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第四章 生贄の村

第14話 怨霊との戦い

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「でやああああああああああっ!!」

 急降下してくる鳥型のモンスターの首を空中で斬り飛ばした。
 二分された体が祭壇を避けるようにして両側に落ちた。

 危なかった……

 冷や汗を拭いながら祭壇に眠る少女を見る。
 よく見ると顔色も悪いし、首に発疹がある。
 眠り薬代わりに毒草を飲まされて無理やり眠らされたのか?
 生贄……ならば後のことは考えなくていいからな。

 ザコルさんの言葉を頭の中に反芻させながら彼女の容貌を観察する。
 歳の頃は十歳くらい。
 金色の癖毛に右の口元にホクロ。
 目の色は起きてくれないとわからないけど、エメラルドグリーンなら確定。

 僕は彼女の胸に手を当てて、息を吸い込み、呪文を唱える。

「その身は在りし日に回帰する。
回式解毒呪文キレース】」

 ナラ師匠から授かった解毒の魔法は少女の体内から毒気を除去した。
 すると長いまつ毛を生やしたまぶたがゆっくりと開かれ、エメラルドグリーンの潤んだ瞳が確認できた。

「君がターニャ、だね?」

 僕の問いに彼女は「うん」と短く答えた。
 目的を達成できそうな安堵感と同時に一刻も早くこの状況から解放されたいという焦燥感に駆られた。
 鎖を素手で砕き、ターニャを自由にすると背中に乗せた。
 全速力で走ろうと膝を曲げた、その時ザコルさんが言った。

『まだ、終わってないみたいだぜ』

 ザワザワ……と全身の毛が逆立つような感覚が走った。
 振り向くと祭壇の上にコバエ程度の小さな黒い粒が何千、何万と出現し、集合し、竜巻のように渦を巻いて巨大な黒い影となった。

 僕は、コイツを知っている。

 思い出されるのはランパード家の屋敷。
 僕は生まれた時から奴らが見えていた。
 見て見ないふりをしていた。
 周りの誰も見えていないし彼らのことを口にしない。
 もし自分だけが見えていると知られれば平穏が終わりを告げる、そんな確信があったから。

『な、な、ナニ!? あれれええええ!!
 見るからにヤバそうなんですけど!!』
『リスタと一緒にアンタも習っただろ。
 幽霊には色々特徴があって、中には生前以上の力を持ち、現世に干渉することができる者がある。
 アレはその類のもので、ネガティブなものさ』

 元来、幽霊としてこの世に残るのは稀なことだ。
 世界には数十年しか生きられない生者より死者の累積の方が遥かに多いのだから、みんなが幽霊になってしまえば街は幽霊で溢れかえる。
 生前の心残りや死に対する無自覚が魂をこの世に残留させ幽霊として形を得る。

 そしてその幽霊の中には生前の記憶や死後の後悔によって心を邪悪に染める者がいる。
 肉体の殻を放たれた霊魂において心はその在り方を左右する。

 怨霊――心の邪悪に呑まれた彼らをナラ師匠はそう定義した。

「……ちょうどいい。
 モンスター相手に僕の力は通用した。
 コイツら相手にはどうなるか、試してやる!」

 僕はターニャを木の影に隠して戦闘態勢をとった。
 セシリアは取り乱しながら僕を止めようとする。

『やめときなさいって!
 得体のしれない相手よ!
 あなたは霊体の攻撃ももろに受けるし、傷を負ったりしたら————』
『いや。やれるならここでやっておけ』

 ザコルさんはセシリアの言葉を遮った。

『感覚の鈍い俺でも分かるくらいにこの場のマナの量は異常だ。
 先のトロルの大量発生の原因はおそらくコイツだ』

 ザコルさんの推論にセシリアは驚愕する。

『う、嘘でしょ!?
 たった一体の怨霊があんな大災害を引き起こせるの!?』
『たぶん一体じゃない。
 複数の怨霊が合体して強力になったものだ。
 力が十分蓄えられたと判断して大暴れを始めたんだろう』

 まるで見てきたかのようなザコルさんの口ぶり。
 だけどハズレていないとわかる。
 感情の強さ次第では生前以上の力が備わるというが、だとしたらなんて邪悪の深さだろうか。
 闇を煮詰めたような黒色の影。

 これは……この世に残しておくべきものじゃない。

 大剣を構え、呪文を詠唱する。

「光を纏え。躊躇いは捨ておけ。汝は我が剣なりて空をも斬り裂く。
天式属性付与魔法クラウ・ソラス】」

 剣の刃が青い光を纏う。

 僕自身は霊体に接触し攻撃できる。
 だけど武器はそうもいかない。
 素手で霊体に挑むにはリスクが大きいし、僕の体術はベントラ師匠の足元にも及ばない。

 だが、僕はナラ師匠の教えも受けている。
 彼から授けられた魔法によって発される僕の魔力は僕自身と同じ特性を持ち、生者にも霊体にも効き目がある。
 天式属性付与魔法クラウ・ソラスは武器に魔力を帯びさせる類の魔法。
 つまり武器を霊体に効き目がある状態にする。

