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第1章 無字姫、入学す
第24話 破れた平穏、迫る闇
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ヒノモトに激震が走りました……と言う事実はありません。
何故なら与えられた情報は、特務組や限られた人たちに留められたから。
ただ、わたしたちが受けた衝撃は、途轍もないです。
事の発端は、お出掛けを終えてから帰宅して、一色くんと夕食をともにし、食後のお茶を楽しんでいたときでした。
部屋に取り付けられていた鐘が、大きな音を鳴らしたのです。
ちなみに、見た目に反して寮の部屋は防音設備が完璧らしく、他の部屋に聞こえる心配は無用でした。
それはそれとして、初めての体験にわたしはビックリしていましたけど、いつも通り平然とした一色くんは、すぐに立ち上がって告げたのです。
「学院長室に行くぞ」
わたしとしては理由を知りたかったですが、彼は有無を言わさぬ迫力を発していました。
やむを得ず首を縦に振って、急ぎ足で夜の校舎へと。
そのまま階段を上り、挨拶もそこそこに入った学院長室には、わたしたちの他にも天羽さんと一葉ちゃん、光凜さんの姿がありました。
そんなわたしたちと対面するように、学院長は執務机に着いており、背後には橘先生が控えています。
共通しているのは、全員が硬い面持ちを浮かべていること。
この時点で嫌な予感がしていましたが、それは学院長が口を開いたことで、現実となりました。
「天羽陣営の『参言衆』が、魔族に敗北した」
「え……!? ど、どう言うことですか……!?」
「落ち着いて、無明さん。 まずは学院長の、お話を聞きましょう」
「あ……す、すみません、橘先生……」
驚きのあまり、取り乱してしまいました……。
ですが、天羽さんは拳を固く握り締め、口を引き結んでいます。
本当は、誰よりも今すぐ問い質したいんでしょうね……。
彼女が我慢しているのに、わたしが足を引っ張る訳には行きません。
1つ深呼吸して、平静を取り戻しました。
そのことに気付いたのか、学院長は一瞬だけ微笑んでから、厳かに言葉を紡ぎます。
「白河からの報告によると、相手は3人だったらしい。 『十魔天』ではないが、これまでに出現したどの魔族より、圧倒的に強力な者たちだ。 オマケに、彼女たちの言魂を調べた上で、最適の相手を選んだらしい。 長期の任務で疲弊させたのも、策略の1つだったと考えられる。 詳細はあとで資料として渡すから、必ず目を通すように」
「と言うことは、学院長の【聡明叡智】が破られたのですか?」
「破られたと言うよりは、隙を突かれたと言ったところだ、神代。 儂の【聡明叡智】も万能ではないことは、知っているな? 恐らく敵は、その繋ぎ目を狙ったのだ」
「それにしても、完璧に読まれるなんて……。 どうやったんだろ?」
「九条、詳しいことはわからんが、可能性としてはパターンを掴まれたのかもしれん」
「パターン、ですか……?」
「そうだ、無明。 発動のタイミングは、なるべく不規則にしていたつもりだが……儂も人間だ。 どうしても、生活のリズムをある程度は保つ必要がある。 体調を崩してしまっては、元も子もないからな。 そこに付け入る隙がなかったとは言い切れん」
学院長の説明を受けて、多少は事態が飲み込めて来ました。
それはそうと、正式に学院の生徒になったからか、夜宵とは呼ばないんですね。
わたしとしても、公私混同は避けたいので、その方が助かりますけど。
しかし、まだ肝心なことを聞いていません。
そのことに言及するべきか、迷っていると――
「美紗たちは無事なのですか?」
天羽さんの、真っ直ぐな声が響きました。
反射的に振り向いた先に立っていた彼女の顔には、毅然とした面持ちが浮かんでいます。
でも……それが強がりだと言うことくらいは、わたしにもわかりました。
一葉ちゃんと光凜さん、橘先生の表情も険しくなりましたけど、一色くんは全くの無表情。
冷たいですね……。
少々寂しくなりましたが、今はそれどころじゃありません。
どんな答えが返って来ても受け止められるよう、心積もりしていたわたしに、学院長は数瞬瞑目してから言い放ちました。
「生きてはいる」
その言葉を聞いたわたしは喜びそうになりましたが、それは早計だったようです。
「ただ、傷は深い。 白河と桐生も相当だが、早乙女の容態が特に深刻だ。 彼女に関しては、生と死の狭間にあると言わざるを得ん。 回復系統の言魂士を総動員しているが、それでも持ち直す保証はない」
「そんな……」
口を挟まないつもりだったのに、つい声に出してしまいました。
一色くん以外の人たちの顔も更に強張っていますが、辛うじて受け止めようとしているのがわかります。
わたしだけ、情けないですね……。
このようなことでは、実力云々以前に特務組に相応しくありません。
胸に右手を当てて、辛い気持ちに蓋をしました。
今は嘆くより先に、やるべきことがあります。
そう考えていたところに視線を感じて、目を転じると橘先生が苦笑気味に頷きました。
なんだか恥ずかしいですが、これで良かったんでしょうか……?
