言魂学院の無字姫と一文字使い ~ 綴りましょう、わたしだけの言葉を ~

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第1章 無字姫、入学す

第23話 策略と力、死闘の先に

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 卓哉にとって、魔族と戦うのは初めてではない。
 経験こそ数える程度だが、全くの初見とは雲泥の差だろう。
 事実として、初めて魔族と戦ったときは、相当な衝撃を受けた。
 それほど、魔物と魔族の力は隔絶している。
 だが――

「ほらほら、どうしたの? 『参言衆』の実力は、そんなものかしら?」

 嘲笑を浮かべながら、巨大なハンマーを片手で振り回すミン。
 その速度は途轍もなく、まるで軽い木の枝かのよう。
 ところが破壊力は見たままで、一振りする度に多くの使い魔が消し飛ばされていた。
 今、卓哉が感じているのは、初めて魔族に遭遇したときと遜色のない衝撃。
 いや、それ以上。
 かつてないほどの強敵を前にして、冷や汗が止まらなかった。
 万全の状態であっても、勝てるかわからない。
 長期の任務で心身ともに消耗している現状では、かなり厳しいだろう。
 しかし、だからと言って諦めるのは、彼の矜持が許さなかった。

「調子に乗るなよ、魔族。 すぐ地獄に送ってやる」
「あら、怖い。 でも、出来もしないことを言う男はダサいわよ?」
「ほざけ。 貴様が強いのは認めてやるが、おおよそのことはわかった。 やりようによっては、勝ち目はある」
「ふふ、面白いじゃない。 出来るものなら、やってみなさいよ!」
「その言葉、良く覚えておけ!」

 叫喚を上げた両者がぶつかる――ことはない。
 熱くなっているように見えて、卓哉は極めて冷静だ。
 ミンをスピードも兼ね備えたパワーファイターだと位置付け、決して正面からやり合わないように立ち回る。
 攻撃は使い魔に任せ、自身は安全圏を維持。
 一見すると逃げているようだが、彼は勝つ為の最善策を取っているに過ぎなかった。
 使い魔は未だミンに届いていないものの、彼女の挙動を読むことで、かなり際どい攻撃も増えて来ている。
 そして、1度でも当たれば猛毒の餌食。
 上位の魔族だと言うことを鑑みれば、即死することはないだろうが、それでも動きを鈍らせることは出来るはずだ。
 そうなれば、二の矢、三の矢で猛毒を重ね掛けして、一気に勝負を決めることが可能。
 卓哉の立てたプランは、上記のようなものである。
 相手の特徴と自身の強みを良く理解した、確かな勝ち筋。
 特筆すべきは、消耗している状態でも実行可能だと言う点。
 ただし、チャンスは多くない。
 ミンの隙を作るべく、使い魔をけし掛け続けているが、魂力が尽きるのも時間の問題だろう。
 それでも卓哉は焦らず、じっくり、ゆっくり、丁寧に、ミンを追い詰めて行った。
 いつしか彼女の顔からは嘲笑が失せており、真剣な面持ちが浮かんでいる。
 それを見ても卓哉は己のペースを守り続け、遂にそのときが訪れた。

「……ッ! しまっ……!」

 ミンの背後から飛び掛かった猫が、爪で腕を浅く引っ掻く。
 ダメージ自体は無に等しいが、猛毒の効果はすぐに現れた。
 額に手を当てた彼女はよろめき、それを見逃す卓哉ではない。

「行けッ!」

 ここぞとばかりに指示を飛ばした彼に従って、残った使い魔が殺到した。
 爪や牙を始めとした、あらゆる攻撃手段を用いて、ミンの全身に傷を作る。
 それによって、猛毒が体を蝕む速度が速まり、遂に彼女はハンマーを取り落として俯いた。
 限界間近まで来ていた卓哉は、トドメを刺す決意を固める。
 息を荒らげながら、蛇の鞭を手に駆け出し、ミンに向かって振るい――

「残念でした」

 顔を上げたミンは、邪悪な笑みを浮かべていた。
 あらんばかりに目を見開いた卓哉だが、今更攻撃を止めることは出来ない。
 音速を超えて繰り出された鞭を、ミンは難なく左手で掴み取り、思い切り引っ張る。
 強引に引き寄せられた卓哉は、反射的にガードを固めたが、それは最後の足掻きだった。

