愛さないで

くるみ

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05,

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 兄が家に帰ってきて一週間が経った。
 一時は叫び声や怒鳴り声が家中に響き渡っていたけれど、今はそれが嘘だったのではないかと思ってしまうほどにとても静かになった。
 夜を除いて。

 毎晩兄の部屋から女の声が聞こえる。
 時には甘い声で兄の名前を呼ぶ声が。
 時には物が壊れる鈍い音が。
 時にはヒステリックな女の声が。
 時には機会じみた泣き声が。

 聞いてるこっちが狂ってしまいそうな程に毎晩毎晩必ず情緒不安定な女の声が聞こえてくる。

 さっさとこの家から出て行きたい。
 そう願った時に父から呼び出された。
 父から呼び出されるのは滅多にない。
 兄の行方意不明を聞いた時以外に呼び出された記憶がない程には父は私に無関心だった。
 そんな父から呼び出されて何の用かと考えたが、直ぐに分かった。恐らくグリフィード侯爵の事だろうと。
 父にももう話がいっているのかもしれない。

 最初、あの紙を見た時は結婚は絶対に嫌だと考えていた。
 けれども裏面を見てしまったからには嫁いでしまった方が楽だと思えてしまう。
 あの家に嫁いだところで私は侯爵様から愛されることはないはず。なにせあの家には国中から探し出した美女が五万といるのだから。
 私は生憎父似の可愛げのない顔に肉のついていない鶏がらのような体。侯爵様の目に留まるはずもない。
 普通、嫁いだ先で主人に愛されなければ蝶よ花よと育てられた純粋無垢な令嬢は悲しみに暮れるだろう。
 けれども私は『愛情』と言うものに嫌悪感を持っている。
 母親と兄の異状性癖を他人から聞かされ、さらには祖父と母親の不倫までも。そして兄は不倫の末に死に、
 はっきり言って私の周りには穢れた『愛情』しか無かった。
 純粋な『愛情』など一ミリも知らずに育った。
 今、その純粋な『愛情』が欲しいか?と聞かれても首を横に振る。
『愛情』と言うもの全てに極度の不快感を覚える。
 例えそれが友情による『愛情』でも、夫婦による『愛情』でも、家族による『愛情』でも。なんでも。

 だから、愛されることの無い夫婦生活なんて私にはこの上ない幸せ。
 たとえ嫁いだ先で虐げられたとしてもそんなのなれているので全然平気。
 ただただこの家に送り返されない事だけを願う。



 ◆◆◆


 指定された時間に父の部屋に行けば少しやつれた父がいた。
 父の額には二週間ほど前に作った傷がまだ完全には癒えていなかった。
 ほかにもいつ作ったのか知らない傷がチラホラと顔を出していた。
 あの女がヒステリックに喚く度に父は止めに入っていたので恐らくその時に出来たのだろう。

 父の傷を見ながら父の座る椅子の前まで歩いた。


「お待たせしてしまい申し訳ありません。話とはどのような話でしょうか。」


 目の前まで歩き、立ち止まり感情を押し殺して声を出した。
 父を近くで見るとよりやつれて見えて、少し同情してしまう。
 結婚した相手が自分の父親と不倫していた上に自分の息子にまで手を出していただなんて。
 哀れみの感情が湧いてくると同時に怒りが湧いてくる。
 父は私の虐待に気付いていた。なのに、一切助けてはくれなかった。いつも見て見ぬふり。
 助けを求めた時に目をそらされたあの時の絶望は今でも忘れていない。

 今、少しでも気を抜けば目の前にいる男に「ざまぁみろ」と口汚く罵ってしまいそうになる。


「一ヶ月後にグリフィード侯爵家に嫁いでもらう。異論は一切認めない」
「分かりました。話は以上ですか?  以上ならばこれで失礼させていただきます」


 父も私同様に抑揚なく話した。
 鋭い視線を私に向け、だけれども、私が映っていない奥底まで真っ黒な瞳。
 父はいつも通りの目を私に向けた。
 あの目を見ると昔の事を思い出してしまう。

 罵ってしまう前にとっとと部屋を出た。
 あの女のように私は人を罵るような人間にはなりたくもない。


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