曖昧な気持ちのまま躊躇いがちに会釈し返すと、彼女はますます苦笑を深くしましたが、次の瞬間には真剣な顔付きで口を開きます。
「天羽さん、九条さん、神代さん、貴女たちに任務を与えます」
橘先生の言葉を聞いて、3人が居住まいを正しました。
わたしもつられて背筋を伸ばしたのは、内緒です。
若干のいたたまれなさを感じつつ、続きを待っていると、橘先生は小さく息を吐いてから告げました。
「内容は、早乙女さんたちが遭遇した魔族の討伐。 出現場所は、前回と同じ。 時間は……」
そこで区切った橘先生が、学院長に目を向けます。
対する学院長は鷹揚に頷き、重々しい声で宣言しました。
「明日の朝8時頃だと、【聡明叡智】で判明している」
「明日の朝……。 ほとんど間隔を開けずに、攻めて来るのですね」
「そうだな、天羽。 それにどのような意味があるかは、現時点では不明だ。 そこで、無明と一色には別の任務を与える」
「は、はい……!」
ここに呼ばれた以上、何かしら役割はあると思っていましたが、具体的なことは想像も出来ません。
緊張を誤魔化すように、隣の一色くんをそれとなく窺うと、憎たらしいまでにいつも通りでした。
人がこんなにも焦っているのに……。
ですが……そんな彼を見ていると、取り乱すのが馬鹿らしくなります。
不本意ながら落ち着きを取り戻したわたしは、平静を保った状態で任務の詳細を聞きました。
「天羽たちが魔族討伐に向かっている間、首都の防衛に当たれ。 他の特務組も動かせん現状、かなり守りが手薄になるからな。 今のところは敵襲の気配はないが、それも絶対ではない」
首都の防衛……。
正直なところ、わたしに務まるのか不安です。
しかし、母上も過去に何度もヒノモトを救ったと聞きました。
その娘であるわたしが、逃げ出す訳には行きません。
胸に当てていた手をギュッと握り、心を覆い尽くそうとする暗雲を振り払って、力強く宣言します。
「はい、お任せ下さい」
「……良い返事だ。 一色、お前はどうだ?」
気のせいか、挑発的に問い掛けた学院長。
それを受けた一色くんは眉根を寄せ、溜息をついてから小声で言い放ちました。
「出来ることはする」
「ははは! そうか、そうか。 では、頼んだぞ」
何が嬉しいのか、学院長は上機嫌に笑いました。
状況をわかっているのか、甚だ疑問です。
思わず失礼なことを思ってしまいましたが、わたしに非はないんじゃ?
天羽さんたちも少なからず思うことはありそうで、橘先生がわざとらしく咳払いしました。
それを聞いた学院長はハッとした表情になり、次いで厳格な顔を作ります。
いや、今更遅いと思いますけど……。
わたしと天羽さん、一葉ちゃんと光凜さん。
4人からジト目を向けられた学院長は頬を引き攣らせつつ、強引に話を纏めました。
「と、とにかく、そう言うことだ。 今日はひとまず自室に戻り、天羽たちは早朝に出発してくれ。 無明と一色は、いつでも動けるように備えておけ」
「……わかりました」
返事をしたのは、わたしだけでした。
それでも命令自体は受け取ったらしく、天羽さんたちは一礼してから学院長室をあとにします。
わたしも続こうとしましたが、一色くんが動いていないことに気付きました。
何かあったんでしょうか?
疑問に思いましたけど、だからと言ってここで待つのもおかしな話。
後ろ髪を引かれる思いを断ち切って、部屋の外に出ました。
するとそこには、天羽さんたちが集まっています。
真剣な顔を突き合わせて、緊迫した空気が流れていました。
声を掛けるのは、やめた方が良さそうですね……。
1歩離れた場所から様子を窺っていると、口火を切ったのは光凜さんと一葉ちゃん。
「確認しておくわよ、四季さん。 まさか、陣営の仇を取ろうなんて考えていないわよね?」
「今回の相手は結構ヤバそうだし、そう言う余計な感情は命取りだよ?」
切れ味鋭い、2人の言葉。
わたしも同じことを思わなくはないですが、もう少し言い様はなかったんでしょうか……。
それこそ、そんな甘い考えを持つこと自体が駄目なのかもしれませんけど、天羽さんの気持ちを考えると……。
ところが彼女は、鼻で笑い飛ばして言い返しました。
「ふん、当然だ。 わたしはそのようなことで、我を失いはしない」
腕を組んで、居丈高に宣言する天羽さん。
出任せなどではなく、間違いなく本心だと思わされました。
そのことを頼もしいと思うと同時に、寂しくも感じます……。
早乙女さんたちは天羽さんを慕っているようでしたが、彼女はそうじゃないんでしょうか。
やり切れない思いを抱えたわたしは、俯いてしまいましたが――
「それに美紗たちは、充分に働いた。 不利な状況にも負けず、生きて情報を持ち帰ったのだ。 そんな彼女たちを、わたしは誇りに思う」
天羽さんの真意を聞いて、目を見開きました。
顔を振り上げて彼女を見ると、優し気な微笑を浮かべています。
天羽さんは心の底から、早乙女さんたちを想っているんですね……。
そのことをようやく悟ったわたしは、なんて愚かなんでしょう。
猛烈に恥ずかしいですけど、嬉しくもなりました。
しかし、一葉ちゃんたちの追及はまだ終わっていません。
「まぁ、確かにね。 でも、早乙女は死にかけてるんでしょ? ホントに死んじゃっても、同じことが言える?」
「猪娘の言う通りよ。 四季さん、その場合でも貴女は、揺るがないと言い切れるのかしら?」
2人とも、それはあんまりです……。
早乙女さんが亡くなるだなんて、考えたくもありません。
ですが……実際に危険な状態なんですよね……。
そのことを考えれば、懸念材料としては妥当かもしれませんけど……。
不安に思ったわたしが改めて天羽さんを見ると、流石の彼女も顔が強張っていました。
当然です。
わたしが彼女なら、泣いていたかもしれません。
それでも『肆言姫』の矜持は、絶対的なものでした。
「美紗は生き残る。 そして、万が一のことがあったとしても、わたしはわたしの使命を全うすると誓おう」
その誓いは、誰かに対してと言うよりは、自分に立てているように聞こえました。
だとしても、嘘偽りはありません。
そんな天羽さんの姿が、わたしにはとても誇り高く見えました。
ある種の感動を覚えていましたけど、一葉ちゃんと光凜さんの面持ちは厳しいままです。
まだ納得出来ないんでしょうか……?
