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第十話
徒花Ⅱ
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「何者だ!お前、俺に何の用がある?!」
火焔はその者の背後に立ち、その華奢で折れそうな程に細い体を羽交い絞めにした。
「……申し訳、ございません。驚かせるつもりは毛頭も無く、ただ、そのお姿だけを拝見させて頂きたくて……」
艶のある透き通る声。その者は女であった。女に敵意が無い事を感じ取り、戒めを解く火焔。そして少し離れて彼女の正面へと瞬間移動した。
女の瞳は、ぬばたまの夜空を思わせた。まさに烏の濡れ羽色の髪を、両耳より上の髪をまとめ、二つの輪にして結い上げている。それは膝あたりまで伸ばされ、絹糸の滝のように流れていた。薄桃色の小袖に│紅《くれない》の袴が、襟元と袖に見え隠れする桃色の絹。その衣装が、真珠のような得も言われぬ美しい肌を引き立てている。
ふっくらとみずみずしい│丹花《たんか》の唇は、椿の蕾を思わせ、左の目元の黒子と相まって、妖しいまでに魅惑の色香を放つ。
けれども火焔は「美しい女だ」ただ、そう感じただけだった。ただ、どこかで見た事があったような? 微かにそんな気がした。
「……で、俺に何の用だ?」
火焔は女に問いかけた。しばし沈黙の│簾《すだれ》が、辺りを覆った。やがて女は口を開く。
「私は│紅《くれない》と申します。以前、あなたに助けられた者です。ご恩をお返ししたくて、参りました」
静かに、ゆっくりと女は言葉を紡いだ。
「恩? 俺にか? 何かしたか? 皆目見当もつかんなぁ。まぁ、俺が何かで役に立てたのなら、良かったよ。すまん! だけど覚えてないんだ。だから、恩を返すとか気にすんな」
と火焔は笑って見せた。白い歯が、眩しい。そしてふと、辺りを見回すと再び女を見つめ、
「悪い、そろそろ待ち合わせ場所に行かなけりゃ。また皆に心配させちまう。そういう事だから、気にしないでくれな。じゃぁな。気を付けて帰れよ!」
と言うと、姿を消した。残された女は、彼が消えた場所を愛し気に見つめつつ
「……ええ、覚えてらっしゃらなくて当然ですわ」
と呟いた。そして女もその場から姿を消した。女が消えた後に、丹花の花びらが数枚舞い降りる。
「女の扱いはよくわからん」
思わず呟きながら、クチナシの木の群れに身を埋もれさせる火焔。花木等の植物に身を委ねると、少しくらいの疲労なら回復出来てしまうのだ。しばらく身を休めると、その場から消えた。
待ち合わせ場所に着く寸前、空を舞う自らの背中に抱き付く者の気配を感じた。艶やかな薄花色の髪が、ハラハラと火焔の背中を│伝《つた》い、首筋に流れる。
「水鏡?!」
とりあえず、水鏡に背中に抱きつかれるままにその場所に降り立った。竹林の中だ。
「……どうした?」
火焔は心配そうに、背後の水鏡に話しかける。水鏡は何も言わないまま、火焔の首筋に両手を巻き付け、ゆるゆると彼の正面に身を移した。そしてそのまま、胸に顔を埋める。
何か事情があるのだろう、とそのまま水鏡の様子を見る事にした。右手を水鏡に回し、そのまま抱き締める。
……あなたの鼓動が聞こえる。逞しい腕。鍛えあげられた胸。その全てが、愛しい……
水鏡はしばらくその心地良さを味わった。
サヤサヤと夏の風に、笹の葉が身を踊らせる。
「……待ち合わせ場所に向かう前に、もう少しだけ地球の水脈の破壊具合を調べてみようとしていたんです。そしたら、たまたまあなたをお見かけしたので」
と言いながら、水鏡はそっと彼から離れた。
「……それだけか?」
心配そうに水鏡を見つめる朱の瞳。
「ええ。ただ、少し疲れていましたので。暖かい炎の情熱に触れたくなりまして、つい」
水鏡は笑みを浮かべた。しかし、気のせいだろうか? 心なしか、少し悲しげに見えるのは。
……ええ、本当ですとも。あなたがあまりに無防備に……
と水鏡は思いつつ
「女と、触れ合った香りがする!」
水鏡は鋭い口調で突然言い放つ。
「はぁ?女?」
火焔は何を言い出すんだ、と素っ頓狂な声を上げつつ瞬時に、黒々とした深く澄み渡る瞳の美女が頭に浮かんだ。確かに、羽交い締めにしたが……。
「あぁ、偶然会ったな。不審者かと羽交い締めにして問い詰めた」
あっけらかんと話す火焔。
…うやら、嘘は言ってないようですね……
火焔を鋭く観察しながら、結論を出す。
「花香を泣かせたら、許しませんよ!」
射貫くような鋭い眼差しと、氷のように冷たい声で牽制した。火焔はやれやれ、というように肩をすくめる。
「愚問だな! 俺が花香以外に心を移す訳ないだろ?!」
燃え盛る熱き瞳で、水鏡を見据えた。氷の│刃《やいば》を宿した瞳と、燃え盛る炎の瞳。しばし微動だにせず、睨みあう二聖。
…サヤサヤ…サヤサヤサヤサヤ…
風が、激しく竹林を揺らす。
やがてフッと柔らかな笑顔を見せる水鏡。その蒼穹の瞳は優しく炎を映し出す。火焔もフフッと笑みを浮かべ、優しい│灯《ともしび》をその瞳に│湛《たた》えた。
「約束ですよ。破ったら、お仕置きです」
冗談とも、本気ともつかない様子で水鏡は微笑む。
「あぁ、約束するさ。…けど、仕置きって何をするんだ?」
「おや、気になりますか?」
「そりゃそうだろう!」
ニヤリ、と水鏡は笑うと
「犯しますよ」
と平然と言ってのけた。思わず絶句する火焔。
…サヤサヤ…サヤサヤ…サヤサヤ…
竹の葉が、優しく揺れる。
「……バーカ! それこそ花香が泣くだろうよ」
と火焔は大真面目に答えた。
「プッ、フフフ…フフッ」
「ププッ、ハハ…ハハハッ」
二聖は同時に吹き出すと、一斉に笑い合った。
「……さ、行きましょう。待ち合わせ場所に」
水鏡は、笑い過ぎて零れた涙を拭いつつ促したその涙は、笑いのみが原因とは言い難いが。
「あぁ、そうだな」
火焔は頷いた。そして二聖は消えた。
彼らが消えた後、ひっそりと竹林の茂みより姿を現す黒髪の美女。黒々と深く静かに澄んだ瞳は憂いを秘めて艶めく。
急に何かを感じて厳しい表情を浮かべる。そして覚悟を決めたように大きく頷くと、消えた。
女が消えた後に、紅い花びらが数枚舞う……
火焔はその者の背後に立ち、その華奢で折れそうな程に細い体を羽交い絞めにした。
「……申し訳、ございません。驚かせるつもりは毛頭も無く、ただ、そのお姿だけを拝見させて頂きたくて……」
艶のある透き通る声。その者は女であった。女に敵意が無い事を感じ取り、戒めを解く火焔。そして少し離れて彼女の正面へと瞬間移動した。
女の瞳は、ぬばたまの夜空を思わせた。まさに烏の濡れ羽色の髪を、両耳より上の髪をまとめ、二つの輪にして結い上げている。それは膝あたりまで伸ばされ、絹糸の滝のように流れていた。薄桃色の小袖に│紅《くれない》の袴が、襟元と袖に見え隠れする桃色の絹。その衣装が、真珠のような得も言われぬ美しい肌を引き立てている。
ふっくらとみずみずしい│丹花《たんか》の唇は、椿の蕾を思わせ、左の目元の黒子と相まって、妖しいまでに魅惑の色香を放つ。
けれども火焔は「美しい女だ」ただ、そう感じただけだった。ただ、どこかで見た事があったような? 微かにそんな気がした。
「……で、俺に何の用だ?」
火焔は女に問いかけた。しばし沈黙の│簾《すだれ》が、辺りを覆った。やがて女は口を開く。
「私は│紅《くれない》と申します。以前、あなたに助けられた者です。ご恩をお返ししたくて、参りました」
静かに、ゆっくりと女は言葉を紡いだ。
「恩? 俺にか? 何かしたか? 皆目見当もつかんなぁ。まぁ、俺が何かで役に立てたのなら、良かったよ。すまん! だけど覚えてないんだ。だから、恩を返すとか気にすんな」
と火焔は笑って見せた。白い歯が、眩しい。そしてふと、辺りを見回すと再び女を見つめ、
「悪い、そろそろ待ち合わせ場所に行かなけりゃ。また皆に心配させちまう。そういう事だから、気にしないでくれな。じゃぁな。気を付けて帰れよ!」
と言うと、姿を消した。残された女は、彼が消えた場所を愛し気に見つめつつ
「……ええ、覚えてらっしゃらなくて当然ですわ」
と呟いた。そして女もその場から姿を消した。女が消えた後に、丹花の花びらが数枚舞い降りる。
「女の扱いはよくわからん」
思わず呟きながら、クチナシの木の群れに身を埋もれさせる火焔。花木等の植物に身を委ねると、少しくらいの疲労なら回復出来てしまうのだ。しばらく身を休めると、その場から消えた。
待ち合わせ場所に着く寸前、空を舞う自らの背中に抱き付く者の気配を感じた。艶やかな薄花色の髪が、ハラハラと火焔の背中を│伝《つた》い、首筋に流れる。
「水鏡?!」
とりあえず、水鏡に背中に抱きつかれるままにその場所に降り立った。竹林の中だ。
「……どうした?」
火焔は心配そうに、背後の水鏡に話しかける。水鏡は何も言わないまま、火焔の首筋に両手を巻き付け、ゆるゆると彼の正面に身を移した。そしてそのまま、胸に顔を埋める。
何か事情があるのだろう、とそのまま水鏡の様子を見る事にした。右手を水鏡に回し、そのまま抱き締める。
……あなたの鼓動が聞こえる。逞しい腕。鍛えあげられた胸。その全てが、愛しい……
水鏡はしばらくその心地良さを味わった。
サヤサヤと夏の風に、笹の葉が身を踊らせる。
「……待ち合わせ場所に向かう前に、もう少しだけ地球の水脈の破壊具合を調べてみようとしていたんです。そしたら、たまたまあなたをお見かけしたので」
と言いながら、水鏡はそっと彼から離れた。
「……それだけか?」
心配そうに水鏡を見つめる朱の瞳。
「ええ。ただ、少し疲れていましたので。暖かい炎の情熱に触れたくなりまして、つい」
水鏡は笑みを浮かべた。しかし、気のせいだろうか? 心なしか、少し悲しげに見えるのは。
……ええ、本当ですとも。あなたがあまりに無防備に……
と水鏡は思いつつ
「女と、触れ合った香りがする!」
水鏡は鋭い口調で突然言い放つ。
「はぁ?女?」
火焔は何を言い出すんだ、と素っ頓狂な声を上げつつ瞬時に、黒々とした深く澄み渡る瞳の美女が頭に浮かんだ。確かに、羽交い締めにしたが……。
「あぁ、偶然会ったな。不審者かと羽交い締めにして問い詰めた」
あっけらかんと話す火焔。
…うやら、嘘は言ってないようですね……
火焔を鋭く観察しながら、結論を出す。
「花香を泣かせたら、許しませんよ!」
射貫くような鋭い眼差しと、氷のように冷たい声で牽制した。火焔はやれやれ、というように肩をすくめる。
「愚問だな! 俺が花香以外に心を移す訳ないだろ?!」
燃え盛る熱き瞳で、水鏡を見据えた。氷の│刃《やいば》を宿した瞳と、燃え盛る炎の瞳。しばし微動だにせず、睨みあう二聖。
…サヤサヤ…サヤサヤサヤサヤ…
風が、激しく竹林を揺らす。
やがてフッと柔らかな笑顔を見せる水鏡。その蒼穹の瞳は優しく炎を映し出す。火焔もフフッと笑みを浮かべ、優しい│灯《ともしび》をその瞳に│湛《たた》えた。
「約束ですよ。破ったら、お仕置きです」
冗談とも、本気ともつかない様子で水鏡は微笑む。
「あぁ、約束するさ。…けど、仕置きって何をするんだ?」
「おや、気になりますか?」
「そりゃそうだろう!」
ニヤリ、と水鏡は笑うと
「犯しますよ」
と平然と言ってのけた。思わず絶句する火焔。
…サヤサヤ…サヤサヤ…サヤサヤ…
竹の葉が、優しく揺れる。
「……バーカ! それこそ花香が泣くだろうよ」
と火焔は大真面目に答えた。
「プッ、フフフ…フフッ」
「ププッ、ハハ…ハハハッ」
二聖は同時に吹き出すと、一斉に笑い合った。
「……さ、行きましょう。待ち合わせ場所に」
水鏡は、笑い過ぎて零れた涙を拭いつつ促したその涙は、笑いのみが原因とは言い難いが。
「あぁ、そうだな」
火焔は頷いた。そして二聖は消えた。
彼らが消えた後、ひっそりと竹林の茂みより姿を現す黒髪の美女。黒々と深く静かに澄んだ瞳は憂いを秘めて艶めく。
急に何かを感じて厳しい表情を浮かべる。そして覚悟を決めたように大きく頷くと、消えた。
女が消えた後に、紅い花びらが数枚舞う……
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