「喰らいなさいッ!」
「がッ……!?」

 振り抜かれたミンの右拳が、ガードの上から卓哉の脇腹を捉える。
 骨が嫌な音を立てる中、吹き飛んだ彼は地面を何度もバウンドし、ようやくしてから止まった。
 手応えのあったミンはニヤリとした笑みを浮かべていたが、次の瞬間には驚いた顔付きになる。
 折れた左腕をぶら下げ、恐らく内臓にまで深刻なダメージを受けているにもかかわらず、卓哉がすぐに立ち上がったからだ。
 とは言え、最早戦える状態ではない。
 言魂を発動することも出来ないのか、使い魔も消え失せている。
 改めて戦況を把握したミンは、笑みを取り戻して言い放った。

「ふふ。 頑張ったけど、ここまでね」 
「ごふッ……! はぁ……はぁ……な、何故だ? 貴様は、猛毒に侵されていたはずではないのか?」
「あぁ、あれ? 演技よ、演技。 中々上手かったでしょ?」
「演技だと……?」
「そうよ。 実はあたし、毒には滅法強いの。 厳密に言うなら、回復力が飛び抜けてるって感じかしら。 その証拠に、ほら」

 得意そうに笑ったミンが掲げた腕には、傷跡すら残っていなかった。
 腕だけではない。
 ドレスはボロボロになったままだが、全身の傷は完全に癒えている。
 その事実に卓哉は愕然としながら、ある考えに思い至っていた。

「まさか……わたしの言魂の力を知って、貴様をぶつけて来たのか……!?」
「そう言うこと。 エニロやゾースじゃ、あんたの猛毒を耐えられなかったでしょうね。 逆に言えば、あたしには効果ないんだけど」
「ぐ……!」
「それに、あんただけじゃないわよ?」
「何だと……?」
「意外と察しが悪いわね。 【千里眼】はちょっと違うけど、【冬化粧】も同じだって言ってんの。 もしかしたら、今頃死んでんじゃない?」
「……ッ! ちッ!」
「おっと、行かさないわよ? そもそも、今のあんたが行って何が出来るのよ?」
「黙れ……」
「それにしても、ちょっと意外ね。 てっきり、自分だけでも生き残ろうとするかと思ったのに、仲間を助けに行こうとするなんて。 そう言うの、ツンデレって言うんだっけ?」
「黙れと言っている……! ごふッ……!」
「無理しない方が良いわよ? 死にかけてんだから。 まぁ、どっちみちもう死ぬんだけど」

 妖しく嗤ったミンがハンマーを担ぎ上げ、ゆっくりと卓哉へと足を踏み出した。
 その様を見た彼は、あたかも死神のように感じたが、それでも逃げ出すことはない。
 もっとも、動く余力がなかっただけでもある。
 頭脳明晰な卓哉は、必死に打開策を探したものの、そう都合良くは行かなかった。










 白河伊織は一見すると気怠そうで、何を考えているかわからない顔がデフォルトだ。
 内面もそこから大きく外れておらず、面倒を嫌い、大きく感情が動くことは少ない。
 しかし、透真への想いは熱く、戦闘中は真剣にもなる。
 それでも表情の変化は乏しいが、今の彼女は必死そのものだった。

「そんなもんか? 俺はまだ、1歩も動いてねぇんだぜ?」
「……舐めてると、痛い目を見る」
「そうは言ってもな。 実際どうってことねぇんだから、仕方ねぇだろ? 悔しかったら、俺を焦らせてみろよ」
「そのつもり。 けど、そのときはお前が死ぬとき」
「大きく出たな。 まぁ、精々頑張れよ」
「……絶対、後悔させる」