見ていられなくなったわたしは、今度こそ割って入ろうとしましたが、それは余計なことだったようです。
「安心したわ。 これなら、背中を任せられるわね」
「あたしは最初から、心配なんかしてなかったわよ。 四季ちゃんなら、絶対大丈夫って思ってたから!」
胸に手を当てて、柔らかく微笑んだ光凜さん。
頭の後ろで手を組んで、快活に笑った一葉ちゃん。
どうやら、彼女たちもわかっていて試したようですね……。
この辺りは、彼女たちが『肆言姫』であるが故の責任と、同じくらいの信頼を持っているように思えます。
別の陣営とは言え、根本の部分では仲間意識があると言う証左。
少しばかり羨ましくなりましたけど、わたしもこれから少しずつ、彼女たちの輪に入って行けるように頑張りましょう。
すると、密かに決意を固めていたわたしに、一葉ちゃんが突然振り向きました。
切迫した雰囲気で、何を言われるのかと身構えていると、彼女は重々しく言葉を紡ぎます。
「夜宵ちゃん、気を付けてね」
「あ……は、はい。 初めての任務ですし、何か起きるかどうかも定かじゃないですけど、油断せず精一杯頑張って――」
「違う違う、そうじゃないって」
「え?」
そうじゃない?
そうじゃないって、何ですか?
本気で訳がわからず小首を傾げていると、光凜さんと天羽さんが続きました。
「一色くんとペアで動くのでしょう? 変なことをされたら、斬って良いわよ」
「甘いぞ、神代。 事前に芽を摘む為にも、今のうちに始末しておくべきだ」
「そうね、四季ちゃん。 いっそ、学院長室を出て来たところを狙おっか!」
何を考えているんですか……!?
その言葉が脳内を駆け巡りましたが、突拍子もなさ過ぎて、口をあんぐりと開けてしまいました。
しかし、放っておくと本当に実行しかねないほど、3人とも魂力を高めています。
無駄に張り切らないで下さい……!
必死に体のコントロールを取り戻したわたしは、強引に口を動かして止めに入りました。
「し、心配してくれて、有難うございます……! ですが、安心して下さい……! 一色くんが、わたしに手を出すなど……あ、あり得ませんので……!」
体の前で両手をブンブン振りつつ、舌を噛みそうになりながら、早口で捲し立てました。
こ、これで収まってくれると良いんですけど……。
そう願いましたが――
「何を言っている! 一色は恐らく……いや、間違いなく無明を狙っているぞ!」
「へ……!?」
「そうよ! あのムッツリ、やたらと夜宵ちゃんに優しいし!」
「そ、それは……その……」
「少なくとも、好意的には思われているでしょうね」
「こ、好意的……」
天羽さん、一葉ちゃん、光凜さんから連続で投げ掛けられた言葉を、わたしは上手く処理することが出来ませんでした。
たぶん朱に染まっているだろう頬に両手を当てて、視線を落としてしまいます。
体温も少々高くなっているように感じるのは、気のせいでしょうか?
落ち着きを失って、体がモジモジするのを止められません。
こ、困ると言うことはないですが、嬉しいとも違うと言いますか……は、恥ずかしいです。
一色くんがわたしに好意を持って、狙っている……。
言葉にすると現実味がありませんけど、もし本当にそうだとすれば……どうしたら良いんですか……?
い、いえ、わたしが決めるしかないんでしょうけど……。
頭が混乱して、目が回りそうです……。
で、ですが、ここは踏ん張らなければ……!
「と、とにかく、お互い頑張りましょう……! 一色くんのことは、放っておいて下さい……! 失礼します……!」
「あ、逃げた!」
「あの反応……怪しいわね」
「待て、無明!」
待ちません……!
