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第一話

波の追憶

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…ザザー…ザブン…ザザー…ザブン…

 彼を待つ間、あたしは砂浜に腰かけ海を見ている。規則正しく、寄せては返す波を。

…ザザー…ザブン…ザザー…ザブン…

 この海は、自室から約3キロ離れた場所にある。自転車なら10分ほどで着いてしまう。シーズンオフの海。砂浜には誰もいない。目に見えないだけで、小さな虫達は砂浜の下に蠢いているのだろうけれど。

…ザザー…ザブン…ザザー…ザブン…

 あたしは相沢菜々子、18歳。時は2018年6月下旬。梅雨真っ只中だ。二か月程前に大学に入学したと思ったら、もうあと少しで夏休み。毎日夢中で過ごしていると、本当に一日がアッという間に過ぎてしまう。今日は日曜日。所属しているバスケ部は午前中で終わる日だ。彼が所属しているライフセービング部も、午前中で終わる。バスケ部は例外を除いて水曜日が休み。ライフセービング部は木曜日が休み。

 あたし達が唯一一緒にいられる貴重な日曜日なのだ。

…ザザー…ザブン…ザザー…ザブン…

 彼とは幼馴染だ。高校を卒業と同時に付き合い始めた。付き合ってまだ日が浅い。高2の時から、同じ大学を目指して頑張ってきた甲斐があり、同じ体育大学… 言っても、あたしは保育科のある短大に、彼は体育教師を目指し学部に入学した。
 大学入学と同時に、あたしは念願の一人暮らしを始めた。因みに、彼も一人暮らし。あたしの住むマンションから、約50m程離れたアパートに住んでいる。彼は小4の時から鍛えてきた水泳の力を生かし、大学ではライフセービングに所属した。

 高校まで続けていたバレー部と迷ったが、バスケ部にした。何故なら、マネージャーも兼任して良いとの事だったから。

…ザザー…ザブン…ザザー…ザブン…

 どうしてマネージャーも兼任したいかと言うと…

「菜々、お待たせ!」

 彼の声が、背後から聞こえた。

「当麻!」

 笑顔で振り返り、そして立ち上がった。

「少し遅くなったな、ゴメン。部活、目標タイムに行きつかなくて先輩にこってり絞られてさー」

 と彼は照れたように笑った。彼の名は倉田当麻くらたとうま

 鍛え上げられた筋肉質の体は、余分な肉などつきようがなく。そして身長186cm、長い手足、小麦色の肌。面長の端正な顔立ち。形の良い眉と唇。長いまつ毛に涼やかな切れ長の黒い瞳。サラサラの黒髪はショートカットにしてセンス良く跳ねさせてある。ハッキリ言って、超モテるタイプだ。

 どうしてあたしなんかと付き合っているのか、未だに分からない。

高校でも、彼を狙ってる女子は沢山いた。それは大学でも変わらない。むしろ、高校よりも自由に行動がしやすい分、今の方がモテていると思う。彼女達はキラキラした目で当麻を見る。そして隣にいるあたしに視線を移す。

……なんであんな子が?

 途端に、驚愕の表情を浮かべ、次に

……あたしの方が絶対可愛いのに!

 と言う怒りの表情へと変貌を遂げる。大抵はこのパターンだ。だけどあたしは、彼女達の気持ちがよく分かってしまう。あたしは美人じゃない。不細工ではないかもしれないけれど。少なくとも、当麻の彼女に相応しい容姿じゃない。女の子は、16~19。花も恥じらうお年頃、と言うが。あたしにその俗説は当て嵌まらない。

 その言葉は、二つ年下の可愛い妹、萌恵(もえ)にならピッタリと当て嵌まるのだが…。

「もうすぐ昼だな。なんか食べてから出かけるか?」

 当麻の声で我に返る。

「そうだね。お腹空いてきたし」

 笑顔で応じた。

…ザザー…ザブン…ザザー…ザブン…

 色々なマイナス思考を、波に乗せて浄化させるイメージをして。



「お前ってさ、昔から料理上手いよなぁ」

 当麻はオムライスを頬張りながら、しみじみと言った。

「そうかな?幼稚園ぐらいの時から少しづつ覚えて、小2になる頃には食事の担当は私が受け持つ事多かったからね。必要に迫られてやるようになれば、誰だって出来ると思うよ」

 と笑って答えた。あたしの部屋でお昼を食べてから出かけよう、となり。簡単にオムライスとキャベツのコンソメスープを作ったのだ。


 彼とは、幼稚園の年長組の頃に出会った。出会いは地元の海。家族で、よくそこに来ていた。あたしも妹も、海が大好きだった。

「ソイツ、お前の妹?お前と全然似てないな」

 彼がいきなり話しかけてきた事が切っ掛けだ。彼もご両親と共にこの海に来ていた。親同士もすぐに意気投合。お互いの家が1キロほど離れた場所にある事が判明。家族ぐるみの付き合いが始まる。

 妹の萌恵《もえ》は誰がどう見てもとびきりの美少女だ。元々病弱だったせいもあり、色が透き通るように白く、小柄で華奢だ。茶色い髪は柔らかくサラサラで、腰まで伸ばしている。小さな卵型の顔。優雅な茶色い眉。スーッと通った鼻筋。小さなピンク色の唇。零れそうなくらい大きな目は、明るい茶色でウルウルしている。
 勿論、出生元はあたしの両親だから純日本産だ。元々色素が薄いのだろう。よくハーフと間違えられる。尤も、両親も美男美女の類に入るのだけれど。

 どうしてこうも似ていないのだろう? 萌恵とはともかく、両親とも似ていないなんて。

…ザザー…ザブン…ザザー…ザブン…

 昔は本気で思ったものだ。

『あたしは、どこかから貰われて来た子かもしれない』と。

 いけない! 卑屈になってきた。こんな気持ち、海に浄化して貰わなきゃ!!

…ザザー…ザブン…ザザー…ザブン…

 頭の中に、海を思い描く。

…ザザー…ザブン…ザザー…ザブン…

 するとすぐに波の音が聞こえてくる。マイナスの感情を胸から丸ごとナイフで削り取って、その汚い感情を波に乗せるイメージをするのだ。母なる海は、しっかりとそれを受け取り、波に乗せて粉々に砕き、そして綺麗に浄化してくれる。

…ザザー…ザブン…ザザー…ザブン…

言わば、海は地球の鼓動。宇宙のリズムだ。不意に、気管支がヒリつき、激しく咳き込み始めた。


 ゴホゴホゴホッ…ゴホッ

「菜々!!」

 当麻が叫んで椅子から立ち上がる音……
そして素早くあたしの背後に回ると、背中を軽く叩きながら

「菜々、吸入器は?」

 と急き込んで問いかける。

ゴホゴホゴホッゲホッゴホッ……

 苦しい…咳が止まらなくて息が出来ない……ゼイゼイヒューヒュー、胸が鳴り出す。声が、出せない…辛うじて空席にあるバッグを指さす。

「バッグの中か!」

 当麻は弾かれたようにバッグに飛びつくと、

「悪い、開けるぞ!」

 とチャックを開け、すぐに吸入器を取り出して差し出した。

ゴホゴホゴホッゴホゴホッ……

 夢中でそれを受け取ると、口に咥えた。当麻が背中をさすってくれている。苦しいながらも、タイミングを合わせて吸入する。徐々に咳が治まっていき、少しづつ空気が取り込めるようになっていく…

…ザザー…ザブン…ザザー…ザブン…

 更に気持ちを落ち着かせる為海を思い浮かべ、波をイメージする。

…ザザー…ザブン…ザザー…ザブン…

 気持ちが落ち着けば、自ずと呼吸も整いやすくなっていく。

「有難う。いつもごめんね」

 背中をさすり続けてくれている彼を振り返った。咳き込んだ為、涙が溢れ掠れて弱々しい声しか出ないの自分が悔しい。

「謝る事じゃねぇさ。…少し、大人しく休んでろ」

 と言うと彼はキッチンの方に向かった。今回の発作は軽い。時間にして5分くらいだ。

 時々、こんな風にして発作が起きる。所謂、喘息ってヤツだ。だから、激しい運動をすると発作が起きてしまう。その為、当麻と同じ学部に行く事を諦め、短大で保育士の道を選んだのだ。バスケ部に所属したのは、マネージャーとして所属。軽い練習だけ参加と言う形を許して貰えたから。最初から諦める前に言ってみるものである。顧問の娘様も喘息だそうで、理解を示して頂けた。娘様想いの、素敵なお父さん。ちょっとだけ娘様が羨ましくなった。

…ザザー…ザブン…ザザー…ザブン…

 再び波をイメージする。人は人。あたしはあたしだ。無いものねだりしても仕方がない。マネージャーで、軽い練習には参加して良い。18年間生きて来てベスト3に入る程の幸運だ。勿論、一番の幸運は大好きだった当麻と付き合うようになった事なのだけれど。
 当麻と付き合っう事になって何より、ビックリしたのは互いの両親だった。それはそうだ。だって私自身が一番ビックリしたもの。皆、萌恵と付き合うんだ、と思っていたから。

「お待たせ」

 当麻がカップを手にして戻ってきた。

「有り難う」

 素直に受け取り、白湯を飲む。お湯を沸騰させたのと、ミネラルウォーターを半々で割る。どちらかの家で発作が起きたら、治まってから当麻が作って持って来てくれる。何となくの決まり事になっている。
 外出時には、常温の水は欠かせない。小まめに水分を取ることで、痰が絡む事を和らげてくれる。その為発作が起きにくくなるのだ。冷たい水は、気管支が刺激を受けてかえって発作を起こしやすい。だから、あたしのバックはA3サイズと大きい。500mlのペットボトルの水を2本、常に持ち歩くから。

「午後は、どうする?また海でまったり話すか」

 当麻は穏やかな笑顔を向けた。最大に気遣ってるくれてるのが伝わる。時々思う。当麻があたしと付き合ったのは、あの事が切っ掛けだったからだ。だから、当麻は……。でも、それ以上は考えないようにしてきた。考えても仕方が無いから。

…ザザー…ザブン…ザザー…ザブン…

 ダメダメ。暗い事考えてたら益々可愛く無くなっちゃう。今は当麻といる。この事実を大切にしなきゃ。モヤモヤした感情は、波に持って行って貰おう。

…ザザー…ザブン…ザザー…ザブン…

 イメージの海に。

「有り難う。そうだね。海でゆっくりしよう」

 と当麻に笑顔を向けた。あたし達は、海が大好きだった。


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