「セシリア心配はいらない。
 僕はベントラ師匠やナラ師匠に教えを受けている。
 負けはしない」

 普段ならこういう時ザコルさんが『俺は!?』などとつっこんでくるのだが、彼は苦々しく歯を食いしばって怨霊を睨みつけていた。

『ああああっ!! もうっ!!』

 納得いってなさそうな気持ちを振り払うようにセシリアは叫び、腰の剣を抜いた。

『わかった! 一緒に戦うわよ!
 霊体相手なら私も戦えるんだから!』
「セシリアはターニャを守ってくれ」
『えっ、戦力外!?』
「目的は彼女を連れて帰ること。
 二人で戦ったら撤退の機を逃がす」
『なーるー!
 分かった! 無茶しないで逃げる時は早めにね!』

 僕の言葉にセシリアはすんなり納得してくれた。
 ザコルさんは苦笑する。
 どうやらお見通しのようだ。
 セシリアに危険な真似をさせたくないという僕の考えを。

『悪い男になりつつあるな。
 お前のことを心配してくれる女を転がすなんて』
「ハッ、悪いことを教えてくれたのは……だいたいアンタだろうっ!」

 言い終えると同時に地面を蹴り剣を振りかぶった。



 僕が近づくと怨霊は触手を伸ばすように形を変えて僕を攻め立てる。

 好都合だ。

「ハアアアアアアッ!!!」

 伸びてくる影を片端から斬り払う。
 刃が影に接触するとバチバチと音が立ち、切り込めば肉を断つ手応えがある。
 本体から切り離された影は粒になって溶けるように消えていく。
 これを繰り返していればヤツは弱っていくだろうが、そんな悠長なことをするつもりはない。

 僕を警戒して攻撃の手を止めた怨霊。
 その隙を逃す手はない。
 左手で瞬時に魔法陣を宙に描く。

「【解式拡散砲撃呪文ロン・ゴミニアド】!」

 頭の大きさ程の小さな魔法陣から放たれるのは指先程の細い光条。
 しかしそれは同時に何十本と出現し、怨霊の影を蜂の巣のように穴だらけにする。

『クオオオオオオオオオンンンン!!!』

 犬の遠吠えのような声を上げる怨霊。

 このままいけるか! 
 と思った瞬間、怨霊の体が膨れ上がり、ブドウのような形状に変化し、その実に当たる部分に人間の顔が浮かび上がった。
 反射的に僕は攻撃を解除した。

『ドウ……シテ…………コロスのオオオオオオオッッッ!!』

 けたたましく甲高い絶叫に思わず耳を塞ぐ。
 何十人もの女の顔が張り付いたバケモノと化した怨霊が発する圧力は凄まじかった。
 これが死者の、人間のなれの果てというのか………

「すぐあの世に送ってやる」

 一度、怨霊になってしまえば元には戻れない。
 ナラ師匠はそう言っていた。
 理性を失い、感情は怒りや憎しみだけに染まり、呪いを振りまくだけの存在と化す。
 だから、滅してやるのが優しさだと――――

 あれ!?

『やっぱりな……
 ベッドの上でも従順だったお前のくせに随分な悪さしてくれるじゃねえか!
 俺を見下ろす眺めはどうだ!? タチアナ!』

 ザコルさんが怨霊の正面に立ち、上の方にある女の顔に呼びかける。
 すると、怨霊の動きが鈍くなり、一斉にザコルさんを見つめた。

『ザコル……サマ……ザコルサマザコルサマザコルサマ!!』

 人の顔の形はしているがその表情は狂気に満ちていて恐れの対象でしかない。
 にも関わらず、ザコルさんは平然とした様子で話しかける。

「そんなに熱烈なキャラじゃねえだろ。
 ……何があった?」
『コロサレタ……ワタシモ……ザコルサマニモラッタコモ、ソノムスメモ……オオオオオオオッッッ!!』

 ザコルさんを押し潰そうとしたのか、それとも体のバランスをくずしただけなのかはわからない。
 だが、怨霊のその身体は雪崩のようにザコルさんを飲み込もうとした。
 すんでのところで僕が抱えて避けなければ、取り込まれていただろう。