脱兎の如く逃げ出したわたしは、階段を駆け下りて1階に辿り着きました。
チラリと背後を見た限り、追って来ている様子はありません。
そのことにホッと胸を撫で下ろしましたけど、実のところ1人になりたかったのには理由があります。
呼吸を整えて神経を集中させ、魂力を探りました。
一言で魂力と言っても十人十色で、わたしは1度会ったことのある人なら識別出来ます。
範囲はそこまで広くありませんが、学院の敷地くらいなら問題ありません。
瞳を閉じて更に集中すると、さほど時間を掛けずに目当ての人物が見付かりました。
学院にはいくつかの医務室があるのですが、その中でも最も広く、設備が充実しているところですね。
迷いなく足を踏み出したわたしは、なるべく静かに廊下を進みます。
割と近かったのですぐに到着すると、入口に女性の言魂士が立っていました。
こちらに気付いた彼女は一瞬瞠目し、次いで疎ましそうな目を向けて来ます。
チクリと胸が痛みましたが、敢えて平然と声を発しました。
「面会しても良いですか? 少しで良いです」
「……『無字姫』が『参言衆』に面会? 立場を弁えたら? 特務組に入ったからって、調子に乗らないで」
「そのようなつもりはありません。 ただ、この目で無事を確認したいだけなんです」
「ふん……面会も何も、彼女たちは気を失っているのよ。 邪魔だから帰って」
「その方が都合が……コホン……ほんの数分だけ、許してくれませんか? お願いします」
深々と頭を下げて、願い出ました。
こちらから相手の顔は見えませんが、迷っているのが伝わって来ます。
駄目なら駄目で仕方ありませんけど……どうか、今回だけは見逃して下さい。
体勢を変えないまま内心でも頼み続けていると、ようやくして大きな溜息が聞こえて来ました。
それでも顔を上げないわたしに、女性はつっけんどんに言い放ちます。
「5分よ。 それと、二度と来ないで」
「わかりました、有難うございます」
許しを得たわたしは頭を上げてから、もう1度一礼します。
女性は複雑そうな顔をしていましたが、今は構っていられません。
時間がありませんからね。
音を立てないように引き戸を開けて、医務室に入りました。
中には3つのベッドが置かれ、早乙女さんたちが寝かされています。
眼帯を外された早乙女さんの顔は非常に可愛らしく、思わず感嘆の息をこぼしてしまいました。
あ……そんな場合じゃありません。
すぐに意識を切り替えて、改めて容態を確認します。
聞いていた通り早乙女さんが深刻で、かなり危うい状態。
白河さんも全身を包帯で覆われて、痛々しい火傷が見えました。
このままでは、跡が残ってしまうかもしれませんね……。
桐生さんの腕も、完全には元通りにならない可能性があります。
その事実を重く受け止めるとともに、戦い抜いた彼女たちの勇ましさを称えたいと思いました。
もっとも、わたしにどう思われても、彼女たちは気にしないでしょうが。
特に桐生さん。
それでも、ここで彼女たちを見捨てたら、一生後悔すると思うんです。
だから……申し訳ありません、母上。
使います。
意を決したわたしは目を瞑って深呼吸を繰り返し、懐からある物を取り出しました。
雷雲が轟く曇天の下に聳え立つ、ガイゼルの居城。
玉座の間に、エニロとゾース、ミンは訪れていた。
彼らから報告を受けたガイゼルは、しばし無言でワインを飲み続けていたが、おもむろに口を開く。
「計画に変更はなしだ。 エニロの言う通り、予定通りに行くぜ」
「かしこまりました」
「今度の相手は、いよいよ『肆言姫』だな。 腕が鳴るぜ!」
「やる気になるのは良いけど、空回りしないでよ?」
ガイゼルの指示を受けて、即座に一礼するエニロ。
獰猛に笑って、拳をゴキゴキ慣らすゾース。
そんな彼を窘めつつ、自身も嗜虐的な笑みを浮かべるミン。
配下たちの姿にニヤリとしたガイゼルは、ワインをラッパ飲みにしてから、言葉を付け足した。
「俺の読みが正しけりゃ、『肆言姫』が出て来るのは間違いねぇ。 1人は動けねぇから、残りの3人全員だろうな。 頼んだぜ? 奴らを抑えられるかどうかが、勝負の鍵なんだからな」
「心得ています。 このエニロ、必ずやご期待に応えてみせます」
「俺だってそうだぜ! ガイゼル様、任せて下さい!」
「あたしも久しぶりに本気を出せそうだし、楽しみだわ」
「くく、頼もしいな。 じゃあ、そろそろ準備しとけ」
「はい、ガイゼル様。 ゾース、ミン、行くぞ」
そうして、エニロたちは玉座の間を去る。
1人残ったガイゼルは、背もたれに体を預けて大きく息を吐いた。
次いで、再びワインを飲み始める。
暫くそのような時間が続いたが、間もなくして空になった瓶を投げ捨てた彼は、邪悪な笑みで言葉をこぼした。
「あいつらに『肆言姫』の相手は厳しいだろうが、別に勝てなくても良い。 駒を失うのは痛いけどよ、目的を果たせるなら安いもんだ」
配下として付き従うエニロたちを、駒と言い切るガイゼル。
そんな彼を冷酷だと非難するのは簡単だが、だからこそ彼は『十魔天』の地位にまで上り詰めた。
言動に反して智謀に長けているガイゼルは、あらゆる手段を用いて戦果を挙げ続け、魔王に認められるまでに至っている。
しかし彼は、満足しなかった。
『十魔天』などと一括りにされることに、嫌悪しているとすら言っても良い。
だからこそ今回の計画を実行に移し、1歩抜きん出ようとしている。
