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第五章 家族の物語

第27話 元凶

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 目を覚ますと時間は一秒も経っていなかった。
 頭から後ろ向きに倒れようとするセシリアを抱きとめ、様子を確認すると彼女は涙を流していた。

「大丈夫?」
『……リスタの方こそ』
「僕は、大丈夫だ。
 むしろ今までつっかえていたものが取れたような、晴れやかな気分さ。
 だけど、どうして僕と母さんのことを全部知っていたの?」

 僕が尋ねると彼女は呆れたような顔で、

『まさか、気づいてないの?』

 と意味不明な問いをしてきた。
 僕が理解に苦しんでいると、セシリアは笑った。

『やっぱりあなたはまだまだお子ちゃまね。
 かなりボロを出しちゃったのに結びつかないなんて。
 この分じゃ恋人を作ったりするのはまだまだ先かしらね』
「なんだよそれ……
 言っておくけど僕が本気出せばいくらでも女の人が寄ってくるんだよ。
 なのにセシリアがグチグチ言って妨害してくるから————」
「セ、シリア?
 セシリアだと!?」

 部屋の隅で転がしておいた父さんが突如目を覚まして僕を見た。
 先程までの幼児のような態度は失せていたが戸惑っている様子だった。

「……リスタか。
 子供のころから母さん似だったが相変わらずだな。
 よくぞ生きていた」
「…………」

 ……父さんの顔をちゃんと見られない。

 長い間離れていたから接し方が分からないというのもあるけど、ついさっき母さんの凄絶な最期を見てしまったせいで父さんのひどい体たらくに言葉が継げないのだ。

「だんまりか。まあ良い」

 父さんはため息をついて僕の横を通り抜けニナを抱え起こした。
 ニナはすぅすぅと小さな寝息を立てていた。

「何が起こったかを説明してもらいたいところだが……その前に。
 セシリアと口走っていたが、それはセシリア・ローゼンのことか?」
「……知っているの?」
「知っているも何も……そうか。
 辺境の旅をしていればその名前を知ることもあったろうな。
 姫騎士セシリア・ローゼン……
 冒険者風情が騎士の名を冠するなど不敬にも程があると……ククク、酒場でそう言って咎めたら返り討ちにあったな。
 青臭く懐かしい思い出だ」

 父さんとセシリアに接点があったのか。
 ずいぶん暴れん坊だったみたいだな、セシリア。
 ふと、彼女に目をやると、

「え?」

 セシリアが頬を赤らめ、もじもじとしている。
 今まで見たことのない様子に僕は驚きを禁じ得ない。
 まるで恋をしている乙女のようで————

「随分と静かだな。
 感動の親子対面なのだからもう少し盛り上がって構わんぞ」

 それは、現れた瞬間にヌルリと感覚に違和感をねじ込んできた。
 騎士団の隊服を纏った屈強な体格の中年男。
 父さんは彼を見るなり、背筋がピンと伸ばして微かな緊張混じりの声を上げた。

「団長!? お休みになられていたのでは」
「ずっと起きていたさ。
 長い時間をかけて作り上げた一大戯曲のクライマックスなのだから」
「……なんの例え話ですかな?
 無骨者ゆえ分かりかねますが」

 父さんは普通に会話しているが、訳がわからない。
 霊も生者も知覚できる僕が逆に見えすぎて理解できない。
 ただ、危険に晒されていることに対する防衛本能が僕を突き動かした。

「父さん!! そいつから離れろっ!!」

 最速で魔力を練り、術式を構築する。
 詠唱する間も惜しんで指から解式の攻撃魔法を放った。

 団長————と呼ばれているソレの胸をあっけなく光線が貫く。
 だが、胸に風穴を開けられようとソレは笑っていた。

「これはこれは。
 現代において魔法の使い手がいるとは思わなかった。
 しかも無詠唱の速攻魔法。
 まるで賢者の中の賢者ナラのようではないか」

 師匠の名前を出されてゾクリとした。
 こちらの全てを見透かしているかのような口ぶりに悪寒が止まらなかった。

「お前何者だ!?」
「言葉遣いがなっていないな。
 白嶺騎士団長イワーク・ヴァイスの名は聞いたことがないか?」

 イワーク……聞いたことはある。
 父さんや兄さんの所属する騎士団の頭目。
 稀代の戦術家で剣の腕も王国内で五本の指に入るという。
 だけど、そんな情報になんの価値もない。

