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七海さくら/浅海咲也(同一人物)

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01. 晴れの日

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 六月の花嫁は幸せになるという。
 現実的な割に意外な所でロマンチストの彼女は、どうしても六月に結婚式を挙げるのだと言い張り、とうとうそれを実行してしまった。
 梅雨の晴れ間と呼ぶべき晴天に恵まれた、六月吉日。
 純白のドレスに身を包み、控え室で友人たちに囲まれながら幸せそうに笑う新婦を見つめる彼女の弟の心の中は、いろいろな感情が入り交じっていた。
 姉の名は、静香しずかという。
 そのおとなしやかな名前とは裏腹に、心身共にかなり男前な彼女は、両親が亡くなってからの九年間、弟である遥香はるかを守ってきてくれた。
 その静香と結婚して義兄になるのは、遥香も良く知る人物だった。
 十年来の静香の友人にして、二年前からは遥香の家庭教師も務める、市村知則いちむらとものり
 静香の高校時代のクラスメイトである知則は、二人の姉弟しか残されていない篠宮しのみや家の事情もほとんど知っている人物なのだ。
 十歳離れた姉が苦労してきた事を、遥香は知っている。ずっと見てきた。
 だから、静香は誰よりも幸せになる権利があると思う。
 知則なら、大丈夫。きっと、静香を大切にして、守ってくれる。
 そう、信じてる。
 恋人として紹介され、家庭教師までしてもらって、知則の人となりは分かってる。伊達に、六年以上も付き合ってる訳じゃない。
 だけど。
 静香と知則から結婚の報告をされた時。
 やっぱり、と思って。ホッとして嬉しかったのと同時に、心が、チクリと痛んだ。
 喜ぶべき事なのに、少なからずショックを受けている自分に、遥香は驚いた。
 そして、何にショックを受けているのか分からないまま、今日を迎えてしまった。

「遥香」

 名前を呼ばれて、先程まで静香の周りにいた彼女の友人たちの姿がなくなっている事に気が付いた。

「あれ……。今、友達いなかったっけ?」
「うん。もうすぐ時間だからって、出て行ったよ」
「あ、そっか」

 静香の夢だった、ジューン・ブライド。
 その夢が、今日、叶う。
 支度を終えて椅子に座り、微笑む静香は、弟の遥香から見ても綺麗だった。
 本人たちに自覚はないけれど、美形姉弟として近所でも有名な篠宮家の姉・静香のウエディングドレス姿だ。身内の欲目だけではなく、遥香でなくても『綺麗』という賛辞を贈る事は、ほぼ間違いないだろう。
 黒曜石の瞳、細くキリッとした眉、うすい唇の小さな口。それぞれのパーツが、小さな顔にバランス良く綺麗におさまっている。
 額を覆う黒髪はクセが無くまっすぐで、まるで絹糸のような艶だった。
 その静香の顔を少し幼くすると遥香の顔になると言っても過言ではない程、この姉弟は似ている。
 一言付け加えるなら。姉弟は、明らかに、美形で評判だった父親似なのだ。
 花嫁の弟としてそれなりに正装している遥香も、文句無く綺麗だった。
 ただし。
 今日の遥香には、とんでもない役目が待っているのだが。

「ごめんねぇ、遥香。一緒にバージンロード歩くなんてワガママ言って。怒ってる?」

 そう。本来、父親が共に歩くべきバージンロード。その存在を九年前に失っている静香は、遥香と一緒に歩くと言い出したのだ。
 最初は、とんでもない、恥ずかしいと言って断固拒否した遥香ではあるけれど。他にやり方があるだろうとか、チャペル式じゃなくても良いだろうとか。そんな言い訳は通用しなかった。
 結局、たった一人の姉の頼みとあっては、最終的には頷かない訳にはいかないのだ。
 つまり、それくらいには、遥香も静香の事が好きで。静香の笑顔が見たいのだ。

「でも。ホントに、知則が私の相手でいいの?」
「何言ってんの。そんなの、オレが決める事じゃないでしょ。静香が選んだ人だろ? 自分を信じなよ」
「うん」

 遥香の言葉に、静香は綺麗に微笑んで頷いて見せた。
 遥香が初めて知則に会ったのは、六年前。小学五年生になった春だった。
 新学期が始まってすぐの日曜日。静香に、紹介したい人がいると言われて引き合わされたのが、知則だった。
 特に美男子という訳ではないけれど、とても優しそうなお兄さん。
 それが、最初の印象だった。
 長身であるのに、内面の穏やかさが滲み出ているのか、威圧感は全く無かった。
 極端に人見知りをする遥香が緊張する事なく話せた人は、もちろん姉の静香を例外として、知則で二人目だった。
 高校受験を控えた中学三年生の頃から、週三日ペースで家庭教師をしてもらうようになり、それは遥香の希望もあって現在も続いている。

「知則さんになら、静香を任せられる。オレは、そう思ってるよ」

 ふわりと微笑んで、遥香が言った時。
 コンコンとノックがして、控え室のドアから顔を出したのは。

諒也りょうや

 篠宮家が入居するマンションのオーナーにして、遥香と同い年の緒方諒也おがたりょうやだった。どちらかと言えば小柄な部類に入る遥香と違い、程よく筋肉のついた、すらりとした長身をのぞかせる。
 柔らかそうな茶色の髪と鳶色の瞳が、整った顔立ちを優しく引き立てている。人当たりの良い社交的な性格が、そのまま滲みだしているようだった。
 現役高校生でマンションオーナーの肩書きを持つのには理由がある。
 諒也が高校に入学した、昨年の夏。
 緒方夫妻は、一人息子の諒也を残して、事故で亡くなった。
 万が一の事態を考えていた緒方夫妻が遺言状を作成して弁護士に預けてあったらしく、相続に関しては大きな問題もなくスムーズに話が進んだらしい。
 マンションの最上階に一部屋だけ存在するメゾネットタイプの部屋は、現在も緒方の表札を掲げている。
 叔父を後見人として必要とするものの、3LDKのその部屋で、諒也は一人暮らしをしている。
 ちなみに、三階にある篠宮家の間取りは、2LDKである。
 篠宮家は、遥香が幼稚園の年中組の時に、家族で越してきた。
 全部で18世帯の家族が入居するそのマンションの中で、同年代の子供がいるのは両家のみという理由から、篠宮家と緒方家は家族ぐるみでの付き合いだった。
 遥香と諒也は、いわゆる幼なじみだ。
 同い年の遥香と諒也は、幼稚園から中学三年生まで同じクラスというくされ縁ぶりを発揮していた。
 同じ高校に進学して最初の年はクラスは離れたものの、二年生となった今年、二人は再び同じ教室で机を並べている。
 それこそ、家族よりも長い時間を一緒に過ごした相手、なのだ。

「静香さん、そろそろ時間。遥香も」
「あ、うん」

 諒也の言葉に頷いて、遥香は少し緊張した表情を見せる。

「なに頼りない顔してるんだよ? 結婚するのは静香さんであって、遥香じゃないんだぞ?」
「そうだけどさ……」

 からかうように宥めるように、諒也がポンポンと軽く頭を叩くのを、遥香は苦笑で受けとめた。
 分かってはいるけれど。それでも、緊張する。
 一生に一度の、静香の結婚式。
 その結婚式に、脇役とは言え役割を与えられて参加する形になる。
 それでなくても、遥香は今まで極力目立たない人生を送ってきたのだ。
 開き直ったと言葉にしてはいても、ほんの少し荷が重い。

「大丈夫だって。役目が終わる所で、俺も待ってるから。気楽に頑張ってこい」

 安心させるように穏やかに微笑む諒也に。

「うん」

 遥香はふわりと微笑して頷いて見せた。


 開け放たれた重厚なドアの向こうへまっすぐに続く、赤い絨毯が敷かれたバージンロード。その行く先に、白を貴重としながら淡いブルーを差し色に使ったタキシードに身を包んだ知則が、緊張した面持ちで立っている。
 その、知則のもとへ。
 花嫁の静香の歩調に合わせて。一歩一歩。ゆっくりと。
 席を埋める人々の祝福に包まれながら、歩いてゆく。
 近付いてゆくにつれ、緊張だけだった知則の表情に、少しずつ優しい笑みが浮かんでくる。
 知則の微笑を間近に見て、静香と組んでいた腕を外す。
 そのまま静香は知則の方へ歩み寄り、知則が差し出した腕に手を添えた。
 一段高くなった壇上で待っている神父の前へと進み出る新郎新婦の姿に周囲の視線が集まる中、役目を終えた遥香は、彼にあてがわれた親族席へと向かう。席に着いた遥香の隣には、微笑む諒也がいた。
 お疲れ様、と小さく囁かれるのに、遥香はふわりと微笑んで見せる。
 厳かな空気の中、賛美歌が流れ、やがて神父による聖書からの言葉が語られる。
 滞りなく進んでゆく式の中、遥香はただ、ぼんやりと前を見つめていた。
 誰よりも大切な、姉の結婚式。
 式は、始まったのに。
 まだ、心の違和感が拭えない。トゲが刺さったみたいな、痛みが消えない。
 どうしてなんだろう。
 心が痛む理由なんか、何もないのに。
 誰よりも、静香の幸せを望んでいた。
 今の遥香とほとんど変わらない歳で、保護者を失い、七歳の遥香をかかえて。
 どんなに苦労したことだろう。
 篠宮家には親戚がなかったから、静香の頑張りと諒也の両親の厚意がなかったら、遥香は施設へ入る事になっていたかもしれないのだ……と。後日、近所の噂で知った。
 口さがない、無責任な噂話。
 知ったのは、偶然だった。
 夕食の買い物のために、諒也と、諒也の母親と三人で訪れたスーパーで。
 新しいノートを選ぶために、一人で文具売場にいた時だった。さほど高くない棚の向こう側から、声が聞こえた。それだけだったら気にも止めなかっただろう。
 けれど、『緒方』と『篠宮』の名前が出たことに反応せずにはいられなかった。

───緒方さんもねぇ。お人好しというか、何というか。
───あれでしょう? 篠宮さんのトコの……。
───そうそう。確かに、綺麗な姉弟なんだけどねぇ。
───施設に入るはずだったんですって?
───お姉ちゃんの方は全寮制の高校で、弟クンの方が施設。なんでも、見たことも聞いたこともないような親戚が来て、仕切ってたらしいわよ。
───あら。篠宮さんって、親戚はいないって言ってなかった?
───だから。繋がってるかどうかも分からないような自称血縁者らしくて、お姉ちゃんが怒っちゃったらしいわよ。絶対、言いなりになんかならない、って。
───それで、緒方さんが?
───そう。身元引受人っていうの? 保証人っていうのかしら。とにかく、それになったおかげで、篠宮姉弟は今の状態でいられるんですって。
───まだ、あんな子供なのに。あの子たちも大変なのねぇ。

 当事者がいないと思って交わされる、残酷なほど無責任な会話。
 まだ七歳だった遥香には、聞いた内容を全て理解することはできなかった。だけど、子供にも理解できることだってある。
 息が、詰まった。
 遥香の知らない所で、みんなが遥香を守ってくれていた。
 自分は、諒也の母親に対してでさえ、怯える時があるというのに。
 何の見返りも求めず、愛してくれた。
 母親から愛を与えられることの無かった遥香には、愛され方が分からなかった。
 愛し愛されることに臆病だった。
 心を許すようになる前に、優しかった緒方夫妻は逝ってしまった。
 だからこそ。
 静香には、幸せになってほしい。
 心から、そう思っているはずなのに。
 どうして、純粋に祝福できないのか。

「では。誓いの、キスを」

 促され、新郎が新婦のヴェールをあげる。
 恭しいキスが交わされた瞬間だった。
 待ち構えていたように、たくさんのフラッシュがたかれる中で、遥香の胸が、ズキリと痛んで。
 ポロリ、と涙が零れた。

(あ………)

 分かった。
 今、分かってしまった。
 遥香は、あの人が好きだったのだ。
 今日、静香と結婚して義兄になった知則がずっと好きだったんだ。
 笑ってしまう。
 今まで、自分の気持ちになんか、全然気付かなかった。
 唐突に、それこそ降って湧いたように自覚させられた、自分の想い。
 気付いた瞬間に失恋だなんて、もう、笑うしかないじゃないか。

「……遥香?」

遥香の涙に気付いた諒也が、心配そうに顔を覗き込んでくる。

「うん……」

 諒也の方へ向けた顔は、泣き笑いのような表情になっていた。
 静香の友人で、泣いている人もいる。

「少しだけ。……ちょっとだけ、だから」

 遥香が泣いても、おかしく思われないだろう。
 姉の結婚式に感動する弟。
 周囲からは、そう見てもらえるはず。
 だから。
 男としては、情けない、とは思うけれど。
 今日だけ。今だけ泣かせてほしい。
 諒也の大きくて優しい手が、遥香の小さな頭を包むようにポンポンと叩く。

「……良かったな」

 退場する新郎新婦を見送りながらのコメントだった。諒也でさえ、遥香の心の内側の苦しみには気付いていない。

「……うん」

 だから、ほんの少しだけ複雑な気持ちで、頷いて見せた。
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