欲深いと言う見方もあるだろうが、実際に現状はガイゼルの思惑通りに進んでいた。
ところが、彼は知らない。
厳密に言えば情報としては入手しているが、その重要性に気付いていなかった。
最近、特務組に配属された2人が、どれほどの脅威かと言うことを。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
次回、「第25話 命の重さと心の選択」は、21:00公開予定です。
読んでくれて有難うございます。
♥がとても励みになります。
何故なら与えられた情報は、特務組や限られた人たちに留められたから。
ただ、わたしたちが受けた衝撃は、途轍もないです。
事の発端は、お出掛けを終えてから帰宅して、一色くんと夕食をともにし、食後のお茶を楽しんでいたときでした。
部屋に取り付けられていた鐘が、大きな音を鳴らしたのです。
ちなみに、見た目に反して寮の部屋は防音設備が完璧らしく、他の部屋に聞こえる心配は無用でした。
それはそれとして、初めての体験にわたしはビックリしていましたけど、いつも通り平然とした一色くんは、すぐに立ち上がって告げたのです。
「学院長室に行くぞ」
わたしとしては理由を知りたかったですが、彼は有無を言わさぬ迫力を発していました。
やむを得ず首を縦に振って、急ぎ足で夜の校舎へと。
そのまま階段を上り、挨拶もそこそこに入った学院長室には、わたしたちの他にも天羽さんと一葉ちゃん、光凜さんの姿がありました。
そんなわたしたちと対面するように、学院長は執務机に着いており、背後には橘先生が控えています。
共通しているのは、全員が硬い面持ちを浮かべていること。
この時点で嫌な予感がしていましたが、それは学院長が口を開いたことで、現実となりました。
「天羽陣営の『参言衆』が、魔族に敗北した」
「え……!? ど、どう言うことですか……!?」
「落ち着いて、無明さん。 まずは学院長の、お話を聞きましょう」
「あ……す、すみません、橘先生……」
驚きのあまり、取り乱してしまいました……。
ですが、天羽さんは拳を固く握り締め、口を引き結んでいます。
本当は、誰よりも今すぐ問い質したいんでしょうね……。
彼女が我慢しているのに、わたしが足を引っ張る訳には行きません。
1つ深呼吸して、平静を取り戻しました。
そのことに気付いたのか、学院長は一瞬だけ微笑んでから、厳かに言葉を紡ぎます。
「白河からの報告によると、相手は3人だったらしい。 『十魔天』ではないが、これまでに出現したどの魔族より、圧倒的に強力な者たちだ。 オマケに、彼女たちの言魂を調べた上で、最適の相手を選んだらしい。 長期の任務で疲弊させたのも、策略の1つだったと考えられる。 詳細はあとで資料として渡すから、必ず目を通すように」
「と言うことは、学院長の【聡明叡智】が破られたのですか?」
「破られたと言うよりは、隙を突かれたと言ったところだ、神代。 儂の【聡明叡智】も万能ではないことは、知っているな? 恐らく敵は、その繋ぎ目を狙ったのだ」
「それにしても、完璧に読まれるなんて……。 どうやったんだろ?」
「九条、詳しいことはわからんが、可能性としてはパターンを掴まれたのかもしれん」
「パターン、ですか……?」
「そうだ、無明。 発動のタイミングは、なるべく不規則にしていたつもりだが……儂も人間だ。 どうしても、生活のリズムをある程度は保つ必要がある。 体調を崩してしまっては、元も子もないからな。 そこに付け入る隙がなかったとは言い切れん」
学院長の説明を受けて、多少は事態が飲み込めて来ました。
それはそうと、正式に学院の生徒になったからか、夜宵とは呼ばないんですね。
わたしとしても、公私混同は避けたいので、その方が助かりますけど。
しかし、まだ肝心なことを聞いていません。
そのことに言及するべきか、迷っていると――
「美紗たちは無事なのですか?」
天羽さんの、真っ直ぐな声が響きました。
反射的に振り向いた先に立っていた彼女の顔には、毅然とした面持ちが浮かんでいます。
でも……それが強がりだと言うことくらいは、わたしにもわかりました。
一葉ちゃんと光凜さん、橘先生の表情も険しくなりましたけど、一色くんは全くの無表情。
冷たいですね……。
少々寂しくなりましたが、今はそれどころじゃありません。
どんな答えが返って来ても受け止められるよう、心積もりしていたわたしに、学院長は数瞬瞑目してから言い放ちました。
「生きてはいる」
その言葉を聞いたわたしは喜びそうになりましたが、それは早計だったようです。
「ただ、傷は深い。 白河と桐生も相当だが、早乙女の容態が特に深刻だ。 彼女に関しては、生と死の狭間にあると言わざるを得ん。 回復系統の言魂士を総動員しているが、それでも持ち直す保証はない」
「そんな……」
口を挟まないつもりだったのに、つい声に出してしまいました。
一色くん以外の人たちの顔も更に強張っていますが、辛うじて受け止めようとしているのがわかります。
わたしだけ、情けないですね……。
このようなことでは、実力云々以前に特務組に相応しくありません。
胸に右手を当てて、辛い気持ちに蓋をしました。
今は嘆くより先に、やるべきことがあります。
そう考えていたところに視線を感じて、目を転じると橘先生が苦笑気味に頷きました。
なんだか恥ずかしいですが、これで良かったんでしょうか……?