 ゾースの周囲を駆けながら、右手を前に突き出して猛烈な冷気を浴びせる伊織。
 ところが、彼は言葉通り1歩も動くことなく、平然と仁王立ちしている。
 並の魔物ならとっくに氷漬けどころか、塵となっているところだ。
 元々、【冬化粧】は対多数に向いている言魂。
 ゾースたちのような強大な『個』を相手にするのは、どちらかと言えば苦手分野だと言える。
 だとしても、彼の耐久力は馬鹿げているが、伊織は2つの活路を見出していた。
 1つは、絶対的な防御力を誇るゾースにも、脆い部分があるのではないかと言う考え。
 もう1つは、【冬化粧】の特色を最大限に活かすこと。
 前者に関しては希望的観測に近いものの、後者は自分次第で実践可能。
 対多数が得意とは言え、あらゆる場面で力を発揮出来る【冬化粧】なら、今回も対応出来ると信じていた。
 吹雪による全身への攻撃は、全く効果がない。
 足元から凍らせようとしても、通用しなかった。
 氷の礫を用いた弾幕は、鬱陶しそうにしているだけ。
 氷柱による串刺しは、腕を振るうだけで砕かれた。
 以上の結果は、伊織が完封されていると同時に、ある事実を物語っている。
 結論を言うと、攻撃の範囲を狭めて密度を上げれば、ゾースは無防備ではいられない。
 吹雪には何の対処も見せなかった彼が、氷柱は防いでいるのが良い証拠。
 要するに、そのボーダー以上の威力を出しさえすれば、ゾースに通用するはずだ。
 幾度となく攻撃を繰り返しながら、そう結論付けた伊織だが、言葉にするほど容易ではない。
 彼女の手札の中で氷柱での攻撃は、かなりの高威力。
 それを上回るとなると、相当限られてしまうのだ。
 更に、高威力の攻撃は総じて隙や予兆も大きい。
 つまり、下手に使えば自らが危険に陥る。
 仮に難を逃れても、2度目は通用しないだろう。
 やるとするなら、一発勝負だ。
 攻撃の手を止めないまま、思考を巡らせた伊織は、ポーカーフェイスを保ったまま覚悟を決める。
 通用しないと知りながら、吹雪や氷の弾幕も交えて、自身の狙いを悟らせない。
 年齢は若い彼女だが、熟達した駆け引きが出来ていた。
 対するゾースは欠伸をしており、見るからに隙だらけ。
 もっとも、それがポーズだと言うことを、伊織は見抜いている。
 優位に思っているのは間違いないだろうが、本当の意味では気を抜いていないと、彼女は察していた。
 だとしても、行くしかない。
 表情を変えずに闘志を燃やした伊織は、一気に魂力を高める。
 瞬間、ゾースがピクリと反応したが、構わない。
 高めた魂力を【冬化粧】の力に換え――ゾースの頭上に影が落ちた。
 反射的に顔を振り上げた彼の目に映ったのは、巨大な氷塊。
 重力に引かれて落下する脅威を前に、ゾースは――

「やっと、マシになったじゃねぇか!」

 獰猛な笑みを浮かべて拳を引き絞り、思い切り殴り付けた。
 氷山のような氷塊に無数の罅が走り、粉々に砕け散る。
 伊織渾身の一撃は、確かにゾースの全力を引き出したものの、呆気なく凌がれてしまった。
 もっとも、これで終わりならだが。

「ぬ!?」

 会心の笑みを浮かべたゾースが、伊織に視線を転じると同時に、長大な氷剣が飛来した。
 そこに宿った魂力は並々ならず、ゾースの顔が強張る。
 しかし退くことはなく、両脚で地面を踏み締め、両手を前に出して受け止めた。

「おぉぉぉッ!!!」

 雄叫びを上げたゾースと氷剣が、せめぎ合う。
 激しく冷気を撒き散らしながら、氷剣はゾースを貫こうとしたが、突破することは出来ない。
 やがて力を使い果たした氷剣が、音もなく消え去った。
 それを見たゾースは、大きく息をつき――

「もらった」

 凍らせた地面を高速で滑って、ゾースの背後を取った伊織。
 その腕には、氷の刃が装着されていた。
 氷塊と氷剣に気を取られていたゾースは、反応が遅れている。
 振り返る暇も与えず、伊織が最短距離で氷刃を繰り出した。
 冷たく鋭利な切先が、無防備な背中に突き刺さ――らない。
 伊織の目が捉えたのは、ゾースに触れると同時に溶けた氷の刃。
 信じられない現象を前に、流石の彼女もあらんばかりに目を見開く。
 だが、際どいところで動きを止めはせず、距離を取るべく後方に跳躍した。
 残念ながら、あまり意味はなかったが。

「惜しかったな、【冬化粧】!」
「……ッ!」

 ゾースを中心に、大爆発が起こる。
 飲み込まれる寸前に、伊織は自身を氷で覆ったが、充分に守りを固める時間はない。
 氷ごと焼かれ、美しい白い肌に多数の火傷を負ってしまった。
 辛うじて命は繋ぎ止めたものの、ダメージは深刻。
 半球状に抉れた荒野に膝を突き、痛みに顔を顰めていた。
 そんな彼女の視線の先には、全身に炎を纏ったゾース。
 ここに来て伊織は、彼の本当の能力を思い知った。

「火炎系の魔術……。 それが、お前の本気?」
「そう言うこった。 俺の魔術は、緻密な制御が出来ねぇ代わりに高火力でな。 テメェの【冬化粧】にとっては、最悪の相性だろ?」
「……」
「だんまりか? まぁ、認めたくねぇのもわかるけどよ、現実は変わらねぇぜ?」
「勝ち誇るには、まだ早い」
「いいや、ここからは俺が一方的に嬲る時間だ。 今のテメェには、逃げ回るのが精一杯だろうぜ。 それも、いつまでもつだろうな?」
「……負けない」
「はん。 負けず嫌いもそこまで行くと、滑稽だぜ。 ほら、踊れよ!」

 大声を発したゾースの右手から、爆炎が放たれた。
 本人の言葉通り制御は荒いが、範囲と威力がずば抜けている。
 歯を食い縛って痛みを堪えた伊織は、凍らせた地面を滑ることで窮地を脱したが、反撃する余力などない。
 そのことを正確に認識しているゾースは、口の端を吊り上げて爆炎で彼女を追い詰めて行った。
 最早、伊織に勝ち目などないように思える。
 それでも、彼女の瞳には強い光が灯っていた。










 【千里眼】の使い手である早乙女美沙は、味方のサポートに回ることが多い。
 しかし、だからと言って本人の実力が低いかと言えば、決してそのようなことはなかった。
 むしろ、純粋な身体能力や体術などの戦闘力と言う意味では、『参言衆』でもトップクラス。
 その背景には、【千里眼】が戦闘において直接的な攻撃力を持たない為、地力を上げようと言う彼女の思惑があった。
 その甲斐はあり、今も見事な戦いを繰り広げている。
 エニロを翻弄するように駆け回り、僅かな隙も逃さず苦無を投げ付けていた。
 単純なスピードも緩急も、苦無を操る技量も、文句の付けようもない。
 だが――

「やるな、【千里眼】」

 全ての苦無を、エニロは長剣で弾き飛ばす。
 手数では明らかに美紗が勝っているものの、彼の剣技の前では無力。
 超速かつ精確無比に振るわれる長剣は、彼女に勝利への糸口すら与えない。
 何より厄介なのは、慎重な性格のエニロは、決して無理をしないと言うこと。
 守りを固めて美紗の消耗を促し、完全に弱ってからトドメを刺す。
 それが彼の方針だった。
 エニロの狙いに美紗は気付いていたが、だからと言って攻撃の手を緩める訳には行かない。
 何故なら、その場合はもっと不味い事態に直面するからだ。

「ふぅ……と!」

 休息を取るべく僅かに動きを止めた美紗に、エニロが長剣を一閃。
 両者の間にはそれなりの距離があったが、放たれた魔力の刃が空を裂いて彼女を襲う。
 咄嗟に地面に身を投げたことで、被弾を免れたものの、余計に体力が摩耗してしまった。
 このように、エニロは美紗に楽をさせず、常に動くことを強要している。
 その上で、彼女の攻撃をことごとく打ち返し、破滅へと導いていた。
 真綿で首を締めるかのようなエニロの策を、美紗は打破することが出来ない。
 ところが、彼女の顔には笑みが浮かんでいる。
 そのことを訝しく思ったエニロは、気を引き締め直しつつ問い掛けた。

「何を笑っている?」
「ん? あたし、笑ってる?」
「自覚がないのか?」
「これだけ不利なんだし、本当なら笑う余裕なんてないはずなんだけどなぁ」
「では何故だ?」
「んー……たぶんだけど、わかったからじゃない?」
「わかっただと?」
「うんうん。 キミたち、あたしたちのことを調べて、有利に戦える相手を選んでるよね? しかも、ご丁寧に疲れてるところを狙ってさ」
「流石は【千里眼】だ。 これだけ離れていても、他の連中の戦いを把握出来るのか。 だが、それがわかったところで――」
「違うよ。 あたしがわかったって言ったのは、そのことじゃない」
「何? どう言うことだ?」

 要領を得ないエニロに向かって、美紗は苦無を投げ放ち続ける。
 一方の彼は眉根を寄せて考え込んでいたが、動きに精彩を欠くようなことはない。
 微かに期待を持っていた美紗は苦笑しつつ、自信満々に自らの考えを語った。

「あたしたちを相手にそれだけのことをするなら、四季様たちには逆立ちしたって勝てない。 それがわかったの」
「……言ってくれるな。 確かに『肆言姫』は強敵だが、念入りに準備さえすれば――」
「あはは! 無理無理。 今のあたしを未だに倒せない奴が何をしたところで、あの人たちには勝てっこないよ。 白河ちゃんと桐生くんの相手だって同じだね。 ホント、安心しちゃった!」
「ふむ、よほど『肆言姫』を信頼しているようだ。 仮にそうだとしても、自分が死ぬのは良いのか?」
「ううん、それとこれとは話が別。 言魂士として戦う以上、死ぬ覚悟は出来てるけど、それはここじゃないと思うんだよね」
「いいや、ここだ。 お前に助かる道などない」
「そうとは言い切れないよ? 嘘だと思うなら、試してみたら?」
「……良いだろう。 何を考えているか知らんが、もろともに叩き潰してやる」

 不敵に笑う美紗を目にして、エニロは戦法を変える意思を固めた。
 確かなことはわからないが、このまま防御に徹するのは良くない。
 そう考えた彼は長剣を両手で握り、全力で美紗に向かって踏み込む。
 それまでの速度とは次元が違い、大上段から振り下ろされた一撃は、初見では避けるどころか防ぐことすら出来ない。
 そう、そのはずだった。

「何だと……!?」

 冷静沈着なエニロの顔が驚愕に染まり、口から声が漏れる。
 エニロの目の前で転身した美紗は、紙一重で斬撃を躱し、苦無を彼の胴に突き入れた。
 急ブレーキを掛けたエニロは、強靭な脚力にものを言わせて、強引に飛び退る。
 それでも間に合うことはなく、苦無が浅く肌を傷付けた。
 軽傷で済んだことに彼は安堵し、小さく息をついていたが――

「……!? これは……」

 視界がぼやける。
 それが毒の効果だと看破したエニロは、美紗に厳しい眼差しを突き刺した。
 対する彼女は勝気な笑みを浮かべ、どこか誇らしそうに言葉を紡ぐ。

「どう? 効くでしょ? 桐生くんに協力してもらって作った、特製の毒だからね。 オリジナルほどじゃないけど、相当キツイと思うよ?」
「おのれ……」
「睨んだって無駄だよ。 こっちだって、なりふり構ってられないんだから」
「く……」
「さーて、今のうちに決めちゃおっかな!」

 既に何本目か数え切れないほどの、苦無を構える美紗。
 それに比してエニロは、静かに状況把握に努めていた。
 傷は浅い。
 毒は無視出来ないものの、まだ動ける。
 だが、何よりも問題なのは、どうして今のような結果になったかだ。
 先ほどの攻防は、彼にとって不可解なもの。
 驕りではなく、確信を持って当たると思っていた。
 よしんば避けられるとしても、大きく体勢を崩させることは出来たはず。
 ところが、実際には完璧なタイミングでカウンターを仕掛けられ、逆に痛打を受けてしまった。
 その理由が何か考えたエニロは、ある仮説に辿り着く。
 確かめるには前に出るしかないが、失敗すれば今度こそ危うい。
 慎重な彼は二の足を踏みながら、最後には決断した。
 深呼吸して心を落ち着け、準備を整える。
 エニロの雰囲気が変わったことに気付いたのか、美紗から笑顔が消えた。
 互いに緊迫した面持ちを湛え、先に動いたのはエニロ。

「はぁッ!」

 再びの突撃とともに、長剣で突きを放つ。
 しかし美紗は、信じられない反応速度で回避して、反撃の一手を繰り出した。
 苦無を逆手に持って、エニロの脇腹を狙う。
 通常なら躱せないタイミングだったが、先を読んでいた彼は強引に身を捻り、空振りを誘った。
 更にそこで止まらず、そのまま体を横に回転させて、真一文字に長剣で薙ぎ払う。
 かと思えば、そのときには美紗は後方宙返りしており、エニロの攻撃範囲から逃れつつ、苦無の雨を降らせた。
 そのうちの1本がエニロの左肩に突き立つものの、残りは全て打ち落とされ、決定打には至らない。
 それでも毒の進行を速め、今の攻防は美紗の勝ちだと言える。
 ただし、エニロはそれと引き換えに、自身の仮説が正しいと確信していた。

「やはり、見えているようだな」
「何の話かな?」
「【千里眼】の能力の話だ。 対象に触れることで心を読むことと、遠方を見渡すこと。 それが【千里眼】の能力だと思っていたが、他にもあったらしい」
「……ふぅん、そうなんだ。 参考までに、教えてくれる?」
「無駄な駆け引きはやめろ。 【千里眼】のもう1つの能力は、未来を見る力。 ずっとではなく、恐らく数秒先と言ったところだろう。 付け加えるなら、魂力の消費量は相当多いようだ。 誤魔化しているつもりかもしれないが、お前が一気に消耗したことには気付いている」
「……はぁ、腹が立つくらい落ち着いてるね」
「認めるのか?」
「否定したら信じるの?」
「いいや、わたしの結論は変わらない。 正直な話、お前たちの中で【千里眼】が最も厄介だと思っていた。 何故なら、あまり表立って戦闘していなかったせいで、情報が少なかったからだ。 だが、ここまでの戦いでおおよそのことはわかった。 あとは、処理するのみ」
「まったく、厄介はどっちって話だよ。 もっと雑に攻めて来てくれたら、他にもやりようはあったのに」
「それは、わたしのやり方ではない」
「みたいだね。 とにかく、終わらせよう。 知ってるみたいだけど、あたしの限界も近いからね」
「『肆言姫』の情報を話すなら、お前だけは見逃してやっても良いぞ?」
「ホント? じゃあ、乗っちゃおうかな」
「……やはり駄目だ。 嘘ばかり言いそうだからな」
「あはは! バレちゃったか。 そう言うことだから、掛かって来なよ。 あたしは、自力で生き残ってやるから」

 手のひらを上に向けて、クイクイと挑発する美紗。
 その顔には笑みが浮かんでいるが、額にはびっしりと汗が浮かんでいる。
 彼女が強がっているのは明らかで、それを踏まえたエニロは、未来予知をどう突破するか考えた。
 単純な戦闘力で言えば、エニロの方が上だろう。
 もっとも、そこに絶望的な差はなく、毒によって彼の動きは鈍っていた。
 そのことを思えば、未来予知を超えるほどの攻撃を仕掛けるのは難しい。
 とは言え、それは一気に決めようとした場合だ。
 勝利への道筋を見出したエニロは、瞳を鋭く研ぎ澄ませて長剣を構える。
 対する美紗は笑みを消して、表情を強張らせた。
 それは、これから起こる未来を察知したからこそ。

「付いて来れるか、【千里眼】?」
「く……!」

 その場に留まって、魔力の刃を次々に放つエニロ。
 未来予知によって全ての攻撃を把握している美紗は、難なく躱してみせたが、加速度的に疲労が増しているようだった。
 それもそのはずで、エニロが推察した通り、【千里眼】の未来予知は魂力の消費が尋常ではない。
 本来は切り札と呼べるもので、短時間での使用が普通。
 ところが今は、常時発動を強いられており、彼女の魂力がごっそりと削られた。
 同時に体力も奪い、徐々に魔力の刃が肌を掠めるようになって来ている。
 頃合いだと判断したエニロは、長剣を引き絞りながら踏み込んだ。
 フラフラの美紗は対応出来ず、突き出された切先が――胴を貫く。
 背中まで貫通した長剣が血に塗れ、確かな手応えを感じていた反面、彼はほんの微かな違和感を抱いていた。
 致命傷なのは間違いないが、本当なら即死させるつもりだったにもかかわらず、彼女は辛うじて生きている。
 まるで、敢えて攻撃を受けたかのように。
 その現実を訝しみ、エニロが刹那の間だけ止まっていると――

