして言ってくれる事はイグナーツ自身も心底嬉しく思っていた。
しかしだから、面倒ごとには余計に巻き込みたくないと思ってしまうし、あんな性格の善人は、何事もなく平穏に幸せを享受して欲しいと切に思う。
なれど、常に己の側を譲らない従者————ドゥガが席を外した事実から察するに、何か余計な事をルシアに吹き込みに行ったのだろう。
後で訂正しておかなければ。
そんな事を思いながらも、イグナーツは執務机に積み重なった書類を黙々と片付けてゆく。
「ドゥガの事だ。どうせ、説得をしてくれ、とでも言ってるんだろうな」
苦笑いを一つ。
心当たりがあったからこそ、イグナーツはそう言わずにいられなかった。
しかし、幾ら説得の言葉を投げ掛けられようと、それでも尚、と応じられない事柄はそれこそ、イグナーツには山程ある。
この執務もそう。
魔物の掃討もそう。
「……けど、だめなんだよ。俺はだめなんだ。それだけは、だめなんだ」
誰もいない故に、本音をこぼす。
どれだけ言葉を尽くされようとも、この心だけは変わらないのだと口にする。
「そもそも俺は、お前らが思ってるような人間じゃない」
騎士団長だから。
公爵家の人間だから。
国を愛してるから。
民を慈しんでるから。
故に————自己犠牲を顧みない献身利他な公爵閣下。そう、思っている人間が多いがそれは大きな間違いである。
「俺はもっと、弱虫で、醜くて、意気地なしだったただのエゴイストだ」
全ての行動がエゴまみれ。
ただ懺悔でしかない。
ただの贖罪でしかない。
あまりに、現実離れした理由ゆえに、イグナーツは誰にも打ち明けた事はないが、これはただの罪滅ぼしという名の自己満足だった。
そして、視線をある場所へと移す。
そこには、本が一冊だけ置かれていた。
「なのにどうして、あんな事を言ったんだろうな。俺は」
それは、ルシア・アルヴァルトに向けて口にしてしまっていた言葉に対しての後悔。
本当に拒絶したいならば、もっと都合のいい言葉はあった筈なのだ。
なのに、どうしてあの時、巻き込みたくはないと思っておきながら、逃げ道のある条件を突きつけたのだろうか。
そう、己を責め立てて。
「…………似てたから、なのかね」
イグナーツは執務を続ける手を止めて、視線の先にあった本へと手を伸ばした。
それは伝記だった。
ずっと昔、『大魔法師』と呼ばれていた一人の女性の生涯を描いた伝記。
もう数百年も昔に没した筈の人物の伝記であったが、イグナーツはその人物の事を知っていた。
そして、その人物が浮かべていた瞳と、よく似た瞳をしていたから、己はルシア・アルヴァルトを突き放したいと思いながらも内に入れてしまったのかもしれない。
そう考えてしまい、苦笑が漏れていた。
「このまま呪いで死ぬのも悪くない、なんて考えていたのに」
だから、割り切れた。
だから、誰にどう思われようとイグナーツは全く気にしようともしていなかった。
だから、自分が悪いのだと思う事が出来ていた。
これは、あの時の報いなのだろうと思えば、なんであろうと乗り越える事が出来た。
「あぁ、でも。貴女がもし俺の前にいたなら、きっとこう言ったんだろうな」