曖昧な気持ちのまま躊躇いがちに会釈し返すと、彼女はますます苦笑を深くしましたが、次の瞬間には真剣な顔付きで口を開きます。
「天羽さん、九条さん、神代さん、貴女たちに任務を与えます」
橘先生の言葉を聞いて、3人が居住まいを正しました。
わたしもつられて背筋を伸ばしたのは、内緒です。
若干のいたたまれなさを感じつつ、続きを待っていると、橘先生は小さく息を吐いてから告げました。
「内容は、早乙女さんたちが遭遇した魔族の討伐。 出現場所は、前回と同じ。 時間は……」
そこで区切った橘先生が、学院長に目を向けます。
対する学院長は鷹揚に頷き、重々しい声で宣言しました。
「明日の朝8時頃だと、【聡明叡智】で判明している」
「明日の朝……。 ほとんど間隔を開けずに、攻めて来るのですね」
「そうだな、天羽。 それにどのような意味があるかは、現時点では不明だ。 そこで、無明と一色には別の任務を与える」
「は、はい……!」
ここに呼ばれた以上、何かしら役割はあると思っていましたが、具体的なことは想像も出来ません。
緊張を誤魔化すように、隣の一色くんをそれとなく窺うと、憎たらしいまでにいつも通りでした。
人がこんなにも焦っているのに……。
ですが……そんな彼を見ていると、取り乱すのが馬鹿らしくなります。
不本意ながら落ち着きを取り戻したわたしは、平静を保った状態で任務の詳細を聞きました。
「天羽たちが魔族討伐に向かっている間、首都の防衛に当たれ。 他の特務組も動かせん現状、かなり守りが手薄になるからな。 今のところは敵襲の気配はないが、それも絶対ではない」
首都の防衛……。
正直なところ、わたしに務まるのか不安です。
しかし、母上も過去に何度もヒノモトを救ったと聞きました。
その娘であるわたしが、逃げ出す訳には行きません。
胸に当てていた手をギュッと握り、心を覆い尽くそうとする暗雲を振り払って、力強く宣言します。
「はい、お任せ下さい」
「……良い返事だ。 一色、お前はどうだ?」
気のせいか、挑発的に問い掛けた学院長。
それを受けた一色くんは眉根を寄せ、溜息をついてから小声で言い放ちました。
「出来ることはする」
「ははは! そうか、そうか。 では、頼んだぞ」
何が嬉しいのか、学院長は上機嫌に笑いました。
状況をわかっているのか、甚だ疑問です。
思わず失礼なことを思ってしまいましたが、わたしに非はないんじゃ?
天羽さんたちも少なからず思うことはありそうで、橘先生がわざとらしく咳払いしました。
それを聞いた学院長はハッとした表情になり、次いで厳格な顔を作ります。
いや、今更遅いと思いますけど……。
わたしと天羽さん、一葉ちゃんと光凜さん。
4人からジト目を向けられた学院長は頬を引き攣らせつつ、強引に話を纏めました。
「と、とにかく、そう言うことだ。 今日はひとまず自室に戻り、天羽たちは早朝に出発してくれ。 無明と一色は、いつでも動けるように備えておけ」
「……わかりました」
返事をしたのは、わたしだけでした。
それでも命令自体は受け取ったらしく、天羽さんたちは一礼してから学院長室をあとにします。
わたしも続こうとしましたが、一色くんが動いていないことに気付きました。
何かあったんでしょうか?
疑問に思いましたけど、だからと言ってここで待つのもおかしな話。
後ろ髪を引かれる思いを断ち切って、部屋の外に出ました。
するとそこには、天羽さんたちが集まっています。
真剣な顔を突き合わせて、緊迫した空気が流れていました。
声を掛けるのは、やめた方が良さそうですね……。
1歩離れた場所から様子を窺っていると、口火を切ったのは光凜さんと一葉ちゃん。
「確認しておくわよ、四季さん。 まさか、陣営の仇を取ろうなんて考えていないわよね?」
「今回の相手は結構ヤバそうだし、そう言う余計な感情は命取りだよ?」
切れ味鋭い、2人の言葉。
わたしも同じことを思わなくはないですが、もう少し言い様はなかったんでしょうか……。
それこそ、そんな甘い考えを持つこと自体が駄目なのかもしれませんけど、天羽さんの気持ちを考えると……。
ところが彼女は、鼻で笑い飛ばして言い返しました。
「ふん、当然だ。 わたしはそのようなことで、我を失いはしない」
腕を組んで、居丈高に宣言する天羽さん。
出任せなどではなく、間違いなく本心だと思わされました。
そのことを頼もしいと思うと同時に、寂しくも感じます……。
早乙女さんたちは天羽さんを慕っているようでしたが、彼女はそうじゃないんでしょうか。
やり切れない思いを抱えたわたしは、俯いてしまいましたが――
「それに美紗たちは、充分に働いた。 不利な状況にも負けず、生きて情報を持ち帰ったのだ。 そんな彼女たちを、わたしは誇りに思う」
天羽さんの真意を聞いて、目を見開きました。
顔を振り上げて彼女を見ると、優し気な微笑を浮かべています。
天羽さんは心の底から、早乙女さんたちを想っているんですね……。
そのことをようやく悟ったわたしは、なんて愚かなんでしょう。
猛烈に恥ずかしいですけど、嬉しくもなりました。
しかし、一葉ちゃんたちの追及はまだ終わっていません。
「まぁ、確かにね。 でも、早乙女は死にかけてるんでしょ? ホントに死んじゃっても、同じことが言える?」
「猪娘の言う通りよ。 四季さん、その場合でも貴女は、揺るがないと言い切れるのかしら?」
2人とも、それはあんまりです……。
早乙女さんが亡くなるだなんて、考えたくもありません。
ですが……実際に危険な状態なんですよね……。
そのことを考えれば、懸念材料としては妥当かもしれませんけど……。
不安に思ったわたしが改めて天羽さんを見ると、流石の彼女も顔が強張っていました。
当然です。
わたしが彼女なら、泣いていたかもしれません。
それでも『肆言姫』の矜持は、絶対的なものでした。
「美紗は生き残る。 そして、万が一のことがあったとしても、わたしはわたしの使命を全うすると誓おう」
その誓いは、誰かに対してと言うよりは、自分に立てているように聞こえました。
だとしても、嘘偽りはありません。
そんな天羽さんの姿が、わたしにはとても誇り高く見えました。
ある種の感動を覚えていましたけど、一葉ちゃんと光凜さんの面持ちは厳しいままです。
まだ納得出来ないんでしょうか……?
見ていられなくなったわたしは、今度こそ割って入ろうとしましたが、それは余計なことだったようです。
「安心したわ。 これなら、背中を任せられるわね」
「あたしは最初から、心配なんかしてなかったわよ。 四季ちゃんなら、絶対大丈夫って思ってたから!」
胸に手を当てて、柔らかく微笑んだ光凜さん。
頭の後ろで手を組んで、快活に笑った一葉ちゃん。
どうやら、彼女たちもわかっていて試したようですね……。
この辺りは、彼女たちが『肆言姫』であるが故の責任と、同じくらいの信頼を持っているように思えます。
別の陣営とは言え、根本の部分では仲間意識があると言う証左。
少しばかり羨ましくなりましたけど、わたしもこれから少しずつ、彼女たちの輪に入って行けるように頑張りましょう。
すると、密かに決意を固めていたわたしに、一葉ちゃんが突然振り向きました。
切迫した雰囲気で、何を言われるのかと身構えていると、彼女は重々しく言葉を紡ぎます。
「夜宵ちゃん、気を付けてね」
「あ……は、はい。 初めての任務ですし、何か起きるかどうかも定かじゃないですけど、油断せず精一杯頑張って――」
「違う違う、そうじゃないって」
「え?」
そうじゃない?
そうじゃないって、何ですか?
本気で訳がわからず小首を傾げていると、光凜さんと天羽さんが続きました。
「一色くんとペアで動くのでしょう? 変なことをされたら、斬って良いわよ」
「甘いぞ、神代。 事前に芽を摘む為にも、今のうちに始末しておくべきだ」
「そうね、四季ちゃん。 いっそ、学院長室を出て来たところを狙おっか!」
何を考えているんですか……!?
その言葉が脳内を駆け巡りましたが、突拍子もなさ過ぎて、口をあんぐりと開けてしまいました。
しかし、放っておくと本当に実行しかねないほど、3人とも魂力を高めています。
無駄に張り切らないで下さい……!
必死に体のコントロールを取り戻したわたしは、強引に口を動かして止めに入りました。
「し、心配してくれて、有難うございます……! ですが、安心して下さい……! 一色くんが、わたしに手を出すなど……あ、あり得ませんので……!」
体の前で両手をブンブン振りつつ、舌を噛みそうになりながら、早口で捲し立てました。
こ、これで収まってくれると良いんですけど……。
そう願いましたが――
「何を言っている! 一色は恐らく……いや、間違いなく無明を狙っているぞ!」
「へ……!?」
「そうよ! あのムッツリ、やたらと夜宵ちゃんに優しいし!」
「そ、それは……その……」
「少なくとも、好意的には思われているでしょうね」
「こ、好意的……」
天羽さん、一葉ちゃん、光凜さんから連続で投げ掛けられた言葉を、わたしは上手く処理することが出来ませんでした。
たぶん朱に染まっているだろう頬に両手を当てて、視線を落としてしまいます。
体温も少々高くなっているように感じるのは、気のせいでしょうか?
落ち着きを失って、体がモジモジするのを止められません。
こ、困ると言うことはないですが、嬉しいとも違うと言いますか……は、恥ずかしいです。
一色くんがわたしに好意を持って、狙っている……。
言葉にすると現実味がありませんけど、もし本当にそうだとすれば……どうしたら良いんですか……?
い、いえ、わたしが決めるしかないんでしょうけど……。
頭が混乱して、目が回りそうです……。
で、ですが、ここは踏ん張らなければ……!
「と、とにかく、お互い頑張りましょう……! 一色くんのことは、放っておいて下さい……! 失礼します……!」
「あ、逃げた!」
「あの反応……怪しいわね」
「待て、無明!」
待ちません……!
