この度、呪われてしまった騎士団長との婚約を我儘な姉から押し付けられまして

アルト

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八話

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 †

「……怖くない、か」

 閑散と、静まり返った部屋の中で小さな声が響く。
 それは、イグナーツ・ロドリゲスの声であった。

「今更どう思われようと気にはしないつもりでいたが、取り繕いでもなく、紛れもない本心からそう言われると、やはり嬉しく思ってしまうのだな」

 気にしていない。
 などと気を遣って言われ続けていれば、嫌でもその真偽を見透かせるようになってしまう。
 その裏に見え隠れする『嫌悪』の感情を読み取れるようになってしまう。

 なのに、ルシア・アルヴァルトにはそういった感情一切存在していなかった。
 かといって、誰もに慈愛の心を向ける聖人のような性格と思えばそれもまた違っていて。

 向けて来ていたあの瞳に湛えられていた感情は、理解というか、共感というか。
 あの場では、絶妙にそぐわないものであった。

 まるで、一度、自身も似たような経験があると言わんばかりの。

「ただ、だからこそ余計に関わらせたくはない」

 気持ちは嬉しい。
 建前抜きに、真正面からああして言ってくれる事はイグナーツ自身も心底嬉しく思っていた。

 しかしだから、面倒ごとには余計に巻き込みたくないと思ってしまうし、あんな性格の善人は、何事もなく平穏に幸せを享受して欲しいと切に思う。

 なれど、常に己の側を譲らない従者————ドゥガが席を外した事実から察するに、何か余計な事をルシアに吹き込みに行ったのだろう。
 後で訂正しておかなければ。

 そんな事を思いながらも、イグナーツは執務机に積み重なった書類を黙々と片付けてゆく。

「ドゥガの事だ。どうせ、説得をしてくれ、とでも言ってるんだろうな」

 苦笑いを一つ。
 心当たりがあったからこそ、イグナーツはそう言わずにいられなかった。

 しかし、幾ら説得の言葉を投げ掛けられようと、それでも尚、と応じられない事柄はそれこそ、イグナーツには山程ある。
 この執務もそう。
 魔物の掃討もそう。

「……けど、だめなんだよ。俺はだめなんだ。それだけは、だめなんだ」

 誰もいない故に、本音をこぼす。
 どれだけ言葉を尽くされようとも、この心だけは変わらないのだと口にする。

「そもそも俺は、お前らが思ってるような人間じゃない」

 騎士団長だから。
 公爵家の人間だから。
 国を愛してるから。
 民を慈しんでるから。

 故に————自己犠牲を顧みない献身利他な公爵閣下。そう、思っている人間が多いがそれは大きな間違いである。

「俺はもっと、弱虫で、醜くて、意気地なしだった、、、ただのエゴイストだ」

 全ての行動がエゴまみれ。
 ただ懺悔でしかない。
 ただの贖罪でしかない。

 あまりに、現実離れした理由ゆえに、イグナーツは誰にも打ち明けた事はないが、これはただの罪滅ぼしという名の自己満足だった。

 そして、視線をある場所へと移す。
 そこには、本が一冊だけ置かれていた。

「なのにどうして、あんな事を言ったんだろうな。俺は」

 それは、ルシア・アルヴァルトに向けて口にしてしまっていた言葉に対しての後悔。
 本当に拒絶したいならば、もっと都合のいい言葉はあった筈なのだ。
 なのに、どうしてあの時、巻き込みたくはないと思っておきながら、逃げ道のある条件を突きつけたのだろうか。

 そう、己を責め立てて。

「…………似てたから、なのかね」

 イグナーツは執務を続ける手を止めて、視線の先にあった本へと手を伸ばした。

 それは伝記だった。
 ずっと昔、『大魔法師』と呼ばれていた一人の女性の生涯を描いた伝記。

 もう数百年も昔に没した筈の人物の伝記であったが、イグナーツはその人物の事を知っていた。
 そして、その人物が浮かべていた瞳と、よく似た瞳をしていたから、己はルシア・アルヴァルトを突き放したいと思いながらも内に入れてしまったのかもしれない。

 そう考えてしまい、苦笑が漏れていた。

「このまま呪いで死ぬのも悪くない、なんて考えていたのに」

 だから、割り切れた。
 だから、誰にどう思われようとイグナーツは全く気にしようともしていなかった。
 だから、自分が悪いのだと思う事が出来ていた。
 これは、あの時、、、の報いなのだろうと思えば、なんであろうと乗り越える事が出来た。

「あぁ、でも。貴女がもし俺の前にいたなら、きっとこう言ったんだろうな」

 殆ど人間が気味悪がっていた呪いには一切目もくれず、ルシア・アルヴァルトのように一蹴した上で、————馬鹿な事を考えるな。

 なんて。

「……あぁ、少し疲れた」

 手にしていた伝記を己の目の前に置いてから、イグナーツは背もたれに身体を預ける。
 そういえば、ルシアが来る前からずっと政務続きだったか。
 そんな事を思い出し、己を襲う疲労感に納得しながらイグナーツは目を閉じ、意識をゆっくり手放した。


 夢にて思い起こされるは、過去の記憶。
 もう二度と取り戻す事のできない心地の良かったかつての日常。

 イグナーツ・ロドリゲスが、呪いを押してまで、誰の称賛を求める事もなく、ただただ国に尽くそうとする理由を生み出したきっかけの光景が、夢として蘇る。


 イグナーツ・ロドリゲスは、転生者であった。

 それも、当時『大魔法師』と呼ばれていたルシア、、、クロフィス、、、、、に救われた人間。
 心の底から国や民を大事に想いながらも、王族や貴族の被害妄想でしかない保身によって『魔女』に仕立て上げられ、国を追われたルシアにかつて助けられた人間だった。

 にもかかわらず、受けた恩を返せなかった意気地なしの卑怯者。
 それが、イグナーツの自己評価。

 だからせめて、かつての彼女のように、第二の人生を使おうと願ったイグナーツは————幸せであり、苦い思い出でもある己の前世を幻視した。
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