1 / 5
序章
我慢の限界!
しおりを挟む「いい加減にしろ!!」
部屋中に響き渡った怒号に、シーラは身体を縮ませた。
「これでもう何度目だ!リリアンに嫌がらせをしているそうじゃないか。」
白い肌を紅潮させて、鬼のような形相でこちらを睨むキリアス王国の王太子であるブラント・キーシア。その横には今にも泣きそうな顔をして、ブラントにぴったりとくっついた妹の姿。
淡い桃色の髪に大きな同じ色の瞳。銀色の長い髪に紫色の瞳の姉のシーラとは似つかない、可愛らしい見た目をしている。
「そんなことはしていません。むしろ……」
むしろ苛められているのは私の方だ。そう言いたかったが、シーラは口を閉じた。もう何度も繰り返していた。ブラントは何を言っても聞く耳を持たないだろう。
最低限の家具だけが置かれた小さな部屋。今日は生憎の曇天で、朝だというのに薄暗い。シーラが祈りを捧げるための身支度をしていたところに、激怒したブラントが押しかけてきたのだ。
「今まで聖女だからと大目に見ていたが、これ以上リリアンを傷つけるつもりなら、私も放ってはおかないぞ!」
これ以上傷つけるも何も、一度もそんなことはしたことがない。とはいえ、祈りを捧げるのを邪魔されると国民が困る。
「しかし、殿下。殿下がお怒りなのは分かりましたが、私はこの国の聖女です。聖女の祈りがなければ聖国樹が枯れて魔物が活性化してしまいます!」
「ふん、聖女はいい身分だな。だが、少しくらい聖女の祈りが途切れても問題はないだろう。」
「お姉様、お願いだから素直に罪を認めて……」
か弱い声でリリアンが言った。シーラの前で見せる顔とは全く別の顔だ。
「リリアン、大丈夫だよ。私が守ってあげるからね。」
ブラントは子どもをあやすようにリリアンに優しい声で語りかける。
「……分かりました。リリアンに嫌がらせをしたとのご指摘、全く身に覚えはありませんが、そのような印象を与えてしまったのは私の不徳の致すところです。大変申し訳ございませんでした。」
何を言っても無駄だろう。シーラは諦めて謝罪した。
ブラントはふんっと鼻を鳴らす。
「私の前ではしおらしいな。まぁいい、次で最後だ。次リリアンに何かしたら鞭打ちにでもしてやるからな。」
ブラントの言葉を聞き、リリアンが一瞬笑ったのをシーラは見逃さなかった。
ブラントが乱暴に扉を閉めたことで、部屋に置いてあった花瓶が落ちて、派手な音を立てて割れた。
もう、限界だ。シーラは決意した。
この国は聖女の祈りで支えられている。シーラは10歳の時、女神の信託を受け聖女に選ばれた。自分こそが聖女に選ばれると信じて疑っていなかったリリアンからの嫌がらせが始まったのもちょうどその頃。
聖女として祈りを捧げること8年。この国の状況は目に見えて改善した。魔物の数が減り、自然災害が止んだ。始めは人々に感謝されたが、8年も経った今となってはもう当たり前のこととなった。
だが、それはいい。国民がそれだけ平穏に暮らせているというのは聖女であるシーラにとっては誇りでもあった。問題はリリアンだ。
リリアンはシーラが贅沢三昧の生活を送り、祈りを怠っていると偽の噂を流し、国民からの聖女への信頼を失墜させた。そのうえで、王太子であるブラントに取り入り、自分で転んで作った傷をシーラのせいだと言ったり、シーラに毎日暴言を吐かれて辛いと言ったりしてブラントの中のシーラへの憎悪を膨らませた。その結果、シーラの生活環境は日に日に劣悪なものになっている。
ただでさえ祈ることには体力を使う。リリアンの狙い通りなのだろうが、まともな食事も住居も与えられないせいで、シーラは聖女の力をうまく使えなくなってきていた。
シーラは身体も心も、限界を迎えていた。
シーラは聖国樹を見上げた。首が痛くなるほど高く、立派な聖国樹。鮮やかな緑色の葉が風に揺れてさわさわと優しい音を立てている。祈りを捧げるのも今日で最後になるだろう。
「さよなら……」
硬い木肌を撫でて、シーラは小さく別れの言葉を口にした。
✳︎✳︎✳︎✳︎
その日の夜、シーラは荷物を纏めて旅立ちの準備をしていた。今暮らしているのは、王城の中にある元々倉庫として使われていた部屋だ。元々物を置いておけるようなスペースもない狭い部屋だから、あっという間に旅支度ができた。布袋一つにまとまった自分の持ち物があまりに少なくて、シーラは思わず笑ってしまった。
荷物の準備を終えたシーラは、ベッドの上で丸まっている最愛の相棒に向かって呼びかけた。
「ロロ、一緒に来てくれる?」
「キュ?」
シーラが呼びかけると、ベットの上で丸まっていた毛玉がこちらを向いた。羽のような形をした二本の耳に可愛らしい黒くて大きな瞳。ロロは魔物だが、小さい頃からずっと一緒にいて、シーラにとってかけがえのない存在となっていた。
ロロは短い四本の足でぴょんぴょんと跳ねて、こちらに寄ってくると、シーラの肩に乗る。そして頬にすりすりと身体を押し付けてきた。淡いクリーム色の毛が柔らかくて気持ちがいい。
「ロロ、お願いがあるの。」
「キュ?」
ロロは言葉を話さないけれど、人の言葉は理解できる。どうしたの、というように丸い顔を傾けた。
「私を連れて飛んでほしいの。」
「キュ?」