殆ど人間が気味悪がっていた呪いには一切目もくれず、ルシア・アルヴァルトのように一蹴した上で、————馬鹿な事を考えるな。
なんて。
「……あぁ、少し疲れた」
手にしていた伝記を己の目の前に置いてから、イグナーツは背もたれに身体を預ける。
そういえば、ルシアが来る前からずっと政務続きだったか。
そんな事を思い出し、己を襲う疲労感に納得しながらイグナーツは目を閉じ、意識をゆっくり手放した。
夢にて思い起こされるは、過去の記憶。
もう二度と取り戻す事のできない心地の良かったかつての日常。
イグナーツ・ロドリゲスが、呪いを押してまで、誰の称賛を求める事もなく、ただただ国に尽くそうとする理由を生み出したきっかけの光景が、夢として蘇る。
イグナーツ・ロドリゲスは、転生者であった。
それも、当時『大魔法師』と呼ばれていたルシア・クロフィスに救われた人間。
心の底から国や民を大事に想いながらも、王族や貴族の被害妄想でしかない保身によって『魔女』に仕立て上げられ、国を追われたルシアにかつて助けられた人間だった。
にもかかわらず、受けた恩を返せなかった意気地なしの卑怯者。
それが、イグナーツの自己評価。
だからせめて、かつての彼女のように、第二の人生を使おうと願ったイグナーツは————幸せであり、苦い思い出でもある己の前世を幻視した。
28
あなたにおすすめの小説
聖女の座を追われた私は田舎で畑を耕すつもりが、辺境伯様に「君は畑担当ね」と強引に任命されました
さら
恋愛
王都で“聖女”として人々を癒やし続けてきたリーネ。だが「加護が弱まった」と政争の口実にされ、無慈悲に追放されてしまう。行き場を失った彼女が選んだのは、幼い頃からの夢――のんびり畑を耕す暮らしだった。
ところが辺境の村にたどり着いた途端、無骨で豪胆な領主・辺境伯に「君は畑担当だ」と強引に任命されてしまう。荒れ果てた土地、困窮する領民たち、そして王都から伸びる陰謀の影。追放されたはずの聖女は、鍬を握り、祈りを土に注ぐことで再び人々に希望を芽吹かせていく。
「畑担当の聖女さま」と呼ばれながら笑顔を取り戻していくリーネ。そして彼女を真っ直ぐに支える辺境伯との距離も、少しずつ近づいて……?
畑から始まるスローライフと、不器用な辺境伯との恋。追放された聖女が見つけた本当の居場所は、王都の玉座ではなく、土と緑と温かな人々に囲まれた辺境の畑だった――。
最強の騎士団長に嫁いだ偽りの公爵令嬢は、溺愛から逃げられない
花瀬ゆらぎ
恋愛
囚われた弟を救うため、貧民育ちのリーゼは公爵令嬢になりすまし、騎士団長シルヴィオに嫁いだ。
彼女に与えられた任務は、夫を監視すること。
結婚後、新居で待っていたのは、「氷の騎士」と恐れられる無口な夫。
しかし──戦地から帰還した彼は、別人のようにリーゼを溺愛し始めて……!?
「あなたのことを考えない日は一日たりともなかった」
次第にシルヴィオに惹かれていくリーゼ。けれど彼女は知らない。この結婚には、さらなる罠が仕掛けられていることを。
守り守られ真の夫婦を目指す恋愛ファンタジー!