「ま……待ってたよ……」

 口の端から血を滴らせながら、弱々しく美紗は笑った。
 その手はエニロの手に触れており、それが意味することは――

「……ッ! お前……!」

 大慌てで美紗から距離を取ったエニロだが、時既に遅し。
 既に彼女の言魂は発動している。
 心を読まれないように、彼は必死で別のことを考えようとしたが、何かを考えないようにしようとすればするほど、そのことが頭に残り続けるものだ。
 そう言った心理を逆手に取った美紗は、エニロの心を探ったが、それは彼女にとって衝撃的な内容だった。

「……! キミたち……」
「……どうやら、知られてしまったようだな」
「うん……ごふッ……。 これは……何が何でも、生き残らないとね」
「そうは行かん。 こうなった以上、お前には是が非でも死んでもらう。 その傷ではそう長くないだろうが、今すぐ息の根を止めなくてはな」

 全身から強大な魔力を立ち昇らせ、確実に美紗にトドメを刺そうとエニロが構える。
 一方の美紗は体に力が入らず、立っているのが奇跡のような状態。
 折角、重要な情報を得たものの、伝えることは出来そうになかった。
 諦めかけた美紗は悔しさに歯噛みしたが、次いで目を丸くしてニヤリと笑う。
 そんな彼女を不審に思ったエニロだが、構わず魔力の刃を繰り出そうとして――

「早乙女美沙!」
「何……!?」

 地面を凍らせた伊織が、傷だらけのまま高速で滑って、すれ違い様に美紗を担ぎ上げて離脱した。
 良く見ると、もう片方の手には卓哉をぶら下げている。
 あっと言う間の逃亡劇を、エニロは忌々しく見送っていたが、済んでしまったものは仕方がない。
 盛大に嘆息してから振り向くと、そこにはゾースとミンが立っていた。
 2人ともバツが悪そうな顔をしており、溜息をついたエニロが口を開く。

「わたしを含めて、全員詰めが甘かったな」
「悪い。 【冬化粧】の狙いに気付けなかった、俺の失態だ」
「ゾースだけじゃないわよ。 【伏魔殿】が何か待ってるのはわかってたけど、まさか【冬化粧】の救出とは思わなかったわ」
「そこまでだ、ゾース、ミン。 3人とも生き残らせたのは予定外だが、元々1人は残す予定だった。 大勢に影響はない。 計画通り、ことを進めるぞ」
「大丈夫なのかよ? 【千里眼】にバレたんじゃねぇのか?」
「案ずるな、ゾース。 先ほど見た限り、奴は気を失っていた。 あの傷では、生きながらえられるかも怪しい。 少なくとも、目を覚ますまでには時間が掛かるはずだ。 ならば、【千里眼】が計画を喋る前に終わらせるまでのこと」
「それしかないわね。 じゃあ、すぐに戻りましょう。 ガイゼル様に報告しないといけないわ」
「そうだな、ミン。 エニロ、行こうぜ」

 立ち直ったゾースとミンが、空間を渡って魔界へと帰って行く。
 それにエニロも続こうとして、背後を振り返った。
 天羽陣営の『参言衆』を圧倒出来たものの、本番はまだ始まってすらいない。
 そして、策を巡らせ不意打ちだったにもかかわらず、想像を超えて来た美紗と伊織、卓哉。
 その上に位置する『肆言姫』を、改めて脅威に感じたエニロは、人知れず覚悟を固めるのだった。





―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
次回、「第24話 破れた平穏、迫る闇」は、明日の12:30公開予定です。
読んでくれて有難うございます。
♥がとても励みになります。
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