どうして、と尋ねるようにロロはこちらを見つめる。
「もうここには居られないって、思ったの。勝手でごめんね。」
「……キュ!」
ロロにはこれまで散々話を聞いてもらっていた。楽しかったこと、悲しかったことなんだってロロに話してきた。
事情を察した様子で、ロロは羽のような形をした耳を真っ直ぐに伸ばした。耳がピンク色の光を纏って大きく大きく広がっていく。それはやがて大きな翼となった。
シーラは窓枠に手をかける。部屋の中を一度だけ振り返って見て、唇を噛んだ。それから視線を前に戻すと、窓からはどこまでも広がる夜空が見えた。幸い雲は晴れて、飛行にはうってつけの天気となっていた。
「ロロ、お願い!」
「キュ!」
ロロはシーラの背中に掴まったまま、シーラごと身体を宙に浮かせた。そのまま器用に翼を畳んで窓から部屋の外へ飛び出すと、翼を広げて上昇していった。
「ロロ、出来るだけ遠くへ!」
「キュ!」
ロロが翼を羽ばたかせる度に、眼下に広がる王都の明かりがどんどん小さくなっていく。上を見上げれば、頼りなく輝く小さな星の光が見えた。
空はやけに澄んでいてどこへでも飛んでいけると思った。けれどどこへ行くというのだろう。シーラは王都の自分の部屋以外に居場所がなかった。
ロロはやがて高度を下げ、王都からほど近い森の中へ着地した。
「ありがとう、ロロ。」
ロロは力を使って疲れたのか、魔法を解くと、シーラの腕の中でぐったりとしていた。
聖女が逃げ出したとなれば、追手が放たれる可能性もある。王都から少しでも離れたいが、ロロの体力の回復を待つしかなかった。
腕に抱えたロロが温かい。シーラはロロを腕に抱いたまま木の影で眠りについた。
✳︎✳︎✳︎✳︎
「…………聖女の、シーラ・ローレルだな?」
誰かに突然声をかけられて、シーラはハッと目を覚ました。
弾けるように立ち上がって、状況を理解したシーラは凍りついた。黒いローブを着た見知らぬ男達に囲まれていたのからだ。
3
あなたにおすすめの小説
異世界召喚されたアラサー聖女、王弟の愛人になるそうです
籠の中のうさぎ
恋愛
日々の生活に疲れたOL如月茉莉は、帰宅ラッシュの時間から大幅にずれた電車の中でつぶやいた。
「はー、何もかも投げだしたぁい……」
直後電車の座席部分が光輝き、気づけば見知らぬ異世界に聖女として召喚されていた。
十六歳の王子と結婚?未成年淫行罪というものがありまして。
王様の側妃?三十年間一夫一妻の国で生きてきたので、それもちょっと……。
聖女の後ろ盾となる大義名分が欲しい王家と、王家の一員になるのは荷が勝ちすぎるので遠慮したい茉莉。
そんな中、王弟陛下が名案と言わんばかりに声をあげた。
「では、私の愛人はいかがでしょう」
王家を追放された落ちこぼれ聖女は、小さな村で鍛冶屋の妻候補になります
cotonoha garden
恋愛
「聖女失格です。王家にも国にも、あなたはもう必要ありません」——そう告げられた日、リーネは王女でいることさえ許されなくなりました。
聖女としても王女としても半人前。婚約者の王太子には冷たく切り捨てられ、居場所を失った彼女がたどり着いたのは、森と鉄の匂いが混ざる辺境の小さな村。
そこで出会ったのは、無骨で無口なくせに、さりげなく怪我の手当てをしてくれる鍛冶屋ユリウス。
村の事情から「書類上の仮妻」として迎えられたリーネは、鍛冶場の雑用や村人の看病をこなしながら、少しずつ「誰かに必要とされる感覚」を取り戻していきます。
かつては「落ちこぼれ聖女」とさげすまれた力が、今度は村の子どもたちの笑顔を守るために使われる。
そんな新しい日々の中で、ぶっきらぼうな鍛冶屋の優しさや、村人たちのさりげない気遣いが、冷え切っていたリーネの心をゆっくりと溶かしていきます。
やがて、国難を前に王都から使者が訪れ、「再び聖女として戻ってこい」と告げられたとき——
リーネが選ぶのは、きらびやかな王宮か、それとも鉄音の響く小さな家か。
理不尽な追放と婚約破棄から始まる物語は、
「大切にされなかった記憶」を持つ読者に寄り添いながら、
自分で選び取った居場所と、静かであたたかな愛へとたどり着く物語です。
氷のメイドが辞職を伝えたらご主人様が何度も一緒にお出かけするようになりました
まさかの
恋愛
「結婚しようかと思います」
あまり表情に出ない氷のメイドとして噂されるサラサの一言が家族団欒としていた空気をぶち壊した。
ただそれは田舎に戻って結婚相手を探すというだけのことだった。
それに安心した伯爵の奥様が伯爵家の一人息子のオックスが成人するまでの一年間は残ってほしいという頼みを受け、いつものようにオックスのお世話をするサラサ。
するとどうしてかオックスは真面目に勉強を始め、社会勉強と評してサラサと一緒に何度もお出かけをするようになった。
好みの宝石を聞かれたり、ドレスを着せられたり、さらには何度も自分の好きな料理を食べさせてもらったりしながらも、あくまでも社会勉強と言い続けるオックス。
二人の甘酸っぱい日々と夫婦になるまでの物語。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
私が偽聖女ですって? そもそも聖女なんて名乗ってないわよ!