「騎士団長は人間以外でも任命されるのか?」

 僕の言葉にイワークは愉快そうに肩を震わせて笑った。

「ああ。才能のある子供とは思っていたが想像以上だ。
 嬉しくなるね。
 私を見咎めてくれる人間は滅多にいないから」

 肉体に穴を開けても効果がなかった。
 だったら————

『これならどうっ!?』

 セシリアがイワークの背後から首に斬りつけた。
 速度と重さの乗った強力な斬撃。
 霊体が憑依しているなら斬り飛ばされて力を削がれる————はずだったが、セシリアの刃は首をすり抜けた。

『うそっ!?』
「嘘ではないよ、姫騎士」

 ぐるりとイワークの首が百八十度回って背後のセシリアと対面する。
 同時に拳を薙ぎ払い、セシリアを殴り飛ばした。

「き、さまあああああああああっ!!」

 怒りに駆られて僕は床を蹴った。
 しかし、イワークの視線は僕から外され父さんに向けられた。
 何が起こったか分かっていない父さんはニナを抱えたまま立ち尽くしている。
 イワークの指がそちらに向けられた瞬間、反射的に僕は二人の間に入った。

「うむ。流石の反応速度だ」

 イワークの指から黒い影が伸ばされた。
 それは僕の太ももを貫き、背後にいた父さんの肩を切り裂いた。

「ぐおおおっ!?」

 父さんが呻き声をあげてニナを床に落とした。
 僕も右脚が動かなくなり膝をついた。

「これは幸運だ。
 まさか戦える方が庇って負傷してくれるとは」

 イワークの反応は実に白々しいものだ。
 父さんを狙えば僕がこうすると読んでいた。
 ザコルさんを相手にしているようないやらしさだ。
 次々と疑問が生まれていく。

「どういうことだ?
 今のはたしかに怨霊の攻撃なのに生者である父さんを傷つけるなんて……」

 そして、セシリアを殴り飛ばしている。
 そのことが導き出す答えは、

「私が君と同じ能力の持ち主ということだよ。
 いや正確には逆だな。
 君が生者でありながら霊魂に干渉できるのに対して、私は霊魂でありながら憑依せずとも人間に干渉できる。
 当然、こうやって生者の肉体も奪えるぞ。
 君やニナに取り憑いた出来損ないと違って同意を求める必要もない。
 精神を破壊し、空っぽの肉体を乗っ取る。
 憑依、というより受肉と思ってくれればいい。
 生者となった私に霊体では触れることはできんし、かといって肉体を多少傷つけられたところでこの通りだ」

 イワークはそう言って胸の風穴を指さした。
 すると瞬時に肉の繊維が繭を作るように膨らんでいき、穴が塞がった。
 それを目の当たりにした父さんが憤怒の表情で問う。

「団長…………いつから、入れ替わっていた!?
 私にニナとの結婚を勧めて来たころからか!?
 アレクを遠ざけるよう指示してきたことからか!?」
「ハズレ。正解はお前に出会うずっと前から、だよ。
 この肉体はすこぶる性能が良くてね。
 君の妻を手に入れられなかったのは残念だったが、人間相手ならひけはとらんよ」

 こいつ……母さんの体を乗っ取ろうとしていたのか?
 だけど、母さんは病弱でとても強い体とは————

『なーるー……分かった分かった。
 全部繋がったわ』

 セシリアは起き上がってイワークに向かって喋り始めた。

『あんたが寄生虫の親玉ってわけね。
 宿主を変えることを繰り返して今はそこに収まっている。
 生き汚さだけは人一倍で幽霊となってこの世に残っただけのあなたがリスタと同じ?
 笑わせないでよ、三下が』
「三下は君にこそふさわしい呼び名だろう。
 君では三英傑には遠く及ばん。
 だが、女としては良い功績を挙げたな。
 君が産んだ子供は素晴らしい出来だ。
 私が扱えば三英傑すら上回る闘神が誕生する。
 アリスタルフ。その肉体を私に捧げよ」

 セシリアから僕に向き直るイワーク。
 肉体を捧げよだって?
 冗談じゃない。

 僕は足の痛みを堪え立ち上がる。
 局所的に魔法で撃ち抜いたり、斬撃で切り落とすのは大して効果がない。
 だから最大火力で身体も霊魂も一撃で焼き尽くす。

 という思考を見透かしたかのようにイワークは僕に指摘する。

「アプローチとしては悪くないが、できるかな?
 私を一撃で葬るには相応の準備が必要だ。
 並の騎士であるヴァーリでは足手まといにしかならんぞ。
 まあ、隣で浮いているセシリアならば邪魔にはならんかもしれんが————これでどうだ?」

 イワークが指を弾く。
 すると屋敷の中に屯っていた怨霊たちが一斉にこの部屋に集まってきた。
 その数は二十を超し、円形に僕らを囲み込んだ。

「袋のネズミというわけか」

 僕ひとりならなんとか逃げ果せるかもしれないが父さんやセシリアは間違いなく殺される。
 二人を救うには降参するしかない。
 しかしそれは、僕の体をあの怨霊にくれてやるということだ。

 苦悩しているとセシリアが僕に告げる。

『一旦引きなさい。
 不利な状況では逃げろって教えたでしょう』
「できるならそうしている。
 ここで逃げたら父さんとセシリアは……」
『このバカ!
 息子の命と引き換えに生き永らえたい親なんていないわよ!』
「私も多分母さんと同じ意見だ。
 逃げなさい、リスタ」

 聞こえるはずのないセシリアの言葉に同意するように父さんが言った…………えっ?

「そこにおるのだろう。
 姫騎士セシリア・ローゼン。
 お前の母さんが」

 父さんが訳の分からないことを言い出した。

「な、何を言ってるんだ?」
「詳しく説明する暇はない。
 団長は隙のないお方だ。
 全力で逃げることだけに集中するんだ。
 足止めくらいはしてやろう」

 そう言ってニナを傍に寝かせて構えを取る。

 逃げることだけって……
 このタイミングで妄言吐いておいて集中しろだなんて勝手にもほどがある!

 ……だけど、父さんが身を挺して僕を守ろうとしてくれた。
 その瞬間に気持ちは決まっていた。

「僕は……逃げない!」
『リスタっ!』
「バカ者がっ――」
「うるさい!
 父さんもセシリアもいい加減にしろよ!
 守るべき人を見捨てて逃げるようなことできない人間に育てたくせに!」

 父さんは騎士として民を守り、夫として母さんを守ろうとしていた。
 セシリアは何も持たない僕を救い、一人で生きていけるよう力を授けてくれた。

 強い物が弱き者を守るのは尊いことだ。
 その姿に憧れたから僕は後ろ暗い復讐の念を抱きながらも三英傑の修行をやり遂げることができた。
 霊を見たり触れたりする力は生まれ持ってのものだが、誰かを守ることに生きがいを見出せるようになったのは僕の成長の証だ。

 そして、母さんの最期を目の当たりにしてその想いは強くなり、僕の信念となった。

 脚の傷に意識を集中する。
 僕は治癒魔法を自分にかけることができない。
 攻撃魔法の威力を上げるために制約をかけているからだ。
 だけど魔力で筋肉を強化して圧迫止血することはできる。

「おい! 騎士団長に取り憑いている怨霊!
 貴様の生前の名を名乗れ!
 この場で滅ぼしてやる!」

 僕の啖呵に反応してイワークが、いや怨霊が宿主の表情を操って歪んだ笑みを見せる。

「ハハハハ! 嬉しいものだな。
 もう誰も呼ぶことのない名前を問われるというものは」

 そう言って両手を広げて高らかに宣言する。
 周囲の怨霊たちが心なしか背筋を伸ばしたように見えた。

「我の名はジラント!
 このユーレミア王国に滅ぼされた亡国の王である!」

 その名に真っ先に反応したのがセシリアだった。

『ジラントですって!?
 三百年前に大虐殺を行った凶王ジラント!?』
「人聞きの悪いことを言うなよ。
 先祖たちが不甲斐なく民を増長させすぎたせいでまとまりを無くしていた国を統一しただけだ」
『そりゃあ自分に従う人間以外を殺し尽くせばまとまるでしょうよ!
 それまでに国の人口の七割を虐殺しておいてよくまだ王だなんて僭称できるわね!』
「良い時代だったな。
 我が国に弱者などという害獣はいなかった。
 イワークの体を得た戯れに騎士団などというものをやってみて痛感する。
 弱者たちは守られることを当然の権利とふんぞり返って、強者の力を自分たちに使えなどとふざけた要求をする。
 卑劣な弱者に従い、人生を食い潰される強者たち。
 お前たちもそうだろう。
 ヴァーリは騎士として弱き民の盾となって生きてきたが妻の死に目にも会えなかった。
 セシリアも名うての冒険者として活躍したが二十歳になて間も無くモンスターに重傷を負わされ、戦えなくなり、その後の人生も弱りきった身体と過ごすしかなかった。
 そしてリスタ。
 それほどまでの力を得てしまってもはや人としては暮らせんぞ。
 強すぎる力は弱者にとって恐怖でしかない。
 刃を向けられぬよう擦り寄ってくる人間はいるだろうがそれこそ弱者に利用されるというものだ。
 我は君たち家族を高く評価している。
 ……そうだな。
 こういうのはどうだ?
 リスタだけではなく、ヴァーリもアレクサンドルも我が麾下きかに加えてやろう。
 ここにいる怨霊たちは我が三百年かけて集めた猛者たちだ。
 彼らの肉体として最強の親衛隊となれ。
 霊体であるセシリア嬢は……そうだな。
 怨霊にするにも誰かの中に入れるのももったいない美貌の持ち主だ。
 今の姿のまま我が妾に迎えてやろう。
 我の昂りを鎮める大役を務められるだけでなくこれから始まる惨劇の時代を特等席で拝ませてやるぞ」

 イワーク、あらため凶王ジラント。

 手前勝手な妄想を垂れ流しているだけなのにそれが普遍の定理であるかのように疑わない傲慢な自意識。
 そして父さんが言っていた通り隙がない。
 グダグダと長くくだらない話をしているくせにその注意は僕たちに注がれている。
 だから魔力を溜めることすらできなかった。

 大昔の大悪党が何百年という時間を使って悪業を蓄積してきた。
 これは下手をすると師匠たちをも上回る力を得ているかもしれない。
 その上、生者に直接干渉できる。

 危険すぎる。
 このジラントという男は。

 復讐や仇討ちの精神など持ち合わせる必要がない。
 英雄たちに力と技を授けられた僕にとって全身全霊で抹殺しなくてはならない巨悪だ。

 くそっ……せめて、父さんとセシリアの安全さえ確保できれば————

「若いな、アリスタルフ。
 願望を戦術に組み込もうとすれば、それは隙となり取り返しのつかない事態を招く」

 僕の呼吸の合間を突くように、ジラントは再び黒い影を父さんに伸ばした。
 咄嗟に父さんを守ろうと身を投げ出す。
 そして舌打ちした。

 ダメだ。これは軽傷じゃ済まない。
 死にはしなくても勝負が決まってしまう。

 僕が悲嘆しかけた、その瞬間————

 ドシュッ!!

 と刃が肉を貫く音と同時に、影の軌道が変わり僕のそばを通り過ぎていった。
 父さんにも当たっていない。

「なにが————はっ!?」

 ジラントを見ると奴は背中から胸を短剣で貫かれていた。
 だが、それよりも驚いたのはその剣を掴んでいたのは僕の兄、アレクサンドルだったことだ。
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