※ヒロインが実家で虐げられるシリアスな展開がありますが、ヒーローによる救済・溺愛へと繋がります。
私に告白してきたはずの先輩が、私の友人とキスをしてました。黙って退散して食事をしていたら、ハイスペックなイケメン彼氏ができちゃったのですが。
石河 翠
恋愛
飲み会の最中に席を立った主人公。化粧室に向かった彼女は、自分に告白してきた先輩と自分の友人がキスをしている現場を目撃する。
自分への告白は、何だったのか。あまりの出来事に衝撃を受けた彼女は、そのまま行きつけの喫茶店に退散する。
そこでやけ食いをする予定が、美味しいものに満足してご機嫌に。ちょっとしてネタとして先ほどのできごとを話したところ、ずっと片想いをしていた相手に押し倒されて……。
好きなひとは高嶺の花だからと諦めつつそばにいたい主人公と、アピールし過ぎているせいで冗談だと思われている愛が重たいヒーローの恋物語。
この作品は、小説家になろう及びエブリスタでも投稿しております。
扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。
【完結】番としか子供が産まれない世界で
さくらもち
恋愛
番との間にしか子供が産まれない世界に産まれたニーナ。
何故か親から要らない子扱いされる不遇な子供時代に番と言う概念すら知らないまま育った。
そんなニーナが番に出会うまで
4話完結
出会えたところで話は終わってます。
婚約破棄された際もらった慰謝料で田舎の土地を買い農家になった元貴族令嬢、野菜を買いにきたベジタリアン第三王子に求婚される
さら
恋愛
婚約破棄された元伯爵令嬢クラリス。
慰謝料代わりに受け取った金で田舎の小さな土地を買い、農業を始めることに。泥にまみれて種を撒き、水をやり、必死に生きる日々。貴族の煌びやかな日々は失ったけれど、土と共に過ごす穏やかな時間が、彼女に新しい幸せをくれる――はずだった。
だがある日、畑に現れたのは野菜好きで有名な第三王子レオニール。
「この野菜は……他とは違う。僕は、あなたが欲しい」
そう言って真剣な瞳で求婚してきて!?
王妃も兄王子たちも立ちはだかる。
「身分違いの恋」なんて笑われても、二人の気持ちは揺るがない。荒れ地を畑に変えるように、愛もまた努力で実を結ぶのか――。
脅迫して意中の相手と一夜を共にしたところ、逆にとっ捕まった挙げ句に逃げられなくなりました。
石河 翠
恋愛
失恋した女騎士のミリセントは、不眠症に陥っていた。
ある日彼女は、お気に入りの毛布によく似た大型犬を見かけ、偶然隠れ家的酒場を発見する。お目当てのわんこには出会えないものの、話の合う店長との時間は、彼女の心を少しずつ癒していく。
そんなある日、ミリセントは酒場からの帰り道、元カレから復縁を求められる。きっぱりと断るものの、引き下がらない元カレ。大好きな店長さんを巻き込むわけにはいかないと、ミリセントは覚悟を決める。実は店長さんにはとある秘密があって……。
真っ直ぐでちょっと思い込みの激しいヒロインと、わんこ系と見せかけて実は用意周到で腹黒なヒーローの恋物語。
ハッピーエンドです。
この作品は、他サイトにも投稿しております。
表紙絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真のID:4274932)をお借りしております。
モブの私がなぜかヒロインを押し退けて王太子殿下に選ばれました
みゅー
恋愛
その国では婚約者候補を集め、その中から王太子殿下が自分の婚約者を選ぶ。
ケイトは自分がそんな乙女ゲームの世界に、転生してしまったことを知った。
だが、ケイトはそのゲームには登場しておらず、気にせずそのままその世界で自分の身の丈にあった普通の生活をするつもりでいた。だが、ある日宮廷から使者が訪れ、婚約者候補となってしまい……
そんなお話です。
契約妻に「愛さない」と言い放った冷酷騎士、一分後に彼女の健気さが性癖に刺さって理性が崩壊した件
水月
恋愛
冷酷騎士様の「愛さない」は一分も持たなかった件の旦那様視点短編となります。
「君を愛するつもりはない」
結婚初夜、帝国最強の冷酷騎士ヴォルフラム・ツヴァルト公爵はそう言い放った。
出来損ないと蔑まれ、姉の代わりの生贄として政略結婚に差し出されたリーリア・ミラベルにとって、それはむしろ救いだった。
愛を期待されないのなら、失望させることもない。
契約妻として静かに役目を果たそうとしたリーリアは、緩んだ軍服のボタンを自らの銀髪と微弱な強化魔法で直す。
ただ「役に立ちたい」という一心だった。
――その瞬間。
冷酷騎士の情緒が崩壊した。
「君は、自分の価値を分かっていない」
開始一分で愛さない宣言は撤回。
無自覚に自己評価が低い妻に、激重独占欲を発症した最強騎士が爆誕する。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる