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第3話 祈祷師フロスト
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「王子、失礼します」
衛兵が部屋に入ってくる音で目を覚ます。いつの間にか眠っていたらしい。
窓から柔らかく差し込む西日に思わず顔をしかめた。体調が悪いわけでもないのに一日を不意にしてしまった、そう思うと本当に具合が悪くなりそうだ。僕が目を擦って起き上がるのを、じっと堪えるように衛兵が待っている。
そんな彼の背後からするりと一筋の淡い光が舞い込んできた。
トルテだ。あまりの要領の良さについ歓喜の声が出そうになるが、シッとジェスチャーでたしなめられて飲み込んだ。
さりげなく両手を皿のようにして膝の上に置く。するとトルテは満足そうにそこに収まった。
衛兵にはそれを見ることができない。
トルテの姿はどうしてだか僕にしか見えないのだ。
「城に新たな祈祷師が参りました」
「エッ? 祈祷師は国に一人だけでは……」
「それが……」
「失礼。それは私から説明させてもらうよ」
衛兵の後ろから現れたのは、白髪の男性。
腰まである長い髪は緩く結われ、ゆったりとした白いローブを纏っている。つまり上から下まで真っ白なのだが、屈強な衛兵が子どもに見えてしまうほどに長身なので、威圧感を消すためにはそれでちょうどいいくらいなのかもしれない。
透き通ったアメジストのような瞳が、何もかもを見透かすようにこちらを見て細められた。後ろめたいことなんて何もないのに……自然と、身体が強張ってしまう。
「お初にお目にかかります、ベル王子」
「お前は……?」
「先代の弟子でフロスト、と申します。祈祷師としての修練は十分に積んでおりますゆえ、ご安心を」
前に居た祈祷師の弟子?
こんな雰囲気のある色男がいただろうか。存在感が凄いから一度見たら忘れなさそうだが……考えてみればそもそも祈祷師自体、あまり城に姿を見せることはないのだよな。
儀式のとき以外は山にこもって修練しているのだし、初対面であっても特段不思議ではないか。
フロストは、王子の僕でも見惚れるような高貴な仕草で衛兵にうやうやしく礼をして、部屋に入ってくる。ここまで来たのだから父上からの信頼は得ているのだろう。
しかし僕にとってはまだ正体不明の怪しい男だ。警戒しなければ。
唯一、信じられる仲間のトルテをギュッと手の平で守りながら動向を見守る。
フロストは僕が腰かけているベッドの際を抜けて窓の外を覗いた。城の最上階であるこの部屋は城下町の眺めが良く、反対側の窓からは広大な森も一望できる。
予想通り、フロストはううん、と唸ってこちらを振り向いた。
「素晴らしい眺めですね。美しい国だ」
「ええ。……それでフロストさん、儀式のことは」
「呼び捨てで結構ですよ、王子。ご心配には及びません。儀式の続きはこの私が完璧にやり遂げてみせます」
「……恨んでいないのか? お前の師匠は理不尽なやり方で国外追放されたんだぞ」
今思い出してもあれはひどかった。
父上は聞く耳持たず年老いた老爺を足蹴にして、罵倒し、この国から追い出したのだ。弟子のコイツの恨みを買っていたって何もおかしくはないだろう。
フロストは僕の言葉に少し驚いたように目を丸くして、それから優美に、微笑う。
「……王子はお優しいのですね。人の立場に立って物事を考えられる。ご立派です」
「褒めて欲しかったわけじゃないんだけど……父上への腹いせに僕を暗殺しにきたんじゃないかって疑っているだけ」
「しかも素晴らしい洞察力。ぜひ共に儀式を成功させましょう!」
警戒していると言っている相手に向かっていきなり握手を強要するだろうか。いや、普通はしない、絶対。
それでもフロストは僕の両手を有難そうに抱えて、実にゆっくりと、力を入れて握り込んだ。
それはそう、まるで、じわりじわりと真綿で首を絞めるように。
「私は純粋に王国の繁栄を願っているのですよ」
「そう……。次の儀式で正しい【オトメ】は現れると思う?」
「それはもう必ず! そのためには王子、あなたの協力が不可欠なのですよ」
「……僕の?」
この期に及んでまだ、他人事にしておきたかった自分に気付く。一気に肩にずんとおもりが乗せられたようだった。
だって僕が何をするんだよ。英雄の嫁探しは僕には無関係の筈だろう?
王子である僕の召喚は、ただのミス。事故なのだ。
「きっとあなたであった理由がある筈です。私はそれを突き止めたい」
「ちょっちょっと待ってよ……本当に? 僕が関係あるのか?」
「数いる国民の中で王族のあなただったというのも因果を感じます」
否定できない。しかし、だとすれば王族は何者かに悪意を向けられているということになる。
たとえば父上や僕のご先祖様が誰かに恨まれるようなことをしていたとして、何も知らずに生きてきた僕がそのツケを払わされている、とか……待て、そんな理不尽なことがあっていいのか?
「……まあそう深く考えず。私に委ねなさい。あなたはまだ子供です」
今までこれほどまでに、子ども扱いされて嬉しいことはなかった。
納得するそぶりを見せて正面の椅子をすすめる。フロストは分厚い手帳を取り出してメモを取る用意だ。
「では状況を整理しましょう。あなた自身に心当たりは?」
「まったくない。儀式なんて出なくてもいいかと思っていたくらいだ」
「ジャオ様と面識は?」
「会ったことくらいはある。学校同じだし、なんせ同い年の王族と英雄だしな。でもアイツ、大人しい性格みたいで話しかけても反応薄いんだ……結局打ち解けることはなかった」
「ふむ……」
カリカリとペンが走る。手帳の上をフワフワと揺れる薄群青の羽は本物なのかと気になって身を乗り出すと、フロストが意味深に微笑んで手帳を抱え直した。
もしや中を覗いたと思われたのだろうか。自分で言うのもなんだが僕は育ちが良いのだ。そんなふうに思われるのは心外だ。
「珍しいペンだな」
「鳥が好きなもので」
「青い鳥なんて本当にいるのか」
「おや、ベル様は幸せの象徴をご覧になったことがない?」
クスクスと笑われてなんだか癇に障る。だがこのくらいで機嫌を損ねるのもそれこそ幼稚だろう。中途半端になっていた座り方をあぐらに直して腰を据えた。
「さて。それでは儀式のときのことを。召喚される前に何か異変は?」
「あった。ものすごく体調が悪くなったんだ」
「ほう、どのように」
「なんかこう……体内の上から下までかき混ぜられるような? 気持ち悪かったな……吐き気と頭痛もひどかった。正直死を覚悟した」
「ははあ、なるほどなるほど……」
大げさな相槌が胡散臭い。大体コイツは信用してもいい人間なのか?
儀式に目が眩んだ大人たちは、祈祷師の身内を雇う危険性に気付いているのか。コイツが王族に恨みを抱いていないとしっかり証明できたわけでもないのに。
しかし謎を解明してもらえるなら願ったり叶ったりだ。今は様子を見ながら付き合っていくしかないか。
思考を止めるとまた、無意識に羽の踊る手帳へと目がいく。
「それでは正直にお答えください。あなたは処女ですか?」
「ハッ?」
ごめんちょっと聞いてなかった。羽の透き通った蒼が綺麗だなあと思って。
それでなんだって? しょ? じょ?
「あなたは。処女ですか?」
「しょ、じょって……」
「……性行為をされたことは」
「ない!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
思わず立ち上がってしまった。胃の中から何かがむせ返るような嫌悪感が駆り立てる。性的な知識がないわけではない。だがこうして誰かと共有した経験など皆無だ。
そういうものとは無縁でいたほうが、清廉潔白の身として堂々と国民の前に立つことができると、自分で決めたことであった。押し付けてくる輩ももちろんいない。だからこそ、初対面でいきなり無礼を働く目の前の男に防衛本能が働いた。
「あるように見えるか? 失礼だ!」
「ええ? 幼子でもあるまいし……生殖行為はあなた方の繁栄の根幹でしょう。腫物扱いする方が失礼です」
「…………ッ」
言い返せない。理屈ではフロストの言い分が通っているとわかっている。
でも僕はまだ受け入れる準備ができていないのだ。今まで意識的に、避けて通っていた話題だったから。
大体、どうしてそんな質問をするんだ? これ、俗にいうセクハラってやつじゃないの?