Mag_Mel
恋愛
「聖女」として国を支えてきたミレイユは、突如現れた"真の聖女"にその座を奪われ、「偽聖女」として王子との婚約破棄を言い渡される。だが当の本人は――「やっとお役御免!」とばかりに、清々しい笑顔を浮かべていた。
なにせ彼女は、異世界からやってきた強大な魔力を持つ『魔女』にすぎないのだから。自ら聖女を名乗った覚えなど、一度たりともない。
そんな彼女に振り回されながらも、ひたむきに寄り添い続けた一人の少年。投獄されたミレイユと共に、ふたりが見届けた国の末路とは――?
*小説家になろうにも投稿しています
聖女を騙った少女は、二度目の生を自由に生きる
夕立悠理
恋愛
ある日、聖女として異世界に召喚された美香。その国は、魔物と戦っているらしく、兵士たちを励まして欲しいと頼まれた。しかし、徐々に戦況もよくなってきたところで、魔法の力をもった本物の『聖女』様が現れてしまい、美香は、聖女を騙った罪で、処刑される。
しかし、ギロチンの刃が落とされた瞬間、時間が巻き戻り、美香が召喚された時に戻り、美香は二度目の生を得る。美香は今度は魔物の元へ行き、自由に生きることにすると、かつては敵だったはずの魔王に溺愛される。
しかし、なぜか、美香を見捨てたはずの護衛も執着してきて――。
※小説家になろう様にも投稿しています
※感想をいただけると、とても嬉しいです
※著作権は放棄してません
「聖女は2人もいらない」と追放された聖女、王国最強のイケメン騎士と偽装結婚して溺愛される
沙寺絃
恋愛
女子高生のエリカは異世界に召喚された。聖女と呼ばれるエリカだが、王子の本命は一緒に召喚されたもう一人の女の子だった。「 聖女は二人もいらない」と城を追放され、魔族に命を狙われたエリカを助けたのは、銀髪のイケメン騎士フレイ。 圧倒的な強さで魔王の手下を倒したフレイは言う。
「あなたこそが聖女です」
「あなたは俺の領地で保護します」
「身柄を預かるにあたり、俺の婚約者ということにしましょう」
こうしてエリカの偽装結婚異世界ライフが始まった。
やがてエリカはイケメン騎士に溺愛されながら、秘められていた聖女の力を開花させていく。
※この作品は「小説家になろう」でも掲載しています。
お堅い公爵様に求婚されたら、溺愛生活が始まりました
群青みどり
恋愛
国に死ぬまで搾取される聖女になるのが嫌で実力を隠していたアイリスは、周囲から無能だと虐げられてきた。
どれだけ酷い目に遭おうが強い精神力で乗り越えてきたアイリスの安らぎの時間は、若き公爵のセピアが神殿に訪れた時だった。
そんなある日、セピアが敵と対峙した時にたまたま近くにいたアイリスは巻き込まれて怪我を負い、気絶してしまう。目が覚めると、顔に傷痕が残ってしまったということで、セピアと婚約を結ばれていた!
「どうか怪我を負わせた責任をとって君と結婚させてほしい」
こんな怪我、聖女の力ですぐ治せるけれど……本物の聖女だとバレたくない!
このまま正体バレして国に搾取される人生を送るか、他の方法を探して婚約破棄をするか。
婚約破棄に向けて悩むアイリスだったが、罪悪感から求婚してきたはずのセピアの溺愛っぷりがすごくて⁉︎
「ずっと、どうやってこの神殿から君を攫おうかと考えていた」
麗しの公爵様は、今日も聖女にしか見せない笑顔を浮かべる──
※タイトル変更しました
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる