親の仇の悪魔から「君を籠絡したい」と甘く囁かれていますが、全力で抗おうと思います

秋風ゆらら

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第一章 籠絡の悪魔

第一話 最近、親友の様子がおかしい

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―――最近、親友の様子がおかしい。

 授業中も上の空で、ノートにペンを走らせながら、視線はどこか遠くを見ている。
 休み時間も誰かの名前を口にしそうで口にしない。まるで心ここにあらず。

(あの子が、こんなに落ち着かないなんて……)

 胸に嫌な予感が渦巻いた。
 父から幾度となく聞かされた話が脳裏に蘇る。

―――籠絡の悪魔。

 名を変え、姿を変え、強い魔力を持つ女性を狙い、契約を結ばせ、最後には魔力の核を奪って虚ろな人形のようにしてしまう。

 リナ・エストレアは机の下で拳を握りしめた。

(まさか……そんなこと……)


 けれど、放課後。
 リナの親友のナーシャが、ひとり足早に学園の裏庭へと向かうのを目にしたとき、胸の奥が強く脈打った。
 リナは息を潜め、後を追った。

──そこに、彼がいた。

 白銀の髪が夕陽を受けて淡く光り、氷のように澄んだ灰青色の瞳がナーシャを見つめている。確か二週間前に同じクラスに転入してきたレイゼ・アルジェントという名前の生徒。
 月光がそのまま人の形をとったような美しいその少年の口元は柔らかく微笑み、声は甘く響いていた。

「君は本当に優しいね。みんなのことを考えて、自分を後回しにして……それでもなかなかみんな気づいてくれない。だけどね、俺は違う。そんな君だからこそ惹かれたんだ。」

 ナーシャの頬がわずかに赤らむ。

 柔らかい微笑みで優しく囁く。相手を認め理解するような言葉を重ね、心をくすぐる。父から聞かされた籠絡の悪魔の特徴と重なる。

 それに、とリナは小さく震える自分の指先を見る。
 この足がすくむような禍々しい魔力。

 教室にいる時のレイゼから、これほどの魔力を感じたことはない。しかし、今は近くにいるだけで身震いがするほどその力が漏れ出ている。
 それに、魔力の質もこれまで感じてきた誰のものとも違う、底のない闇のような異質のものだった。
 
(やっぱり……! 籠絡の悪魔……!)

 リナの喉の奥が焼けつくように熱くなった。


「ナーシャから離れて!」

 リナは魔力を解き放った。
 光の奔流が空気を裂き、二人の間を遮るように炸裂する。
 ナーシャが驚きの声を上げ、レイゼは一歩も退かずに、ただリナを見て微笑んだ。

 その灰青の瞳が、初めてはっきりとリナを捕らえた瞬間だった。

「やっと来てくれたね、リナ。」

 その声は甘やかで、まるで恋人を待ち続けていたかのように自然だった。
 

 レイゼは、隣に立つナーシャへそっと指先を伸ばす。

「少し休んでいてもらおうか。」

 レイゼがそう言った瞬間、ナーシャはふっと膝から崩れ落ち、静かに眠りについた。ナーシャの身体がふわりと宙に浮く。

「ナーシャ!」

 リナは叫んで駆け寄るが、眠っているだけのようだった。苦痛の色は一切なく、安らかな寝顔すら見せながら。

「……あなた……籠絡の悪魔、なの?」

 リナは震える声で問う。

 レイゼは柔らかい微笑を浮かべたまま、あっさりと頷いた。

「そうだよ。名を変え、姿を変え……そして心を手に入れる。それが俺だ。」

 淡々と告げられた真実に、息が詰まる。全身の毛穴がざわめき、空気が重く沈む。

(――強い。)

 目の前に立つだけで、皮膚を焼くような魔力の圧力を感じる。
 喉が震え、全身が警鐘を鳴らす。この相手に真正面から挑んでも、勝ち目はない。

 それでもこれ以上ナーシャに何かをするつもりなら放っておくわけにはいかない。
 リナは手をかざして杖を出現させると、レイゼを睨む。

「……ナーシャを傷つけたら許さない!」

 レイゼは愉快そうに微笑む。

「いいね、その強い瞳。」

 夕陽が沈みゆく中、リナと悪魔の視線が交わった。

「リナ、提案があるんだ。」

 その声は暖かく、だがどこか計算された響きが混じっている。リナは杖を握る手に力を入れたまま、身構えた。

「俺は君を籠絡したい。君の魔力が欲しいんだ。」

 リナは息を呑む。足元から纏わりつくような恐怖が迫り上がってくる。

(ターゲットはナーシャじゃない。私の方だったんだ!)

 レイゼは続ける。微笑みは柔らかいのに、その瞳には獲物を狙う獣のような鋭い光が宿っている。
 
「……そして、君は俺の弱点を知りたい。そうだろう?
つまり、お互いに、側にいることにメリットがあるということだよね?」

 リナはこの悪魔の意図を瞬時に理解した。

(――つまり、それは……)

 レイゼはリナの反応を、まるで楽しむかのように細く笑った。

「一緒に学園生活を送ろう。君と俺が側にいれば、俺は君の心を揺らす機会を得る。君は俺を観察し、弱点を探す時間を得る。どちらが先に目的を達成するか、勝負しようじゃないか。」

 周囲はいつもの放課後の風景だ。遠くで生徒たちの笑い声が弾み、噴水の水面が光を踊らせる。誰も、ここで私たちが何を賭けようとしているのかを知らないだろう。

(真正面から勝てない相手。それならば側にいることで、弱点を見つける。父の言葉と母の記憶を武器に、私はこの悪魔を砕く糸口を見つける――それが今できる最善だ。)

 言葉に出す前に、理性がそう命じた。感情は恐怖と嫌悪でぐちゃぐちゃになっていたが、決断は冷たく、速やかだった。
 リナはゆっくりと顔を上げ、その紫色の目でレイゼの瞳を直視する。

「――わかったわ。受ける。」

 声は震えていなかった。むしろ、丁寧に刃を研いだように落ち着いていた。 
 二人の間を吹き抜ける風が、リナの長い黒髪を靡かせる。

「……ひとつだけ、約束してほしい。」

 レイゼのその声は相変わらず柔らかく、囁くようだった。だが、その一語一語が確かな重さを帯びているのを、リナは聞き逃さなかった。

「俺が籠絡の悪魔だということは――誰にも、言ってはダメだよ。」

 言い終えると、レイゼはリナの顔を覗き込むようにして微笑んだ。その微笑みの奥に、簡単には測れない何かが潜んでいる。

(本当は、この男が籠絡の悪魔だと分かった時点で報告を上げ、討伐隊を組むべきなんだろう。けれど、この悪魔がそれを見逃すとは思えない。きっと、それを実行に移せば私以外の誰かが傷つけられてしまう。今は、この悪魔に従いながら、弱点を探すのがいい。)

 小さく息を吐いて、リナは視線を合わせた。指先が震えるのを押し殺しながら、唇を噛む。
 心のどこかで父の言葉が怒りを震わせる。母の面影が胸を刺す。それでも、今は手元の戦術を優先する。

「……分かった。誰にも言わない。」

 はっきりとした声でリナは答えた。

 レイゼは満足そうにうなずき、まるで私の従順を慈しむかのように微笑んだ。

「それじゃあまた明日。教室で会おう、リナ。」

 レイゼはそういうと、踵を返してその場を立ち去る。その背中を睨みながら、リナは心の中で誓った。
 
――必ず弱点を見つけ出し、あの悪魔を滅ぼす、と。
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