「なにやってるんですか!?
 まともに戦えないんですから逃げてくださいよ!」

 僕に怒鳴られてもザコルさんは動じない。

『リスタ、コイツの正体は生贄にされたコナー村の娘たちだ。
 何百年もこの村では同じことが繰り返されてきた。
 はじまりが誰かはわからねえ。
 村の連中に怨みを持って、生贄が増えるたびに仲間を増やして、今はこんなになっちまったみたいだ』
「淡々と言わないでくださいよ……
 さっきの口ぶりだと、あの中にザコルさんの奥さんや娘が」
『別に珍しくもねえ。
 俺の死後、俺の嫁や子供の多くが迫害や暗殺で命を落としている』
「え————」

 衝撃的すぎて息が一瞬止まった。
 僕は怨霊に……ザコルさんの妻だったタチアナに目を向ける。
 彼女は涙を滝のように流し恨めしそうに言葉を絞り出す。

『コロソウ……ザコルサマ……
 ムラノミンナヲ……
 タスケテクレナカッタヒトタチヲ……
 ゼンブゼンブ、コロソウ……』

 目で分かるほどに溢れ出ている憎しみ。
 だがそれは相応の理由があったわけで、彼女たちは相応の報復を求めて怨霊に身をやつした。
 僕だって、同じ立場だったらそうなっただろう。
 ……まして、家族を奪われたザコルさんが同調してもおかしくは――――

『やなこった』

 くだらないことを聞かされたといわんばかりに鼻をほじりながら、あっさり切り捨てた。
 思わず僕は面くらってしまう。

『世の中クソばっかだ。
 俺も死んでから英雄サマに会ったけど出てくるのはクソで卑劣な弱者連中の愚痴ばっか。
 あんなに必死こいて救った世界って入れ物の中はクソばっか詰まった便所みたいなもんだ』

 僕の腕を振り解いて地面に立つザコルさん。
 息を吸い込んで大きな声で呼びかける。

『でもな!
 クソみたいな奴らに犯され汚され続ける世界でも!
 そんな中で正しく生きる美しい人間たちがいる!
 そいつらが一人でも生き残っている限り、死んでも俺は絶望したりなんかしねえ!
 だから…………タチアナ。
 お前が世界を憎み、害することしかできないんならお前は俺の敵だぁっ!』

 タチアナ、と呼ばれた女の顔が体の奥に沈んでいき、怨霊は開花した花のように体を大きく拡げて僕たちに牙を剥こうとする。

『……と、イキってみたが今の俺に奴を仕留める手段はねえ。
 任せた! リスタ!』
「でしょうね! ホントあなたは大した英雄だよ!」

 さっき、ザコルさんの発した言葉は怨霊に同情し闘気を鈍らせた僕を叱咤するためのものだったのかもしれない。

 だったら、それに答えるだけ。

「下がってください、ザコルさん。
 奥義を使います」
『ああ、さっさとやれ』

 そう言って、ザコルさんは後ろに飛びのいた。

 息を吸い込み、全身に気を巡らせる。
 剣は地面に突き刺し、手の指を揃え貫手の形を作り、腰を落として構える。



 ベントラ師匠は僕にまず体術を授けてくれた。

『人間は非力で弱い生き物だというが、それは大間違いだ。
 人間ほど闘いに適した生物は居ない。
 立ち技、締め技、投げ技とあらゆる敵と戦うことができる汎用的な武器だ。人間の身体は。
 体術を身につけるということは人間であることを証明するということとも言える。
 武器の扱い方は二の次だ。
 なあに、体術を極めれば武器の扱いなどすぐに身につく。
 どんな聖剣魔剣も人間の腕の延長でしかない』

 体術の修行は厳しかった。
 体格的に細身の僕はベントラ師匠のようにはなれないと勘づいていた。
 だけど、修行を疎かにするつもりもない。
 僕が霊魂に触れる力を持つならば、それを最大に活用できるのは我が身を武器として直接触れる体術なのだから。




「アド・ベントラ流奥義――――」

 ベントラ師匠が編み出し、名付けた体術の奥義。

「【風雅連舞ふうがれんぶ】」

 地面を蹴り、上空に飛び上がり、拳打、蹴撃を連発する。
 その場にいようと踏ん張ることを一切せず、強力な威力の攻撃に身を任せれば体は空を泳ぐようにして舞い上がる。
 怨霊の全身に現れた顔を全て叩くようにに攻撃を繰り返す。
 放った打撃は二百を超えた。

 形がない影のようだったり、巨大に膨れ上がった葡萄のようだったりした怨霊はその大部分が削り取られ地面に落ち、残ったのは小柄な少女の影だった。

『お————とうさん』

 少女の影はザコルさんを見てそう言った。
 だけど、ザコルさんは表情ひとつ変えず、

『やれ』

 と、僕の振り下ろした最後の一撃を追認した。

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