脱兎の如く逃げ出したわたしは、階段を駆け下りて1階に辿り着きました。
チラリと背後を見た限り、追って来ている様子はありません。
そのことにホッと胸を撫で下ろしましたけど、実のところ1人になりたかったのには理由があります。
呼吸を整えて神経を集中させ、魂力を探りました。
一言で魂力と言っても十人十色で、わたしは1度会ったことのある人なら識別出来ます。
範囲はそこまで広くありませんが、学院の敷地くらいなら問題ありません。
瞳を閉じて更に集中すると、さほど時間を掛けずに目当ての人物が見付かりました。
学院にはいくつかの医務室があるのですが、その中でも最も広く、設備が充実しているところですね。
迷いなく足を踏み出したわたしは、なるべく静かに廊下を進みます。
割と近かったのですぐに到着すると、入口に女性の言魂士が立っていました。
こちらに気付いた彼女は一瞬瞠目し、次いで疎ましそうな目を向けて来ます。
チクリと胸が痛みましたが、敢えて平然と声を発しました。
「面会しても良いですか? 少しで良いです」
「……『無字姫』が『参言衆』に面会? 立場を弁えたら? 特務組に入ったからって、調子に乗らないで」
「そのようなつもりはありません。 ただ、この目で無事を確認したいだけなんです」
「ふん……面会も何も、彼女たちは気を失っているのよ。 邪魔だから帰って」
「その方が都合が……コホン……ほんの数分だけ、許してくれませんか? お願いします」
深々と頭を下げて、願い出ました。
こちらから相手の顔は見えませんが、迷っているのが伝わって来ます。
駄目なら駄目で仕方ありませんけど……どうか、今回だけは見逃して下さい。
体勢を変えないまま内心でも頼み続けていると、ようやくして大きな溜息が聞こえて来ました。
それでも顔を上げないわたしに、女性はつっけんどんに言い放ちます。
「5分よ。 それと、二度と来ないで」
「わかりました、有難うございます」
許しを得たわたしは頭を上げてから、もう1度一礼します。
女性は複雑そうな顔をしていましたが、今は構っていられません。
時間がありませんからね。
音を立てないように引き戸を開けて、医務室に入りました。
中には3つのベッドが置かれ、早乙女さんたちが寝かされています。
眼帯を外された早乙女さんの顔は非常に可愛らしく、思わず感嘆の息をこぼしてしまいました。
あ……そんな場合じゃありません。
すぐに意識を切り替えて、改めて容態を確認します。
聞いていた通り早乙女さんが深刻で、かなり危うい状態。
白河さんも全身を包帯で覆われて、痛々しい火傷が見えました。
このままでは、跡が残ってしまうかもしれませんね……。
桐生さんの腕も、完全には元通りにならない可能性があります。
その事実を重く受け止めるとともに、戦い抜いた彼女たちの勇ましさを称えたいと思いました。
もっとも、わたしにどう思われても、彼女たちは気にしないでしょうが。
特に桐生さん。
それでも、ここで彼女たちを見捨てたら、一生後悔すると思うんです。
だから……申し訳ありません、母上。
使います。
意を決したわたしは目を瞑って深呼吸を繰り返し、懐からある物を取り出しました。
雷雲が轟く曇天の下に聳え立つ、ガイゼルの居城。
玉座の間に、エニロとゾース、ミンは訪れていた。
彼らから報告を受けたガイゼルは、しばし無言でワインを飲み続けていたが、おもむろに口を開く。
「計画に変更はなしだ。 エニロの言う通り、予定通りに行くぜ」
「かしこまりました」
「今度の相手は、いよいよ『肆言姫』だな。 腕が鳴るぜ!」
「やる気になるのは良いけど、空回りしないでよ?」
ガイゼルの指示を受けて、即座に一礼するエニロ。
獰猛に笑って、拳をゴキゴキ慣らすゾース。
そんな彼を窘めつつ、自身も嗜虐的な笑みを浮かべるミン。
配下たちの姿にニヤリとしたガイゼルは、ワインをラッパ飲みにしてから、言葉を付け足した。
「俺の読みが正しけりゃ、『肆言姫』が出て来るのは間違いねぇ。 1人は動けねぇから、残りの3人全員だろうな。 頼んだぜ? 奴らを抑えられるかどうかが、勝負の鍵なんだからな」
「心得ています。 このエニロ、必ずやご期待に応えてみせます」
「俺だってそうだぜ! ガイゼル様、任せて下さい!」
「あたしも久しぶりに本気を出せそうだし、楽しみだわ」
「くく、頼もしいな。 じゃあ、そろそろ準備しとけ」
「はい、ガイゼル様。 ゾース、ミン、行くぞ」
そうして、エニロたちは玉座の間を去る。
1人残ったガイゼルは、背もたれに体を預けて大きく息を吐いた。
次いで、再びワインを飲み始める。
暫くそのような時間が続いたが、間もなくして空になった瓶を投げ捨てた彼は、邪悪な笑みで言葉をこぼした。
「あいつらに『肆言姫』の相手は厳しいだろうが、別に勝てなくても良い。 駒を失うのは痛いけどよ、目的を果たせるなら安いもんだ」
配下として付き従うエニロたちを、駒と言い切るガイゼル。
そんな彼を冷酷だと非難するのは簡単だが、だからこそ彼は『十魔天』の地位にまで上り詰めた。
言動に反して智謀に長けているガイゼルは、あらゆる手段を用いて戦果を挙げ続け、魔王に認められるまでに至っている。
しかし彼は、満足しなかった。
『十魔天』などと一括りにされることに、嫌悪しているとすら言っても良い。
だからこそ今回の計画を実行に移し、1歩抜きん出ようとしている。
欲深いと言う見方もあるだろうが、実際に現状はガイゼルの思惑通りに進んでいた。
ところが、彼は知らない。
厳密に言えば情報としては入手しているが、その重要性に気付いていなかった。
最近、特務組に配属された2人が、どれほどの脅威かと言うことを。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
次回、「第25話 命の重さと心の選択」は、21:00公開予定です。
読んでくれて有難うございます。
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