「儀式に必要なことなんです。落ち着いてください」
「ハア!? なんで僕のその、そういうのが」
「英雄一族はオトメ……すなわち【処女】しか召喚しませんからねえ」
むずむずと不快感が血脈を通って全身にいきわたる。手指が痺れる。
ずっと、目を逸らしつづけていたことだった。
僕は【オトメ】として召喚された。すなわち【孕まされる者】と世界にみなされたのではないかと……そういう恐怖感は常にあった。周囲の者もどこかそう言いたげだった。
だけどせめて僕自身は違うと強く信じていないと……それが本当になってしまいそうで、怖かったんだ。
ジャオにあんなふうに謝って欲しくなんてなかった。
残酷な現実に、気付きたくなかったから。
「失礼」
フロストの手が僕の胸の中心にあてられる。存外体温の高い手の平が縋りたくなるような余韻を残しながらゆっくりと下に降りていく。そして下腹部までくると、円を描くようにやさしくひと撫で。
フロストはおもむろに片目だけ開いて、したり顔で……嗤った。
「あなた、孕める身体になってますよ」
「ハッ……!」
急激に呼吸が苦しくなって後ずさる。
激しく背もたれに激突した背中が痛むが、この男から、その言葉から逃れたくて必死で張り付いた。
彼の二の句が僕を僕の知らない場所へ連れて行こうとしている。
僕にはわかる。やめてくれ。
ばかげていると思っても、あの時の作り変えられる感覚が、腹に残った強制力のある温もりが、僕に心から否定をさせてくれない。
「本来、祈祷師の召喚とはそういうものです。異なる世界の者を連れてくる。孕めない身体を孕めるようにする。どちらも目的は一つです。優秀な英雄の遺伝子を残すためだ」
「や、め……」
「あなたが選ばれたんですよ。儀式は成功していた。受け入れなさい」
「やめろっ……! 誰か、誰かッ!!」
衝動に任せて大声をあげると、先程の衛兵が転がり込んできた。部屋の外で待機してくれていたらしい。言わずとも、フロストを拘束して僕から遠ざけてくれる。
「この者を追放しろ!!」
「王族の力を使うのですか、あなたも……今までの王族と同じか……?」
「黙れ!! 黙れ!! 僕は信じないぞ!! お前の言う事なんか!!」
「私はあなた方の国のために」
「連れていけ! この者の声を僕に聴かせるな!!」
激昂した僕を目の当たりにし、衛兵は慌ててフロストを引きずっていった。意外だったのだろう。僕自身こんなふうに取り乱した自分に驚いて、いつまでも呼吸が収まらなかった。
震える手で顔を覆うと、トルテが頭の上に乗ってやさしく髪を撫でてくれる。
幼い頃から母上との関わりも薄かった僕にとってトルテは母のような存在でもある。きっとトルテもそう思っているのだろう。ついに嗚咽を漏らすと、頬にひっついて温もりを分けてくれた。
「トルテ……僕……【オトメ】に……?」
かぶりを振る感触に励まされる。
真実がどうであれ、激しく動揺するこの心をなだめてくれる存在が今はただ、有難かった。
衛兵が部屋に入ってくる音で目を覚ます。いつの間にか眠っていたらしい。
窓から柔らかく差し込む西日に思わず顔をしかめた。体調が悪いわけでもないのに一日を不意にしてしまった、そう思うと本当に具合が悪くなりそうだ。僕が目を擦って起き上がるのを、じっと堪えるように衛兵が待っている。
そんな彼の背後からするりと一筋の淡い光が舞い込んできた。
トルテだ。あまりの要領の良さについ歓喜の声が出そうになるが、シッとジェスチャーでたしなめられて飲み込んだ。
さりげなく両手を皿のようにして膝の上に置く。するとトルテは満足そうにそこに収まった。
衛兵にはそれを見ることができない。
トルテの姿はどうしてだか僕にしか見えないのだ。
「城に新たな祈祷師が参りました」
「エッ? 祈祷師は国に一人だけでは……」
「それが……」
「失礼。それは私から説明させてもらうよ」
衛兵の後ろから現れたのは、白髪の男性。
腰まである長い髪は緩く結われ、ゆったりとした白いローブを纏っている。つまり上から下まで真っ白なのだが、屈強な衛兵が子どもに見えてしまうほどに長身なので、威圧感を消すためにはそれでちょうどいいくらいなのかもしれない。
透き通ったアメジストのような瞳が、何もかもを見透かすようにこちらを見て細められた。後ろめたいことなんて何もないのに……自然と、身体が強張ってしまう。
「お初にお目にかかります、ベル王子」
「お前は……?」
「先代の弟子でフロスト、と申します。祈祷師としての修練は十分に積んでおりますゆえ、ご安心を」
前に居た祈祷師の弟子?
こんな雰囲気のある色男がいただろうか。存在感が凄いから一度見たら忘れなさそうだが……考えてみればそもそも祈祷師自体、あまり城に姿を見せることはないのだよな。
儀式のとき以外は山にこもって修練しているのだし、初対面であっても特段不思議ではないか。
フロストは、王子の僕でも見惚れるような高貴な仕草で衛兵にうやうやしく礼をして、部屋に入ってくる。ここまで来たのだから父上からの信頼は得ているのだろう。
しかし僕にとってはまだ正体不明の怪しい男だ。警戒しなければ。
唯一、信じられる仲間のトルテをギュッと手の平で守りながら動向を見守る。
フロストは僕が腰かけているベッドの際を抜けて窓の外を覗いた。城の最上階であるこの部屋は城下町の眺めが良く、反対側の窓からは広大な森も一望できる。
予想通り、フロストはううん、と唸ってこちらを振り向いた。
「素晴らしい眺めですね。美しい国だ」
「ええ。……それでフロストさん、儀式のことは」
「呼び捨てで結構ですよ、王子。ご心配には及びません。儀式の続きはこの私が完璧にやり遂げてみせます」
「……恨んでいないのか? お前の師匠は理不尽なやり方で国外追放されたんだぞ」
今思い出してもあれはひどかった。
父上は聞く耳持たず年老いた老爺を足蹴にして、罵倒し、この国から追い出したのだ。弟子のコイツの恨みを買っていたって何もおかしくはないだろう。
フロストは僕の言葉に少し驚いたように目を丸くして、それから優美に、微笑う。
「……王子はお優しいのですね。人の立場に立って物事を考えられる。ご立派です」
「褒めて欲しかったわけじゃないんだけど……父上への腹いせに僕を暗殺しにきたんじゃないかって疑っているだけ」
「しかも素晴らしい洞察力。ぜひ共に儀式を成功させましょう!」
警戒していると言っている相手に向かっていきなり握手を強要するだろうか。いや、普通はしない、絶対。
それでもフロストは僕の両手を有難そうに抱えて、実にゆっくりと、力を入れて握り込んだ。
それはそう、まるで、じわりじわりと真綿で首を絞めるように。
「私は純粋に王国の繁栄を願っているのですよ」
「そう……。次の儀式で正しい【オトメ】は現れると思う?」
「それはもう必ず! そのためには王子、あなたの協力が不可欠なのですよ」
「……僕の?」
この期に及んでまだ、他人事にしておきたかった自分に気付く。一気に肩にずんとおもりが乗せられたようだった。
だって僕が何をするんだよ。英雄の嫁探しは僕には無関係の筈だろう?
王子である僕の召喚は、ただのミス。事故なのだ。
「きっとあなたであった理由がある筈です。私はそれを突き止めたい」
「ちょっちょっと待ってよ……本当に? 僕が関係あるのか?」
「数いる国民の中で王族のあなただったというのも因果を感じます」
否定できない。しかし、だとすれば王族は何者かに悪意を向けられているということになる。
たとえば父上や僕のご先祖様が誰かに恨まれるようなことをしていたとして、何も知らずに生きてきた僕がそのツケを払わされている、とか……待て、そんな理不尽なことがあっていいのか?
「……まあそう深く考えず。私に委ねなさい。あなたはまだ子供です」
今までこれほどまでに、子ども扱いされて嬉しいことはなかった。
納得するそぶりを見せて正面の椅子をすすめる。フロストは分厚い手帳を取り出してメモを取る用意だ。
「では状況を整理しましょう。あなた自身に心当たりは?」
「まったくない。儀式なんて出なくてもいいかと思っていたくらいだ」
「ジャオ様と面識は?」
「会ったことくらいはある。学校同じだし、なんせ同い年の王族と英雄だしな。でもアイツ、大人しい性格みたいで話しかけても反応薄いんだ……結局打ち解けることはなかった」
「ふむ……」
カリカリとペンが走る。手帳の上をフワフワと揺れる薄群青の羽は本物なのかと気になって身を乗り出すと、フロストが意味深に微笑んで手帳を抱え直した。
もしや中を覗いたと思われたのだろうか。自分で言うのもなんだが僕は育ちが良いのだ。そんなふうに思われるのは心外だ。
「珍しいペンだな」
「鳥が好きなもので」
「青い鳥なんて本当にいるのか」
「おや、ベル様は幸せの象徴をご覧になったことがない?」
クスクスと笑われてなんだか癇に障る。だがこのくらいで機嫌を損ねるのもそれこそ幼稚だろう。中途半端になっていた座り方をあぐらに直して腰を据えた。
「さて。それでは儀式のときのことを。召喚される前に何か異変は?」
「あった。ものすごく体調が悪くなったんだ」
「ほう、どのように」
「なんかこう……体内の上から下までかき混ぜられるような? 気持ち悪かったな……吐き気と頭痛もひどかった。正直死を覚悟した」
「ははあ、なるほどなるほど……」
大げさな相槌が胡散臭い。大体コイツは信用してもいい人間なのか?
儀式に目が眩んだ大人たちは、祈祷師の身内を雇う危険性に気付いているのか。コイツが王族に恨みを抱いていないとしっかり証明できたわけでもないのに。
しかし謎を解明してもらえるなら願ったり叶ったりだ。今は様子を見ながら付き合っていくしかないか。
思考を止めるとまた、無意識に羽の踊る手帳へと目がいく。
「それでは正直にお答えください。あなたは処女ですか?」
「ハッ?」
ごめんちょっと聞いてなかった。羽の透き通った蒼が綺麗だなあと思って。
それでなんだって? しょ? じょ?
「あなたは。処女ですか?」
「しょ、じょって……」
「……性行為をされたことは」
「ない!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
思わず立ち上がってしまった。胃の中から何かがむせ返るような嫌悪感が駆り立てる。性的な知識がないわけではない。だがこうして誰かと共有した経験など皆無だ。
そういうものとは無縁でいたほうが、清廉潔白の身として堂々と国民の前に立つことができると、自分で決めたことであった。押し付けてくる輩ももちろんいない。だからこそ、初対面でいきなり無礼を働く目の前の男に防衛本能が働いた。
「あるように見えるか? 失礼だ!」
「ええ? 幼子でもあるまいし……生殖行為はあなた方の繁栄の根幹でしょう。腫物扱いする方が失礼です」
「…………ッ」
言い返せない。理屈ではフロストの言い分が通っているとわかっている。
でも僕はまだ受け入れる準備ができていないのだ。今まで意識的に、避けて通っていた話題だったから。
大体、どうしてそんな質問をするんだ? これ、俗にいうセクハラってやつじゃないの?
「儀式に必要なことなんです。落ち着いてください」
「ハア!? なんで僕のその、そういうのが」
「英雄一族はオトメ……すなわち【処女】しか召喚しませんからねえ」
むずむずと不快感が血脈を通って全身にいきわたる。手指が痺れる。
ずっと、目を逸らしつづけていたことだった。
僕は【オトメ】として召喚された。すなわち【孕まされる者】と世界にみなされたのではないかと……そういう恐怖感は常にあった。周囲の者もどこかそう言いたげだった。
だけどせめて僕自身は違うと強く信じていないと……それが本当になってしまいそうで、怖かったんだ。
ジャオにあんなふうに謝って欲しくなんてなかった。
残酷な現実に、気付きたくなかったから。
「失礼」
フロストの手が僕の胸の中心にあてられる。存外体温の高い手の平が縋りたくなるような余韻を残しながらゆっくりと下に降りていく。そして下腹部までくると、円を描くようにやさしくひと撫で。
フロストはおもむろに片目だけ開いて、したり顔で……嗤った。
「あなた、孕める身体になってますよ」
「ハッ……!」
急激に呼吸が苦しくなって後ずさる。
激しく背もたれに激突した背中が痛むが、この男から、その言葉から逃れたくて必死で張り付いた。
彼の二の句が僕を僕の知らない場所へ連れて行こうとしている。
僕にはわかる。やめてくれ。
ばかげていると思っても、あの時の作り変えられる感覚が、腹に残った強制力のある温もりが、僕に心から否定をさせてくれない。
「本来、祈祷師の召喚とはそういうものです。異なる世界の者を連れてくる。孕めない身体を孕めるようにする。どちらも目的は一つです。優秀な英雄の遺伝子を残すためだ」
「や、め……」
「あなたが選ばれたんですよ。儀式は成功していた。受け入れなさい」
「やめろっ……! 誰か、誰かッ!!」
衝動に任せて大声をあげると、先程の衛兵が転がり込んできた。部屋の外で待機してくれていたらしい。言わずとも、フロストを拘束して僕から遠ざけてくれる。
「この者を追放しろ!!」
「王族の力を使うのですか、あなたも……今までの王族と同じか……?」
「黙れ!! 黙れ!! 僕は信じないぞ!! お前の言う事なんか!!」
「私はあなた方の国のために」
「連れていけ! この者の声を僕に聴かせるな!!」
激昂した僕を目の当たりにし、衛兵は慌ててフロストを引きずっていった。意外だったのだろう。僕自身こんなふうに取り乱した自分に驚いて、いつまでも呼吸が収まらなかった。
震える手で顔を覆うと、トルテが頭の上に乗ってやさしく髪を撫でてくれる。
幼い頃から母上との関わりも薄かった僕にとってトルテは母のような存在でもある。きっとトルテもそう思っているのだろう。ついに嗚咽を漏らすと、頬にひっついて温もりを分けてくれた。
「トルテ……僕……【オトメ】に……?」
かぶりを振る感触に励まされる。
真実がどうであれ、激しく動揺するこの心をなだめてくれる存在が今はただ、有難かった。
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